ワルディーの京都案内

ワルディーの京都案内

2026/10/13
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カテゴリ: この本読みました
【この本読みました】


著者:弓削信夫
発行所:西日本新聞社
初版発行:2014年6月12日
第七冊発行:2023年12月1日
ページ数:B6判 445ページ
私が読んだ時期:2026年7月~8月






私は今回の癌が発見される2、3ヵ月前に、ある講演会で「京都市の鉄道史」というタイトルで講演を行いました。私は鉄道の専門家というわけではないので、一から勉強してでの講演でした。

そのことがあったので、ガイド会の同じグループ仲間の先輩Yさんが、私が入院中にお見舞いに来てくださり、この本を貸してくださいました。Yさんは、九州出身で、本屋さんで見つけて面白そうなので買ったとおっしゃってました。

診察の待ち時間、OJRセンターへの往復の交通機関の中で読みました。

九州、特に北九州には、昔炭鉱があり、鉄道も人を運ぶより、石炭を運ぶために作られた路線が多くあったことなど、関西とは、また違った発展をしてきたことが分かりました。

著者は昭和7年生まれ。元フクニチ新聞記者で、17年にわたり国鉄九州総局記者クラブに在籍し、九州の鉄道を取材しました。この本には、国鉄詰めの記者であればこその、面白いエピソードが満載です。

ここに書きだしたら切がありませんので、1つだけ紹介しておきます。

「関門トンネル出口にある死電区間(デッドセクション)とは」

関門トンネルは昭和17年に開通した。すでに電気機関車が走っていた。ところが、門司駅からの九州側では、まだ電化されておらず、門司駅で電気機関車を蒸気機関車に繋ぎ替え九州内を運行していた。

戦後、門司駅から久留米駅を電化することになった。ところが問題があった。門司より本州側は架線に流れている電流は直流1,500ボルト、九州側は交流2万ボルト。これは次の理由による。

早くから電化された区間は当時世界的に採用されていた直流電化を取り入れた。ところが戦後は、床下に取り付けることのできる小型の整流器が開発され、交流電化が世界的流れになった。交流電化の方が、変電所の間隔を大きくでき、建設費を安く済ませることができる。そこで国鉄は昭和36年に門司・久留米間を電化する際に、交流電化を採用した。この異なる方式、電圧を架線で結ぶことはできない。ショートしてたちまち停電してしまう。



運転手はこの区間に近づくと、主幹制御器をオフにする。車輪を回すモーターは停止し、車内灯も消えるが、電車は25メートルくらいであれば惰性で走ることができ、通電区間に廃入ると主幹制御器を再びオンにする。モータは動き、車内灯も点灯する。

こんなエピソードが盛りだくさん。読んでて飽きなかった。Yさんに深謝。


昭和9年の九州の路線図



昭和36年の九州の路線図




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最終更新日  2026/10/13 01:50:29 AM
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