ワルディーの京都案内

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2021/09/29
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テーマ: 京都。(6435)
カテゴリ: 若冲と応挙
【2021年9月29日(水)】

 今日は京都駅まで車を出した以外は、在宅で会の諸事でPCに向かっていました。


 「若冲と応挙」第51回。付録3  応挙年譜のその3(31歳から35歳) です。

西暦(和暦)年齢 ◆:応挙の動向、☆:芸術・文化人の動向、*:政治・社会の動向

1763(宝暦13)31歳
◆銭舜挙の花鳥画を模写し、それを宝鏡寺の蓮池院尼公が好み、30歳前後に応挙は尼公に
 仕えたという。仕えたのは宝暦中のことと考えられるが、明確な時期は不明。
 「淀川両岸図巻下絵」を描く。
☆平賀源内が博物学書「物類品隲(ぶつるいひんしつ)」を刊行。

1764(明和元)32歳

 「夏雲」「主水」「氐」を主に用いたとみられている。「萬誌」に「丸山左源太」の名が
 登場。「岩上虎図」、「葡萄栗鼠図」を描く。
☆伊藤若冲が金刀比羅宮奥書院に襖絵を描く。曾我蕭白が六曲一双の屏風絵「群仙図屏風」を
 描く。"

1765(明和2)33歳
◆この頃、円満院門主祐常から、「七難七福図」(相国寺)の依頼を受け、親交深まる。
 この頃、「仙嶺」「僊嶺」と署名する。すでに「付立て」も筆法を完成。
 「破墨山水図」(三井記念美術館)、「淀川両岸図巻」(アルカンシェール美術財団)、
 「山水図襖」を描く。
☆9月、若冲「動植綵絵」を相国寺へ寄進。この頃江戸では、鈴本春信周辺で錦絵が出現。


「淀川両岸図巻」




1766(明和3)34歳
◆この年、名を「応挙」と改め、これ以降「応擧之印」「仲選」の印を終生用いる。
 9月13日、次男応瑞誕生。「芙蓉飛雀図」、「龍虎図屏風」、「巌下猛虎図」を描く。


1767(明和4)35歳
◆「大石良雄図」(百耕資料館)、「岩頭飛雁図」(円満院旧蔵)、「四条河原納涼図」を
 描く。



(続きます)


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最終更新日  2026/09/06 02:13:48 AM
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