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Windowsマシンのブートシーケンスがおかしくなった。ぐはあ。MBR:マスターブートレコードとかIPL:イニシャルプログラムローダとかの世界。XPのfixmbrとかfixbootでダメだったんでIP以後かも。復旧にミスってちょっとややこしい事になってます。
2009/09/30
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外からみた私と中からみた私は違う。違っているから、ついどちらが正しいのかと思ってしまう。どちらも私なのにね。心配しなくてももともと人は丸。もっと丸くなりたくてあっちを出してこっちを引っ込めて気づけばデコボコになることもある。でもそのままでも人は丸。失敗を怖がることもない。人を恐れることもない。
2009/09/29
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今日は朝からおかしかったらしい。どうにも世界から拒絶され、じわじわとわたくしが侵蝕されてゆくようなイメージが頭を離れない。「それは幻と呼べばいい。共通の感覚に比べれば取るに足りない。みんながいま生きているという事実は今が正しいという説得力ある理由になる」そうだけれど、でも幻という言葉に押し込めて片付けていいのかな?「…もしもそれを扱うのなら解釈として扱うんだ。センサを含むシステム全体で下した解釈。システムが異なれば解釈も異なろう」そのいくつもの解釈はどう評価すればいい。有用性?「気違い…狂気…乱心、痴。それもある。しかし、例えば多様性という評価もある。今や環境は目まぐるしく変化する。今日の正解は明日の間違い。君の正解は私には間違い」んじゃ無茶苦茶なこの感じもなにかしら…「何を今さら。君は何の為に書いてカメラを持って編集ソフトと格闘してるんだい?」利用出来るものは総動員だね。「今日は味わえ。他人にぶつからないように気をつけて抱えろ」わたくしを侵食してくる世界。それが何者なのか確かめたくて、わたくしが何処からはじまるのか確かめたくて、カメラをのしかかってくる世界に向けて、シャッターを切る!私が世界を飲み込むために。わたくしが世界の一部に参加するために。
2009/09/28
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朝ごはん、起きたら嫁はんが用意してくてれた。感謝しつつ食べる。さらに今日も子供らの昼ご飯と晩ご飯をよろしくお願いした。すまん。時間が迫ってる。家を飛び出す。電車に乗って新長田駅へ。11時からの神戸映画資料館に柳澤寿男監督の京都府PR映画の参考無料上映を観に行く。ギリギリな今日の予定だけれど、どうしても観ときたかった。「車大工」「古典雅楽器 雲の上の音がたちのぼる」の二本。赤いとは聞いていたけれど、本当に自然に退色したオレンジ色。カラーの色は脳内補完。撮影用フィルターの青いLBB12とCCのBの10ぐらいを通して観た方が見やすいかもなぁとアホな事を思ったりする。音が面白い。「車大工」で車輪の細かい調整をしている老いた名工。その画にその名匠の声が唱えるお経が流れてくる。たぶん朝晩に仏壇で唱えてはったのを録音してたんだなぁ。名匠の仕事の画。いい車輪を作る事。それだけに集中している祈りが伝わってきた。いいBGMでした。あと、跡継ぎの息子さんとの作業中の画に、こんな風なやりとりの録音をかぶせる。名匠「もう少し上。ああうん。ちょっとやりすぎやな。ああそや。そのまま。うーん」息子「…もうええやん、これで」笑った。こういう拘りが名匠たる所なんだろうなと。このやりとりはたぶん同録ではなさそう。12時半に映画が終わって、大急ぎで駅に走る!が、しまった一本遅くなった。失敗。神戸三宮駅に向かう。13時5分に神戸市青少年会館に到着。まだ始まってなかった。港館のメンバー竹中監督の新作のシナリオ打ち合わせ。オブザーバーとして。何かしら出来る事は手伝いたいので内容を理解しとくために顔を出す。その場で監督の意向に合わせてどんどんアイデアが出てくるシナリオライターさんの力に感動。すごいなぁ。15時ごろ途中で抜けて、また駅に。次は阪急淡路駅。大阪。16時に到着。飯の手当て忘れてた。ファーストフードに飛び込んでハンバーガーとサラダを0calコーラで流し込んで、持病の薬を飲む。この時間だ、夕食扱い。映画館で一日伊丹映像研究会の20周年記念大上映会やってる。入ったらもう夕方のパート。主催者もお元気そう。友人も来てたので一緒に観る。作品賞決めてた。賞をとったのは「ちっさいオッサン」「私とアフロ」。「ちっさいオッサン」見逃してた。友人は褒めちぎり。しまったな。私がアンケート票を入れた「ビッグ・マン」と「ぼくんちのなつやすみ」は取らなかったなぁ。「ビッグ・マン」は下ネタなのが軽く見られたのかな。丁寧な手抜きしない作り方して笑いを当ててたのにね。会場は昔からの映画館。いかにも伊丹映像研がこだわりそうな大きなスクリーン。6Oiの家庭用ビデオで撮った映像でも大スクリーンで観ると、けっこうカッコよかったり。拘って作ったのは更に効く。終わって友人と飲む。色々語ってしまった。ちょっと疲れてきてるのかも。帰ってみると子供らはもうとっくに寝てる時間。カバンから作品の感想を書き込んどいた伊丹映像研上映会のアンケートが出てきた。ドタバタ挨拶まわりしてて提出するの忘れてたな。どうしよう。…さて…たどり着けるのはいつだろうか…。
2009/09/27
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今日も神戸映画資料館の柳澤寿男監督特集上映に行ってきました。「そっちやない こっちや」「神戸っ子」(神戸製鋼所PR映画)と磯田充子(柳澤監督夫人 )のトークを観てきました。「そっちやない こっちや」成長することの映画。最初の方のナレーション、中年男性をフォローする画面に「xx君は40歳を過ぎた今でもちゃきちゃきの若衆である」ちっと疑問符が浮かんで、ちょっと嫌だなと思った言い方。…仕掛けられてました。映画の最後の大人の表情…大人になるとはどういう事か、働くこと、自分で決めること、仲間になるということはどういう事か。そういうもの持てない状況に置かれた人々がそれらを獲得してゆく過程の記録。たぶん同じ戦いは日々そこここで繰り広げられている。私も毎日成長したくて右往左往。そういう戦いのためのヒントでもある。たしかに友や恋や決断のない生活では誰も大人にはなれないよなぁと。成長は出来ないよなぁと。「神戸っ子」神戸製鋼所PR映画、コベルコの中に保管されていた映画だそうです。フィルムはみつからなくてVTRでの上映。製鋼所の鉄のPR映画なのに神戸で暮らす三人兄弟の一人が自動車を自作する話。買ってきた中古エンジンの部品が壊れてて、特殊綱で直して車を作って。なんじゃこれは!面白い。1960年昭和35年、神戸の風景。阪急六甲道駅にトアロードに旧居住区に花時計に。私が幼児だった頃まだ残っていた雰囲気。下の弟が座って絵を描いていた花時計のベンチ。あはは、二十数年後に一人の少年が8mmカメラを持って仲間と共にやって来て、同じ場所のベンチで十分ほどの短篇映画を作るんだ。たぶん色んな人があそこで映画作ったんだろうな(〃^∇^)六甲山の峠をフレームだけのバギーみたいな車に乗ってドライブ。グラスファイバー貼った車体載せて派手なオープンカー!本当に走るスポーツカーを映画の為に作ってる!パートカラーなんだけれど、これが、同じシーン内でカットごとに白黒だったり、セピアにしたり、フィルム着色だったり、カラーだったりと、アバンギャルドな方法!普通パートカラーってシーン毎にカラーにするかモノクロにするか選ぶもんだと思ってたけれど、これはモノクロとカラーをつなぐ効果探してるのかな。今ならコンピューターでちょこちょこで出来るんでたまにある方法だけれど、この時代は撮影前から計画してなきゃ出来ない。面白い。確かにいきなりカラーのカット繋ぐことでエンジンやお姉さんの足や作業場の質感は伝わって来た。モノクロの世界でマスカットだけが鮮やかな色がついていたり。当時カラープリントはカラーネガより格安だったのか、それともプリント本数分だけカラープリントとモノクロプリントをモザイクのように繋いだものか。それとも監督の演出意図でわざわざカラーのコストかけてモノクロのカットを作ったものか。今これを書きながらそんな謎に気がつきました。退色がひどかったからそのせいだったりして…。磯田充子(柳澤監督夫人 )のトーク。柳澤監督、70本ほどの作品を作られたことを知りました。途中「神戸っ子」で弟をされてた方も客席にいらして飛び入り参加。50年ぶりに再会したお二人で撮影中のエピソードが聞けたり。楽しかったです。明日昼から映画の打ち合わせあるけれど、午前中の無料上映観てからでもギリギリ間に合うかな。柳澤監督作品、気に入ってしまったようです。
2009/09/26
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アルバム 20090923-T28奴の建造計画は順調に進行中のようです。いいも わるいも リモコンしだい♪KOBE鉄人PROJECTこちらの鉄のひとの「超ごめん。」のも見てみたかったなぁ。重量を感じさせてくれる最終兵器になったかもと思う。残念。
2009/09/25
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柳澤壽男監督が生前愛用されていた16mm編集機(サウンド付きビュアー)がロビーの一隅に置かれていました。たぶん血と汗と涙と怒りと愛情と苦悩と迷いとギリギリの決断を共にした道具。こういうものをさりげなく展示していてくれるから神戸映画資料館は貴重な施設だと思えるのです。神戸映画資料館で柳澤壽男監督特集上映に行ってきました。「風とゆききし」「甘えることは許されない」「夜明け前の子どもたち」の三本。いい仕掛けがたくさんある映画でした。三本ともタイトルから仕組まれてました。観た前と後ではタイトルの意味が変わってしまうという。ドラマとして撮影されてはいません、ドキュメンタリーです。それでこれは、すごい構成力かも。戦略に見事にやられました。「風とゆききし」作中4回ほど繰り替えされるテーマソング。最初の時はなんだか甘ったるい歌だなぁと思いました。音量もバランスも入れ方のタイミングも???。それが…2回目の繰り返しで意味が変化し、3回目の繰り返しで決定的に変わり、4回目で深い意味を帯びていました。多分まったく同じ録音のテーマソングの繰り返し使用ですが、毎回意味が異なって感じられる。それは一つの立体を前後左右四方向から眺めてでもいるように…。やられました。見事に騙されてました。どんでん返し。途中歩いているカップルの背中のカットかあるのですが、これがとってもいい。何だかお互いの愛情や気持ちが伝わってくるような背中、歩き方です。望遠で撮ってカメラを意識させてないってのもあるんでしょうが、その前のカットの積み重ねが本当に上手い。ちゃんとドラマになっていて、フェイクや伏線やドンデン返しの構成が緻密で、さらに危ういテーマを扱ってみせて、その上であの背中です。美しい。わたくしは危うく泣きそうに。で、この構成はさらに別のカップルをいくつもつなげていき、さらに畳み掛けてくるのです。やられました。今編集中の私の自作短篇でもカップルの背中のシーンを撮影してるのですが、こんな風に観客に訴えかけるつなぎ方が出来るのだろうか。こんなのを観せられたらかなわぬかもしれないながら私なりに精一杯頑張りたくなってしまいます。こんなふうな成し遂げかたをした人がいるのですから。2時間34分があっという間でした。今日観た三本とも。構成で物語っている密度が高いのです。「甘えることは許されない」もうこのタイトルが…、怒りと皮肉のこもったタイトル。告発の映画。それは観客にも向けられていて…。「夜明け前の子どもたち」最初の数カットの白黒映像の美しさったら、思わず身を乗り出して見入ってしまいました。つかまれた。でそれはそのままラストに対応してゆくのです。最後の音声。聞いたらそれに答えて志願(ボランティア)したくなる人が多くいそう。ちゃんと前段でフォローもしていてキツさも訴えて、巧みで正直な広告映画でもある。ちょっと小耳にはさんだのですが、この映画の後に施設が増えていったそうです。さもありなん。説得力あるもの。何の夜明けか、誰の夜明けなのか。三本連続鑑賞はさすがに疲れたけれど、堪能しました。26日には同じ監督の「神戸っ子」(参考無料上映)とトーク:磯田充子(「神戸っ子」出演,柳澤監督夫人)があるそうです。神戸映画資料館 2009/9月スケジュール今回「ぼくのなかの夜と朝」を観れなかったのは残念。今日観た作品を作る方がパンフに書いてあった内容の映画を撮ったのなら、それはさぞやスリリングで端正な映画になっているのだろうなと想像してます。
2009/09/23
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このあいだ歩いていたら、いきなり目の前に黄色いイモムシさんが現れた。道のど真ん中で空中にふわりふわりと数センチのくねくねが浮かんでいます。よくみると糸でぶら下がっていて。見上げると普通の家の3~4階分も高いところに木の枝。撮ろうと思いました。相手は小さな虫。カメラをマクロモードに。空をバックにイモムシさんにカメラを向けて半シャッター。オートフォーカスでピントが合って、さてシャッターを、あれ。イモムシさんがピンボケに。マクロモードで被写界深度も前後数センチになってますから少しでも動くとピントから外れます…。目の前には風に吹かれて優雅にゆられているイモムシさん。10m近く長い長い糸の先。風が吹くとどこまでも漂っていきます。カメラを構えて追います。ちょっと目を離すと後ろに回り込まれて行方不明になって、ぐるぐる探すハメになったり、予想して待ち構えても被写界深度の範囲まであと1センチの所ですかされたりです。それはもうカメラを持った私とイモムシさんとでくるくると円舞を踊っているような状態です。坂道での何分間か…だれも通りがからなくて良かったです…今思い返すとしみじみそう思います。横から見たら怖かったろうな。(^^;)じらされまくって撮れた写真です。秋になってきました。
2009/09/22
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臼井儀人さん、亡くなってたそうです。滑落事故のようです。残念です。なんでこんなに気になるんだろう。私は何を投影しているのか。死はやっぱり悪い事だよなと思う。当たり前だけれど、ときに逆説が流行る事もある。今日も生き残ろうと思う。
2009/09/21
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どうにもボタンの掛け違いというか…同じメンバーが集まって良いチームワークになるときもあれば、何一つ出来なくなることもある。どうなるかは偶然ではない、ほんのちょっとしたこと。たぶん交わされる言葉の内容ではなく、言葉を交わそうとすること自体。簡単でもあるけれど、とても難しい事でもある。ちょっとしたこと。いい人かどうかで選んじゃ間違うよね。映画を作りたいと思っているかどうか。一人一人に弱点はあって当たり前。集まって全体として良くなるかどうか。一人一人が完璧かどうかでは決まらない。矛盾して複雑なこの世界だから、弱点も強みも簡単には言い切れない。どう機能する組み合わせになっているのか。それぞれがどう補完して全体が動くようになっているのか。映画の内容もそうだけれど、制作自体もね。
2009/09/20
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神戸映画資料館で「チョコラ!」というドキュメンタリー映画を観ました。ケニアのストリートチルドレンのドキュメンタリー。家出してきて都会のスラムでゴミ拾いをやって生活している子供たち。明るい。問題はいっぱいあるけれど、でも生きるのは楽しいことだよね。カメラは良いも悪いも決めないですべてを一緒に眺めている。こういう風に撮るのは覚悟がいるよなぁと思う。上からでも下からでもなく、ただ一緒にいる。ある意味、撮影している方も心情的にストリートチルドレンの仲間になってしまわないと出来ない事かも。食べて、シンナーやって、ふざけて、ケンカになって、一個の空カンを叩いて、素晴らしいリズムを作って、歌って、踊って。全部カメラは輪の中に入っていて、でも自己主張せずに眺めている。何があっても止めず、逃げず、煽らずにただ眺めている。カメラの高さも良いなぁ。対象の目線より上に出ることは滅多にない。必ず同じレベルか下。まるで彼らと同じ背の高さであることを想定したような位置。上映後の舞台挨拶で小林茂監督があるシーンについてこんなようなことを話してはった、”カメラは一番小さな仲間のようだった。お兄ちゃんたちと一緒にいて、言葉もよく解らないながらもわかったような気になって一緒に笑って…”そういう事なんだ。音もいい感じ。同録音が音楽の様に処理されている。拾った空き缶が背中で鳴るガチャガチャがまるでオープニングタイトル曲のよう。スタッフ。ドキュメンタリー観てると、神懸ったような人がいることに気づく。全然ジャンルが違うけれど「ゾンビ」シリーズのロメロ監督作を思い出した。状況は厳しい、明日、いや次の瞬間にも不幸はやってくるかもしれない。でも、今こうしてここにいるのは何だか楽しいよねって言われている感じ。良い映画でした。使用カメラはパナソニックのDVXシリーズなのかな?上映後に客席に回覧された、映画に出てくる黄色の空き瓶。もう匂いは消えてますからと聞いたけれど、匂ったら、かなり気分が悪くなる匂いがした。こんな匂いがしてたのかと、なんだか納得。あ、匂いのする映画を始めて観たことになるのかも。神戸映画資料館で小林茂監督の師、柳澤壽男監督特集を今やっている。23日と26日に見に行くつもり。広告チョコラ!
2009/09/19
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「信じてくれればドロボーは空だって飛べるし、湖だって飲み干せる」拍手があれば、死んだ妖精だって蘇るし、不幸な日曜の恋人たちにも音楽が訪れる。この眼差しと想いがあればねありがとう「素晴らしき日曜日」フランスではあのシーンで拍手が起こったらしいです。黒澤明、やっぱりお茶目さんだ。「ET」のドリュー・バリモアの拍手は可愛かったなぁ。素晴らしき日曜日/黒澤明【ブルーレイポイント5倍】ルパン三世 カリオストロの城【Blu-rayDisc Video】【340円!!】絵本付きDVDシリーズ6.ピーターパン【定形外郵便可能】
2009/09/18
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人が二人いれば、かならず利害の衝突が起こる。三人になれば、その利害をめぐって政治が始まる。利害の衝突も話し合って調整すればみんなそれぞれに利益を出せるし害を最小に止める事は出来る。ただ、世の中には、利害が衝突したらすぐ政治的闘争へ走る方向に短絡する人や状況もちらほらあるわけで。まあ本人も周囲も明確に意識しているわけじゃないだろうし、他の考え方を思いつかなかったってのが真相に近いんだろうなぁともいつも思う。最近ちょっと周りでそんな匂いがしてきたような事があって、そういう政治的暗闘(おお!大げさな)に巻き込まれつつあるのかもと。もうそろそろ色々な批判や印象の評価が飛んでるのかな。それともこれからか。まあ自意識過剰な思い過ごしならそれに越した事はないけれど、それで色々おかしくなったのを色々見聞きするとちと備えだけはしとかないと。あんがい闘争ってのは下手な方向なんだ。やっぱり冷静に交渉するのが上手の手。利害を調整する方向が利益最大/害最小にもっていける。そういう時は元のパイも増やせるチャンスでもある。闘争すると全体の利益減らすし、時々パイも落とす。「こら!そーくん!ゆーたん!取り合いするから落とすんでしょうが!勿体ない!仲良く分け合いなさい!」(〃^∇^)もしもそういうことなら、先様はきっと短期的な勝利条件とかはあるんだろうけれど、落としどころとか長期的な枠組みは見えてないだろうなぁ。おいしいパイをまた手に入れる方法はね。何とかパイを落とさないように、当人にも、もちろん周りにも、ちゃんと最大のパイのひと切れが渡るようにしたい。パイを落として学ぶのではなくみんなでパイを食べる事で学ぶのが、利害の調整を学びやすい。パイを落としてばかりだと落とす前に奪っちまおうって発想も出てくるからなぁ。こういうときこそ公平な分配を。そして最大多数の最大幸福を。誰かから利益を剥ぎ取って少数の利益にするのじゃなくね。そういう目的のために戦略/戦術を。そういう交戦規定を。色んな人からそれぐらいの義理も情も愛も受け取ってるもの。それで負けても悔いは無いや。粛正で命までは取られない平和に感謝しつつ(^^)/それを傲慢と呼ぶ人もいるのだろうけれどね。新内閣発足の記者会見。民主党。気合入ってるなぁ。あ、政治話に興味がいくのは無意識からの呼びかけだったのかな(^-^)政治とは利害の調整のことだ。ってのは誰の言葉だったか。議事堂だけじゃなく私たちの日々の生活でも政治。ただそういう言葉を使ってないだけで。お付き合いとか義理とか人情とか人間関係とかって言葉で処理してるんだ。臼井儀人さんが行方不明だそうです。光と影の混じり合うクレヨンしんちゃん。他人事ながらちょっと心配。アニメの傑作「嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦」は日本映画の宝かもと思ってたりします。あんなに深い考証のシンプルで分厚い歴史物語。時代劇の考証は日々の生活や歩き方、立ち振る舞い、その先にある人の心や生き方までやれば、こんなに面白くもなるんだなぁと。切ない映画でした。実写化した「バラッド」も観にいきたいけれど…。
2009/09/17
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たまには床屋政談、しろうと理論でも…今日首相が変わりました。麻生首相から鳩山首相へ。自民党から民主党へ。何だかんだといってこの一年間は麻生首相よくやってたんじゃなかろうか。世界中大変な一年だったものね。党より国を選んだという見方も出来る。これで自民党は二大政党の片方が出来るんじゃなかろうか。そりゃけっこうドタバタはしたみたいだけれど。これから民主党が正念場。こっちもちゃんと与党やってくれたらいいなぁ。二大政党制なんて無茶だろうと思ってたけれど、なんか形になってきたか。でもちょっと二大政党制は民主主義への批判も含んでるんじゃなかろうか。人工的な枠組みをかなりきつくする事でもあるわけで。貴族制度とまではいかないけれど、ちょっとプロ化した政治の整備かも。脚本家は誰かな。あーそういや、台詞書かなきゃ。明日が期限だ。明日の天下より、今日の升目。…なんだか決めようと狙って意味不明になったパターンだ。…今日はもう寝ます。おやすみなさい。
2009/09/16
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悲しくて寂しくてぽっかり開いた暗闇を見つめるとき、呪文を口にする。言い訳に言い訳を重ね誰かを憎みそうになったとき、呪文を唱える。自分にも人にも甘やかして厳しくしているとき、呪文を読む。ゆっくり味わう事が出来なくなったとき、呪文を思い出す。再帰的な呪文。もう一度戻ってくる呪文。なぜ 目の前にあるものが見えなくなるのだろう。なぜ 見る前に意味や名前に飛びついてしまうのだろう。なぜ ただ眺めることがこんなに難しいのだろう。なぜ ただ聴くことがこんなに難しいのだろう。刻み込むために呪文を作る。罠から逃げるために呪文を使う。再帰的な呪文。もう一度戻ってくる呪文。
2009/09/14
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大阪阿倍野のロクソドンタという小劇場で、芝居ユニット ピルココ さんの公演「恋愛戯曲」というお芝居を観ました。恋愛ドラマの脚本を書く話。面白かったです。いつもの映画仲間で連れだって行ってました。観てからその仲間たちとちょっと長く飲みました。何杯かのウオッカが駆けめぐる頭に記述することで世界は変えられないけれど、記述することで自分は変えらるのかもしれない。自分もまた世界の一部。そこから突破して世界も変えられる可能性はある。そんな言葉が浮かんできました。酔っ払ったかも(>
2009/09/13
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奴はあんがいスケジューリングしてやってるんじゃないかって話が盛り上がった。「ああ、なるほど。いっぱいありすぎて全部に張り付いてるわけにいかないってのはありそうな話だ」まあね。膨大な時間が必要だもの。ウルフパックな話だね。「んで、あること無いこと織り交ぜて印象作りだす」実態がない時のゴシップの方法だなぁ。「あんがい当人は白馬の騎士のつもりでもあるのかも」げ!それじゃ一人だけの聖戦じゃないか。ホントにそういう雑誌みたいな。「ワッチ上げとこう」何にひかれてるのかな?「さて、人は色んなものを、時にはびっくりするようなものを好む事があるからなぁ。たとえば嫉妬や寂しさや痛みや狂気さえ…」映画はそういうものの依代になりやすそうに見えるだろうからなぁ。「時々あることだもの。メディア関係者はよく絡まれる。現代では神話の代わりに」"ソナー反応なし!""目視異常なし!"もしや向こうさんが気づいてないのかもよ。ログ見る限り、知らなさそう。「ああ、ふむ。それは逆に面倒な。しゃあない。一応pingも用意しとくか」まあ使わんとは思うけれど。ワッチを強化。ソナー注意。アクティブping用意。「さて、かかるかな」
2009/09/12
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とてもやさしい人がいる。まっすぐな目でいきなり核心をつく質問を放った人もいる。いろんなものを抱えながら淡々としている人もいた。なぜ?私には謎だった。きっとご本人は、いつもどおり生きてはったんだろうなぁ。あたりまえのように。まったく自覚してないだろう方もいてはる。私には目をみはるような意志だったけれど。心の中の抽出しにしまっておこう。いつか、いつか、そういうあり方をいろんな人に伝えたいから。そういうふうにも強くなれることを伝えたいから。ずっと大切に味わっていこう。
2009/09/10
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親子丼。鶏肉を削ぎ切りにして醤油とみりんのタレに漬け込み、小一時間置きます。その間に、ほうれん草/とき卵/しめじで汁物や山芋短冊などを作ります。汁の出来上がる時間を見計らって親子丼づくりを再会。大きめの玉ねぎをスライス。熱いフライパンに放り込み、一瞬間を計って漬けていた鶏肉を投入。中まで火が通らない内に、醤油と酒とみりんと砂糖とだし汁を合わせておいたタレを投入!ふたをして数分。この間に卵をごく軽くといておきます。ふたを開けて強火、だし汁の量を睨みながら卵投入のタイミングを計ります。ここからの卵への火の通しかたのタイミングこそ親子丼のロマンであり魂!ゆけスピリッツ・オブ・おやこどん!ここぞというタレの量になったら、卵をまんべんなく回し入れます。そして数瞬、ごく軽く卵の回りが塊始めたタイミング。まだ全然火が通っていないタイミングで、バーナーオフ!火を消して、フライパンの余熱に任せます。卵の2~3ぶぐらいが少し固まりはじめて、でもまだトップが生卵の状態のタイミングを探します。この状態で熱々ご飯にかければ口に入るときちょうど良いぐらいの固め半熟になるはず!よし!今日の夕食作りは勝った!…最近負けが込んでたからなぁ。「みんなー、ご飯だよー!」どんぶり用意して、炊飯器オープン!暖かい湯気がもわっと…あれ?あれ?あれ?ああああああ、何てことだ!ご飯炊き忘れてたorz…「殺しの烙印」の炊きたて飯湯気好きな殺し屋"エースのジョー"ならこういう台詞でしょう。「そのとき神様が青い蝶々になってスコープの前に舞い降りてきたのさ」かくてエースのジョーは狙撃に失敗し、私は親子丼に失敗するのです。本当に、天を仰いで嘆いてやろうかと…。「みんなー、ご飯炊き忘れてたー!もうしばらくかかる!」仕方なく、涙こらえてフライパンにふたをして。ご飯を早炊きモードで炊いて。親子丼を完成させました。明らかに私の狙いよりも固くなってしまった卵。かろうじて半熟ではあるがもっとこう…とろーりと出来るはずだった、いや勝利に片手が届こうと…。それでも「おいしい」と食べてくれる家族に感謝しつつ、でも負けは負けだと心の中の撃墜マークを消すのでした。昨日は昨日で撮った写真一日分を操作ミスで消してしまうし…。まだ補給と休養が必要な気がする今日この頃です。(〃^∇^)/殺しの烙印(DVD) ◆20%OFF!
2009/09/09
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やっと日常への着陸コース。はやくグライドパスに乗せたい。今は空っぽ。母なる場所はどこだろう。「キャリアー。単なる運搬船とも呼ぶ。なぜ母なんて呼ぶんだろうね」わかったよ。今だけは、こういう帰り道だけは、甘えたい。「いつもだろ」いいじゃないか。やせ我慢も使いよう。今は無力。誰の荷物も持てないや。「補給だ。補給」おうよ。ソナー感なし。浮き上がれ。バースト通信用意。位置、状況。メインタンクブロー。上げ舵いっぱい。「補給艦に出会えるかな?」潜航に備えよ。
2009/09/07
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昨日はオムニバス映画「Magick」の私の監督パートの撮影でした。ややこしい演出なのに、女優さんがいい感じで頑張ってくれました。(〃^∇^)/DOFアダプターを使ったシーン。アカツキさん。DOFアダプター使用。人物が浮かび上がって狙いどおり。このシーンの撮影はこんな感じでした。この回りにライトやマイクの担当さんや色んな人たちが頑張ってくれてます。日没過ぎで終了。なんか去りがたくなって、みんなで深夜まで飲んでました。(/^▽^)これで撮影の夏は終わって、これから編集の秋です。
2009/09/06
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明日使うDOFアダプターのセッティングがようやく決まる。右の写真が最初に組んでみたとき。しかしこれだと周辺光量落ち(vignetting)が激しい。口径食ではなく、レンズ中心と周辺との入射角度差のやつ。中心からまんべんなく暗くなってゆく。標準レンズなら80mm望遠ぐらいの画角で使ってなんとか味っていえるけれど、広角28mmを繋ぐとトンネル状態か標準50mmレンズと同じような画角で使うかになってしまう。編集時の補正でなんとかしようかと思っていた。このあいだ、長い付き合いのカメラマンの友人に見せたら、「これ少しグランドグラスとカメラの距離を離した方が角度の差なくなるよ」とのヒントをもらった。確かに離してみると周辺の光量低下は改善される。離して固定するには何かリング状のチューブをNO5クローズアップレンズ二つとカメラの間に挟めばいい。中古カメラ屋で探してニコンのPLフィルター用のホルダについてた72mm径のフィルターネジ切ってあるリング買ってきたり、昔8mmカメラで使ってたケンコーのテクニカルホルダ2-100mmについてる重ね接続可能な82mmレンズフードをステップアップ&ステップダウンリング使って繋いでみた。2cmぐらいの長さ。が、それだけ離すと今度は画像周辺が歪む。クローズアップレンズはアクロマートとはいえ55mm口径だから、このカメラには小さい。とはいえ72mmのアクロマートクローズアップは激安なカナダのCinevate Inc.の奴でさえ$200ドル近く+送料する。色々試してみた結果ステップアップ/ステップダウンリングを三つほど重ねて1cm弱の長さで繋ぐのが周辺光量落ちも周辺の歪みも許せる範囲。明日の撮影でアップのショットはこれを使って、秘密兵器トリウム入り原子力レンズで撮るつもり。なんとか間に合いました。
2009/09/04
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編集中の長編映画が一本(監督作)、撮影が終わった短篇3本(撮影2本、演出1本)、撮影直前の短篇が1本(監督作)、撮影が決まってきた長編1本(演出)、最初のアイデアを聞いたのが一つ、どうしても内容を考えてしまう映画が一つ、いつか作りたいと願いつづけてる映画が一つ。それぞれ映画の切り替えが大変。ただでさえ苦手な頭の中のモード切り替え。昨日、観たはずの友人の映画の内容を思い出せなくなってしまってた。そこまで混乱してるのかと我ながら愕然とする。失礼しました。
2009/09/03
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夜に彷徨う。教えてもらった駅に向かっているのだと心をなだめながら。見知らぬ街。聞き慣れない騒音のバランス。これは誰かにとっての日常。のしかかる空の道。自販機の燈。わたしは今だれの日常に迷い込んでいるのだろう?いつもの日常から遠くはなれて、ほかの人々の世界に包まれている。これが私の日常になってしまう前に、私の記憶に染み込む前に、この消えてゆく迷いを、誰かの日常に囲まれているこの時を残しておきたくなる。
2009/09/01
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