りゅうちゃんミストラル

りゅうちゃんミストラル

2004.06.16
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先日ある人の日記で「天国」について書かれたものがあった。
ドラマなどである「きっとお父さんが天国で・・・」
という台詞について、「本当なのか?」と疑問を投げかけていた。
殺伐とした世の中にあって、この日記はいい点に目をつけていた。
私はこの疑問に興味があって逆の立場からこうコメントした。


私は(死者が)天国にいると信じます。
というか天国とは「死んだ者が行くところ」ではなく、
「死者を送った者が信じる場所」ではないかと考えるからです。
送った者が信じるなら死者は天国にいます。
問題は信じているか否かなのです。嘘でもなんでもいい。
信じたい者がいるならそれでいいではありませんか?
(カッコ内は後から足したこの日記のみの注釈です)


この考えに賛同してくれる人もいたが、全く違う考えの人もいた。
これは仕方のないことだ。誰も天国を知らないのだから。
だが、今でもこの考えは何も変わっていない。

NHKで放送されていた人気海外ドラマに「アリーマイラブ」というものがある。
シカゴにある弁護士事務所を舞台にしたものだ。
この中で「私はサンタクロースだ」(実は彼の娘は弁護士だ)という人がいて、訴訟になる。
裁判所でこの人は「信じるなら毎日がクリスマスだ」と言う。
実はこの台詞はある有名な詩の一部だ。
ドラマでしか考えられないようなくだらない訴訟と言ってしまえば簡単なことだが、
私はこの「信じるなら」ということがとても大切に思える。

信じるならそこに天国はある。当然目には見えない。
信じる人の中にしか存在しない。
それがたった一人でも、その一人のために天国は存在する。

息子を亡くした人がこう言った。
「戻ってこないところを見ると、きっといいところなんでしょう」
ものは考えようである。
こんな言葉は一流の哲学者が考えてもなかなか言えまい。

また、天国について考えるなら、 「いつでも会える」(菊田まりこ) を推薦する。
絵本ではあるが、哲学的な内容をうまくまとめている。
涙もろい人は号泣必至である。
私は昨日の日記で「疑うこと」について書いた。
私は 今もキリスト教を信じてはいない。
キリスト教は地動説を訴えた天文学者のブルーノ(イタリア)を火炙りの刑にした。
理由は簡単。地動説はキリスト教にとっては都合が悪いからだ。
だから「異端者」を殺す。命は大切ではないということだ。
そこには「言論の自由」はなく、キリスト教の大原則である「許すこと」はなかった。
進化論の提唱者であるダーウィンに対しても弾圧を加えた。
そこにも「許すこと」は実践されなかった。
ダーウィンの進化論が何でも正しいとは言わない。
このことについてはまた別に語ることがあるかもしれないが、
少なくとも彼の持論は科学にとっては「叩き台」にはなった。
「言論の自由」はキリスト教の存在とは別に存在しなければならない。
信じられないのはキリスト教信者にこれらの事を聞くと、
歴史的な事実にもかかわらず、こうした弾圧をほとんど知らない。
「良い面」ばかりではなく「暗い面」も見て欲しいものだ。
事実は事実なのだから。

キリスト教は確かに人の心に安定をもたらしただろう。その存在価値はある。
しかし考えて欲しい。
あのイラク戦争をしたアメリカはキリスト教の国ではないか?
なのにイラク人に対する虐待事件まで起こしている。これはどうしたことか?
イスラム教徒は「異端者」だから何をしてもいいのだろうか?
CBSの報道によれば、キリスト教会では性的虐待が絶えないそうだ。
「このままでは裁判による巨額賠償金で教会の存続がが危うくなるのではないか」とまで言われている。
こんな文章もあります

これでは「ゲルマニウムの夜」(花村萬月)とその続編「王国記」の世界そのままではないか。
こうした事件に対して、どうしてキリスト教信者は「自浄努力」をしようとはしないのだろうか?

まさかキリスト教を宣伝する時だけ「聖書は世界で一番売れている」ということを言い、
「アメリカで起きていることは日本には関係ない」と言うつもりではあるまい。

だから私は今も 「キリスト教は危険な宗教」 という認識を変えてはいない。
キリスト教に限らず、宗教は一歩間違えると大変なことになる。
人の命など簡単に奪ってしまう。今までも何回そうしたことがあったか。
ただ、信じる自由はある。「信じるな」と言うつもりもない。
「少なくとも私はキリスト教を信じない」 というだけの話だ。

先日、 村上宣道さん の話を直接聞く機会があった。
この人は有名な牧師さんだそうだ。 
なるほどこの人なら信用できそうだ。そう感じさせる言葉の力強さがある。
しかし彼が言った「すべての問題はキリスト教に答えがある」というのは傲慢ではないか?
年間3万人以上の自殺はともかく、年金問題までキリスト教で解決できるというのは私には信じられない。
キリスト教信者は本当のこうしたことを信じているのだろうか?
だとしたら私の目には「おめでたい人」にしか見えない。
こうした点を村上さんに質問したいが忙しい方らしいので、それは無理だろう。残念だ。

この方にはメールを出したので、必要があれば返信が来るだろう。

信じることは大切だ。しかし盲目的に信じているとしたら、そこには危険な香りがする。
信じるのも時と場面によるのか?

ここからが結論になる。


信じることは大切だ。しかし信じるだけではだめだ。
つまり「いい面ばかりを見ていたら、成長はない」ということだ。
キリスト教関係者には、是非この点を肝に銘じて欲しい。

私は天国はキリスト教徒は別に信じる。
それは祖母が今でもそこにいると信じているからだ。





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最終更新日  2004.06.16 20:34:11


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