ワルディーの京都案内

ワルディーの京都案内

2020/05/05
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テーマ: 京都。(6435)
カテゴリ: この本読みました
【 2020年 5月5日(火・祝)】

 今日もOFF日。今日はもともと何もない日でしたが。

 気温は高かったですが、爽やかな初夏の日でした。昨日は事情で、散歩は5千歩くらいしか歩けませんでしたし、三味線の練習もできませんでした。今日は、時間のやりくりをして、三味線の練習もし、午後も早めに出て1万歩散歩をしました。コロナ禍で歩く機会が極端に減って、ご近所での1万歩散歩を始めたので4月8日。連続で1万歩歩くという機会が過去なかったためか、最初右足の付け根の関節がちょっと痛んだのですが、いつの間にか治っています。


 全国が緊急事態宣言対象になって(京都は特別区域)、図書館は完全クローズになっていますが、その前に借りた本が4冊あります。完全クローズで5月の下旬まで借りたままでよかったのが、緊急事態宣言延長でさらに延びて、6月8日まで借りたままでいいことになりました。

 以前角倉了以についての研修が会であったときに、最後の質問タイムで「高瀬川と鴨川の交差はどのように船が横切っていたのか。」と質問しました。講師の方はご存知なかったのですが、聴講者の一人が後で調べてくださって、「鴨川に杭を並べて立てて、それを使って船が横切ったそうだ。」と教えてくだいました。その情報の出展が、「老人が子等に語る 伏見風土記」とのことなので、京都市図書館の図書検索で「伏見風土記」で検索したところ、4冊の本が引っ掛かりました。最初にそのうちの一冊「老人が子等に語る 伏見風土記」を読み始めたと書きましたが( こちら )、今日のそのシリーズの第2集を読み終えました。第1集同様、ご近所1万歩散歩で二宮金次郎して読みました。


題名  :老人が子等に語る 伏見風土記第2集
著者  :伏見区老人クラブ連合会 

発行日 :平成9年(1997)3月
ページ数:114ページ B5版
価格  :??? 非売品?
私の読書期間:~2020年5月4日







 第1集が昭和63年(1988)発行でした。第2集はその9年後に発行されたものということになります。私がドイツに赴任して2年後のタイミングです。京都歩きを始めたのは、アメリカから帰任直後の2006年ですから、その9年前ということです。

 第1集同様、伏見区の地元の老人クラブの会員の方が原稿を寄せたものを編集した本です。第1集同様、大多数が学者以外の方が書かれたもので、肩肘張らずに読めますし、古き良き時代を彷彿とさせるお話しの連続で、私が直接知っている時代ではないのですが、懐かしさを感じながら楽しく読むことができました。

 今回も色々新しく知ったこと、印象に残ったことを箇条書きにします。

・桓武天皇柏原陵は、秀吉が伏見城をつくるときに、壊したとか、一部を削ったとか、他へ遷したとかも云われており、明治時代にその場所を特定するのに時間がかかった。しかしその場所だという確実な証左があるわけではない。
・室町時代の稲荷祭は、祇園祭とともに京都を二分する大祭だった。稲荷と東福寺は対立し、東福寺が矢を射かけ、神輿渡御が中止になったこともあった。
・朝鮮出兵をした秀吉は韓国での人気は最悪だが、家康は日朝国交(朝鮮通信使)回復の立役者として人気がある。
・観月橋は、桂橋と号されていたが、秀吉の時代に橋の北詰に大友豊後守の邸宅があったことから豊後橋と称され、月見の名所となり観月橋と呼ばれるようになった。

・御香宮神社境内の伏見義民碑の題字は三条実美公が書き、勝海舟が碑文を書いた。
・初代伏見奉行が小堀遠州であり、その数代後の子孫が伏見義民の発端となった悪政をした小堀政方。愛妾およしの方の力で悪政となった。
・電気鉄道を日本で初めて走らそうというとき、伏見は紀伊郡の一町村であったが、商工会議所を興して京都市から経済の分立を計ろうとした。京都財界は伏見に電車を走らせて、伏見との経済関係を密接ならしめんとした。第4回勧業博覧会への観客を運ぶための七条から岡崎までのコースより先に伏見への路線が敷設されたのはそういった理由による。
・御香宮神社は、秀吉が城を築くにあたって大亀谷に移した。城下町をつくる障害になるからという説もあるし、天守閣の鬼門が大亀谷だからという説もあり。さらに桓武天皇の御陵地だとも伝えられ、城の鬼門に奉葬地のあることを忌むためだとも。
・大亀谷の名の由来は、狼谷という説、お亀という女性が茶屋を営んでいたからという説、家康が愛妻お亀の方のために城の花園に建てた住まいがあった(今も清涼院として残る)からだという説などがある。

・寺田屋の南から中書島駅西に架かる橋の下を昔は川が流れていた。
・京都の公認競馬は明治44年(1908)に島原で始まった。今のリサーチパークあたり。大正2年に府下船井郡須知町に移り、大正14年に現在地へ移った。
・納所の唐人雁木は江戸時代朝鮮通信使が、大阪から川船で淀川を遡り、上陸したところ。淀藩のもてなしを受け、陸路江戸に向かった。費用を寺院群も負担させられた。
・「淀の俄(にわか)正月」という事件が江戸時代にあった。豊年満作のとき、正月の儀式を正月が来るまでに行えば、悪疫の流行の災いから免れるという風聞に基づいて、9月に正月が祝われたことがあった。淀に限らず、全国で何度か流行ったようだ。
・醍醐地区には陀羅尼谷という人里離れた小村がある。約300年前、この地を開拓して住み着いた人の子孫が住む。


 鳥羽伏見の戦い見聞記もあります。「私が12歳のとき(慶応3年、1867)」という文章で始まるので、今生きておられたら、165歳くらいということになります。この本が編集されたころでも、140歳ということになるので、古老の方のご先祖が昔書いたものを寄稿したのではないかと思いますが、戦う側ではなく、戦争の被害に遭う側の体験記ということで、興味深いものがありました。

 他にもたくさんありますが、切りがないのでこのへんにしておきます。今回の4冊の本を読むきっかけになった、前出の「鴨川と高瀬川の交差」のことも、この本の中に書かれていました。伏見区のどこかをフィールドワークで案内するとき、第1集、第2集、それから今読んでいる総集編を参考にすれば面白い企画ができると思います。




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最終更新日  2021/05/04 07:16:51 AMコメント(0) | コメントを書く


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