ワルディーの京都案内

ワルディーの京都案内

2017/03/14
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テーマ: 京都。(6435)
カテゴリ: 常駐ガイド
【 2017年 3月14日(火)】

 今日は、「八木邸」の第14日。晴れると暖かいですが、曇ると急に寒くなる日でした。

 途中で私のエリアグループの某先輩さんが見学に来られました。この方は我々新人が研修を受けたときの責任者でもあり、お世話になった方です。

 私のガイドへのコメントは紙芝居の字が一部小さいところがあるのが気になるくらいで、あとは良かったとのこと。この字の大きさは私もまずいと思っていた点で、いずれは修正しないといけないと思っていたところでもあり、合点です。もうお一人の先輩ガイドさんは劇画調ですごかったとのこと。ただ、私には出来ないことであり、私としては、今の路線の分かりやすく、誠実なガイドを心がけたいと思います。


 ガイド内容の続きです。今まで、先に建物や庭の説明を書いてきましたが、これらは後半で説明する内容なので、これから書いていくのが、最初の部分です。




 お客様にくぐっていただく長屋門、そしてガイドをする主屋とも文化年間、1800年代の初めに建てられた建物で、築200年以上経過しており、民家としては非常に古い建物です。「おもや」は普通「母屋」と書きますが、ここでは「主屋」と書くことにしています。

 これらの建物が建って、約50年後の文久3年(1863年)に、新選組がここ八木邸で誕生しました。




【開国】

 江戸幕府は鎖国政策をとっていましたが、嘉永6年(1853年)に、アメリカからペリー提督が浦賀に黒船で来航して、開国を要求します。



 その2年後、それに反発した尊王攘夷派が井伊直弼大老を暗殺するという桜田門外の変が起こります。太平の世の中だった江戸時代が、どんどん血生臭い世の中に変わっていきます。






【京都守護職】

 特に京都は天皇のお膝元で、大きく揺れ動きます。文久2年(1862)になると、「天誅」の名のもと、一部の過激な尊王攘夷派の人たちによる、佐幕派の人たち暗殺が繰り返され、非常に治安の悪い状況に陥っていきます。

 それまで京都所司代とか、京都町奉行とかの治安維持組織はちゃんとありましたが、それだけでは制圧し切れないと考えた江戸幕府は、新たに京都守護職という治安維持組織を設置します。その長に任ぜられたのが、会津藩主・松平容保(かたもり)公です。あとで、この容保公が新選組発祥に大きく関わります。




【浪士隊結成】

 当時の天皇は孝明天皇です。実質的な京都最後の天皇です。妹君に皇女和宮様がいらっしゃり、公武合体のための政略結婚で、第14代徳川家茂(いえもち)将軍に嫁がれます。そして家茂将軍が和宮様のお兄様である孝明天皇にご挨拶、すなわち謁見するために、江戸から京都に来ることになりました。

 ただでさえ治安の悪い京都に将軍が行くことになりましたので、将軍をしっかり警護するために、江戸幕府は腕に覚えのある浪士たちを江戸で募集します。234名もの多くの浪士が集まります。徳川家ゆかりの小石川伝通(でんづう)院という寺院で文久3年2月6日に結団式をして、2日後の2月8日に江戸を出発し、中山道を経て、2週間かけて2月23日の夕刻にこの京都の壬生に到着します。




【壬生村】

 壬生の地が選ばれたのにはいくつか理由があります。一つには将軍が京都に来られるとき宿泊するのは二条城です。壬生はその二条城に近いということ。さらに壬生郷士と呼ばれる人たちが多く住んでいたこと。壬生郷士とは元は武士の身分でありながら農村に住み、農民たちを束ねて壬生の地域経営をした地方(じかた)役人です。広い屋敷を所有していたので、浪士たちを宿泊させるスペースがありました。また八木家はじめ、壬生郷士たちが、京都所司代や奉行所と繋がりを持っていました。こういうことが理由で、浪士たちの駐屯所として壬生村が選ばれたようです。今でこそ建物が建てこんでいますが、当時は周りは畑や田んぼで、京都の外れの文字通りの「村」でした。




【清河八郎】

 浪士たちが壬生に着いた2月23日のその晩、浪士隊の盟主・清河八郎が、八木邸の東南にある新徳禅寺に浪士たちを集めて演説をします。清河八郎は現在の山形県、出羽の国、庄内藩出身の志士です。新徳禅寺は今もその場所にあり、外からご覧いただくことができます。新徳禅寺に集められた浪士たちは、清河八郎が「これから将軍が来られるので、しっかり警護をしよう。」という決意表明をすると思ったところ、そうではなくて、「天皇を奉り、外国に立ち向かっていく。いっしょに闘おう。」との尊王攘夷の演説でした。当初の目的と全く反対の内容ですので、浪士たちは最初はびっくりしますが、清河八郎の演説があまりにも鮮やかで説得力があったので、浪士たちの多くは賛同してしまいます。






 これを聞きつけた江戸幕府は驚きます。江戸幕府が集めた浪士たちなのに、幕府に楯突く行動をしようという訳ですから。幕府は当時発生した生麦事件で対外的危機を迎えていることを口実に彼らを江戸に呼び戻します。

 ですので、清河八郎始め、ほとんどの浪士は、壬生にわずか20日間滞在しただけで、江戸に戻ってしまいます。

(続きます)






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最終更新日  2019/05/27 05:26:46 PMコメント(0) | コメントを書く


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