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昨日は友人Mさんのお母さまのお通夜に行ってきました。あの日以来のイ〇モ葬祭・・・Yちゃんが車で迎えに来てくれて、式場へ。スタッフのTさんが「体調が悪くなったらこっちの控室使っていいからね」と心使いがありがたい。受付してた友人Yさんが小声で「さえりんの部屋見てるよー」って、照れくさかったけど嬉しい・・・通夜式は神道だったため、仏式と違って焼香もなく、玉串奉奠でした。私は神式は初体験でしたが、とても厳かでした。曾孫さんお孫さんがたくさんいらして時々声がして、親戚の方が大勢みえて、最後のMさんのお父さんの喪主ご挨拶に胸がジーンときて、温かい式でした。心配していたメンタルも大丈夫で、帰りに何人かの知り合いの方、友人が声をかけてくださり、OTさんも「さえりんの部屋応援してるよ」って、Yちゃんもずっと側にいてくれて、こうなってみて改めて人の優しさが身に染みました願い・・・私の願いはただ一つ、さえりん帰ってきてほしい!!さえりんも一緒です。この世に帰りたい!!そう願っています、絶対に!!さえりんが亡くなって良かった事なんてひとつもありませんただひとつ、せめてもの良かったことは、成人式ができたこと。さえりんは振袖を自分が働いたお金で買いました。親に世話をかけないように、妹の学費にお金がかかるだろうからと。さえりんは、「振袖は私が一回着たら、あとは(2歳年下の)妹にあげるね、妹のほうが成人式のほかに大学の卒業式や友達の結婚式で着れるから」って言ってくれました。そして振袖を選ぶとき妹も一緒に気に入ったものを買ってくれたんです。私は棺の中に振袖も入れてあげようかと思いました。しかし、この言葉を思い出し、これはさえりんが願ったことだから・・・と思い、振袖はやめて、髪飾りと指輪だけをさえりんと一緒に入れたのです。せっかくの晴れ姿を見れて本当に良かったそして、写真館ではじめての家族写真撮っておいて本当に本当に良かった!!次女が「私の成人式にはお姉ちゃんいないんだね・・・」って淋しそうに言うので、「何言ってんの、ママが遺影を持って映るから、これからもずっとずっと4人家族だよ!!」って言いました。そして、もうひとつのさえりんの願いは、交通死亡事故を無くすこと!!事故の一週間くらい前、さえりんが急に私に「ねえママ、〇〇県はどうして交通死亡事故がいつもワーストワンなの?」って悲しそうに聞いてきました私はまともな答えが言えませんでした。情けなくて、悔しいです・・・さえりんは何が言いたかったのでしょう・・・自分が事故に遭う予知能力が働いたのでしょう??誰かが事故に遭い亡くなることが辛く耐えられなかったんでしょうか??それとも、私の危なっかしい車の運転を警告するためだったんでしょうか??今となっては後の祭りです・・・私はさえりんが事故に遭ってはじめて、交通死亡事故は人災なんだと思いました!!それは、運転手一人一人の心がけ次第で無くすことが出来るものだと。さえりんの場合も、もし運転手がもっと注意してゆっくり交差点を左折していれば、たとえ自転車が渡っていることに気が付かなかったとしてぶつかってしまっても、こんな酷い状態で即死することはなかった!!自転車が倒れて足をひくくらいだった。そして病院に運ばれて、まだ生きていたに違いない!!相当なスピードが出ていたから、足ではなく、いきなり頭を直撃してしまったんだと推測できる。これは、日頃の危険意識がしっかり出来ていれば防げる死亡事故だった!!それを運転手は怠った!!日々これだけ車が走っていれば、残念ながら交通事故な起こってしまうかも知れません。しかし、運転手が危険意識をしっかり持ち、思いやり運転を心がけていれば、必ず死亡事故は減らせるはずです!!!私はそう確信しています!!!私がこのブログをはじめた理由も、ひとつはさえりんのことをたくさんの人に知ってもらうことで交通死亡事故を減らしたい!!それは、さえりんの願いだから・・・もうひとつは、さえりんのことを覚えていてほしい!!人はみんなの記憶から消えたとき二度目に死ぬのだから・・・そして、ブログをやって良かったことは、ネットを通じてたくさんの方と知り合えたこと!!今までの友達とも、ネットを通じて繋がっていると感じられることです!!これもさえりんの、「ママに前を向いて生きて行ってほしい」っていう願いかも知れません どうか温かい目で見守ってください! いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。
2019年09月30日
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今日は朝から、緊張いっぱいです娘の事故以来、一人であまり出歩くことなく外出はお墓参りと買い物とたまに隣の市の図書館に行くぐらいで、あとは家でひっそり暮らしていた私が、今日は二つも用事があるんです。一つは被害者サポートセンターへ午前中に、もう一つは友人のお母さまが昨日お亡くなりになったと訃報をうけてお通夜へ行こうと思っているんです。しかも、場所は娘の葬儀をしていただいたあの市内のイ〇モ葬祭・・・精神的に耐えられるかとっても不安ですだけど、娘のときにはその友人Mさんはお母さまがその日に入院されたにも関わらず、お通夜にご主人さんが、告別式にはMさんがお忙しい中来てくだっさたのです、行かないわけにはいきません。さっきラインして、Yちゃんに一緒に行ってもらうことになり、一安心です・・・後悔・・・私はこの言葉が大嫌いです。後悔するような人生だけは送りたくないとずっと思っていました。しかし、今は後悔ばかりです・・・・・自分でもどうしてこんなことになってしまったんだろうかと、理由がわかりません。・娘の事故の当日、私は仕事が休みでした。しかし、朝慌ててさえりんより先に家を出たため、さえりんに「今日ママは仕事がお休みだよ」と、伝えられませんでしたもし、あの時伝えていたら、さえりんは絶対にあの道は通らずに家に真っ直ぐ帰ってきて、私と一緒にお昼ご飯を食べに行ったに違いありませんあの日に限ってどうして伝えていなかったんだろ・・・悔やんでも、悔やんでも、悔やみきれません。 ・娘はいつも朝から夜までの一日仕事なのに、あの日に限って久しぶりの早上がり(半日仕事)だったんだろう。そして、私はそのことをすっかり忘れて 事故から2時間たって警察から電話をもらうまで、帰ってこないことにすら気づいていなかったんです・・・親ならば娘が大変な事故に遭って苦しんでいるとき、なんらかの予感でもなんでも感じることが何故できなかったんだろうか・・・なんて薄情な親なんだろう・・・・出勤前、どうして「車に気を付けてね!」って、お見送りしてあげなっかたんだろう・・・その日、人と会うことを優先し、先に家を出てしまったことが、本当に悔しい・・・手を振って笑顔でお見送りしてあげてたら、違う結果になったにではないかと、自分を責める。・なぜあんなトラックに、娘は出会ってしまったんだろう・・・さえりんはただ青信号の横断歩道を自転車で渡っていただけなのに・・・もし1分、1秒時間がずれていれば、ただすれ違うだけだったはずなのに・・・どうして運転手は前方確認もしないで、左折したんだろう・・・慣れになっていたのか、運転に自信があり過信したのか!!危険予測すらしなかったのか!・いくら女性でもプロのドライバーとして左側が見えなかったでは、許されるはずがない!!そんな運転手にトラックにも乗用車にも乗る資格はない!!運送会社はどうしてそんなドライバーを雇ったのか!!この責任はいったい誰がとってくれるのか!!!どうしてもっとスピード落として左折してくれなかったのか、すぐ止まれば即死になんてならなかったのに!!!たとえ怪我をして、入院してもいいからもっとさえりんのお世話がしたかった!!!なんにもいらないから、さえりんを返してほしい!!!!!・運転手も運送会社も、葬儀後なんの謝罪も連絡すらない娘の命をいったい何と思っているんだ!!もし自分の大事な子供だったらと想像すら出来ないんだろうか。もし知らない人でも、みんな誰かの大事な人です!!突然いなくなったら悲しむ人がたくさんたくさんいるんです!!!他人のことなんて関係ないなんて思わないでほしい。もし、本当に申し訳ないという気持ちが少しでもあるなら、何故謝罪に来ないのか・・・たった一日で釈放されたのに、誠意のカケラも見えない運転手に人としての責任は最低でも果たしてもらいたい!!必ず実刑は受けてもらたい!!!もう二度とこんな悲惨な交通死亡事故は起きてほしくない!!!・さえりんとの時間がこんなに短いと分かっていれば・・・もっと楽しい旅行がしたかった・・・もっと美味しいものを一緒に食べたかった・・・もっとたくさん話がしたかった・・・もっとずっと側にいたかった・・・もっとマッサージをしてもらえば良かった・・・もっともっと大好きだよっていってあげれば良かった・・・もっともっとぎゅっと抱きしめてあげれば良かった・・・・私は娘たちを、命に代えても必ず守ると誓ったのに・・・次女を出産したとき、この先何があろうとも、二人の娘は必ず守ると誓いました。それなのに、さえりんはたった一人で10トントラックの下敷きになり、無念の即死をしてしまいました。どんなに痛かったことでしょう・・・どんなに苦しかったことでしょう・・・どんなに怖かったでしょう・・・どんなに淋しかったでしょう・・・どんなにもっともっと生きたかったことでしょう・・・この先にはもっともっと楽しいことがいっぱいいっぱいあったのに!!!後悔しても、後悔しても、もうどうにもならないことばかりです どうか温かい目で見守ってください! いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。今日はちょっと感情的で過激になってしまいましたごめんなさい・・・こんなママを許してね・・・さえりん2回目でしたがサポートセンターの方は優しい方ばかりでした
2019年09月29日
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私は「逆縁」という言葉の意味ををはじめて知りました「逆縁」とは、順当に反した法事。年長者が年少者の、親が子の供養をすること。何事もなく人生を過ごせたのであれば、親が先に亡くなり、その後に子が亡くなるというのが一般的な順序、その順番が逆になるということ。こんな言葉は一生、知らないままでよかった・・・こんなふうにだけはなりたくなかった・・・娘がお世話になったイ〇モ葬祭は我が家の近くの国道沿いにあるきれいな建物です。そこは数年前まではチャペルがある結婚式場でした。まだ娘が小さかった頃たまたまそこを通りかかると、結婚式が行われており、チャペルの階段から降りてくるウエディングドレスの花嫁を見た娘は「きれいー」って喜んでいました。それで、いつか娘が大人になったらこんなふうに結婚式が挙げられたらいいなって憧れていました。そこが葬儀場になり娘がこんなに早くお世話になると決まった時、主人が「葬儀ではなく結婚式のように見送ってやろう」って言ってくれたんです。私たちがムービーシアターや写真をパネルに飾ったのもそのためです。私たちはこんな辛く悲しい現実をいきなり突き付けられて、何かしていないと正常ではいられない、気が狂いそうだったのです・・・娘の葬儀・告別式6月8日(土)11時から12時9時半 家族、親戚が式場へ到着昨夜あまりのショックから体調が悪くなり通夜には出席できなかった母(姑)も今日は頑張ってきてくれた。10時 さえりん、主人、私スタンバイ!昨日に引き続き受付をやってくれる友人3人もスタンバイ!主人と私は昨夜同様に玄関ロビーでご挨拶をしお出迎え。さえりんの後輩の男の子Y君が一番のりで自転車に乗ってスーツでびしっと決めて一人で香典持ってやってきた。中学生の時から知っている子なので、随分おとなになったなぁって微笑ましく思った。続々と参列してくださる方々がみえた。もう一人の後輩Tくんのお母さんが「さえりんはおり紙がとっても上手でいつも折っていたから」とおり紙を持ってきて、ロビーで待っていた人たちにも勧めてみんなで折鶴を折ってくれた。小学校のときの友達が大きな花束やさえりんの大好きなシナモンのぬいぐるみを持ってきてくれて祭壇に飾る。11時 告別式がはじまる、席は満席、後ろにも立っている人がいっぱいに。静粛で泣いている人がたくさんいるのに、どこか温かい感じを受けたのはさえりんの人柄だったんだろうか・・・主人が最後に喪主の挨拶をする。カンペを見ながらだったけど、感情がこもっていてみんな号泣に通夜・告別式の様子はぜーんぶ私の弟がデジカメの動画で撮影してくれた。お疲れさまー・・・12時 出棺 最後にみんながお花と折鶴を棺に入れてくれたさえりんはまるで眠っているようだったけど、お花や折り紙でいっぱいになりなんだか照れ臭そうで、嬉しそうに感じた・・・主人が位牌、私が遺影、次女が骨壺を持って先に、そのあとをさえりんの棺が家族と親戚の男の人たちに担いでもらい式場の外へ(かなり重かったらしい・・・)車が出発するとき、「さえちゃんありがとー」ってみんなで言ってくれた主人と私はさえりんと一緒に霊柩車へ、あとの家族と親戚はバスに乗って火葬場へ。12時30分 火葬場到着 職員の方たちが外で立って待っていてくれた。いよいよさえりんと最後のお別れになったとき、クラクラして立っていられなくなった・・・ほんとうに最後のお別れなんだって厳しい現実が急に押し寄せてきた・・・私たちの市の火葬場には待合室がないので一度葬儀場へ戻った。Tさんたちスタッフがお昼の準備をして待っていてくれた。Tさんの顔を見たらほっとして我に帰り、ご飯を食べることが出来た。そして、再び火葬場へお骨を拾いに行った。さえりんの骨は大きくてとってもしっかりしていた。10年前の実家の父のときの病死で小さくなった骨とは全く違っていた。さえりんはまだまだ死んではいけなかったんだと強く思った!!持ってきた骨壺はすぐにいっぱいになり、終了となった。私は「この残った骨はどうするんですか?」と訊ねた。すると職員が「こちらで葬ります」と言われ、私は「嫌です!全部持って帰ります!!」と駄々をこねた。仕方なく職員が予備の骨箱を持ってきて全部残らず拾って入れてくれた。大きな骨壺が2つと喉仏1つの計3つになった。私は、こんなところにさえりんを一人で置いていくなんて、絶対に我慢できなかった・・・15時頃 葬儀場で初七日法要~精進落としすべて終わったのは17時頃最後までスタッフの方々は丁寧で心を込めて送って下さいました。私は全く何もわからず、突然で不安しかなかったんですが、Tさんが優しく側にいてくれて、ほんとうに心強くて助かりました・・・イ〇モ葬祭でさえりんのお別れが出来て本当に良かったです!!参列してくださった大勢のみなさんにもありがとうございましたと心からお礼が言いたいです!! どうか温かい目で見守ってください! いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。今日ははじめて、大学のレポートを書く次女と一緒に、隣の市の図書館でブログ書きました。外で書くと集中できていつもより早く書けました出勤前の忙しい時間にネットの接続の仕方を教えてくれた主人に感謝です
2019年09月28日
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さえりんが夢に出てきたさえりんのことは一瞬たりとも忘れたことはありませんが、夢にはなかなか出てきてはくれませんでした。今朝は、さえりんがたくさんのお友達と一緒にゲームをしていました!!笑っていてとても楽しそうでしたなんて言ったか忘れてしまいましたが、私も嬉しくなりましたこの世で私が誰かと繋がれば、あの世でも繋がるって聞いたからかも知れません!!私がネットを通じて知り合えた方々の大切な人と、あの世でさえりんが友達になってゲームをして一緒に遊んでもらっていたらいいなぁっていう、私の願望だったかも知れません( ^ω^)・・・今日は娘の通夜のことを書きます。6月7日(金)18時から 通夜 イ〇モ葬祭にて16時、主人と私も会場へ到着。さえりんは一足早く、控室で待っていました。主人と私は持ってきた特大の写真パネルを2枚飾り、お借りしたテレビをモニターに主人が心を込めて作ったムービーシアター(曲入りのスライド写真)を流して、さえりんの大好きだった、シナモンのぬいぐるみ、さえりんのお得意の手作りカゴ、成人式のときの家族写真、いつもやっていたDSなどを、ロビーのスペースに飾らせてもらいました!写真パネル2枚は次女と一緒に、さえりんとの思い出に浸りながら一晩かけて作りました。私たちはさえりんを葬儀ではなく結婚式のように送り出してやりたかったのです祭壇はさえりんらしくピンク色のお花で可愛く飾りたいという私の意向をくんで、スタッフの方々が素敵なものに仕上げてくださいました!!最初は父が家族葬でひっそりやったほうがいいんじゃないかと言っていたのですが、葬儀場のスタッフでもある友人のTさんに相談したところ、「椅子の数は少なめでも多くてもどのようにでもなるので、お部屋だけは一番大きなお部屋がいいですよ。若いしお友達がたくさん見えると思いますよ」とアドバイスをくださりこのような形になったのです。Tさんがその日スタッフの一員として入ってくださり、何より心強かったです17時、さえりん式場へスタンバイ!家族と私の実家の母、弟二人、隣県に住む妹、親戚の方も来てくださり、私たちもスタンバイ!しかし、母(姑)だけはあまりのショックで体調を崩し通夜に来ることが叶いませんでした。Tさんが受付を、当初妹と弟に頼んでいたのを、それでは式に参加できないからと、私の友人3人に頼んでくれました。こういうさり気ない心使いのひとつひとつがほんとうに有難かったです徐々に参列してくださる方々が来てくださり、主人と私は入り口でおひとりおひとりお礼のご挨拶をしました。さえりんの高校、中学、小学校のときの先生方、同級生、後輩、お母さま方、近所の方々、職場の方々(仕事が終わってから夜遅くに来られた方々も)、主人の会社関係の方々、私の友人達、私の職場の方々、次女の友達、続々と来てくださり気づけば200人近い人たちが、さえりんとのお別れに来てくださったんです!!中には小学生以来会っていなかった子が、テレビのニュースで見たからと駆け付けてきてくれた子も。そして、さえりんがずっと会いたいって言っていた、中学校の三年間担任をしてくださった先生、小学校一年生のときからお世話になった先生、高校の最後の担任の先生はわざわざ他県から・・・この日さえりんが会いたかった人が全員来てくださり、もし生きていたらどんなに喜んだことでしょう・・・18時、通夜は30分くらいで終わったでしょうか、そのあと最後に主人が喪主の挨拶をして「みなさんお時間の許される方は紗愛理の顔を見に来てやってください」と言うと殆どの方が残って、さえりんとのお別れをするため長蛇の列ができました。主人はそのお一人お一人に丁寧に、事故の状況やエンバーミングしてもらって綺麗に復元してもらったこと、しかし眼球は復元できずにガーゼをかけていることなどを説明し、2時間くらいみなさんと涙ながらに語らいあっていましたその後も続々と、お仕事が終わってから見えた方々、学校が終わってから見えた方の対応をして、さえりんと主人と私が一息つけたのは10時頃でした・・・その日は、葬儀場の控室で、さえりんと主人と私と次女の4人で泊りました。つい2か月少し前、家族旅行に行った時のようでした。だだしさえりんだけは立派な棺に入っていましたが・・・当初、あまり人が来てくれないかも知れないから家族葬でと思っていたのに、こんなにもたくさんの方々がさえりんとお別れに来てくださったこと、心から感謝しましたやっぱりさえりんの人徳なのかな?それとも出会った方々がみんな優しい方々ばかりだったからかなほんとうに有難くて、有難くて心が震えました・・・いよいよ明日は葬儀。テンションがおかしくなっているのかあまり寝ていないのに、疲れを感じない・・・現実ではなくまるで夢を見ているようでした・・・ どうか温かい目で見守ってください! いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。この頃悲しいことばかり書いているので最後に癒し・・・マロンです
2019年09月27日
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さえりんが来た!!パパが注文してくれて、シナモロールの巨大ぬいぐるみが来ました娘はこのシナモンが大好きなので、名前を「さえりん」にしました!今日から、我が家の家族の一員になりました(身長は約50センチです)今日は、昨日のつづきを書きます。令和1年6月4日(火)22時15分、主人と私は自宅に帰る。両親と次女が待っていました。私は次女と抱き合い暫く二人で泣きました実は次女には、16時30分頃、主人の帰りを待つ間ベットでうずくまりながら、次女にラインをしました。「お姉ちゃんが交通事故に遭った。急いで帰ってきて!」と。次女から「お姉ちゃん大丈夫??もしかして重傷??」とすぐに返信。私は躊躇しながらも、もし嘘をついたり誤魔化したりしたら、あとで余計に次女を傷つけてしまうのではないかと思い、ラインで「お姉ちゃんは交通事故で亡くなりました」と知らせてしまいました・・・(今思うと次女に何と残酷なことをしたんだろうと悔やんでいます)その後、次女からの返信は「・・・」ありませんでした。私は「パパとママはもうすぐ警察に行くから・・」とだけ返信しました。18時ごろ急いで家に帰った次女は、おじいちゃんに「私も警察に連れて行って!」と頼んだそうですが、父(舅)は「行かないほうがいい、家で待っていよう」と次女を宥めたそうです。もし次女がお姉ちゃんの最後の姿を見たら、きっとトラウマになりずっと苦しむかも知れないとの父の優しさからの行動だったのです。その夜は、主人と私と次女の三人で川の字になって一緒に寝ました。しかし、私はその夜一睡も出来ませんでした。頭の中には紗愛理の事ばかり浮かんで、事故の瞬間、どんなに怖かったんだろうか、どんなに痛かったんだろうか、どんなに家に帰りたかったんだろうと思うと、出てくるのは涙、涙、涙・・・・・・なんで・・・どうして・・・あんないい子の紗愛理が・・・酷いよ・・・理不尽だよ・・・神様なんていない・・・誰も、何も信じられない・・・・・答えの出ない問いが、私を苦しめ続けるのでした。6月5日(水)朝8時頃~ 親戚、紗愛理の職場、知人、高校の同級生のお母さん、卒業した高校、主人と私の職場へと次々に訃報を知らせる。(私は精神的に電話できる状況ではなく、主人が一人でかけてくれた)次女は大学を休んで、私の側にいてくれた。10時~12時イ〇モ葬祭で葬儀の打ち合わせを行う。紗愛理に会いたいと言ったが、まだ納棺師さんがエンバーミングの真最中なので会えないと言われた。通夜は7日(金)、告別式は8(土)になり、途中、友引もはいるのですが、これは異例で一日でも長く自宅に居させてあげたいとのイ〇モ葬祭の配慮だそうでした。これもTさんのお陰だと思います・・・打ち合わせのあと、警察へ遺品のリュックサック、壊れたメガネ、着ていた洋服をもらいに行きました。ただ自転車だけは娘と一緒にトラックの下敷きになったため変形が酷いらしく、今はとてもじゃないけど見ることが出来ないので暫く警察に預かってもらうことに・・・その後、遺体検案してもらった病院へ書類をもらいに行き、家に帰り娘の帰りを待ちました。15時頃、ようやく娘が家に帰ってきました!!かわいいピンク色の花柄の棺桶に入って、数人の男の人と主人と父がウッドデッキから、1階の仏間へと入れてくれました。(本当は2階の娘の部屋に寝かせてあげたかったんですが、階段が狭くとても無理だったので)それでも、帰ってきた紗愛理は、しっかり頭があり、髪の毛もあり、とっても綺麗な顔をしていました。眼だけは再生することが出来ずガーゼに覆われていましたが、今までの面影そのままで、まるでアイマスクをして寝ているみたいでした。ほんとうに納棺師の方には「紗愛理をこんなに綺麗にしてくれてありがとう」って、心から感謝しましたそして、その日、翌日、翌々日の3日間棺の隣で、最後にたくさんたくさん語り掛けながら一緒に寝ました。気が付けばまる2日間くらいなにも食べていませんでした。お腹も空かないのです。6日(木)事故から2日目、相手の運転手とご主人、運送会社の社長たちが我が家に謝罪に来た。「この度はほんとうに申し訳ありません・・・」と頭を下げられても、もう娘は帰ってきません・・・悔しくて悔しくて、言葉が出ません・・・・・父と主人がきつく「どうしてこんなことになったんだ!!!」と問い詰めても女性の運転手はただただ「ごめんなさい、私の不注意で、罪は一生償います」と泣くだけでした。不注意で殺されて、許されるわけがありません!!!(この運転手は葬儀のあと一度もお参りに来ず、なんの音沙汰もなしで本当に反省しているとはとても思えません)7日(金)15時、通夜のため葬儀場へ出棺。急に雨が大降りになるまるで、娘が家から離れたくないと泣いているみたいでした葬儀場の方も主人も父も弟も親戚の伯父さんも、ウッドデッキから棺を運びだすうちにびしょ濡れになりました・・・私も娘と一緒に大泣きました つづく・・・ どうか温かい目で見守ってください! いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。今日はブログ失敗してないですが、書いていたらやっぱり泣けてきました・・・
2019年09月26日
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今日は、朝いつものように休みの主人とお墓参りに行こうとしたら、軽自動車同士でもすり替わりがしにくい狭い道を、大型トラック(10トンくらい)がスピードも緩めず、しかも運転手の若い男性は携帯電話をいじりながら、私たちが端に寄って止まっているのも全く気付かずに走り去っていきました。主人は腹を立てクラクションを何度か鳴らしました。私も無性に腹が立ち「こんなトラック運転手がいるから、さえりんは殺されたんだ!!」と叫びたくなりました。娘の事故の事を書こうと思いました・・・ 令和1年6月4日(火)この日我が家の運命は大きく変わってしまいました・・・朝8時55分、私は知人と約束があり娘より先に家を出ました。「ママは今から出かけるけど、紗愛理も時間になったら気を付けて仕事に行ってきてね」というと、自分の部屋で寝転がってゲームをしていた娘は「うん。わかった。ママいってらっしゃい」と笑顔で答えてくれました。まさか、これが紗愛理との最後のお別れになってしまうとは、思いもよりませんでした・・・9時15分いつもの出勤時間、「さえちゃん、いってらっしゃい。車に気を付けてねー」と見送る祖母(姑)に「いってきます」と元気に、愛用のピンク色の自転車に乗り、職場に向かったのです。職場は家から自転車で15分の、市内のチェーン店の衣料品店。13時15分、久しぶりの早上がりの勤務を終え、職場の人に「お疲れさまでした」と元気に挨拶して、自転車で帰っていきました。途中、近くのローソンで絆創膏を買い店内で一枚指に貼って(後にこのカメラ映像が本人確認となる)たぶんお昼ご飯を回転寿司に食べに行こうと思ったのでしょう、事故現場へと走って行ったのです・・・13時36分、国道〇〇号線バイパスの〇〇〇インターを降りた交差点で、娘は青信号の横断歩道を自転車で横断中に、左折してきた10トントラックの前方不注意で、自転車ごと下敷きになり、即死しました・・・一瞬のできごとでした・・・トラックの運転手は私と同じくらいの年齢の女性でした。救急車は来ましたが、頭が潰れ損傷が酷かったため、病院には搬送してもらえませんでした。そのまま警察の遺体安置所に運ばれたのです。15時30分頃、突然、警察から私の携帯に電話があり「娘さんが事故に遭いました」と。私は気が動転して「娘はいまどこですか?病院ですか?怪我の具合はどうなんですか?」と尋ねると、警察官は言いにくそうに「娘さんはお亡くなりになりました。いま警察で大切にお預かりしています」と。私は何が何だか全く理解できず、パニックになり、「嘘です!嘘です!嘘です!・・・・・」と何度も何度も叫んでいました。異変を感じた父(舅)が電話を代わり、すぐに主人に連絡をして30分後に主人が職場から帰ってきました。17時30分、主人の車に乗り二人で警察署へ。体がガタガタ震え現実を認めるのが怖くて怖くてしかたありませんでした。信じたくない・・・きっと何かの間違いだ・・・娘は一日中仕事で夜帰って来るんだ!!と、ずっとずっと、頭の中でグルグル思いが巡っていました。警察署に着き、見せられた所持品のピンク色のリュックサック、携帯電話、靴は、無情にも娘の物に間違いありませんでした。娘さんかどうか確認をと言われましたが、私は怖くて認めたくなくて見ることが出来ませんでした。確認した主人が「頭は潰れていて目も両方無くて、顔はよくわからなかったけど、体はきれいで紗愛理に間違いなかった・・・」と・・・私は最後の望みが断たれて、その場に泣き崩れ、思考回路が壊れました。暫くして、主人が「紗愛理の最後の姿をお前も見てやれ」と私を抱えて、遺体安置室へと連れていきました。私は母親なのにやっぱり怖くて怖くて、全身を見ることが出来ませんでした。かぶせてあるシートを半分だけ開けて、鼻から胸までを見るのが精一杯でした・・・警察官は当初、DNA鑑定の結果が出るまで一週間は返せないと言われたのですが、私が「早く娘を返してください!!!」と発狂したためか、リュックの中の絆創膏とレシートをもとにローソンの防犯カメラ映像を取り、私たちが娘に間違いないと確認できたので、ようやく帰宅の許可が出ました。21時頃、警察から「娘さんを連れて帰っていいですよ」と言われたものの、壊れそうな娘をまさか車に乗せて帰るわけにも行かず、困っていたら「葬儀屋に連絡してください」と言われました。私たちはまさかこんなことになるなんて思いもよらず、何の準備もしてないので葬儀屋に取引もなく、思い浮かんだのは、イ〇モ葬祭で働く私の友人Tさんでした。Tさんに電話すると、ちょうど仕事が終わり帰るところだったようで、「紗愛理が交通事故で死んじゃった・・・」の言葉に、Tさんはとってもびっくりして「なんで、どうして・・・」と一緒に泣いてくれました。Tさんの手配で警察署に霊柩車が娘を迎えに来てくれました。私たちも一緒にイ〇モ葬祭へ行き、係の方と、通夜と葬儀の日取りだけ決めて今日は帰れることに。「娘さんはエンバーミングのため一日だけ預かります」とのこと。私は娘と一緒に居たいと懇願しましたが、「明日綺麗になったら必ずお家に連れていきます」と言われ、主人に抱えられて外にでました。駐車場の車のところでTさんが待っていていてくれて、抱き合って泣きました。Tさんは、何も食べていないだろうからと、お弁当とお茶を買って渡してくれました。Tさんの心遣いが本当に心に染みました・・・これから私たち家族はいったいどうなちゃうんだろう・・・と、突然、別の世界に放り込まれたみたいで、怖くて、不安で、絶望の淵に立たされたのです・・・ つづく・・・・ どうか温かい目で見守って下さい! いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。スマホ機種変しました!またアンドロイドですが、まだ使い方がわかりません・・・ゆっくり慣れていきます( ^ω^)・・・今日のブログ最後のほうで間違えてぜーんぶ消えてしまい、半日かかって泣きながら書きました・・・
2019年09月25日
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今日は朝いいお天気かと思ったら、急に雨がパラパラしたり曇りの一日ですね。朝のうちにお墓参りに行ってよかった今日は我が家の大切な家族の一員である、マロン(ミニチュアダックスフンド)11歳をご紹介しますマロンは今11歳、犬の年齢だと60歳だうで、もう還暦ですマロンが家に来たのは11年前、次女が8歳の誕生日プレゼントにおじいちゃんに買ってもたったのですペットショップに行き最初はポメラニアンの女の子を抱っこさせてもらうとゴソゴソ落ち着きがなく嫌がっている様子、次にミニチュアダックスフンドの小さい女の子はブルブル震えて困った様子、次に次女が見つけたのがミニチュアダックスフンドの男の子、マロンでしたマロンを次女が抱っこすると、ものすごく嬉しそうでしっぽを思いっきり振って甘えてきました。相性ピッタリでした次女が「おじいちゃんこの子がいい」って言うと、父は「すぐ連れて帰れる?」って即お買い上げということで、その日からマロンは我が家の末っ子次女の弟になったのですマロンは家族の中で次女が一番大好きでメロメロに、さえりんのことはちょっとライバル的な感じ(時々吠える)、おじいちゃんはご飯をくれる人、おばあちゃんは一緒に寝てくれる人、パパのことはちょっと怖い人(触るとチビる)、私のことはおトイレに外に出してくれる人って思ってるような気がする・・・犬なりに順位をつけているらしい次女の帰りが遅いとよく玄関で待っていて、その姿がなんとも健気で・・・キュンとしてしまうよっぽど大好きなんだねーお散歩が嫌いでご飯はよく食べるので、今ではすっかりメタボになりお腹が地面に付いちゃいそうです・・・ダイエットしないとねー、私も一緒ですが( ^ω^)・・・今はマロンだけですが、過去にはこんなペットも飼っていました。ミニうさぎのミケとレオ、その間に生まれた子どもたち。まだ古い家だったころ二階には四畳くらいの屋根付きのベランダかあり、そこに私が日曜大工でうさぎ小屋を作って飼っていましたさえりんの情緒にいいだろうと飼い始めたんだけど、オスのレオの破壊力がすごくて二階建ての小屋の二階部分の針金を壊し外へ出て、次に一階部分のメスのミケと子供たちの部屋の扉を壊して侵入し、子どもがじゃんじゃん出来てしまい結局増えすぎて飼えなくなり、隣町の小学校に全員引き取ってもらいましたそれからもよくその小学校にはうさぎに会いに遊びに行ったけ( ^ω^)・・・次に飼ったのは、ジャンガリアンハムスターのジェリーとシナモン今度は失敗しないようにオス同士を一つずつのゲージで飼いましたさえりんのハムスターのジェリーはさえりんととっても仲良しよくこうやって頭の上にのせて遊んでたっけさえりんあの世でジェリーやミケたちに会えたかなきっと今頃一緒に楽しく遊んでるよね・・・ どうか温かい目で見守って下さい! いつも温かいメッセージありがとうございますよろしければ応援お願いします。
2019年09月24日
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今日は三連休の最後の日台風の影響で、朝は雨と風がひどかったんですが、我が家の次女は今日から、夏休みが終わり大学が始まりました!家でじっとしているのが苦手な次女は、こんな天気でも喜んで大学に行きましたそんなに、母より友達のほうがいいんだねってちょっと寂しい私ですまあそのくらいで普通なんだけどね・・・私の毎日の日課は午前中にお墓参りに行くこと、あとはお買い物、そのあとは家事と、パソコンとにらめっこです( ^ω^)・・・ゆるい毎日でごめんなさい・・・お墓にはまださえりんは入っていませんが、会ったことのないご先祖様に「紗愛理をお願いします」って毎日頼みに行くんです。さえりんの居場所を作ってあげたくて・・・さえりんはまだ家にいるとは思っていますが、あの世にも居場所が必要だから・・・今日は次女のことを書きます!バレると怒られそうなので、内緒で次女は今年から隣県の大学に通う一年生です。19年前、次女がお腹にいるとき私の卵巣癌が見つかりました実はその8年前にも卵巣癌で片方の卵巣をとっていました。そのとき卵巣がかなり大きくなっていてもう一つにも癒着がありましたが、もう一つは一部を切除しただけで半分くらいは残っていました。それから主人と結婚し、子供ができるか心配でしたが無事に長女のさえりんが生まれ、その2年後に次女を妊娠したのです。しかし、妊娠が分かった時すでに私の卵巣は癌に侵されていました。妊娠4か月に入ってすぐに一度手術をし少しとって組織検査に出したら、悪性ではないが癌ですと言われました。その時医師から「子供さんどうされますか?出産まで待ったら命の保証はありません」と。思いっきり頭を殴られたような衝撃が走りました。主人と同居の主人の両親はもちろん大反対子供は諦めてすぐに摘出手術をし、私だけでも助かったほうがいいと。そのほうが、さえりんのためだと、許してはくれませんでも私はどうしても次女を諦められませんでしたそれは、医師から組織検査の結果を聞いた日、どっと疲れてベットで横になっていると、お腹の中の次女が、突然私のお腹を蹴ったんです。何度も何度も・・・まだ妊娠4か月半くらいでした。こんなに早く胎動がこのタイミングであるなんて、まるでお腹の中の子供が私に産んでほしいと訴えているみたいでした。「私がママを守るから絶対に産んでよ」って言ってるみたいで涙が止まりませんでしたそのとき私はこのお腹の子も長女も、何があっても絶対守ると心に誓ったのですそして、実家の両親に相談に行きました。実家の父は私の実父ではありません。それでも私の話を黙って聞いてくれた父は「お前の好きなようにしなさい。今までだってずっとそうしてきただろう。何かあった時に責任を取るために親がいるんだよ。もしお腹の子を産んでお前が死んでも後悔はないだろう。子供の面倒は俺が見てやるから」と私の背中を押してくれたのです今は亡き養父が、ほんとうのお父さんだと心から感じた出来事でしたそれから主人と主人の両親にも必死でお願いし、私は頑固で言うことを聞かないから仕方ないと諦めてもらい、妊娠9か月に入った日に帝王切開でまだ未熟児だった次女を出産し、そのまま卵巣を摘出する手術をしたのです。ほんとうにもしかしたら癌が進行して、次女も私もダメだったかもしれません・・・無茶をして主人と両親には、どれほど心配をかけたかわかりませんそれから次女は2ヵ月間保育器と未熟児室にお世話になり、私は抗がん剤治療が始まったのでしたとまあいろいろありましたが、次女は未熟児の影響か今でも体は小さいですが、大きな病気もすることなく、とっても元気に育ちましたそして今は将来の夢に向かって、大学で頑張って学んでいます私は次女に「あなたはたくさんの人に支えられて、生まれて来れたんだよ」っていっています。しかし、それは私自身のことだったんですね・・・そんな感謝の足りない人間だったからでしょうか、「二人の娘たちは必ず守る」との誓いも虚しく、私は長女を守ってあげることが出来ませんでしたさえりんは私のいないところで、突然、一人で逝ってしまったのです・・・ごめんね・・・約束守れなくて・・・ごめんね・・・助けてあげられなくて・・・ごめんね・・・こんなママで・・・お彼岸って亡くなった人に会えないのかな・・・無理だけど・・・そんなことを考えてしまいます・・・ 温かい目で見守って下さい! いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。
2019年09月23日
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今日は日曜日、世間では三連休の中日我が家は、パパはサービス業なので仕事、私は毎日が休日、大学生の次女は夏休みが今日で終わり、明日から大学です。大学の夏休みは思ったより短く(はじまったのがお盆前)夏休み中に自動車学校に通い始めたが、いろいろ遊んでいたので、まだ半分も終わってなくて・・(;´д`)どーするんだーって感じです・・・まあ生きてるだけでそれでいいって、温かい目で見守ろうと思います今日は私の友達のYちゃんが遊びに来てくれた。お葬式以来かな・・・さえりんのお葬式の時は、Yちゃんと、大学生の息子さんと、次女と同級生の大学生の娘さんと三人で来てくれた。出棺のとき折り紙の鶴を三人で入れてくれたことをよく覚えてるよ。あのときはありがとうYちゃんが手作りのとんかつとゼリーをたくさん持ってきてくれたので、早速さえりんのお仏壇にお供えしましたありがとうさえりんは桃が大好きだったから喜んで食べてくれたかなYちゃんとは子育て中からの友達。子供さんはうちとはぜーんぜん違い二人とも優秀だけどねYちゃんは私がブログを始めたのをフェイスブックで知って、久しぶりに連絡くれて、お仕事休みの今日会いに来てくれたんです二時間くらい話がはずみ、楽しく過ごせました。私はちょっと、今こんなこと(裁判に向けての準備やブログなど)をして毎日過ごしていることを昔の友達や仲間、職場の方たちはどう思うんだろうかって心配だったんです・・・だけどYちゃんは、「すごいじゃん!!」って認めてくれて本当にうれしかった!!私と同世代(私のほうが2歳上)のYちゃんは、もちろん私がネットもできずに機械音痴なのをよく知ってるから、今までと全く違う世界に飛び込んだこと応援してるよって、ほんとにありがとう 私はあの日、令和1年6月4日(火)さえりんが亡くなったと同時に 人生が大きく変わってしまいました・・・ 車が怖くて乗れなくなった・・・ 人が怖くなった・・・ 外に出られなくなった・・・ 人に会えなくなった・・・ ごはんが作れなくなった・・・ 人生に希望が持てなくなった・・・ 仕事に行けなくなった・・・ 人の輪の中に入れなくなった・・・ 死にたくなった・・・ 戻りたいけど、戻れない・・・ 進みたいけど、どこに進んでいいかわからない・・・お通夜と葬儀にはたくさんの人に来てもらったのに、その後、ろくなお礼も言えていない・・・今までの仲間の集まりにはもう行けなくなり、仕事にも行けなくなり、なんだか裏切ったみたいで申し訳ない・・・そんな思いでずっとずっといたから、こうしてうちに遊びに来てくれるとほんとうにほんとうに嬉しいです今までも心配して来てくれたたくさんの人に、心から感謝していますYちゃんは、「いま私が頼れる大先輩Sさんや被害者遺族の方、ブログの方々に出会えたのも、ぜーんぶさえちゃんのお陰だね」って言ってくれました さえりん、ほんとうにいつもママを助けてくれて、ありがとね どうか温かい目で見守ってください! 温かいコメントもお待ちしておりますよろしければ応援お願いします。Yちゃんとんかつお昼に次女と食べました。美味しかったです
2019年09月22日
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今日は台風の影響で、変な天気です・・これから台風の動きが気になります今日はカウンセリングに行ってきました!今日で3回目です。一時間先生に話を聞いてもらい、特にどうなるわけでもないですが、勧めていただいたので3週間に一回くらいのペースで通っています。今は心境がさらに下降気味なので・・・どうしょうもないみたいです・・・とりあえず、カウンセリングもそうですが、ブログでも自分の気持ちを飾らずにありのまま、吐き出していこうかなって思っています次女に頼まれたレンタルやに寄り、帰る途中に、久しぶりにパン屋さんに寄ってみました。そこは、「メープル〇〇〇」というランチもできる焼きたてのパン屋さんで、障害者が働ける作業施設にもなっています。さえりんが中学生のとき職場体験で一週間お世話になり、それ以来とっても気に入って、よく一緒にパンを買いに行っていましたそういえば、さえりんと一緒に、親子クッキー作り教室にも参加したこともあったなー。行ってみるとお昼をかなり過ぎていたので、品数が少なくさえりんが大好物だった枝豆チーズパンがありません店員さんに聞いてみると、今日は朝からたくさん買って行かれた方が見えたので売り切れです。とのこと、がっかりです「そういえば、娘さん枝豆チーズパンが好きでしたもんね」って店員さんに言われ、突然で「あっ・・・はい」と返すのが精一杯でした・・・覚えていてくれた嬉しさと、「実は娘はもう亡くなったんです・・」って言えない淋しさが急に込み上げてきて、急いでパンを買い逃げるように車に乗り込みました。運転しながら、ぽろぽろと涙、涙、涙・・・ダメですね、やっぱり。心構えしていないときに、不意打ちで来られるとこうなってしまいますそれでも家に帰り、長女にメロンパンとミニクロワッサンをお供えしてあとは次女と二人で遅めのお昼ご飯にいただきました!ソフト明太フランス美味しかったですこれからも、こんなことばかりなんだろうなーって、またちょっと落ち込みました・・・だけど仕方ない、それでも生きていくしかないんだから・・・さえりん、こんなママだけど頑張るねー!! 温かい目で見守ってくださりありがとうございます!! 温かいコメントもお待ちしておりますよろしければ応援お願いします。
2019年09月21日
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まだまだ昼間は暑いけど、風や空気はすっかり秋ですね今日はまた長女、紗愛理(さえり)のこと書きます「広汎性発達障害」って聞いたことありますか⁇広汎性発達障害とは、対人関係の困難、パターン化した行動や強いこだわりの症状がみられる障害の総称です。脳の機能障害を原因とする先天性のものですが、大人になってから症状に気づく場合もあります。いわゆる自閉症スペクトラム障害とほぼ同じです。娘の症状に最初に気づいたのは同居の主人の母でした。「紗愛理と目が合わないんだけど・・・」って、まだ1歳前だったかなそれから、こだわり行動や、独り言、多動と様々な症状が出て、幼稚園に入園する直前に、「広汎性発達障害」の診断が出ました。娘は比較的症状が軽く見た目、普通の子となんら変わりありませんでした。知的障害も軽度でちょっと人より遅れているくらいで、小学校までは普通クラスで過ごしました。中学校は地元の中学校の特別支援学級、そこで折り紙やクラフトテープのカゴ作りを覚えました。高校は、隣の市の特別支援学校へ一人で電車に乗り通学していた。卒業後は、衣料品のチェーン店に就職し、まじめに毎日働いていました。娘はその時々で、いい人にたくさん出会い励まされたり、心をかけてもらい、可愛がってもらい成長しました。娘は自分の興味のあることはどんどん吸収しゲームが大好き、ピンク色が好き、キャラクターのシナモンが大好き。趣味のクラフトテープのカゴを作り、苺のレアチーズケーキを作ってはみんなにあげて、相手が喜ぶ顔を見るのを楽しみにしていました。一般的に自閉症というと人との関わりが苦手というイメージですが、紗愛理は全く違いました。人が好きで、自分から積極的に関わり(関わり方が少し変わっていましたが…)素直で純粋で裏表がなくとっても優しい、私たちにとって自慢の娘でした紗愛理が小さかった頃、よく勝手に家を飛び出し一人で居なくなってしまうことがあり(本人は迷子ではなくただ遊びたいから出かけただけ)私はその度に、必死になって娘を探しました。心も中ではいつも「もうこの子には二度と会えなくなってしまうかもしれない・・・」という予感がいつも渦巻きとにかく必死でしたそして、無事見つかった時には、娘を抱きしめて泣きながら「ホントに良かった」と胸を撫でおろしたのですいま思えば、心の奥底で『いつかこの子とは早くお別れが来てしまうのかも知れない』って予感がしていたのかも知れません・・・それでも、就職してからの紗愛理は、家族思いで、妹に優しく、自分のことはきちんとできる、しっかり者のお姉ちゃんになっていて、私は紗愛理はもう心配ないと安心しきっていました。知らない人は、障害があるから事故に遭ったのではないかと思われるかも知れませんが、それは大きな大きな間違いです!!!彼女たちは決められたことはしっかり守り、間違ったことを嫌います。ズルいことや、いい加減なことをするのは健常者のほうです。私も車に乗ってついスピードを出しすぎたり、信号を黄色で渡ってしまうと、いつも娘に「ママ危ないよ!!」って怒られていました・それなのに、こんなに優しいいい子がどうして、交通事故で即死しなければいけな かったのでしょうか?????・娘はあの日もしっかり交通ルールを守り、青信号の横断歩道を自転車で渡っていただけなのに・・・・もう少しで渡り切るよころだったのに・・・・仕事帰りに、ささやかな楽しみのお昼ご飯を回転寿司に、一人で食べに行こうとしていただけなのに・・・・娘がなにか悪いことをしたんでしょうか?????以前、次女とこんな話をしたことがあります。「お姉ちゃんにはどうして障害があるの?」って次女に聞かれたとき、「お姉ちゃんはとっても優しい子だから、神様からだれか荷物を持ってこの世に生まれてくれないかなと頼まれて『いいよ』って快く引き受けてくれたから、障害という荷物を持って生まれてきたんだよ。妹のあなたに持たせちゃ可哀そうだからね」と言いました。次女は「やっぱりお姉ちゃんはすごいね!」ってますます尊敬していましたそれなのに、もしかしたら『短命』という宿命まで、紗愛理が引き受けてくれたんでしょうか誰かが早く死ななければいけないんなら、私が死ねばよかった代われるものなら、代わってあげたかったいまでもどんなに悔やんでも悔やみきれません・・・たったひとつ良かったことは、いつも「紗愛理のことが一番大好きだよ」って言ってきたこと。紗愛理も「わたしもママが一番大好きだよ」って言ってくれたことです!!紗愛理忘れないよ!!いつかママがそっちに行くまで必ず待っていてね!!!それまでママはどんなに悲しくても辛くても、頑張って生きていくからね。ちゃんと見ていてね どうか温かい目で見守ってください! 温かいコメントもお待ちしておりますよろしければ応援お願いします。
2019年09月20日
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昨日から、特に朝と夕方はすっかり秋の風が吹いてきたせいでしょうか、昨夜から、心のバロメーターが急に落ちてきてしまいましたこの一週間ほんとうに目まぐるしく、良い出会いもたくさんあってすごく有り難かったですしかし、変化の多い毎日に心がついていかなくなってしまったというか、疲れてしまったのです。本来のメンタルの弱さが出てきてしまいました・・・今日は娘の事故のことを書こうと思っていたんですが、どうしても書けなくなってしまいましたまた気持ちを立て直して、向き合えるようになったときにしますそして午前中、大先輩のSさんにSOSを出し電話したら、「まだ三ヵ月なんだから仕方ないよ!」って言ってもらい、私だけじゃないんだって、ちょっと心が軽くなりましたやっぱり経験者の言葉って説得力が凄いです!!電話を切ったら、急にお腹が空いてきましたそういえば、昨日の夜も今日の朝も、落ち込んでいて食欲がなく、なーんにも食べてなかった・・・そこへ、今日は仕事休みで歯医者に行ってた、パパが帰ってきたので、子供みたいに「ねえパパ、お腹空いたー、お腹すいたー」ってわめいていたらお昼ご飯を食べに連れて行ってくれました食べ放題のしゃぶしゃぶ屋さん一番お得な三元豚の食べ放題コースとドリンクバー、久々だったので美味しかったー! PHOTO,S さえパパ&さえママパパと二人で三元豚12皿食べてしまいましたデザートもごちそうさま!!!そういえば、さえりんもしゃぶしゃぶは大好きでした。冬になると、よく晩ごはんにしゃぶしゃぶしてったっけ・・・(手抜きで)美味しそうに食べる娘の顔を思い出しました「さえりんママと一緒に食べようね」って言いながら、かみしめて戴きました・・・こうして、一日一日ほんのささやかな幸せを見つけながら、明日も生きていきます・・・どうか温かい目で見守ってください!温かいコメントもお待ちしておりますよろしければ応援お願いします。またいつか事故のこと書ける日がきたら・・・Sさんありがとうございました心配して愚痴を聞いてくれた妹のTもありがとねー
2019年09月19日
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今日は、曇り雨もパラパラ、昨日までの暑さが、急に秋になったようです。私は秋がちょっと苦手です気温の変化でストーンと気持ちが落ちてしまうからですとはいえ、昨日は初めてのつたないブログなのに、たくさんの方々の応援が心に染みて久しぶりにあったかーい気持ちになれました皆さん優しいですありがとうございます!これもひとえにmeronさんのお陰です!!!これからも手のかかる私ですが、よろしくお願いいたしますうう今日は娘のことをたくさん書きます娘の名前は ″紗愛理” さえりと読みます。よく”さあり”ちゃんと呼ばれ、怒っていましたこの名前を付けた理由は、誰からも愛され、可愛がられる子に育ってほしいと願ったからです!そして、娘が気に入っていたあだ名が、”さえりん”です中学の時先輩につけてもらったそうです。だから、「さえりんの部屋」にしました娘は、自分の名前をとても気に入っていて(あまりいないので)特に真ん中の「愛」という字が大好きでした紗愛理には、二つ年下の妹がいます。紗愛理はとっても優しいお姉ちゃんでした。妹が「お菓子が食べたい」と言えば、ポテチを10袋くらい買ってきてくれます他にも自分が何か買ってくれば、必ず妹の分も買ってきます私にも、「ママ、あまり無理して働かなくてもいいよ」と生活費をくれて、晩ご飯にカレーライスを作ってくれたり、夜、マッサージもしてくれるんですほんとうに名前通りの「愛」ある、優しい娘に育ってくれました私はやっぱり紗愛理のことが、大・大・大好き親バカでごめんなさいもう一度だけでいいから、紗愛理に会いたいです・・・・・・・・変なこと書いて申し訳ないです…紗愛理は目には見えないけれど、いつも私の側にいるから・・・一緒に前を向いていこうと決めたから・・・明日から事故のことを書こうと思います。すごく辛いけど私が逃げていたら、紗愛理の死を無駄にしてしまうような気がするから・・・泣きながらでも、向き合っていこうと思いますどうか温かい目で見守ってください!!温かいコメントもお待ちしております よろしければ応援お願いします。 さえママより 2019年3月 富士急ハイランドにて Photo’s さえパパ
2019年09月18日
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今日から、ブログ始めました。今まで、全く経験なく未知の世界です50数年生きてきて、なんだかとても緊張しています…どうしてブログを始めたかというと、私の長女のことをたくさんの方に知ってもらいたいからです。長女、紗愛理(さえり)は、令和1年6月4日交通事故で亡くなりました。当時20歳でした。朝、いつものように、ピンク色の自転車に乗って、仕事に行きました。たまたま早上がりの仕事を終え、お昼ご飯を一人で食べに行こうと思ったのでしょう、家とは逆方向へ走って行ったのです。そして、事故現場となった横断歩道へ行ってしまったのです。私は、今まで朝、「いってきます」と言って家を出た娘が、「ただいま」と言って帰って来ない、現実を初めて目の当たりにしましたこんなことが、テレビやドラマ以外に本当にあるんだと、知りませんでした。 その後、私たち家族はどうなるのか、これから事故後の処理(裁判など)をどう戦っていくのか、わからないことばかりで、不安いっぱいです… これから少しずつ、娘のことを書いていきたいです。 どうか温かい目で見守ってください‼よろしければ応援お願いします。
2019年09月17日
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