この売茶翁が所持した茶道具 注子(ちゅうす・水差し)が現存しています(右写真)。その腹には次のような漢詩が書かれています。
若冲の制作年が分かっている一番早期の作品は 「松図番鶏図」
(現在所在不明)で、37歳のときの作品です。そこに「若冲」の落款があります。注子の大典の詩が作られた後で、かつ若冲が大典の知遇を得た後ですから、次期的には符合します。しかし、制作年代は分からないものの、この絵よりさらに早い作風の狩野派風の 「旭日鳳凰図」
(第10回で紹介)にも「若冲」の落款があり、大典と知り合う前から「若冲」を使っていた可能性はあります。そうなると「若冲」が老子四十五章に由来しているとしても、どのような経緯で「若冲」を名乗るようになったのかは謎となります。
一方、売茶翁は若冲の絵の技量に惚れ込んでいました。次のような一行詩を若冲に与えています(右図)。
また、少なくとも若冲55歳までには全部完成した「動植綵絵」のなかの 「池辺群虫図」
に「斗米庵」の落款があり(右図)、石像群を建立するずっと以前から「斗米庵」という落款を使っていたことが分かります。【若冲と応挙】#56 付録4 若冲と同時代… 2021/10/29 コメント(4)
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