ワルディーの京都案内

ワルディーの京都案内

2017/08/13
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テーマ: 京都。(6435)
カテゴリ: 京都歩き
【 2017年

 昨日、長女にベビーが誕生し、名古屋からその旦那が京都に来ていて、昨日は我が家に一泊。今朝、今日は面会時間までどうする?と聞いたら、どこか京都をぶらぶらしてみたいと言います。それならということで、ネットで京都のお盆の行事を探して、 千本ゑんま堂の「おしょらいさん」 にいっしょに行くことにしました。

 私は千本ゑんま堂は何回か行ったことがありますが、「おしょらいさん」は初めてです。家内は、千本ゑんま堂に行くのが初めてでした。一昨年は「六地蔵」、昨年は「六道詣り」と、京のお盆の行事3年連続で体験です。

 千本ゑんま堂は、千本今出川を北に上がったところにあり、境内に駐車場があったと記憶しています。車が2台待っていたので、その後ろに付けて、10分ほど待って停めることができました。

 千本ゑんま堂は、正式名称は、 引接寺 (いんじょうじ)。高野山真言宗に属します。引接とは、仏が我々人間をあの世に導いてくれるという意味です。その名の通りこのお寺は、かつての京都の三大墓地の一つであった蓮台野(れんだいの)(他の2つは化野(あだしの)、鳥辺野(とりべの))の入り口に立っています。

 寛仁年間(1017 – 1021年)、源信の弟弟子の 定覚 小野篁 (802年 – 853年)を開基とする説もあります。文永10年(1273年)、明善律師によって中興されました。

 千本ゑんま堂で5月1日から4日まで行われる千本ゑんま堂大念佛狂言は、壬生狂言・嵯峨大念仏狂言と並ぶ京都三大念仏狂言の一つです。他が無言劇であるのに対し、セリフがあるのが特徴です。定覚上人が布教のため、大念仏法会を始めた事が起こりと伝えられています。





 ちょっと「おしょらいさん」の参拝順番がよく分かりませんでしたが、まず本堂にお参り。

 本堂には、 閻魔王坐像 (長享2年・1488年、仏師定勢作)を本尊とし、脇侍として左に 司命 、右に 司録 が安置されています。いつもは、確かガラス戸があって中が見にくいのですが、今日は開放されていて拝観しやすかったです。天井の格子の花の絵もきれいです。




 お線香を献じ、本堂の中で卒塔婆を買い求め(300円)、「XX家先祖代々の霊」とお寺の方に書き入れていただきました。(帰ってきてからネットで調べたら、卒塔婆を書いていただいた後、線香でまず自分自身と卒塔婆を清め、そして閻魔様にお参りするのが正式な順序のようです)




 卒塔婆を持って、本堂の北側にある精霊堂(開山堂)に向かいます。ここには、開山定覺上人像(右)、えんま法王本地 地蔵菩薩(中央)、ゑんま堂開基 小野篁卿(左)の像がお祀りされています。ここで閻魔様の朱印を卒塔婆に押していただきます。




 そしてそれをこの建物の裏側の水燈華供養池に持っていき、卒塔婆の下側を向こう側にして、柄杓で水を3回掛けます。そして、柄杓の上に卒塔婆を置いて、静かに水の上に置きます。水流が起こされていて、右から左に流れていきますが、うまく流れなければ柄杓で送ってあげます。この池の畔には、多くのお地蔵様が安置されていますが、朱雀大路より発掘されたということです。






 この池の北側に十重石塔(重要文化財)が立っています。 紫式部の供養塔

 供養塔の右側に少しだけ見えているのが、 普賢象桜 (ふげんぞうざくら)です。この桜は、 後小松天皇 から下賜されたといわれ、現在の樹は、佐野藤右衛門氏の寄進によるものです。花の芯から双葉の芽が出て、それが普賢菩薩が乗っている象の牙の形に似ているところから名付けられたといわれ、遅咲きの八重桜で、散るときは花冠ごと落ちます。




施餓鬼壇 が置かれていました。その説明板には下記のように書かれていました。




 お盆にはなくなった人たちの精霊がこの世に戻ってきます。皆さんのご先祖さんたちは、皆さんの家庭で丁重に迎えられますが、迎えてもらえられない精霊あります。そんな精霊もともに迎えて供養してあげようと言うのが施餓鬼です。
 特に地獄道、餓鬼道、畜生道に堕ちている精霊たちは、この施餓鬼壇に集まってきています。有縁の精霊だけではなく、無縁の精霊、三界のすべての精霊を供養することは、大きな功徳を積むことになります。」

 「施餓鬼」という言葉は聞いたことがありましたが、こういう意味があるのは知りませんでした。お盆になると、京都のスーパーでは、この施餓鬼用の野菜セットを見かけます。

 そして最後に鐘楼で 「迎え鐘」 を撞きました。







 時間があったので、近くの 石像寺 (しゃくぞうじ) (釘抜地蔵) に行きました。車を千本閻魔堂に置いたままでもよかったのですが、駐車場の誘導員から怒られるかもしれないので、車を移動してコインパークへ駐車しました。

 浄土宗の寺院。弘仁(こうにん)元年(819)に 空海 が建立し、のち 俊乗坊重源 (ちょうげん)が浄土宗に改めました。通称の釘抜地蔵は地蔵堂の弘法大師作と伝わる石造地蔵菩薩立像に由来します。もとは苦抜地蔵と呼ばれていましたが、前世の罪で手の病気に苦しむ商人が夢に地蔵菩薩が現われ、手に突き刺さっていた二本の釘を抜いて救ったことから釘抜地蔵と呼ばれて、苦しみを抜くという信仰が生まれました。


門と大きな釘抜き・釘
 よだれかけのようなものが掛かっているので、お地蔵さんに見立てたのかも。





門を入ったすぐ左に山号の「家隆山(かりゅうざん)」の銘が入った井戸。
 今も現役で、手水を汲みあげているようです。





地蔵堂




地蔵堂前の大きな釘抜きと釘












 この日も何人かの方が、病気平癒を祈願して、お堂を周りながらお参りをしていらっしゃいました。

 下記が正式な参拝方法のようです。

1)ろうそくと線香に火をともし、

2)竹の棒を数え年分箱から取り
 (お堂の向かって右に箱が取りつけられています)、

3)正面に居られる地蔵菩薩様に手を合わせ拝む

4)願い事をとなえながら、時計回りに歩いて地蔵堂をまわり、

5)1周するごとに箱に竹の棒を納める

あとは3)、4)、5)を繰り返します。

 手や竹の棒で、お堂正面の宝珠や五鈷杵を撫でたり、棒を触れたりする方もおられます。



地蔵堂裏の石造阿弥陀三尊像(重要文化財)
 鎌倉時代初期の傑作。中尊阿弥陀如来像は高さ約1.2メートル。中尊光背裏の銘により、伊勢権守佐伯朝臣為家なる人物が願主となって元仁2年(1225年)に完成したことがわかります。制作年の明らかな鎌倉時代の石造彫刻の基準作として貴重だそうです。





弘法大師三井の一つ加持水
 ちょっと分かりにくですが、奥には墓地があり、そこにあります。
 墓地には、藤原定家、家隆の墓と伝えるものがあります。この辺りは、定家、家隆の住んだところと云われています。







 家内は、両寺院とも初めてでしたが、小さいお寺ながら、街中の素朴な趣のあるお寺で、気に入ったようです。長女の旦那も、名古屋ではなかなか経験できないであろう風習を体験できて、喜んでくれたと思います。

 病院へ向かう途中お昼時になったので、これも京都ローカルの「新福菜館」で、真っ黒い出汁の「中華そば」と、濃厚味の「焼き飯」を食べました。

 病院で長女に面会。すでに赤ちゃんは病室に来ていました。少体重による特別ケア室は一日だけでした。当初高かった白血球も正常値になったとのこと。母乳もあげたようです。赤ちゃんは、昨日はガラス越しでしたが、今日は近くで面会できました。触れることもできました。昨日より、少し顔立ちがはっきりしたようにも思います。長女は少し腰をかがめながら、ゆっくり歩いていましたが、昨日よりはさらに快復したようです。一安心といったところです。

 旦那をJR桂川駅まで送りました。明日、旦那のお父さん、お母さんが、車で面会に来てくださるようです。お盆で渋滞が心配ですが。




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最終更新日  2019/06/07 08:01:16 AM
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