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2007年も大晦日。今年も暮れ行く。とても、今年の目標や年末の大掃除や年賀状書きなどが完了したとは言えないのだが、時間は無慈悲に過ぎていく。(またそれがいいのだけれど・・・。)今年の「私の十大ニュース」「我が家の十大ニュース」などを想いながら大晦日も過ぎていく。なんといっても東京単身赴任が解けて、大阪に戻ってきたことが第一だ。家族の支えあっての東京勤務があったんだなあと改めて感謝した。しかし、大阪に戻ってくる直前の9月17日(月祝)の早朝に急に体調がおかしくなって、救急車で緊急搬送されて約3週間の入院生活を余儀なくされるという大事件も経験した。自分の命を真剣に考えるいい機会だった。恩師や会社の先輩、そしてなによりも大学の同級生の訃報に接して、今年は自分自身に起きたことも含めて、立ち止まって人生をしっかり見つめる年となったようだ。幸い家族も元気で年を越せそうだ。いろいろな困難はあったけれど、なんとかいきているなあ。「神様のなさることは時にかなって美しい」別に私はクリスチャンではないのだが、この言葉がまた現実味を持って迫ってくる一年だったなあ。こころから感謝である。
2007.12.31
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先日、天神橋筋商店街のところで相互乗り入れのことを書きましたが、本箱に「阪急電車青春物語:橋本雅夫著」という本があり、参照してみました。そこに、「相互乗り入れのルーツを探る」という項があります。そこに戦前、近鉄吉野線で大正12年に大軌と大阪鉄道が久米寺(現橿原神宮)-吉野間で交互に運転していたとありました。さらに奈良電(現近鉄京都線)が昭和3年に大軌と相互乗り入れを行っていたことも書いてありました。この本は、阪急電車の発展の歴史を書いてあって面白く、ついつい大掃除の手を止めて読みふけってしまいました。さらに、昔の天神橋筋六丁目駅は素晴しいファサードをしていたことを書いたが、手元を探してみたところ昔、ある本で見た記憶はあるのだが見つからなかった。そこで阪急電鉄のホームページを検索してみたら見つかったので、申し訳ないけれど引用させていただく。子供のときの記憶がすこし甦った。阪急フォトアーカイブ第3回の「新京阪の開業・関西初の地下線」の写真をお借りしました。
2007.12.30
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今年、たくさんの人が向こう側の世界に渡っていかれたが、8月に阿久悠さんが亡くなった。その氏が、最後にこの世に残した至言を読む機会があった。この1・2年のコラムを纏められたのだろうが、短い文章の中に心にしみる言葉がキラキラ光っているように思えた。少し引用してみる。「ペーパードライバーが最優秀ドライバーのような人間の評価が罷(まか)り通る」「社会は汚れきり、人間の美意識は乱れてしまっているのに、自分以外の人に対しては完璧(かんぺき)を求め、ちょっとでも欠点や失敗が見つかると袋だたきにする社会構造は何なのだろう」「何にもしなかった人だけが褒められる社会になってしまう」そして、次のこの言葉がザビエルには最も素晴しい言葉として受け止められた。「若者はほっといても若者だが大人は努力なしでは大人になれない」【内容情報】(「BOOK」データベースより)「働くことは愚かなことか、創ることは無駄なことか、考えることは敗れることか」稀代の作詞家が「格言、箴言、警句」で綴った、警世の書。 第1章 選択肢は生きるだけだよ 第2章 たかが言葉されど言葉 第3章 人間が機械仕掛けになった 第4章 歌は時代の妖怪である 第5章 日本は只の怠け者の国になる 第6章 野球は男に人生を語らせる 第7章 父親はポツポツ話す
2007.12.29
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ストーブの前で気持ちがいいのかな?ソファーに首を持たせかけてウトウト、ふにゃーのバロン君です。こちらまで、心が暖かくなりました。
2007.12.28
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仕事納めの28日、西天満のお客様のところへ行きました。ちょうどJR東西線「大阪天満宮」の近くです。帰りに昔よく行った[天神橋筋商店街]を南森町から天神橋筋六丁目まで歩いてみました。天神橋筋商店街は全長2.6キロメートル、日本一の長さで知られる商店街だ。天満宮の参道と江戸時代の天満青物市場から発展したらしいが、昔から賑わっていて、婦人服や洋品店の服飾関係、めがね店、おもちゃやから、喫茶店、食堂・寿司屋などの食べ物関係まで、ありとあらゆる店が集まっていました。1969年に地下鉄堺筋線ができるまで、天神橋筋六丁目駅(天六)は阪急京都線の玄関口として4線5本のホームを持つ特急電車の始発駅でした。今の阪急天六ビルは当時の駅ビルを改装したもので将来の南進をにらんで南側はガラス張りのファサードをしていました。(手元に写真がないか探しています。)この天六からJR天満駅まで乗り継ぎで15分ほど歩く人で賑わっていましたが、堺筋線ができて阪急と地下鉄が相互乗り入れして天六は単なる通過駅になってしまいました。ザビエルの記憶が正しければ、この阪急と大阪地下鉄の相互乗り入れは、日本で最初ではないかと思います。お店は代替わりが激しくて、昔のお店が廃業されて新しいお店になっていることが多いのですが、中学校のときに制服を買いに来た服店や、初めてめがねを買った「モリカワ眼鏡店」が健在で懐かしく思いました。天六交差点には大阪市立住まい情報センターの中に大阪くらしの今昔館はオープンしていますし、南の端近くには「天満天神繁盛亭」が上方落語の定席としてこの一年を頑張っています。「天五寿司戦争」といわれるくらい安くて美味しいお寿司屋さんが店を競っているのもここ天神橋筋商店街です。
2007.12.28
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家内と行った近所のスーパーマーケットのこと。 うちの近所では歩いていけるコープ(北大阪生協)、駅前の食品スーパー(イズミヤデイリーカナート)、そして少し遠いが阪急系のオアシスと3つの中型(1000平米~2000平米程度)のスーパーマーケットがある。それぞれに特色があって自分の都合で使い分けています。 毎日の食材はなんと言っても安心できるコープで買います。コープはこの信頼を裏切ったら即座に消え去る運命にあります。それだけにコープのブランドは大切にして欲しいと思っています。食の安全安心を守る使命がコープにはあると思っています。それが値打ちです。 イズミヤは利便性と経済性です。夜遅くまで開いているので仕事を持っている主婦にはありがたい存在ですし、安いです。しかしはっきり言って品物の品質は3店の中で最低です。野菜もみずみずしさに欠けますし、肉もまずいです。 オアシスはちょっと高いですがいいものがおいてあります。品揃えも他の2店では買えないものがおいてあります。例えば、スパイス類の品揃えは圧巻です。また写真のように醤油でも、湯浅醤油や魚醤(ギョショウ)のような特別な品があって、こんなものが日常に売れるんだろうかと貧乏性なザビエルは心配しています。
2007.12.27
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家内の美容院をお迎えし、近くのスーパーに買い物にお付き合いした。そのときちょっと不思議な光景を目撃してザビエルの頭の上に「マーク」が点ったのです。70歳後半のおばあちゃんと40~50歳代の娘さんとおぼしきペアを見かけた。「ああ、親子でお買い物なのか」と思っていると、よく似た年恰好のペアが美容院から出てきた。「あれっ?今日は仲のよい熟年親子づれが多いなあ・・・」そうしていると、今度はまたまた80歳くらいの少し足がおぼつかないおばあちゃんと40歳くらいの女性のぺアが美容院に入っていく。「あれれ・・・」スーパーの前庭でも同じようなペアが野菜を買っている。その若い方の女性が「○○さん、おつりをお財布に入れておきますからね。」と言っている。「そうか、こいつは一人暮らしのお年寄りに対する支援活動なんだあ」と気がついた。今見たお年寄りはみんな、無理をすれば自分だけでお買い物もできるだろうが、足が弱かったり、おっくうになったりいろいろなことで家に引っ込み勝ちになるような可能性がある人だなあ。すこし手助けすればお買い物や美容院やに行ける。そして生活の質(大げさに言えばQOLって言うのかな?)を上げて気持ちよく生きていける。そんなボランティアさんがこの街にはいるんだなあ、と気がついた。この街は開発以来40年がたつ。入居したときは30代40代でも40年たてば70歳から80歳。一人暮らしのお年寄りも当然増える。そんな人たちに対する隙間的な生活支援があってもいいなあ。ちょっと実態を調べてみようかな・・・。
2007.12.26
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めがねチェーンを買った。最近、電車の中で本を読むときや、仕事中、書類を作っているとき、普通にめがねを掛けたままだと字が見えにくい。ついつい、めがねを外している。そのあとで、また、パソコンを使おうとするとまるっきり周りが見えない。要するに「近眼」の私が「老眼」になってきたということだ。そこで「めがねチェーン」を買おうと思い探していた。あったあった。ライトブルーのお好みのやつがあった。さっそく購入!!うーん、すこぶるよろしい。でもやっぱり年だね。
2007.12.25
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振り替え休日の昼下がり、ゆったりとラジオを聴いていたら、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を詩にした若い人の歌が聞こえてきた。歌手の名前は宇佐元恭一というらしい。この詩は長女が幼稚園だったとき発表会で暗誦していたことを思い出した。あの幼稚園はまったく「親の教育機関」だったなあ。「千里ひじり幼稚園」って言ったけ・・・。しかしいやなことが多い世の中、若い人の歌で「雨ニモマケズ」をまともに取り上げたものがあるのは好ましいことだと思いながら・・・。「雨ニモマケズ」 宮澤賢治 雨ニモマケズ風ニモマケズ雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ慾ハナク決シテ瞋ラズイツモシヅカニワラッテヰル一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベアラユルコトヲジブンヲカンジョウニ入レズニヨクミキキシワカリソシテワスレズ野原ノ松ノ林ノノ小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ東ニ病気ノコドモアレバ行ッテ看病シテヤリ西ニツカレタ母アレバ行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ南ニ死ニサウナ人アレバ行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ北ニケンクヮヤソショウガアレバツマラナイカラヤメロトイヒヒドリノトキハナミダヲナガシサムサノナツハオロオロアルキミンナニデクノボートヨバレホメラレモセズクニモサレズサウイフモノニワタシハナリタイ南無無辺行菩薩南無上行菩薩南無多宝如来南無妙法蓮華経南無釈迦牟尼仏南無浄行菩薩南無安立行菩薩============================[CDデータ]宇佐元恭一「雨ニモマケズ」|日本クラウン(株)/(株)ファースト・ディ|2006年 09月発売ISBN/JAN:4988007220736本体価格:952円(税込:1,000円)宮沢賢治の有名な詩「雨ニモマケズ」にオリジナルの曲をつけて演奏していた宇佐元恭一。南こうせつのコンサートで歌い、話題を呼んだ楽曲がCD化。本人名義では10年ぶりのCDで、カップリングには酒井法子に提供した「鏡のドレス」のセルフ・カヴァーを収録。
2007.12.24
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昨日12月22日(土)は、末娘の成人式前撮りを写真館で撮ってもらいました。こんな時は母親が付き添うんだろうが、今回はザビエルがアッシー君として写真館まで送り迎えしたのだ。当日はあいにくの雨で足元が悪かった。だけれども、まあ、よう育ったなあというのが正直な感想。生まれて半年目に腸重積で緊急入院して心配したなあ。その時に家内のことば「コレはいつものこの子の泣きかたじゃない!きっと大変なことが起こっている!!」という母親の勘(カン)にはまったく脱帽だったなあ。父親ってなんだろうと考えたものです。 そんな末娘も20歳。もう大人だね。嬉しくも頼もしくも思うなあ。おめでとう。 写真は岸田写真館です。ザビエルも夫婦で会社の勤続25周年の記念写真を撮ってもらいました。そんな記念写真はとっても貴重な宝物に感じます。
2007.12.23
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久々に阪急西宮北口駅を利用した。写真はコンコースのカリヨンの鐘だ。今でこそどこにでもある普通の駅だが、昔、この駅は神戸線と今津線が平面交差(ダイヤモンド・クロッシング)していて全国でも珍しい景色を見ることができた。ホームも神戸線神戸方面行きは大阪方、大阪方面行きは神戸方にあって、乗り降りは地下道を延々歩いていたことを思い出す。おもちゃ箱をひっくり返したような西宮球場があったころは、会社から駆りだされて、阪急ブレーブスの応援に行ったこともあった。その西宮球場も今はなく、跡地には25万平方メートルの大規模ショッピングセンターが建設中だ。昔の懐かしい写真をお借りして往時を思い出して見ました。撮影日:1979年夏頃 撮影場所:西宮北口 撮影者:永尾信幸 説明:平面交差していた神戸線(前後方向)と今津線(左右方向)神戸線下りホームから神戸線上りホームを撮影出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2007.12.14
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最近じっくりと長編を読むことが少なくなっている。お手軽に原稿用紙4・5枚のエッセイをよむことが多くなった。移動の電車の中での細切れの時間にちょうどよい。また、長時間集中することが出来にくくなった所為もあるかもしれない。「老いたるいたち」ベスト・エッセイ2007年 日本文藝家協会編75編のエッセイが載っている。著者はそれぞれ中高年が多いこともあり、また今年ザビエルの周りで大切な人を見送ったこともあり、人の生き死にに関する作品に惹きつけられた。本の題名は三浦哲郎氏の作品からつけられている。帯にはちょっとさわりが記されている。「子供のころ遊び仲間たちと夢中で外を飛び回っているうちに、いつの間にやら打ちもしないのに皮膚に鎌で切ったような切り傷ができていることがあった。本人にはなんのおぼえもなくて、傷だけがある。鼬のような獣の仕業だと信じられていたのである。」どの作品も短い中にきらりと光ってこころに残るものだった。
2007.12.13
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和歌山県湯浅の方にお仕事に出かけた。早い話が「有田」。 さすがに見渡す限り蜜柑畑が続く。見事なもんだ。 帰りは海南駅まで送ってもらった。 待合スペースに「でごいち」プレート。紀勢線を走っていたSLのD51の勇姿が。 きっと有田蜜柑をたくさん積んで、颯爽と走っていたんだろうな。
2007.12.12
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とあるコンビニで「葬祭三点セット」なるものが置いてあった。 1.香典袋 2.黒のネクタイ 3.数珠ふーん、こんなものがねえ・・・。売れ筋なんかなあ?ちょっと意外であった。
2007.12.11
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2007年もいよいよ押し詰まってきた。 新光風台イエナリエ? なかなか美しいな。
2007.12.10
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娘を駅まで送ってきたとき山一面の紅葉に思わず見とれてしまった。そういえば次女が、引越ししてまもなく裏山を見て絵を描いたなあ。きっと感動したんだろう。「うちのお山はまっかだよ」あれから20年がたとうとしています。
2007.12.08
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先日、NHKの紅白の出場者が発表されていた。この時代、紅白歌合戦といっても誰もあまり注目していないかもしれない。しかしいま昭和30年代の「テレビの来た日」を恋うる時代になっていると思う。NHK紅白歌合戦は「テレビが来た日」を思い出す儀式にすべき時間だと思うし、家族みんなで歌の趣味を超えて、アレがいいのコレがいいのと楽しむべきものだと思う。そんな時、あみんが25年ぶりに活動を再開し今年の紅白に出演するという。これに注目した。http://www.aming07.com/(あみん公式HP)あみんの「待つわ」はいい歌だなあと思う。なんかホッとする歌だ。しかし何でだろうなあ・・・。不思議に思うのだよ。彼女たちが活躍したのは本当に短くていまから25年前の1981年から1983年くらいだったのに。もう私は大学も卒業し家内と結婚していたし・・・。2人の声はなんと言うか、心癒されるものがあります。岡村孝子がリードしてそれに加藤晴子がふわっと包み込むようにハモる。2人の歌声を聴いていてうっとりと気持ちよくなっているザビエルです。だけどこの歌詞、よく聞くと執念深い女性の恨み節にも聞こえるなあ。コレと正反対なのが太田裕美の「木綿のハンカチーフ」だ。こちらは薄情な男心をさらりと歌う。http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/momennohankachi.htmlザビエルが幸運だと思うのは、今の家族が出来たのも家内が「待つわ」タイプだったからかな?ありがとう・・・。
2007.12.07
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堀川から上がって朝の街を歩きました。 紀陽銀行本店?の建物に行き当たりました。 壁面にはギリシャ神話のレリーフが飾られています。南側の2つです。 北側の2つのレリーフです。 本来業務の集合時間が近くなってきましたので近道をと思ってメイン道路から小さな道に入りました。そうしたら面白いものに遭遇しました。 紀州犬保存会総本部の事務所です。 これが今回の最大の収穫です。「鉄砲火薬出来助」って何? 種子島に鉄砲が伝来し雑賀衆がそれを全国に広げた。まさに和歌山は鉄砲の里だったのです。紀州鉄炮鍛冶の出来家は、徳川頼宜にお供し紀州に来たいわゆる「駿河越え職人」との伝えがあるそうだ。このお店はその末裔だそうです。 この銘板によるとこのあたりに紀州藩御用の鉄砲鍛冶工場があったそうです。 鉄砲を持ってきたのはひょっとしてフランシスコザビエル?? これから集合場所へ急ぎました。 写真は紀ノ川を渡る電車の車窓から一枚。
2007.12.06
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堀川には水に親しめるように遊歩道が整備されています。 遊歩道から見た街並みです。 和歌山県建築士会の建物が見えます。南海地震が近いと予想されている和歌山県では地震に対する関心が高いのか、耐震診断・耐震改修を勧める垂れ幕がかかっています。 なぜか突如、お不動様の像がありました。浄めの水にひしゃくが用意されていました。 昭和初期のトラス橋でしょうか? 上弦材とラチスの接合部ですが、かなりメンテがおもわしくなくて塗装も浮いていましたし錆び汁も流れています。ちゃんと見ていて欲しいものです。 また小休止です。
2007.12.05
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仕事で和歌山に行ってきました。大阪にいても和歌山方面はなかなか行かない。 集合場所は和歌山市駅。徳川御三家のひとつ紀州藩の和歌山。 和歌山市駅はお城の北側、紀ノ川を渡ったところにある。 集合時間前にちょっと近くを散歩です。幕臣勝海舟がしばらく住んだところがありました。 フーンって感じです。 植物学「菌類の研究」で知られる南方熊楠生誕地がすぐ近くにあるんです。やっぱり和歌山は南国高知につながるものがあるなあ。植物学の牧野富太郎博士のことなんか思い出しました。 城下町なのでお城を中心に街割がされています。今回は和歌山市駅の南側の城北地区の一部だけを歩きました。内堀としてまた運河としての堀川が流れています。古い石造りの橋「寄合橋」です。 寄合橋から見た堀川です。 ちょっと小休止。
2007.12.04
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出勤の時、東南の空に「明けの明星=金星」を発見。 月と並んで見えました。 すがすがしい気分です。
2007.12.03
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昨年の今頃、晩秋初冬12月3日に東京町田市の武相荘を訪れた。 この屋の主人白洲次郎と正子の素顔を、二人の娘である桂子(かつらこ)さんがゆったりとした筆で描く気持ちのいいエッセイを読んだ。 白洲家で起こる日常をさも当たり前のことのようにさらっと書いてのだけれど、戦後GHQと対等に渡り合って日本国憲法の成立に立ち会った次郎と、女性として初めて能舞台に立ち古典文学に親しみ骨董に傾倒した正子という「特別な世界の人」の家庭での素顔を垣間見ることが出来て面白かった。なんかゆったりとした気分になった。 あの武相荘にはやっぱりこんな人が住むのがふさわしいなあと感じた次第。これもあの気持ちのいい場に立ってみたからかな?また、訪れてみた場所だ。
2007.12.01
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