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長女紗愛理と 2 歳 4 ヵ月違いの妹は産まれた時から紗愛理と一緒に共に成長し笑ったり泣いたり喧嘩をしたり一緒に遊んだり毎日毎日共に過ごしました。未熟児で生まれた妹にとって姉紗愛理は目標とする憧れの存在でした。物心がついたときから紗愛理の真似をして後をついて回りました。お姉ちゃんみたいになりたくて高いところへ登ったり、ブランコをビュンビュン漕いだり、いつも紗愛理の後を追いかけて、お姉ちゃんが大好きな妹でした。 2 人がまだ幼稚園の頃こんなことがありました。私が用事で出掛けた時、当時5歳くらいだった紗愛理に妹の世話を頼んで 2 人で留守番させたことがありました。すぐに用事を済ませて帰るはずだったのが遅くなってしまいお昼をとうに過ぎてしまいました。慌てて帰ると、紗愛理が台所の椅子にのってご飯をよそっておにぎりを作って 3 歳の妹に食べさせていました。紗愛理は全身ご飯だらけになりながら「妹がお腹が空いたって泣きそうだったからおにぎり作ってあげたんだ」と得意げに言いました。私はそんな紗愛理が愛おしくて抱きしめました。妹もお姉ちゃんがいてくれたから泣かずに 2 人でいい子にしていられて、姉には絶対的な信頼を持っていました。「お姉ちゃんがいてくれたら大丈夫なんだ」妹の心の中にはいつも姉が大きく存在しているんです。
紗愛理が社会人になると必ずお給料で妹にお小遣いやお年玉をあげていました。それ以外にも妹の高校や大学の定期代なども、紗愛理が支援してくれました。妹が「お菓子が食べたい」と言うと袋いっぱいのお菓子を買ってきたり、出かけた時は必ずお土産を買ってきてくれていました。妹は私に言いました。「お姉ちゃんにいつも貰ってばかりなんだけどいいかな?」と。私は「いつかあなたが社会人になってお給料をもらったらお姉ちゃんにたくさんお返しできる日が必ず来るよ。その時まで甘えたらいいんだよ」と。妹は嬉しそうに頷きました。しかし、とうとう永遠にお返しできる日は来なくなってしまいました。
妹は自分の想いをあまり口に出すのが苦手な子ですので、面と向かって姉を亡くした悲しい想いを言いませんが、時どき一人で姉を想って泣く日もあるのです。たまに「こんな時、お姉ちゃんがいたらなあ」と不意に言うときもあります。
「友人の姉妹の話や将来のことを考えた時、自分は親が亡くなったら独りぼっちになるんだと思い不安になる」と言います。妹は「生まれた時からずっと当たり前のように一緒だった大きな存在の姉が、亡くなって初めて本当の意味で姉の偉大さに気付いた」とも言います。私も将来のことを考えると妹がこの先、心から頼れる存在がいなくなってしまったこと、この世でたった独りのかけがえのない大好きな姉を亡くした喪失感の大きさを考えると、親としていたたまれない気持ちになるのです。祖父母のこと、私たち両親の老後、家や土地、墓を守る事、全ては妹独りの肩にかかってしまいました。せめて、紗愛理が生きていたら相談できる相手や悩みを打ち明けられてどれほど救われたのだろうかと妹が可哀そうな気がしてなりません。妹は姉が突然、理不尽な交通事故で亡くなった現実をこれから一生背負って生きてゆかなければならず、思春期に傷ついた心の影響はこの先も一生癒えることはありません。 「大好きだった優しい姉を返して欲しい!」永遠に叶うことのない、妹の心からの願いです。
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