



・境内地図

・仁王門
最近修復され、朱塗りがきれいです。阿吽の二天像が安置されています。



・階段の手すりに 「願主・松村興三郎」
とあります。
徳林庵、諸羽神社でも見ました。
明治・大正時代に「やましな飴」で財を成した人物のようです。
毘沙門堂は 天台宗五箇室門跡
のひとつで、高い寺格と鄙びた山寺の風情を伝える古刹です。ご本尊に京の七福神のひとつ毘沙門天を祀ることからこの名があります。
創建は大宝三年(703)文武天皇の勅願で僧 行基
によって開かれました。当初は 出雲寺
(上京区・御所の北方)にあったことから護法山出雲寺といいました。
その後、たび重なる戦乱から苦難の道をたどり、寛文五年(1665)、山科安朱の地に再建。 後西天
皇
の皇子 公弁法親王
が入寺してより門跡寺院となりました。
本堂は無料で拝観できますが、霊殿、宸殿、庭園を拝観するには拝観料500円が必要です。
過去、多分二度、霊殿なども拝観していますが、今回も拝観しました。
桜と紅葉で有名ですが、この季節ほとんど観光客の姿はありません。受付の女性が、私が今日最初で最後の拝観者だろうとおしゃってました。
・本堂
仁王門同様、最近修復され、朱塗りがきれいです。


出雲寺の扁額

白象の木鼻と狛犬? 犬のほうは阿吽になっていて、肉球も付いています。

本尊毘沙門天
のおみたけは二寸二分、伝教大師作で秘仏とされています。これは御前立です。
・霊殿
阿弥陀如来を中央にして歴代の影像や位牌を安置している。永禄六年(1563年)御所の御霊屋として建立されたが、第三世公辨法親王住持の時、後西天皇より拝領移築されました。
天井龍
霊殿の守護龍で、狩野永叔主信(ながすえおものぶ)の作。
眼の向きや顔が、見る角度によって変化する。
四角の雲の色彩を違えているのも特徴あるところ。
写真出典:毘沙門堂HP
・宸殿
御所にあった後西天皇の旧殿を貞享三年(1686年)に第六皇子一品公弁親王が拝領し、元禄六年(1693年)に移築を完了し当門跡の新書院としました。
右の枝垂桜が春になるときれいです。

玄関の書と生け花

襖絵
宸殿内部の障壁画百十六面は、すべて狩野探幽の養子で駿河台派の始祖 狩野益信
の作。
「九老之図」

写真出典:http://souda-kyoto.jp/card_member/event/297_photo_04.html#
写真出典:http://ameblo.jp/rallygrass/entry-10253541701.html
どの角度から見ても、鑑賞者が中心になるという逆遠近法の手法。

写真出典:毘沙門堂HP
板戸の衝立
圓山応挙
筆。平凡な杉板戸ではあるが実に迫力のある大きな鯉が泳いでいる。
これは旧院書の板戸でその豪華さがうかがえる。
鯉の眼を見ながら左右にゆっくり動くと、目が見る者を追っかけてきます。
写真出典:毘沙門堂HP
「梅の間」 通称「いけずの間」 襖絵は‘梅に鶯’、‘雀に竹’でなく、‘しまひよどりに竹’‘梅に山キジ’が描かれています。「鳥が合わない」ところから「取り合わない」という意味だそうです。「梅の間」に通されたら「とっとと帰れ!」ということなのでしょう。

写真出典: http://cookingyukki.blog27.fc2.com/blog-entry-609.html?sp
・晩翆園
宸殿の裏手の庭園です。
江戸時代初期の回遊式庭園。
「心字」の池、亀島・千鳥石・坐禅石など。
山裾にせまる木立の枝間は暗く、さながら夜目に翠(みどり)を
思わせることから「晩翆園」と名付けられました。

拝観中、私とよく似た歳の男性の一人旅の方が、お二方拝観に入って来られました。この暑い季節の平日は、体力がまだあるリタイヤしたばかりの若い老人が多いのでしょう。それ以外にタクシーで二人か三人か来られていました。受付の女性が私が最初で最後とおしゃってましたが、結構、参拝者がありました。帰りがけに「私が最初で最後じゃなかったですね。」と言ったら、「私自身、驚いています。」とおっしゃってました。
ご朱印

・弁財天
お堂は工事中でした。
裏にお滝場と思われる滝がありました。
・鐘楼

・勅使門

Google Mapでは塔頭の龍華院が毘沙門堂に向かって右にあることになっていますが、荒廃していて入れなくなっていました。
(続きます)
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