ワルディーの京都案内

ワルディーの京都案内

2017/03/13
XML
テーマ: 京都。(6436)
カテゴリ: 常駐ガイド
【 2017年 3月13日(月)】

 養徳院第15日目の勤務。曇りのお天気でしたが、暖かい一日でした。後で調べたら、京都の最低気温5.5°、最高気温14.7°でした。

 今日は初の当日責任者でした。今回の拠点責任者の配慮で、我々新人は、2月に二度、3月に一度の受付担当ですが、当日責任者は最終月(今月)に一度だけの担当となっています。

 今までの勤務の中で、当日責任者の仕事を見てきているので、あまり不安はありませんでした。団体客があれば、それに対する臨機応変の対応が求められますが、今日はそれもなし。そ拝観料やクーポン券の締めは、どこまでが受付担当で、どこまでが当日責任者担当かが必ずしも明確でないところがあり、受付と当日責任者のチームワークで乗り切らざるを得ないところがありますが、今日の受付が拠点全体責任者のTさん♂でしたので気が楽でした。細かいところでは色々ありましたが、全体的には、あまり困ることもなく、無事に終えることができました。

 説明員ですと、ずっとしゃべり詰めで、緊張の連続ですし、受付は金銭を扱う緊張感があり、締めのときも大変だし、寒い場所での勤務です。それに比べると当日責任者は責任という意味では大変だし、気遣いが必要ですが、弛緩できる時間もあり、体力的には他の持ち場に比べると楽だなぁというのが実感です。

 「冬の旅」が終わりに近いこともあるためか、平日としては多くのお客様にお越しいただきました。

 また同期のTaさん♀、Abさん♀が見学に来られました。




 さて、ガイド説明内容の続きです。

 第一の持ち場では、養徳院の歴史、寺紋、「酒茶論」の説明が基本ですが、その部屋に置いてある屏風がインパクトあるので、それについても触れることが多いです。時間に余裕があれば、トリビアとして、その部屋の柱に掛けてある「竹篦(しっぺい)」の説明もします。しかし、これらは本題ではないので、ここでは省略します。

 第二の持ち場は、室中の間でのご本尊、襖絵の説明と、南側2部屋での3つの寺宝、お庭の説明です。


【室中の間・ご本尊・襖絵】

 室中の間は、お寺で最も大切なお部屋で、ご本尊、ご位牌が祀られています。

 厨子の中のご本尊は小ぶりです。安土桃山時代に養徳院が創建されたときに作られたもので、一見金属性に見えますが、木彫です。真ん中に宝冠の釈迦如来、向かって右に白象に乗った普賢菩薩、向かって左に赤い獅子に乗った文殊菩薩の組み合わせで、釈迦三尊像になっています。多くの場合、向かって右が文殊菩薩、向かって左が普賢菩薩ですが、ここでは逆になっています。

 ご本尊の向かって左に石河(いしこ)家代々の方々のご位牌、向かって右に養徳院歴代のご住職のご位牌が安置されています。

 須弥壇の下両側に阿吽の獅子の図、真ん中に牡丹の図があります。唐獅子牡丹です。これらと襖絵は、大正期から昭和期の画家、渡辺泰河(たいが)が描いたものです。この養徳院が現在の地に移築された昭和10年頃に描かれたものです。他の部屋の襖絵、南東の部屋に掛けられた十牛図の額、玄関の衝立の絵も渡辺泰河によるものです。

 渡辺泰河氏は昭和47年に亡くなったのですが、石河家にゆかりが深い方とのことで、ご位牌が石河家代々の方々といっしょに安置されています。同じく「冬の旅」で公開しているお隣の大雄院(だいおういん)にも渡辺泰河の襖絵がありますが、大雄院では柴田是真、土岐済美の襖絵が中心なので、積極的には説明していないようです。

「室中の間」の写真は、下記の「養徳院」のところを参照。
https://kyokanko.or.jp/huyu2016/huyutabi16_01.html



【鉄庵道生賛 山水図】

 室中の間の南隣の間に置かれたケースの中の掛け軸「山水図」が、2つ目の寺宝です。絵の作者は不明ですが、はっきりしているのは、左上に鉄庵道生(てったんどうしょう)の賛が入っていることです。鉄庵道生は鎌倉時代の僧で、祇園の南にある臨済宗建仁寺派の本山・建仁寺の第39世住持を務めた高僧です。

 書いてある賛は、中国唐の時代の有名な詩人・王維の書いた「鹿柴(ろくさい)」という題の漢詩です。鹿柴とは、鹿を囲うための柵を意味しますが、ここでは王維の別荘があった地名を指します。


但聞人語響
返景入深林
復照青苔上

くうざんひとをみず
ただじんごのひびきをきくのみ  
へんけいしんりんにいり
またせいたいのうえをてらす

木の葉が落ちつくしてひっそりと静まりかえった
山の中に人かげは見あたらない。
しかしどこからか、わずかに人の声が聞こえてくる。
夕日の照り返しが奥深い林の中へとさしこんで、
みどりの苔を照らし出している。




 鉄庵道生はある功績を残しています。「鈍鉄(どんてつ)集」という漢詩集を著していますが、その中に「博多八景」と題する七言絶句の漢詩があります。中国の北宋時代に長江中流の洞庭湖周辺の景色を詠んだ「湘瀟八景」にならい、博多の8つの風景を漢詩に詠んだものですが、日本で最初に八景を詠んだものです。現在の、「近江八景」「金沢八景」など「××八景」という表現の先駆けになったものです。


【鑑真和上請来「鉄鉢」】

 次にその西のお部屋に置かれた第3の寺宝です。

 黒い大きな鉄の鉢、「鉄鉢(てっぱつ)」です。托鉢で食物などを受けるのに用いるものです。鑑真和上が奈良時代に中国から日本に来られるときに持って来られたものと伝わります。目が見えなくなくなるなどして苦労して大宰府に着いたのですが、何とか辿り着けたのは八幡大神のご加護によるものだとのことで、この鉄鉢は宇佐八幡宮に奉納されます。

 その後行方知れずになっていたのですが、北九州小倉の開善寺という末寺の桂州和尚が、夢で八幡大神から「朽ち果てぬ前に早くこの鉄鉢を探し出しなさい。」というお告げを受けます。このお告げに従い発見・修理して、本山のほうに奉納されました。そういったことが、いっしょに展示されている由緒書きに書かれています。

 由緒書きの一つの最後のほうには「この鉄鉢を見たものは、厄災を逃れ、福が訪れる」と書かれています。お客様に「せっかくですから穴が開くほど見つめてください。」と促します。そして「実は穴が開いています。托鉢に使うものなので、重くないよう薄い作りになっていて、錆びて穴が開いています。」


【曽我直庵筆「鷹図」】



 拝観券にも印刷されている白と黒の阿吽の「鷹の図」です。安土桃山時代から江戸初期に活躍した画家・曽我直庵による絵です。同時代には狩野永徳、長谷川等伯、海北友松など名立たる絵師たちが活躍していますが、曽我直庵という名前はあまり聞きません。残っている絵が少なく、資料も少なく、謎が多い絵師というのが一つの理由です。

 しかし、絵の評価は高く、高野山に重要文化財として指定されるものがあったり、京都では北野天満宮の宝物殿に豊臣秀頼が寄進した大きな絵馬で作品が残っていて、京都市の文化財に指定されたりしています。曽我直庵は曽我蛇足6世を名乗り、堺で活躍したこともあるようです。幽霊画で有名な曽我蕭白は、その10世を名乗っています。

 この「鷹の図」はそういった希少な曽我直庵の絵ですので、将来公式な文化財として指定される可能性も高いと思われます。

「鷹の図」

http://www.toretabi.jp/travel/kyoto_dc_2017_03/#content_04


(説明内容は続きます)




よろしかったらぽちっとお願いします。

にほんブログ村 旅行ブログ 京都旅行へ
にほんブログ村





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2019/05/27 05:19:01 PM
コメント(2) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

ワルディー・ヨーリョ

ワルディー・ヨーリョ

カレンダー


© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: