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紗愛理と祖母との関係
義母は男の子 2 人しか授かりませんでした。本当はもう一人女の子の子供が欲しかったのですが家庭の事情で叶いませんでした。そのため、同居生活の中で生まれた初孫紗愛理のことをそれはそれは自分が欲しくても産めなかった娘同然の可愛がり様でした。産院で初めて紗愛理と対面した時、涙を流し私に「元気な女の子を産んでくれてありがとう」と心底喜びました。家に戻ってからも紗愛理をまるで我が娘のように添い寝したり、オムツを替えたり、お風呂に入れてくれたり、まるで第 2 の母のようでした。義母は紗愛理のことをいつも「さえちゃん」と呼びどこへ行くも何をするもご飯を食べるのも、夜寝るとき以外はずっと一緒に過ごしました。毎日夕方になると紗愛理を近くの公園や小学校へお散歩に連れて行きました。小さい頃はベビーカーを押して、少し大きくなると三輪車や、手を繋いで歩いてお散歩をするのが毎日の日課となりました。いつも公園で長い時間ずっと喜んでブランコに乗り続ける紗愛理をいつまでも温かい優しい眼差しで見ていてくれました。私は義母が紗愛理を連れて出ている間に食事の支度や家事をしていました。
義母は義父と共に紗愛理を毎週のように遊びに連れて行きました。幼稚園や小学校の行事はもちろん、私と主人抜きで、義父と義母と紗愛理と妹の次女と 4 人で北海道や九州に旅行へ行ったこともありました。義母は紗愛理が小さいころから編み物で帽子やベストやカーディガンやセーターやひざ掛けなどたくさん編んでくれました。紗愛理が 2 , 3 歳の頃、よく庭の大きな石の上に登って「あーちゃん!」と言って祖母の胸に飛び込んで遊ぶのが楽しみで、祖母は紗愛理を抱きとめてはぎっくり腰をしていました。私は義母に「紗愛理はケガをすることなく飛び降りることも出来るので受け止めずに逃げて下さい」と言うのですが、義母は「こんなこと可哀そうで出来ない」と言いぎっくり腰になることを承知で紗愛理を受け止めていました。それほどまでに紗愛理は自分の身を犠牲にしてでも守ってあげたい最愛の孫だったのです。「紗愛理の為なら私は命を投げ出せる」とまで言っていました。それは母親である私と同じ気持ちです。紗愛理もそんな祖母に甘えて時にはわがままを言ったり、喧嘩をしたり言いたいことを言っても、この人は絶対に自分のことを大事に思ってくれるんだと絶対的な信頼を寄せていました。それはただの祖母と孫の関係だけではありません。もはや母娘のような深い信頼関係と強い絆で結ばれた関係だったのです。
紗愛理が事故で亡くなったと連絡を受けた時、私と義母は抱き合って悲しみにくれました。その日の朝、先に出かけた私に代わって最後に紗愛理を仕事へ見送ったのが義母でした。「さえちゃん車に気を付けていってらっしゃい。お仕事頑張ってね。」と手を振り玄関から見送ったのが紗愛理の最後の姿でした。義母は、どうして交通ルールをしっかり守る紗愛理が青信号の横断歩道上で何も悪くないのに、こんな事故に巻き込まれて死ななければならなかったのか、最後に見送った自分にも責任があるのではと深い後悔と自責の念に駆られ、持病の心臓の疾患が悪化して寝込みました。通夜にも参列できず、葬儀には式だけ参加しましたが悲しみのあまり耐えきれず持病も悪化したため途中で家に送り、出棺も火葬場へもその後の法要にも参加できませんでした。我が娘以上に可愛がっていた最愛の初孫娘の死は義母にとってあまりに過酷で「どうして自分が代わりに死んであげられなかったのか!」と 2 年以上たった今でも、あの時の深い後悔の念に苛まれ持病に加え心まで病んで今でも毎日泣いて暮らしています。一生、紗愛理を亡くしたのは自分のせいだと自分を責め続ける義母を私は側で見ているのもこれ程辛いことはありません。

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