全244件 (244件中 1-50件目)
↓クリックしてお聴きください↓ラジオ「鈴木はるみの“ソーシャルで行こう!”」https://www.facebook.com/harumi.suzuki.358/posts/1134311089970965
2016.12.02
コメント(0)
お申し込みは仙台バスツアーズさんへお願いします。http://www.senbus.co.jp/bustours/
2016.11.03
コメント(0)
新著「星の街仙台」をお持ちの方は是非ご持参ください。前半は本に沿って解説しますので資料になります。本は当日会場で販売もします(2日間限定消費税サービス1300円)講演会詳細はこちら
2016.10.14
コメント(0)
http://ameblo.jp/kokusai-sta/entry-12206621501.html仙台国際センター駅2Fのオープンスペースでイベントやります10/15と16の2日間。雑談ありの質問ありの、ゆる~くやる予定です。最新情報はオフィシャルサイトで更新中です。http://hexagram.jp/9/25の一番町ロビーの2Fでやった講演会に、一番前の席で受講された「安養寺の檀家さん」ご連絡おまちしています。info@hexagram.jp
2016.10.06
コメント(0)
星の街仙台オフィシャルサイトhttp://hexagram.jp/最新情報はこちらで配信しています。合わせてフェイスブックもどうぞhttps://www.facebook.com/hoshinomachi/25日(日)講演会やります。グランドクロスに新発見あり。仙台藩のレイラインについても解説します。新著のご注文はこちらまでinfo@hexagram.jp
2016.09.22
コメント(0)
グランドクロスに新発見。オフィシャルサイトブログ更新しました。
2016.08.29
コメント(0)
新著のダイジェスト版が英語、韓国語対応されました。新著「星の街仙台」のご注文は info@hexagram.jp まで
2016.08.24
コメント(0)
9/14のタピ大講座で発表します。オフィシャルサイトブログへ
2016.08.13
コメント(0)
きのうのオンエアです。 ←クリックグランドクロスの新発見が語られました。星の街仙台オフィシャルサイト本のご注文やご質問などはコチラ info@hexagram.jp最新情報更新中のFB
2016.08.11
コメント(0)
仙台放送みんなのニュース「ぶらり旅~星の街仙台編」先週に引き続きの第二部オンエアは今日の夕方です。陰陽師いなべの晴明が登場しますのでお楽しみに♪たぶん18時~19時の間と思います。また新著「星の街仙台」は、しまぬきさんで完売となり、補充はあしたの予定ですがネット通販が確実ですので、オフィシャルサイトの「お問い合わせ」からご注文ください。最新情報はFBでも配信しています。
2016.08.10
コメント(0)
18時~19時の間みんなのニュース内です。今週は「平成の陰陽師いなべの晴明」が登場しますよ!未公開ネタが飛び出すかもです。詳しくはこちら。
2016.08.09
コメント(0)
観光客の皆さんへ穴場な休憩所としてお気軽にお立ち寄りくださいな。星の街仙台と仙台城下町百景コラボ展8/5~8/18 入場無料 10:00~20:00藤崎デパート向かいのクラックスサロン
2016.08.06
コメント(0)
あしたから「星の街仙台と仙台城下町百景コラボ展」開催します。
2016.08.04
コメント(0)
瑞巌寺参道改修工事で発掘された遺構、遺物見学レポ 数百年、イヤ1000年先まで二度と見ることのできない貴重な歴史的お宝の、一日限りの一般公開現場に行ってきました。
2016.07.24
コメント(0)
きょうのロケ仙台放送のニュース枠。オンエアは8/3あたりです。
2016.07.22
コメント(0)
詳細はこちらオフィシャルサイトブログラジオの後、TVロケ。オンエア詳細はのちほどお知らせします。 新著は、現在ネット通販(オフィシャルサイトの問い合わせからお願いします)と、仙台市青葉区立町郵便局並びの高喜書房さんのみで販売中です。 定価:1300円+税最古の仙台城下絵図(博物館所蔵)も掲載しています。
2016.07.21
コメント(0)
新刊をお届けに、書籍内掲載の寺社巡りをしています。グランドクロスの北、洞泉院まで行ってきました。レポートはこちら↓星の街仙台オフィシャルサイトブログ記事
2016.07.15
コメント(0)
新刊「星の街仙台」が発行されてから、掲載の寺社すべてに本をお届けに回っている。中でも、泉区根白石の満興寺ご住職の奥さまが、星の街仙台に傾倒されており、貴重なお話などお聞かせくださいました。仙台城の隠れ里根白石には、まだまだ知られざる逸話が埋もれています。アップしました↓星の街仙台オフィシャルサイトブログ
2016.07.09
コメント(0)
詳細は星の街仙台オフィシャルサイトのメニュー「関連グッズ」にてご覧ください。宮城の新たな歴史観光バイブルにどうぞ。
2016.06.22
コメント(0)
星の街仙台オフィシャルサイトサイト内ブログの最新記事にて。
2016.06.15
コメント(0)
講座やります。詳細はこちら
2016.05.15
コメント(0)
☆オフィシャルサイト更新のお知らせ メインメニュー ・権利関係・関連グッズ・歴史講座アップしました*ブログの更新をメールでお知らせするシステムを配置しました。 星の街仙台オフィシャルサイト
2016.05.08
コメント(0)
新しいサイトを作りました。準備中のページもありますが、本日より一般公開です。2010年から書き綴ってきた当ブログは、アメーバブログに移転の予定でしたが、サイト内のブログに徐々に移行していきます。これからもどうぞよろしくお願いします。
2016.04.18
コメント(0)
仙台バスツアーズ(株)さん企画で、32名のお客様を乗せて楽しく無事に終了しました。FBのほうで配信しましたのでご覧ください。☆お知らせ2010年1月から配信してきた当ブログは、記事を整理しながらアメーバブログのほうへ移転いたします。最初の記事から順次アップしていきますので、今後ともよろしくお願いします。移転先http://ameblo.jp/hoshinomachisendai/
2016.03.16
コメント(2)
☆BS-TBSの取材ロケ仙台の新たな観光スポットとして「星の街仙台」が紹介されます。詳細はオンエア近くなったらお知らせします。仙台バスツアーズ(株)さんとのコラボ企画で、第一回目のバスツアーは3/13(日)です。おかげさまで募集人数を超えまして、大型バスでの運行です。本日のロケは青葉神社と仙台東照宮におじゃましました。
2016.03.07
コメント(0)
きのうは3回目でしたが、回を追うごとに受講者が増えています。ありがとうございました。今回のテーマは、仙台城下を作った驚異的な頭脳の持ち主3人についてでした。次回は、仙台藩の重鎮キリシタンを予定しています。『支倉常長は死んでませんし五郎八姫は黒幕だったんじゃ?』的なコアな内容です。限りなく史実に基づいた妄想の中から生まれる歴史の真実。信じるか信じないかはあなた次第です。 3か月後にまたお会いしましょう^^
2016.02.24
コメント(0)
☆バスツアーとタピ大講座お知らせ3/2(水)のバスツアーは、最低催行人数に達しずキャンセルとなりました。お申込みいただいた方々大変申し訳ありません。3/13(日)は募集人数を突破しまして、こちらは行います。 まだ若干空きがあるかもしれませんので、ご希望の方はお早めに仙台バスツアーズ株式会社までお申し込みください。あした2/23(火)19時~20時、泉区タピオ館1Fにて、タピオ大学講座をやります。今回で3回目ですが、あしたのテーマは仙台城下建設の立役者である国分氏・故哉和尚・茂庭綱元の人物像にせまります。1時間はあっというまですので、お聴き逃しなく^^http://www.fm797.co.jp/tapidai/sche.htm
2016.02.22
コメント(0)
FB星の街仙台 https://www.facebook.com/hoshinomachi/でも告知していますが、仙台バスツアーズさんとのコラボ企画で、城下の六芒星6地点をめぐるツアーをやることになりました。仙台バスツアーズ株式会社http://www.senbus.co.jp/bustours/お申込みはコチラへ↑ 2/6(土)、3/2(水)、3/13(日)*************今年も講座をやります。タピオ大学http://www.fm797.co.jp/tapidai/ 2/23(火)19:00~20:00星の街仙台~伊達政宗が隠した六芒星~ 城下建設に関わる知られざる仙台藩の重鎮達vol.1 国分氏、虎哉(こさい)和尚、茂庭綱
2016.01.21
コメント(0)
10/1のタピ大講座のブログが配信されました。http://tapidai.exblog.jp/が、大きな間違いがみっつあります^^;「仙台城を失った後」ではなく、「仙台城下を築く際に」ですね。それと六芒星のひとつ本丸を「護国神社」と書いてますが、(何度も言いますが)護国神社は英霊を祭っているところで、伊達家とは全く無縁です。 護国神社ではなく「本丸」です。もうひとつは、本丸は東照宮の裏鬼門ではなく、東照宮が本丸の鬼門なのです。ここ大事ですネ。あした15日は、西多賀のシルバーサークルからのご依頼で出張講座やります。(一般参加不可) 歴史サークルや町おこしなどのイベントに参上いたします。場所のみご提供願います。受講者10名以上希望、講演料無料(希望者に星の街仙台の研究書販売可)メッセージにてお気軽にお問い合わせください。
2015.10.13
コメント(0)
http://www.fm797.co.jp/tapidai/sche201510.htmこちらで告知するのがおそくなってすいませんタピ大で第二回目やります。10/1(木)19:00~1時間です。今回は、前回の六芒星に続いて、四神配置とグランドクロスについてです。受講無料です。また、場所を提供していただければ、宮城県内でしたら出張講座可能です。歴史サークルや町おこしイベントなどでご相談ください。10月半ばに西多賀の老人会で講座決まりました。
2015.09.28
コメント(0)
あいにくの雨降りで、太白山が霧に包まれその姿を見ることができず残念でしたが、20名ほどご参加くださり無事に終わりました。3時間の長丁場で、六芒星・四神・グランドクロスまでお話しましたが、途中からサプライズゲストで、星の街仙台の発見者で著者の陰陽師親方(いなべの清明)が登場!最後の1時間は稲辺氏のトークと質問タイムとなりました。参加者のみなさんがかなりの歴史好きで、ものすごく熱心に受講していただき、私自身も大変楽しい時間を過ごしました。機会があればまたどこかでやりたいと思います。ありがとうございました。☆歴史サークルなどで、参加者10名以上・会場提供ありでしたら、宮城県内出張講座しますのでご相談ください。
2015.08.31
コメント(0)
その1~その4までアップしました。こちらからどうぞ。https://www.facebook.com/hoshinomachi
2015.07.23
コメント(0)
18と25の2週にわたって、NHKブラタモリが仙台でした。1週目は地形(段差や堀など)について。2週目は杜の都の所以について。とくに宮城刑務所(若林城跡)はとても興味深かったです。当時の城としての痕跡がそのまんま残ってるというのが、すごいことです!刑務所だから保存出来ているんでしょう。タモリさんはさすがですね番組内で数々の名言を残してくれましたこちらもどうぞ。FB星の街仙台 https://www.facebook.com/hoshinomachi
2015.07.21
コメント(0)
アップされました。http://tapidai.exblog.jp/i3/次回は9月の予定。テーマは「四神配置」です。
2015.06.07
コメント(3)
かなり濃い方々にお集まりいただいた模様ですありがとうございました。 「講座をやろう」と急に思い立ったのは5月に入ってからでしたが、タピ大のスケジュールが埋まっていたので、6月ならいつでもOKということで、なんとなく6/4を選んだのですが、「六芒星と四神で6と4じゃない?」とある方に言われてハッとしました。...無意識が選んだ今日だったようです。 本日受講していただいた方々の中から、新たな展開を予兆させる「ネタ」の提供がありました。 大変興味深い内容です。このように、星の街仙台が引き寄せるご縁を大事にしていきたいと思いますので、これからもよろしくお願いします。 次回のタピ大講座は3か月後になると思います。テーマは「四神配置」です。 (その前に、講座のご依頼があれば出張しますのでメッセージにてご相談ください) いなべの晴明と仙台イタコの目的は、星の街仙台を世に出し、正しく知ってもらうことです。これはオカルトや都市伝説ではありません。400年もの間、闇に葬られた仙台藩の歴史の真実なのです。
2015.06.05
コメント(0)
毎年政宗公の命日に開催される青葉神社の礼祭が、市民参加のお祭りとなった「青葉まつり」の本まつりを見て来ました。時代絵巻巡行は感動ものです。リポートはこちら↓星の街仙台https://www.facebook.com/hoshinomachi
2015.05.18
コメント(0)
タピ大(仙台市泉区泉パークタウン内1F)で、星の街仙台の講座をやることになりました。講師は私(仙台イタコ)です。6/4((木)19:00~20:00初回及び1時間ですので、内容は星の街仙台初心者向けの、六芒星6地点の説明がメインになります。お近くの方で興味がおありでしたら、是非遊びにきてくださいタピオ館立オープン大学http://www.fm797.co.jp/tapidai/ 星の街仙台については当ブログの2010年の記事と、フェイスブックで展開しております。https://www.facebook.com/hoshinomachi また、当日物販やPRなど不可となりますので、配付物はありません。事前に稲辺氏発行の研究書「星の街仙台」を入手したい方は、青葉神社の社務所で販売しております。もしくは私がネット通販しておりますのでご連絡ください。1000円(税込)通販は別途ゆうめーる180円要。
2015.04.26
コメント(0)
9月下旬に、新潟県上越高田市経由で東京都あきる野市の大悲願寺へ行ってきました。五郎八姫の隠し子である黄河幽清の足跡をたどる旅です。FB星の街仙台https://www.facebook.com/hoshinomachi幽清は生まれてすぐにこの寺に預けられたと思われます。ここには、政宗公が手討ちにしたとされる実弟小次郎がいたといわれています。
2014.11.10
コメント(0)
本日、雨の夕方、青葉神社へ行ってきました。ラッキーなことに片倉宮司さんが社務所にいらして、「おあがりなさいな」と通され1時間ほど片倉さんからありがたいお話を聴くことができました。それで、「星の街仙台」の通販用の在庫が完売していましたが、100部いただいてまいりましたので、発送ご希望の方は私のほうへご連絡ください。mine-46@sm.rim.or.jpちなみに青葉神社にはネット環境がありませんので、通販はしていません。その後の星の街情報はフェイスブックにて配信中です。フェイスブック「星の街仙台」https://www.facebook.com/hoshinomachi宮城野観光タクシーさんとのコラボも実現しました。税込1000円+メール便送料164円
2014.05.21
コメント(0)
いなべの晴明著作「星の街仙台」は2014年3/31現在、ネット通販分の在庫が完売しております。次回入荷の予定がいまのところありません。青葉神社の社務所で直接ご購入いただくか、電子版で販売中ですのでご案内いたします。パブーhttp://p.booklog.jp/book/71548キンドルhttp://goo.gl/sdNJM楽天イーブックストアhttp://kobo.rakuten.co.jp/また、FBでも新情報を常時配信中です。https://www.facebook.com/hoshinomachi今後もよろしくお願いします。試作品ですので、限定個数になりますが欲しい方がいらしたらコチラまでご連絡ください。左/ピンバッジ(直径1cm)限定2個 右/キーホルダー(直径3cm)限定10個どちらもドームレンズ仕様、各500円(メール便送料込)
2014.03.31
コメント(0)
フェイスブック星の街仙台よりhttps://www.facebook.com/hoshinomachiNO.118★黄河幽清についての新たな発見なんということでしょう!伊達家のトップシークレットのひとつであった幽清の出生の秘密が一つ明かされた思いです。高良さんのブログ。幕府に知られてはまずい幽清の資料は一切無いため、彼が生まれてすぐに預けられた場所は調べようがありませんでした。しかし、高良さんのおっしゃる’あきる野市の大悲願寺だったのでは’という説は(想像の域ではあるにせよ)私も全く同意見です。1616、五郎八姫が忠輝と離縁させられる。直後に妊娠発覚。1616~1617、江戸の仙台屋敷で幽清誕生。1620、五郎八姫仙台へ。このとき幽清3~4才。支倉常長帰仙。1623、政宗の母義姫他界。政宗大悲願寺を訪れ、その後に送った「白萩文書」。このとき幽清6~7才。 幽清が旅に出られる年齢に達した⇒仙台へ呼び寄せた。『白萩文書』の内容が、白萩=幽清と読み取れる。大悲願寺に政宗公の末弟(家督争いで殺されたはずの小次郎と思われる)がいたことは決定的でしょう。年号が全て合致することからも、高良さんの「幽清は出生後すぐに大悲願寺に預けられ小次郎の監視の元育てられた」説は正しいと思います。五郎八姫は、仙台へ来るまでの約4年間、幽清に会いにこの寺へ通ったのかもしれません。京都で生まれ育ち江戸で暮らした五郎八姫を、住んだことの無い仙台へ政宗が呼び寄せた背景には、息子と一緒にいられるようにと配慮したのではないかと考えます。仲の良かった忠輝と五郎八姫が結婚後2年で引き裂かれたのは自分に原因があったことから、政宗公は罪滅ぼしの意味も込めて娘親子の幸せを守ったのでしょう。五郎八姫が、母親である愛姫と離れ離れになってでも仙台へ移り住んだこと、生涯独身でいたこともこれでつじつまが合います。六芒星の発見者陰陽師親方が以前言っていた「歴史という重箱の隅を、楊枝の先でつつくような作業」を実感するような高良さんのブログとの出会いでした。おかげさまでまたひとつ新発見をいただきました。ありがとうございます。離縁させられた夫の忠輝も、1625年に双子の兄と入れ替わり仙台へ来たのではないかと私は考えます。このことについてはまた書きます。 *黄河幽清の存在は、故土生慶子氏(仙台藩志会理事で、伊達家の研究では第一人者)の著書「伊達政宗娘いろは姫」によるものです。FB星の街仙台
2014.03.02
コメント(0)
みなさん、ご無沙汰しておりました。当ブログ管理人の仙台イタコです。フェイスブック星の街仙台https://www.facebook.com/hoshinomachiは117話まで進んでいます。お知らせがふたつあります。五郎八姫の菩提寺である松島天麟院の、五郎八姫の御霊屋が今年3月より改修工事が行われることになりました。大変光栄なことに、私もほんの少しだけ関わらせていただくことになりそうです。そのご報告もまたしたいと思います。もうひとつは、黄河幽清のことです。江戸の仙台屋敷で産まれ、すぐに出家させられ預けられたであろう寺のことを書いてらっしゃる「高良」様と連絡取りたいです。コメントを入れようとしましたが、書き込み制限によりできませんでした。差支えなければ是非、ご連絡をお待ちしております
2014.02.25
コメント(0)
ご無沙汰でした。伝説ライターの仙台イタコです。今年3月にFBを開設し順調に記事更新していましたが、5月に諸事情により全て削除されてしまいました。読者の皆様にはガッカリさせてしまってすみません。このたび、再開することにしましたのでどうぞよろしくお願いします。FB星の街仙台http://www.facebook.com/hoshinomachi
2013.08.08
コメント(0)
半年ぶりのご無沙汰です。このたび、フェイスブック上にて星の街のページをスタートしました。FB星の街仙台http://www.facebook.com/hoshinomachi管理人は私こと仙台イタコと、六芒星を発見した平成の陰陽師いなべの晴明のふたりです。この物語に関心のある方々とのコミュニティの場としても、活かしていきたいと思います。FBにアカウントお持ちの方は「いいね!」をよろしくお願いします。いいね・コメント・シェア歓迎します東日本大震災から3年目を迎えた東北ですが、残念ながら被災地の現場は復興が進んでるとは言い難い状況です。道路は復旧し瓦礫も片づけられましたが、その後はなにもかもなくなってしまった更地で行き場を失くした瓦礫山脈があちこちに見られます。いまだ仮設暮らしを余儀なくされ、家族はバラバラに、職を探すことも厳しい人たちが大勢います。そのほとんどが、仙台藩内領だった沿岸部です。写真は現在の仙台市沿岸部です。ちょうど400年前に起きた慶長の大津波。このときも漁村や農地が壊滅し、多くの人命が失われました。政宗公は震災復興に奔走しながらも、驚くことにそのわずか2年後には、支倉常長率いる遣欧使節をローマへ派遣しています。サン・ファン・バウチスタ号が石巻を出帆してから今年がちょうど400年目です。政宗公が残してくれた無形の文化遺産を、世界へ向けて発信するときが来たのかもしれません。400年の時を超えて、六芒星の謎を巡る旅へ一緒に出掛けてくださる方は、是非『星の街仙台(稲辺勲著)』を買ってください。今後の展開においても図形や地図は必須になります。直接購入できる場所は、仙台市の青葉神社社務所のみになります。もしくは、仙台イタコが通販いたします。1000円(税込) 通販ご希望の方はコチラへ迷惑メール防止のため件名に必ず「星の街希望/あなたのお名前」を書いてくださいますようお願いします。折り返し返信いたします。送料は別途160円いただきます。青葉神社
2013.03.29
コメント(0)
ある夏の日、あるTV番組を偶然見て、突然高野山へ行ってみたくなり、9月半ばの連休に4泊5日の旅に出ました。高野山旅にっきはコチラ。http://ameblo.jp/mine-46/entry-11360905632.html高野山といえば、茂庭綱元が僧侶として3年間過ごした山です。綱元が可愛がっていた政宗の五男宗綱(二代藩主となった忠宗の弟)が、わずか16歳でこの世を去り、悲しみのあまり政宗の引きとめにも拘らず宗綱を弔うために高野山に入道したことになっています。支倉常長がローマから日本へ戻る際に、キリシタンの弾圧が激しくなってきていることを知り、一度ルソン(フィリピン)まで来てそこで2年間時間調整をしています。 同時期、綱元は出家という形で高野山に入り、常長が長崎に着くタイミングにあわせるように山を降りています。このとき、綱元さんは70歳を過ぎていました。綱元さんが住んでいた寺は【成就院】小さなお寺ですが、壇上伽藍のすぐそばにありました。
2012.10.04
コメント(0)
16~17日にかけて、伊達家の霊場松島に行ってきました。メインは、松島山内の和尚さんが約50名総出で行われる「大施餓鬼会」という供養祭です。この行事は700年以上前から行われているそうです。松島四大観のひとつ「富山-とみやま」に’大仰寺-だいぎょうじ’がありますが、たぶんそこの住職さんだと思われますが、1時間ぶっ通しでひとりの和尚さんがお経を音読します。息継ぎ以外、一度も途切れることなくお経は続きます。風がそよとも吹かない熱帯夜で、その体力、気力は尋常じゃないと思いながら聴き入りました。 瑞巌寺の参道ですれ違った喪服姿の踊り子さんたちは 支倉常長を供養する「郷さんさ」という曲で踊る、大郷町の「郷乃会」の方々です。灯篭の前面に常さんの肖像画があります。「郷さんさ」はなんともいえないせつないメロディで、松島中に響き渡りました。富山・大仰寺には、常さんを迎えに行った横沢将監の代々の墓があります。去年の大地震で墓石がガタガタに崩れていました。将監さんは、仙台藩の土木エンジニアで、治水工事などで活躍した人です。泉区の将監という地名はこの人からきてます。なぜ泉区を所領するこの一族の墓が、松島の秘境といえる富山・大仰寺にあるのかずっと不思議でしょうがなかったのですが、謎が解明されつつあります。(いずれ書きます)将監さんは、常さんを連れて帰る途中で、政宗公の命でフィリピンのマニラに3年間滞在しています。(仙台にも禁教令が及んで危なくなったため、帰国のタイミングを様子見してた)サン・ファン・バウチスタ号は、太平洋を2回往復したことになります。それは当時、仙台藩の造船技術の高さを世界に知らしめました。マニラで、フィリピン総督から「軍艦にしたい」と懇願され、船を売却しています。横沢将監と遣欧使節の一行は別の便船で、無事長崎経由で石巻月の浦入りしました。将監さんはマニラ滞在中に、キリシタンの洗礼を受けましたが、帰国後すぐに政宗公の命で、泣く泣く棄教させられました。~つづく~
2012.08.18
コメント(0)
というわけで、富谷村にキリシタンの信仰が盛んになったのは、常長がここに移住したことが「支倉家系図書」によって判明しています。支倉常長と遣欧使節については、多くの学者、歴史家がとりあげ書籍出版されていますが、常さんの帰国後のことについては現在出ているものを見る限り一切ふれられていません。資料が無いからです。常さんたちが帰国したときには、すでに仙台でも禁教令が厳しくなっており、ローマから持ち帰った品々も、信者たちも、全ては地下に追いやられてしまいました。それらが日の目をみることになったのは明治になってからです。岩倉具視という政治家が、ヨーロッパへ視察に行って初めて、常さんと遣欧使節の存在が(200年以上経ってから)わかったのです。支倉六右衛門常長/ドン・フィリッポ・フランシスコは世界史に日本を代表するスターとして登場するほどの人物でありながら、日本ではいまだにその偉業があまり知られていないという、なんとも残念なことになっています。―ある意味では、政宗公以上に有名な人物であり、奥州王イダテ・マサムネの名前もこの慶長遣欧使節の目覚ましい活躍によって、世界史の名前になるのであってもし常長が人間としても平凡、その外交官としての出処進退も凡庸であったなら今日ヨーロッパに残るほどの記録によって、この人たちの名前が、あのように輝かしいものとして記念されることはなかっただろうと思う。中略神はこの人に、他の何人にも不可能なさまざまな試練を与え給うたのである―と、大郷町史にもありますが、なんでこの人がNHK大河ドラマにならないのかすら?と、本気で思うイタコです。でもそれは、あまりにも謎が多すぎて、シナリオ描けないからだと思うきっと。だって、常さんの直筆航海日誌が 行方不明なんですもの!ローマ博物館に残されたわずかな文献から垣間見てとれる旅の様子でもっていろんな人が論議しています。もしもこの航海日誌が見つかれば、日本どころか世界史が揺らぐでしょう。~つづく~
2012.08.15
コメント(0)
平成の陰陽師イナベノ晴明(親方)と、大郷町のメモリアルパークに行きました。というか、最初の目的は富谷町だったんですが、なぜか親方が車を走らせたのは常さんのお墓だったのです。常さんのお墓は、いつも綺麗に掃除されいて、すごく大事にされてるな~と行くたび(2回目)に思うのです。波乱万丈な人生の中で、余生はこの地で悠々と84歳まで全うした常さん。-武士として、キリシタンとして、仙台藩士として、いや日本人としてまた人間として、すばらしい人物だった-と大郷町史にもありますとおり、これはけして地元だからのひいきめで書かれたわけではないと思います。地元だからこそ可能な研究調査により、その人となりを、そして偉業をたたえることができるのです。帰国後歴史から抹消され、謎に包まれたまま400年が経っちゃいましたけど、この町には、先祖代々の口伝が残存しています。常さんがたしかにこの地で生きていた「証拠」も見つかっています。で、常さんと富谷町の関連性を先にご報告したいと思います。まずは支倉家系図ですが、ややこしいので簡単に説明します。柴田郡支倉邑(県南)に支倉城がありました。当主は支倉常正(常さんのじーちゃん)この人には3人の息子がいました。長男-常豊(24歳で没)、二男-時正(常さんの養父)、三男-常成(常さんの実父)二男に後継ぎが生まれなかったので、常さんは子供の時に養子に出されました。つまり叔父さんの子供になったんです。ところが、そのおじさん(養父)に男子が生まれちゃったので、政宗公の命で600石づつわけて分家しました。あるときなにやら領地争いが勃発して、三男(実父)の常成さんが切腹させられ死にました。二男(養父)は、仙北に移封させられたとあるので、これが富谷の奈良木地区(役場の裏あたり)のことだと思われます。常さんは、実父の罪を被って、本来ならば切腹かお家断絶となるところを蟄居という形で逃れています。それは、実父といえどもとっくの昔に養子に出たあとだし、過去に、朝鮮出兵で足軽・鉄砲組頭として活躍し、また大崎・葛西一揆の鎮圧にあたった武将の一人としてもその名が記録に残っているから、藩としてもその程度で許したのだと思われます。その(奥さんとふたりで)蟄居先が、おそらく富谷です。父の領地があるということは、そこに頼れる親族がいるということです。幼少期に過ごした柴田郡支倉邑とはすでに縁が切れているし、実父も亡くなっていることからそこに隠棲するとは考えにくい。その後、常さんは慶長遣欧使節に抜擢され、日本人初の太平洋・大西洋横断の旅に出ます。7年間という歳月をもって無事ローマから、お宝いっぱい積んで帰国しました。ところが、日本は禁教令が激化していて、立派なキリシタンとして戻ってきた常さんは幕府にとっては危険分子でした。なんとか常さんを生かせようとした政宗公は、帰国2年後に52歳で病死したことにして、仙台の青葉町の光明寺に埋葬したと、幕府に報告しています。常さんはこの2年間を、おそらく富谷で過ごしてます。富谷には常さんの帰りを待つ家族がいたと思います。その証拠に、石積地区に霊名「しいな」というキリシタン女性がいて、この人が常さんの娘の乳母をしていたという記録が、伊達家の史料にあります。しかもこのしいなさん、黒川郡富谷村のキリシタン350余名という中でもトップクラスの信者だったらしく、この地区の代表者として名があがるほどの人でした。1963年に発見されたローマ博物館所蔵の古文書には、元和の頃仙台藩領内に七か所の教会があり、そのうち三か所が、富谷(一ノ関・三ノ関・石積)という記録があります。石積には「十文字」という地名がありますが、おそらくそこです。元和(げんな)は、慶長のあとで1615~1624年です。遣欧使節が出帆したのが1613年、帰国が1620年。まさに、常さんの影響と思われる年代にドンピシャです。歴史から抹消された常さんはその後、富谷から大郷町の西光寺(寺ではなく地名です)に移り、支倉家中の伊藤家などと交流しながら、悠々と隠匿生活に入ります。常さんは、死んではいなかったのです。~つづく~
2012.08.15
コメント(0)
本当に久しぶりにゆっくりと、親方と話をすることができました。東日本大震災が起きて、被災した陰陽師親方も私もあの日から、ほとんど会うことがなくなっていましたから。ここにきてようやく、親方の星の街と、私のほうの富谷町調査が完全にシンクロし始めました。今回はその話とは違うのですが、(前にもどこかで書いたと思いますが)亀岡八幡宮についてです。六芒星のど真ん中から西方向へまっすぐ突き当たる亀岡八幡宮は土盛した人工の山であることを知ってる人はごくわずかなのでは、と思われこの足で確かめるために、登ってきました。ここは、綱元さんが天空の四神を城下に配した「玄武」に当たる場所です。石段をひたすら登ります。登り切ったと思ったらまだ先がある。傾斜はきついです。やっとたどりつきました。帰りは裏参道を歩いて降りてみました。中腹からでも仙台の市街地が見下ろせるほど、ここはかなりの高さがありますよ。本当に土盛したんでしょうか・・・だとしたらいったいどこからこんな大量の土を運んだのでしょうか。(西暦1681年) ・第二十世綱村公(伊達藩四代藩主・貞山公と称す)、七月、社を城坤川内の地に移し大いに土木を起こし宮地を造営する。亀岡八幡宮のサイトより城下のグランドデザイナー茂庭綱元はこのときすでに他界してますが、このことを必ずや実行することを想定しての、六芒星のど真ん中から西方向へまっすぐ突き当たるこの地を事前に確保していたのです。 『星の街仙台』の原作本(稲辺勲著)はまだ在庫があります。ご希望の方は青葉神社社務所で購入、もしくは当ブログで通販可能です。1000円+メール便160円。mine-46@sm.rim.or.jpまでご注文ください。折り返し振込先など返信いたします。メールの件名には必ず「星の街希望」と書いてくださいね。
2012.08.10
コメント(0)
ついに 見つけました。常さんが生きていた証拠となるものが発見された記述と、常さんが埋葬された場所(墓)は、川崎町でも光明寺でも大郷でもなく、富谷町かもしれないという、学術的検証に限りなく近い公的な資料。なぜ、今まで歴史家の間で取り上げられなかったかといえば「証拠」が出ないから。イヤまてよ、証拠が出たから(ここだという墓を、実は過去に発掘している)そこではないかもしれないという不透明な答えしか出ないんだ。それと’町の事情’キリシタンとして埋葬された常さんの墓は、おそらく富谷町だ。行方不明の航海日誌もたぶんそこにある。(のが自然の成り行き)常さんの遺言で、子孫が藩の資料保管庫から持ち出したのか。。。星の街からずっとつながっている。だから、すごく長い話になってしまうんだけど、きょう、その資料のコピーを持って陰陽師親方に会います。お盆明けには、富谷の隠れキリシタンの部落があった地区の長老に取材に行ってきます。
2012.08.09
コメント(0)
全244件 (244件中 1-50件目)