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最初に造られた大仏は、855年に地震により頭部が落ち、6年後に開眼供養を行った。また1180年に源平合戦ん0さなか兵火のために大仏殿とともに焼火、5年後に開眼供養、その5年後に大仏殿も再建。1567年には、三好松永のらんで焼失。世相混沌としていたため再建もままならず、頭部を銅板で補っただけの姿は「露座の大仏」と称された。 その後100年、江戸時代になってようやく龍松院公慶上らが江戸幕府に働きかけ、1692年、開眼供養がおこなわれた。規模は3分の2になったものの、大仏殿も再建された。 1250年あまり、大仏はこの国の歴史のうねりに身を置いてきたのである。
January 18, 2006
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世界遺産「古都奈良の文化財」は、東大寺、興福寺、春日大社、春日山原始林、元興寺、薬師寺、唐招提寺、平成宮跡の8ヵ所で構成されている。世界遺産というより、これはもう修学旅行コースといってもいい。実際奈良公園で鹿に囲まれたとたん中高生時代の友の顔が浮かんだりもするが、なにを見学したのやら、具体的な記憶は皆無に近いのが情けない。 仏像とか神社仏閣などが本当に心に染みるのは、やはりある年齢に達する必要があるかもしれない。 東大寺は、728年に聖武天皇の皇太子である基王の菩提を弔うために建てられた金鐘山寺が前身。743年、聖武天皇は「るしゃ那仏造こうの詔」を発布、大仏の造像事業がスタートした。
January 11, 2006
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今日仕事収めで、またまた年齢を重ねる事となる。歳だけは公平である。
December 28, 2005
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琉球石灰岩と総称される南方地域特有の石が、この地方ではあらゆるところで使われている。石垣、石畳、独特の墓、グスク、御獄などの石造りのたたずまいもまた、私達を琉球の歴史と文化へと誘う。世界遺産に登録された9つの文化遺産をめぐってみた。今帰仁城跡の二重の曲輪と、ゆるやかにカーブする城壁が見事だった。玉陵の東洋的な雰囲気に酔った。首里城の朱の深みも、識名園の優美さもたっぷりと堪能できた。グスクそれぞれの特徴や歴史について詳しくは知らなくても、琉球独特の様式や考え方が肌触りとしてつたわつてくる。なかでも、琉球最高の霊地である斎場御獄に漂う空気は、息が詰まるほど神秘てきで、宇宙的でさえあつた。霊的に劣るとされている。男は、以前は御獄には入れなかったそうだ、ありがたい時代になったのである。
December 7, 2005
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November 30, 2005
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グスクは、奄美諸島から宮古、八重山諸島にいたる間に数百ともいわれる数が存在した。按司(アジもしくはアンジ)と呼ばれる琉球の地方豪族が、その覇権を争い、勢力維持と抗争に備えて城塞を築いた。また琉球を創世したとされるアマミキヨ、シネリキヨの神は各地に聖地・御獄をつくり、森をつくり国をつくったとされているが、そういう信仰が日々の生活のなかで祈りの場や聖なる場所を求めてた。グスクが各地に数多くつくられているということからも、琉球の人々の活気に満ちた生活や信仰の深さを想像できる。世界遺産に登録された今帰仁,座喜味、勝連、中城の各グスクは、なかでも琉球の歴史に名を残す有力按司たちが建造したものだ。それらもやがて栄枯盛衰の果てに役割を終え、グスクとして最後まで残ったのは首里城のみだった。
November 30, 2005
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わが国にある世界遺産は、地球的な視野で捉えて見れば、非常に身近に存在しているといってもいい。車に乗って、普段着で、わりと気楽にいける場所に「世界人類が保護、保全すべき文化財や自然環境」があるというのは、実はとても素晴らしいことではないだろうか・・・・・というのが、今回の旅の「心」である。たとえば、これから海のシーズンを迎え観光客でにぎわう沖縄。スパも充実、エステも快適と、ホテルはどんどん進化している。海があり海水浴ができるというだけではない、独特の文化と伝統があるからこそ、沖縄はリゾート地としても素晴らしい。そして、その文化と伝統を象徴する世界遺産が「琉球王国のグスク及び関連遺産群」なのである。グスクというのは、「城」という字が当てられているが本土の城とはまったく姿が違う。その意味と役割についてはいまだに議論がわかれ謎もあるらしい。いずれにせよ農耕社会が発達し、食料の備蓄が始まり、人口も増え、その中でさまざまな勢力が生まれる過程での、要塞、集落、そして信仰の場所として機能していたようだ。
November 16, 2005
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国や民族を越えて、人類が未来に引き継いでいくべき文化財や自然環境を保護、保全していこうという発想から生まれたのが「世界遺産」である。ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)の管理する世界遺産リストに登録されているのは、2004年7月現在、文化遺産611、自然遺産154、複合遺産23、総計788、世界遺産物件を持つ国は、134カ国にわたる。そのうち日本には、昨年7月に「紀伊山地の霊場と参詣道」が加わり、2つの自然遺産と10の文化遺産が存在する。日本国内に12の世界遺産というのが多いのか少ないのかは意見の分かれるところだろうが、今後世界遺産リストに登録されるべく候補申請しているところもいくつかあるので、増えていくのはまちがいない。
November 2, 2005
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October 26, 2005
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これからは、生活を楽しむというカルチャーの中で育ってきた団塊の世代がリタイアメント層に入って来て、今までまとまった旅行や定期的な旅行のための時間が取れなかったのが、ようやく旅行三昧が出来る。国の経済が根底から不安になるようなことがない限り、リタイヤ後の人生を楽しむためのメインイベントとして旅行は、ますます盛んになる。時にリタイアしたばかりのころは、体力もあって、時間ができる。時間制約と経済制約がない状態を手に入れて、旅行を手に入れて、旅行を楽しむ・・・・・人生において上手にレジャーを楽しむ豊かな(?)ライフスタイルへ・・・・・夢叶うかな!
October 26, 2005
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9:00専用バスにてバンクーバー空港へ(10:00)着、11時間空の旅ただただ眠るのみ。関西空港まで、天国の階段を降り現世に一歩ちかずく思い出ある。ささめく。チキン、山菜煮込みライスの声朧に目を開ける。機内食の案内。ライス懐かしい響き日本に帰った実感。夢かうつつか、夢なら覚めないで・・・・・
October 19, 2005
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バンクから専用バスでカルガリー空港へAC209便でバンクーバー到着市内研修*バンクーバー人口200万人(日本人3万人、中国人15%)天災(地震風水害等がない)には恵まれている。雨季11月~2月.都市と自然が調和した街、エアグリーンシティともいわれて、キヤンビ通り(八重桜、吉野桜横浜市より姉妹都市)*『クイーンエリザベス公園』緑にあふれる公園小高い丘の上にあり、市内が一望でき未来都市のようなドームの温室には,熱帯や砂漠などの環境が再現され、色鮮やかな鳥達が飛び回っている。『スタンレー・パーク』公園を周回する約10kmの道路ではサイクリング、スケート、ジョギングを楽しむ姿が見られる。『トーテムポール・パーク』インディアンにとつて家紋のような役割を持つ、7つのトーテムポールが立ち並び違う部族によって作られた作品。昼食はオールドスパゲティファクトリーにてパスタ午後は自由行動(ショツピング等)夕食はローカルレストラン『キリンマンダリンにて』中華のフルコース宿泊ベストウエスタン・リッチモンドホテルクトリー
October 12, 2005
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8:50出発専用バスで、カナディアンロッキー研修レイク・ルィーズ『ロッキーの宝石』と呼ばれ長さ約2、4km、幅は広いところで0,5kmの細長い湖。不思議な色をした湖の水源は正面に見えるビクトリア氷河、神秘的なブルー、白い氷河を頂いた山、これらが作り出すパノラマ人の胸を打つ美しさ間近に触れる大自然。『クロウフット氷河』又の名をカラスの足氷河。*ペイト・レイク季節によって、又時間帯によって様々な色の変化を見せてくれる神秘的な湖*ボウ・レイク(弓矢)ボウ氷河から流れ出た水が作り出した湖、周囲の針葉樹林が作り出す荒々しい景観。*オリンピックの、ボブスレ、スキージャンプ場の競技場として使われる。『コロンビア大氷原』へ雪上車ツワー巨大な雪上車だ氷河の上まで、日差しと照り返しが強烈、昼食は大氷原の目の前のレストラン。PM5:17バンク到着、夕食はローカルレストランにてカナダ名物アルバータビーフ。ホテル・・・バンク・イン
September 28, 2005
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ナイアガラAM7:30分専用バスで高速道路(100k)QEW(エリザベスクィーン・ロード)でトロント空港着、トロントからカルガリー空港へ。滑走するが離陸せず機内アナウンスでエンジントラブルの為しばらくお待ちください。しばらくが1時間経過やっと目的地カルガリー空港へ。専用バスでカナディアンロッキー(ザ・フェアモント・シャトーレイク。ルィーズ)今晩の宿泊所へ*ウエラウンド運河北緯43度*五大湖オンタニオ。ホームズ。ミシガン。スペタオりコ。ヒューオンコ(日本の65%しめる湖の面積)*キャツスルマウンテン(山が城の形をしている)*ロッチポールパイ(松ノ木・・・家の柱に使われる)*川の水(大西洋に流れ込む)*サルファ山(国立公園、温泉がある)*山の名前 マクドナルド、ビクトリア*クレリー(大草原)*アルバータ州税金なし、天然ガス、石油*トンネル(メガネ橋 2カ所アニマルオーダーパス(動物の横断する為の橋)1億5千万円×2橋 以上通過1路宿泊地へ
September 21, 2005
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AM5:00起床朝食8:00バイキングホテル9:00出発ナイアガラ大瀑布へ。カナダとアメリカ国境にあるナイアガラは、滝の直前にある島で二分され、2つの滝となって流れ落ちている。西側にあるのが、馬蹄型のカナダ滝、落差は54m幅675m水量毎分1億5,500万リットル。東側にあるのが直線的なアメリカ滝。落差56m幅320m水量毎分1,400万リットル、圧倒的な水量の迫力でアメリカ滝の傍を通り、カナダ滝の渦巻く滝壷へ遊覧船『霧の乙女号』で真っ白な水煙に目も開けれない程,カッパを着用し乗船したが、油断すると顔,髪、足元はずぶ濡れになる。遊覧をおえ、英国風の町並みが美しい『ナイアガラ.オン,ザ,レイク』を散策、昼食はローカルレストランにて洋食ビュツフェをバイキングで。午後は世界的にも評価が高い「アイスワイン」で有名な『カナダ、ワイナイー』見学,試飲夕食は滝の見える高さ160m「スカイロン、タワー」の「リボルビング、レストラン」で滝の両方を見下ろせ、周囲の地形、滝の音が聞こえ、臨場感があり眺めのすばらしい回転展望レストランPM21:00なのに真昼の明るさである
September 14, 2005
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オールドストーンインホテル到着PM9;30分、夕食はPM10:00頃から。時差のため到着した日も日曜日である、ラッキな事に毎週日曜日はこのホテルのすぐ近く花火大会が行われていて、夕食をしながら花火見物としゃれ込み、楽しい夕食となる。工場跡の建物をそのままホテルとして使用、質素な外観のホテルデあるが、ロビー客室にいたるまでアンティツクな装飾、家具等なかなか趣のあるホテルここで2泊明日はナイアガラ大瀑布研修である.就寝AM2:00過ぎ朝おきれるかな?
September 7, 2005
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今日はパソコン教室の日ですなかなか思いどうりには出来ません妻鳥公民館のページです
August 31, 2005
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朝6時30分小雨の中自宅出発、新居浜を通過した頃からだんだんと雨脚がひどくなり、視界も悪く運転手まかせで何とか、松山空港へ松山空港11時10分ANA444で伊丹空港経由で関西空港AC036でバンクーバ空港へこの間国際日付変更線通過時差13時間ぐらい逆戻りである。関空ーバンクーバこの間所要時間9時間30分、バンク-バ~トロント7時間30分トロントから専用バスで目的地ナイアガラへ。21時30分着(日本時間AM10時30分時差の関係で13時間(半日)時間もうけた気分、1日のうち飛行機乗り換えること4回である。
August 31, 2005
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姪のお目出度い知らせも束の間またまた天から地へ、母ワイヤ2本突起おまけに傷口化膿により発熱リハビリもほどほどにすれば良いのに無理をして再度手術をする事となる。前回と同じく全身麻酔である。母が怪我をする前に申し込み予約をしていた、カナダ旅行7月には退院出来るものとおもつていたので2度手術をするとは。7/8手術の日一晩付き添い後のことは弟嫁に頼んで7/10~16カナダへ旅立つ義父、実母何事もありませんように、後ろ髪を引かれる思いである。
August 24, 2005
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暗い話ばかりの毎日。でも今日はハッピーな知らせが舞い込む。姪から第2子を授かった、忙しくなるが頑張りますとのメール思わず携帯画面に向かい満面の笑み、返信メールただ一言暑いので気御つけてこれで充分伝わるのである。何はともあれ目出度し。目出度し今からが大変ですね思い切り暑い夏にカンパイ
August 3, 2005
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負われた子は負うた親より廻りがよく見える。年少者には年長者にない見識がある。ことわざであるが親も年おいて何時までも、わが世であるがごとくの父であるが、口も立たずば足も立たず、ただただ両手のみがこそこそと何をするやら。ちょつとは。じっとしていてほしい、でもここ1週間ほどその元気もどこへやら。
July 27, 2005
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pm1:00頃尿を採取してもらってから、2時間おきぐらいにトイレにつれて行くpm11:00頃少々それからam6:00少々出る.加齢とともに脳の伝達がスローテンポになり。言葉はもちろんトイレで尿をすることさえだんだんにままならず食事さえも咀嚼するのがやっとである。2週間ほど前にも娘が帰省していたおりに父親に話し掛けてもしゃべつてくれない返答がないとつらがっていた。年に1.2回会うだけで会話するのは無理だよ。
July 20, 2005
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当年とつて88歳主人の父、1時間置きにトイレ往復していたじいちゃんが、この1週間程前から1日4回ぐらいしか、トイレへ行かなくなつた。水分補給等もするが、昨日夕方より、16時間程排尿なく近くの開業医に往診してもらい尿管へくだをとうして、尿を採取してもらう400cc程度でる。
June 29, 2005
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娘の忠告も聞かない母のことはこの辺で一時停止ふれあい号で行くしまなみ街道薪能(大山祇神社特設能舞台)の募集が(6/10~30申し込み)目に飛び込む。6月末までには、母も何とかとおもいつつもう少し様子を見て応募しよう。
June 22, 2005
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40日経過レントゲン撮影の結果骨がまだ固まってなく退院未定。仮止めのワイヤモ抜けず無理なリハビリも出来ない状態である。家に帰りたい気持ちがはやるばかりか、早朝自分勝手に歩行器で歩行練習を下らしく炎症を起こし湿布するはめに。傷の癒えるのを待ってあせらずと諭すが本人聞く耳もたずである。入院がますます長引きそうだ。
June 15, 2005
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術後相が変わっていたが日がたつにつれて元の穏やかな顔に十一日目で抜糸.これからの毎日はリハビリである。一足飛びにはいかず、これからが正念場で根性丸出しでやる気満々である。一ヶ月目に初めてお風呂の許可が下りる。自分では入れないので介護士2人で入浴させてくれる、「拭いても拭いても垢が出てなと」身振,手振で説明その様子はまるで水をえた魚のようだ。80を過ぎ紅さして山笑う
June 8, 2005
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痛みが酷くなりだす。痛み止めをして貰うが効かず30分ほどして再度注射をする。意識朦朧とする中痛みを訴える、どのような痛みかとの質問に火傷をしているようだと答える。お大師様によくお願いしたら楽になるで。母いわく「もう十分にお願いした」先生がな「足が治ったら、踊りも出来る」て行ったで。「いやいやこれをかぎいにやめる」受け応えが出来る、頭は大丈夫。私しは気休めでいつたのに。『雀百まで踊り忘れず』まずは一安心である。踊りやめる気はないだろう・・・・・
June 1, 2005
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検査の結果、心臓弁膜症局部麻酔を全身麻酔に。入院10日目にOP13:30~17;30OP時間平静を装い普段の穴埋めにせめてもの親孝行、お大師様に祈ること四半時近く、思っていたより骨の損傷が酷く予定時間オーバDRいわくOP無事終了ですが大変でした。半月判がワイヤで止めれる状態でなく、内側の骨も酷く痛んでました。でも大丈夫です。これで一安心。。。。。
May 25, 2005
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右半月判5ケ所ひび割れあり、応急処置ニーブレスで固定高齢者(82歳)の為OPに備え即検査入院、OP一週間程先に変更母悔やむ事然り「いつまでこの痛みを辛抱するんな、野菜、肉なら腐ってしまうで、人間の肉は腐らんのかな」「お母ちゃん大丈夫、血液循環してますから」母の痛みも知らんと無責任な返事の娘である。ちなみに母・・・・・実母娘・・・・・私
May 18, 2005
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ストレス解消と勇んでかぶき見物に,三絃に酔いしれ、浮き立つ心も何のその翌日の午後母怪我したとの連絡あり、右膝半月バン真ッ二つ。思いきりバチ当たりかな。トホホ
May 11, 2005
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こんぴら歌舞伎へ演目 身替座禅妻におびえる夫と嫉妬心が深い妻が織り成すユニークで現代でもあり得る夫婦の葛藤をほほえましく・・・・・思わず大笑い。ストレス解消明日から頑張れる 仕事快く。
April 27, 2005
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再度パソコンに挑戦します。長く長く続きますように
April 6, 2005
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11月29日今日インタネツト開設する。キーを捜すのにあくせくしてしまう。情けなくなる。
November 29, 2004
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