ワルディーの京都案内

ワルディーの京都案内

2026/08/23
XML
テーマ: 京都。(6436)
カテゴリ: 京都研究
清めの滝の「お塚」研究 その2

4.「お塚」・塚石・神号の数、神号の種類
 「お塚」・塚石・神号などの数について、昨年度調査した、「熊鷹社」と比較する。( )内が「熊鷹社」のものである。

 「お塚」の数は 42基 (79基)、塚石の数は 126基 (180基)であった。すなわち、「お塚」当たりの、塚石数の平均は 3.0基 (2.3基)ということになる。最大は 17基 (11基)であった。

 全神号数は 211件 (301件)、塚石当たりの神号数の平均は 1.7件 (1.7件)であり、「お塚」当たりの神号数平均は 5.0件

 「清めの滝」の「お塚場」としての規模は、 「熊鷹社」の半分から7割程度 と言えよう。塚石当たりの神号数は両者とも1.7と同じであるが、「お塚」当たりの塚石数と「お塚」当たりの神号数は、いずれも「清めの滝」のほうが多くなっている。この差が有意差なのかどうか、有意差であるとすると、その原因な何なのかは、今後の他の多くの「お塚場」の調査を待たざるを得ない。

 神号は「熊鷹社」同様、「○○大神」とされたものがほとんどである。この「大神」の部分は、「熊鷹社」では、奉納された小さな木製鳥居で隠されて、視認できないものが多くあったが、「清めの滝」は、小鳥居が奉納されることが稀なため、全て視認できた。211件の神号のうち、「大神」が191件、「命」が5件、「大明神」、「龍王」がそれぞれ4件、「龍神」、「明王」、「天王」、「天」、「大僧正」が、それぞれ1件、不動明王像1件、役行者像1件であった。「熊鷹社」で少数ながらみられた「明神」、「神」は、「清めの滝」では皆無であった。 「熊鷹社」での「大明神」と「明神」の合計数の割合が、28% だったのに比べると、 「清めの滝」での「大明神」の割合は2% と、非常に低い。一方で、「清めの滝」では、「熊鷹社」にはなかった「命」が5件、「龍王」が4件、「龍神」が1件、「天王」または「王」が2件見られ、 多様性に富んでいる 。 「龍」にまつわる神号が多い のは、「お滝」があるからかもしれない。これは、今後の他の「お塚場」の調査で明らかにしたい。





図2 図1のお堂の説明板
昭和初期に大峯山から勧請した鐘掛不動明王を祀るお堂を昭和50年に有志によって再建されたことがわかる



 神号「○○大神」の○○の部分を判読できたのは、211件のうち200件であった。判読率は95%と、「熊鷹社」の89%に比べ高かった。これも、「清めの滝」は、小鳥居が塚石の前になく、視認が容易なことが一つの要因である。「大神」など最後の部分が異なっても、最初の○○の部分が同じであれば、同じ神号とすると、神号の種類は174件にのぼる。この件数は判読神号数の 87% で、「熊鷹社」の81%に比べて高かった。 神号がよりバラエティーに富んでいる ということである。

「白玉」4件、「白龍」3件、「石切」3件 である。「白玉」は「熊鷹社」でも上位にランクされ、ポピュラーな神号の一つといえよう。「石切」は「熊鷹社」ではゼロ件だったので、「清めの滝」独特の神号であるかもしれない。

 多く登場する漢字の上位12件をあげると、 「白」26件、「丸」19件、「光」17件、「玉」16件、「吉」15件、「春」14件、「福」9件、「龍」9件、「石」8件、「一」7件、「八」7件、「豊」7件 となる。これらのうち、 「白」、「丸」、「光」、「玉」、「吉」、「福」は、「熊鷹社」の上位12件にも登場す るので、神号に使用される漢字としてポピュラーなものといえよう。「熊鷹社」で1位31件の「熊」、7位17件の「鷹」は、「清めの滝」では、両者とも3件と少ない。「熊鷹社」でこれらの漢字が多く登場するのは、「お塚場」の名称からであろう。


図2 「清めの滝」で最も大規模な「お塚」



5.建立者の住所、建立年代
 塚台や基台に建立者の住所が刻まれているのが確認できたのは、「お塚」42基中11基のみであった。「熊鷹社」の79基中50基であったのと比べると大幅に少ない。この理由は不明である。



 石造の鳥居に刻まれた年代も含め、 最も古い年代は1924(大正13)年 、最も新しい年代は1998(平成10)年であった。分布を見てみると、1924(大正13)年~1930(昭和5)年4基、1931(昭和6)年~1940(昭和15)年14基、1941(昭和25)年~1950(昭和25)年3基、1953(昭和28)年1基、1969(昭和44)年1基、1971年(昭和46年)~1980(昭和55)年5基、1981(昭和56)年~1990年(平成2)年2基、1998年(平成10)年1基となっている。 現管理者発言の約100年前(1923年頃)創建という話と符合する 。「熊鷹社」の「お塚」建設年代の分布と比較すると、「清めの滝」の最初のピーク1924年~1950年と2回目のピーク1971年~1980年は、「熊鷹社」ではいずれもゼロになっている。明治時代後半から大正時代にかけてのブームで、既存の「お塚場」の余地がなくなって、新しい「お塚場」の誕生に繋がったり、戦後も、ある「お塚場」の余地がなくなると、他の「お塚場」に需要が流れたりなど、「お塚」にも経済原理が働いたのかもしれない。

 「熊鷹社」の「お塚」建立者名の中には、会社名、会社経営者名が多く見られ、「商売繁盛」祈願の「お塚」の側面がみられたが、「清めの滝」では1件のみであった。 「清めの滝」は教会併設のお塚場」であり、その信者が「お塚」建立の主役となったということなのかもしれない。

6.終わりに
 「清めの滝」の全「お塚」を調査し、昨年度の「熊鷹社」同様の統計分析を行い、「熊鷹社」との類似点、相違点を明らかにすることができた。今後、引き続き他の「お塚場」も調査し、時代背景に重ね合わせて、「お塚」の歴史を体系的に分析していきたい。


よろしかったら下記と「いいね」をぽちっとお願いします。

ブログランキング・にほんブログ村へ

←前回「『清めの滝』の『お塚』研究」その1 次回「『権太夫の滝』の『お塚』研究」その1→





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2026/08/24 07:58:47 AM
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

ワルディー・ヨーリョ

ワルディー・ヨーリョ

カレンダー


© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: