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カテゴリ: 支倉常長


というわけで、富谷村にキリシタンの信仰が盛んになったのは、常長がここに移住したことが

「支倉家系図書」によって判明しています。


支倉常長と遣欧使節については、多くの学者、歴史家がとりあげ書籍出版されていますが、常さんの帰国後のことについては現在出ているものを見る限り一切ふれられていません。

資料が無いからです。




常さんたちが帰国したときには、すでに仙台でも禁教令が厳しくなっており、ローマから持ち帰った品々も、信者たちも、全ては地下に追いやられてしまいました。


それらが日の目をみることになったのは明治になってからです。

岩倉具視という政治家が、ヨーロッパへ視察に行って初めて、常さんと遣欧使節の存在が(200年以上経ってから)わかったのです。



支倉六右衛門常長/ドン・フィリッポ・フランシスコは世界史に日本を代表するスターとして登場するほどの人物でありながら、日本ではいまだにその偉業があまり知られていないという、なんとも残念なことになっています。



―ある意味では、政宗公以上に有名な人物であり、奥州王イダテ・マサムネの名前も



もし常長が人間としても平凡、その外交官としての出処進退も凡庸であったなら

今日ヨーロッパに残るほどの記録によって、この人たちの名前が、

あのように輝かしいものとして記念されることはなかっただろうと思う。


中略


神はこの人に、他の何人にも不可能なさまざまな試練を与え給うたのである―


と、大郷町史にもありますが、


なんでこの人がNHK大河ドラマにならないのかすら?


と、本気で思うイタコです。



でもそれは、あまりにも謎が多すぎて、シナリオ描けないからだと思うきっと。

だって、常さんの直筆航海日誌が  行方不明なんですもの!



ローマ博物館に残されたわずかな文献から垣間見てとれる旅の様子でもっていろんな人が論議しています。



もしもこの航海日誌が見つかれば、日本どころか世界史が揺らぐでしょう。





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Last updated  2013.04.01 01:54:47
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