ワルディーの京都案内

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2026/08/25
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テーマ: 京都。(6436)
カテゴリ: 京都研究
権太夫の滝の「お塚」研究 その2

4.「お塚」・塚石・神号の数、神号の種類
 「お塚」・塚石・神号などの数について、過去調査した、清メ、熊鷹と比較する。( )内に清メ、熊鷹の順に示す。


図1 「権太夫の滝」全景





 権太夫は「お塚」の数の特定が清メ、熊鷹に比べむつかしかった。通常1つの「お塚」は1つの基台上に築かれるが、権太夫の場合、「お塚場」全体の面積上の制約のためか、1つの基台上に複数の「お塚」が築かれたものがある。そのような場合は、塚石の形状・色、神号の字体、経年劣化具合から、「お塚」の単位を判断した。

 「お塚」の数は 83基 (42基,79基)、塚石の数は 204基 (126基,180基)であった。すなわち、「お塚」当たりの塚石数の平均は 2.5基 (3.0基,2.3基)ということになる。最大は 46基 (17基,11基)であった。他に 42基 の「お塚」もある。平均は今までの「お塚」とそれほど変わらないので、 塚石の非常に多い「お塚」が少数あると同時に、塚石の少ない「お塚」の割合が大きいということでもある 。 「講」など団体による建立の「お塚」より、個人建立の「お塚」が多いといえるであろう

 全神号数は375件(211件,301件)であった。塚石当たりの神号数の平均は1.8件(1.7件,1.7件)、「お塚」当たりの神号数平均は 4.5件 (5.0件,3.8件)ということになる。これら2点は、権太夫、清メ、熊鷹で、有意差はそれほどないといえる。

 神号は「○○大神」などと刻まれているが、この「大神」の部分は、熊鷹では、奉納された小さな木製鳥居で隠されて、視認できないものが多くあったが、権太夫は清メ同様、ほぼ全数確認できた。熊鷹、清メ同様、やはり大部分は「大神」である。「大神」313件、「大乃神」14件、「大明神」12件、「明神」8件、「神」6件、「命」1件、「霊神」3件、「霊」1件、「龍王」8件、「龍神」2件、「明王」4件(すべて不動明王)、「天王」2件、「天」5件(すべて弁財天または弁天)、「天女」1件、「大師」2件、なし3件、不明1件であった。これらの合計は全神号数375件より多くなる。これは、 これらが複数使われた神号が9件もあるため である。なかには、 「白玉龍王弁天大神」と3つ使われたもの もある。熊鷹、清メでは複数使われた神号はなかった。また 「大乃神」「霊」「霊神」「天女」は、熊鷹、清メではなかった 。 「龍神」「龍王」 が、熊鷹では皆無であるのに対し、清メ、権太夫で多いのは、昨年度も指摘したが、やはり 「お滝」 が存在するからかもしれない。


図2 「権太夫の滝」の「お滝」



 神号「○○大神」の○○の部分を完全に判読できたのは、375件のうち353件であった。最初の○○の部分が同じであれば、同じ神号とすると、神号の種類は208件となる。この件数は 判読全神号数の59%で、熊鷹の81%、清メの87%に比べると低い。同じ神号が多いということである 。そのなかでも、多い神号をあげると、 「権太夫」17件、「白菊」17件、「白龍(竜)」16件、「末廣」15件、「白玉」11件、「天龍(竜)」7件、「玉姫」7件、「御剱」6件 である。 「白玉」 ポピュラーな神号 の一つといえよう。「権太夫」が多いのは当然だが、 七神蹟のその他の祭神、「白菊」「末廣」「御剱」が多い のも権太夫の特徴といえよう。

 多く使われている漢字の上位12件をあげると、 「白」77件、「権」31件、「末」29件、「玉」27件、「龍(竜)」27件、「廣」21件、「太」21件、「吉」21件、「菊」20件、「夫」18件、「光」16件、「高」14件 となる。「権」、「太」、「夫」が上位にランクされるのは、権太夫の祭神が「権太夫大神」であることから当然であろう。「 白」、「光」、「玉」、「吉」は 、熊鷹、清メの上位12件にも登場するので、神号に使用される漢字として 人気のあるもの

5.建立年代
 塚台や基台に建立者の住所が刻まれているのが確認できたのは、83基中10基のみであった。清メ同様 確認できた割合は小さく 、熊鷹の79基中50基であったのと比べると大幅に少ない。そのなかでも、大阪府下が8件、京都1件、東京1件で、やはり大阪府下が多い。昭和十五年建立の「権光會」という「講」団体建立と思われる「お塚」に付設された石鳥居に 「満州新京」 と記されたものがあった。日本の満州進出時においても、現地で稲荷信仰が盛んだったのかもしれない。

 建立年代が確認できたのは83基中37基と45%(67%、37%)であった。最も古い年代は 大正2年 、最も新しい年代は昭和52年であった。分布を見てみると、大正時代3基、昭和一桁代1基、昭和10年代9基、昭和20年代2基、昭和30年代15基、昭和40年代6基、昭和50年代1基。 第1のブームが昭和10年代 。 「紀元二千六百年記念」などと刻まれた昭和15年建立の「お塚」が散見 された。また、第二次大戦中の建立はなかった。 第2のブームは昭和30年代から40年代に かけてである。熊鷹、清メを含めても、昭和60年代以降建立の「お塚」は皆無に近い。

 権太夫は大正元年の創建なので、大正時代の建立が多いと推定していたが、そうではなかった。もっとも、建立年代不明の「お塚」も多く、また、後の年代に再建している可能性もあるので、大正時代の建立は少なかったと言い切れない側面はある。

 熊鷹の「お塚」に刻まれた建立者名には、会社名、会社経営者名が多く見られ、「商売繁盛」祈願の「お塚」が主役であるとの側面がみられた。また、清メは教会併設の「お塚場」であり、その信者が「お塚」建立の主役となったとみられる。それらに対し、権太夫は、 より庶民的な「お塚場」 との印象を受けた。

6.終わりに
権太夫の全「お塚」を調査し、熊鷹、清メと同様の統計分析を行い、それらとの類似点、相違点を明らかにすることができた。今後、引き続き他の「お塚場」も調査し、時代背景に重ね合わせて、「お塚」の歴史を体系的に分析していきたい。


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最終更新日  2026/08/25 10:21:36 AM
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