ワルディーの京都案内

ワルディーの京都案内

2017/07/16
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テーマ: 京都。(6077)
カテゴリ: 常駐ガイド
2017年 7月16日(日)】

 随求堂での4回目の勤務でした。交通費が余計にかかりますが、この暑さと体力を考え、朝は五条烏丸から歩く(交通費片道300円)のでなく、四条河原町から歩きました(430円)。

 休みの日は、家族連れが増えるためか、日本人の比率が多少上がるようです。それでも、外国人の比率は50%超だと思います。

 作業、案内ともほぼ問題なくできるようになりましたが、今日は夕刻にわか雨が降ってきて、私にとって、初めての雨天対応となりました。先輩方に教えていただいて、雨天対応も把握することができました。


朝の随求堂。西面しており、朝日を背にしています。




●随求堂の歴史

「慈心院」 の本堂にあたるところです。

 慈心院は、もとは室町時代以前から「轟坊」の名で存在しました。桃山時代、太閤秀吉が特に信心篤く、後継男子の出生を祈願し、寺領を寄進して、「慈心院」となりました。

 江戸時代に入ると、執行職(住職)の宝性院に次ぐ寺第二の役職・目代職の有力塔頭となりました。しかし、その後衰微します。江戸時代中期、享保年間、慈心院を建て直すため、大坂和泉の安楽寺の盛松権律師という僧が、享保3年(1718)清水寺に入寺しました。盛松権律師は塔頭慈心院の復興のため、享保20年(1735)、本堂として随求堂を再建しました。ご本尊大随求菩薩は同18年(1733)に開眼供養して祀られました。

 ところが、慈心院そのものは明治の廃仏毀釈の波をこうむり、なくなってしまって随求堂のみが残ることになりました。



 帰りは、まだ雨が降っていたので、四条河原町まで歩き、阪急+バスで帰宅しました。

 帰宅したら、長女の旦那が名古屋に帰った直後でした。家内と長女と旦那で、安産祈願で有名な梅宮神社にお参りして、やはり初ベビーの次女の安産お守りを買ってきたとのことでした。






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最終更新日  2019/06/07 08:26:40 AM コメント(4) | コメントを書く


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