ワルディーの京都案内

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2026/07/25
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テーマ: 京都。(6436)
伏見稲荷大社とその周辺の「お滝」について その2
ワルディー・ヨーリョ


5.文献調査
 都合26回にわたって、 歴彩館、京都市中央図書館、京都市伏見中央図書館、京都産業大学図書館、京都府立図書館、国際日本文化研究センター などに足を運び、文献を調査し閲読した。何らかの関連する記述があった文献を発行年順に列挙する。

・京都市参事会「京都要誌」(1895)
・伏見稲荷大社編「お山のお塚」および別冊「塚台配置図」(1965)
・伏見稲荷大社編「続お山のお塚」および別冊「塚台配置図」(1966)
・伏見稲荷大社編「朱」(1967~・現在64号)
・五来重編「山岳宗教史研究叢書 11近畿霊山と修験道」(1978)
・山折哲夫編「神仏信仰事典シリーズ 3稲荷信仰事典」(1978)
・五来重編「伏見稲荷の研究」(1985)
・深草稲荷保勝会編「深草稲荷」(2002)
・砂澤たまゑ「霊能一代」(2004)
・大森恵子「稲荷信仰の世界 稲荷祭と神仏習合」(2011)
・伏見稲荷大社編「伏見稲荷大社御知鎮座千三百年史」(2011)
・宮田登、坂本要 「仏教民族学大系 8俗言と仏教」(2016)


 平安時代から、稲荷山は「初午」の際には、老若男女が「お山巡り」の参拝をする人気の場所であると同時に、修験者の修行の地であったこと、明治維新の廃物毀釈・神仏分離の流れの中で、境内の 愛染寺 が破却されたりして、行き場を信仰心の具現化というかたちで 「お塚」 が建てられるようになったこと、明治中期から後期にかけて、鉄道網の発達もあって、参拝者が急増し、「お塚場」がどんどん増えていったことなどが分かった。 「お滝」 も「お塚場」に併設されるかたちで、どんどん増えていったものと容易に推定できる、しかし、明治維新以前に、実際に修験者による滝修行が行われたかどうか、そしてそれが明治時代以降の「お滝」に直接繋がっていったのかどうかは記述がなかった。また明治以降「お滝」を伴った「お塚場」が、それぞれいつ頃建設されたかまでは触れられていなかった。具体的な「お滝」の歴史に関する記述としては、伏見稲荷大社が現在管理している 「清明滝」 と 「清滝」 について程度であった。
砂澤たまゑ氏 著の 「霊能一代」 である。砂澤たまゑ氏は所謂「稲荷巫覡(ふげき)」と呼ばれる霊能者である。この書は今では絶版になっていて、ネットショップではプレミアがついて、8万円などという高額で販売されていたりもする (図1) 。京都の図書館のどこにもなく、大津市図書館までわざわわざ足を運んだ。読んでみると、昭和30年代のお話として、信者団を引き連れて夜通し 「お山」 をしたり、滝修行をしたりした様子が生々しく描かれていた。現在の 「お山巡り」 の様相からは想像もできない世界があったことを知ることができ、大津まで足を運んだ甲斐があった。砂澤たまゑ氏は、すでに故人だが、氏が寄進した照明塔が本殿への階段下右側、神楽殿西側に見い出すことができる (図2) 。






 京都新聞の過去記事閲覧を試みたが、キーワード検索が1998年以降の記事しかできないため今回は断念した。朝日新聞、読売新聞は過去の記事もキーワード検索ができる。そのなかで唯一見つかったのが、要約すると 「稲荷山で『お山廻り』する人が多くおり、それを相手にする掛け茶屋が多くある。京都山林大区署において、官林にこのようなものがあるのはよろしくないと京都府庁に照会があった。」 という1886年10月28日の記事であった。「お塚場」や「お滝」に直接関係はないが、文献調査でも読みとれる、上知令で参道以外が官有地になったことを裏付ける記事である。

6.地図の発掘、閲覧と分析
 「お塚場」や「お滝」の場所の特定や、誕生の歴史を分析するうえで、役に立ったのが古地図および現代地図であった。上記文献調査や現地を歩き、「お滝」が掲載されているものを探しあてた。

①西川文吉、他2名「官幣大社稲荷神社境内及稲荷山神蹟全圖」(1913)
②松岡貞次郎「伏見稲荷神社御山獨案内」(1913)
③吉田初三郎「伏見稲荷大社境内名所図会」(1925)
④中村風祥堂「伏見稲荷参拝図」(推定昭和初期)
⑤伏見稲荷大社編「続・お山のお塚 参拝経路図」(1966)
⑥深草稲荷保勝会「伏見稲荷大社付近名所案内図」(2001)
⑦北尾鐐之助「近畿景観 第三編 京都散歩」(1934)


①(下図) は東京の国会図書館にしかなく複写を取り寄せた。




②(下図)




③(下図) は国際日本文化研究所で原本を閲覧し、電子データを入手したが、縮小版のものが「お山巡り」参道の茶店で販売されていた。




④(下図) も「お山巡り」参道で販売されていた。地図には制作年代が記載されていないので、版元に問い合わせたところ、「代替わりしているので、はっきり分からいが、昭和初期の地図をそのまま使い続けている。」とのことであった。




⑥(下図) はJR稲荷駅北側踏切近くの看板に書かれた地図であるが、現在は破損し撤去され地面に立て掛けられている。




⑦(下図) は地図ではなく、観光紀行本であり、多くの「お滝」の名前が紹介されている。 「この驚くべき多くの瀧には、みなそれぞれに小さな祠や神殿を作って、行者のための籠り堂を営むのである。小さな細い糸のやうな水流に、白衣の男女が蠢いて、夏などは『稲荷山の瀧屋』、信仰を築き上げた銭湯と云った風の、不思議な光景を現出してゐる。 」(仮名遣いは原本のまま)のくだりが、当時の稲荷山での滝行の隆盛を示している。





 併せて、過去の都市計画図に「お塚場」、「お滝」の管理家屋が記載されていることを期待して調査した。縮尺は2千分の1ないし2千5百分の1で、1つ1つの家屋が区別できるように記載されているが、残念ながら、大正期、昭和初期のものは、山間については、調査不十分なためか、精度が悪く、また、ほとんどいっていいほど更新されておらず、今回の目的には利用不可能であることが分かった。

                                    「その3」に続く


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最終更新日  2026/09/18 10:48:05 AM
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