綴

綴

2005年12月10日
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カテゴリ: side story [紅の雪]
 濃い藍色の色がすっかり浸透し、その上に暗い灰色の雲が重ねられた空が重苦しく玲鈴の瞳に写った。夜を僅かに照らす星や、月の姿は雲にかき消されている。強風は木々の葉を叩きつけさざめかせ、窓枠が揺れる音と合わさり耳障りな合唱を奏でている。
 まるでこの場所だけが世界から切り離されたかのような、妙な孤独感が玲鈴は感じる。気付けば己の身体に抱きしめていた。重力に虜にされたかのように床しか視界を占めないほど落ちていた視線を、玲鈴はふっ、と上げた。
「……大丈夫かしら?」
 恐怖の変わりに玲鈴の胸を占めたのは、胡家に保護されている一人の少女だった。朔夜と言う名を持つ、玲鈴より幾つか年下の『守人』の少女である。
『守人』
 その名を聞くと、大半の人間は震え上がる。
 金か銀の(自分たちとは違う華やかな)豪奢な髪、人間のものとは思えないほど美しく、様々な色(自分たちと違って黒や茶色ではない)を灯した目、人とは思えないほど(どの部分を取って比べても比べものにならない)麗しい顔。何より同じ人であるにも関わらず、人を塵のように殺せる(人とは思えない、強すぎて、恐ろしい)力。これが皓国の人間の『守人』の存在の認識であった。
 上流の貴族の跡継ぎに付き従い、護衛をする者達。故に『守人』。『守人』は例え姿が幼くても、常識を越えた人の力を有していると言う。だから、すでに年が10に満たずとも護衛の任をこなしている。
 玲鈴も、始めは朔夜が恐ろしかった。『守人』なのだ。その気になれば、玲鈴など瞬きの間に殺されてもおかしくない。猛獣や猛禽の傍に、進んで近づいていくことはただの無謀だ。何故、胡家で“保護”をするのか、真剣に不可解に思ったほどだ。

 だが、玲鈴は今では悔いていた。
「何故、知ろうとせず、距離を置いたのだろう」
 これだけで、悔い改めるには充分すぎた。
 知ろうともせず、他人に最初に得た印象で虚像を作り上げ、それを本物と思いこむ。そして距離を置き、差別するなど、玲鈴が一番嫌っていることなのだ。同じ轍を踏んでいたことに気付いた時愕然とし、玲鈴はしばらく恥じて朔夜の顔が見れないほどであった。
 嫌っている玲鈴でさえ、陥ってしまった錯覚。ならば、どれほどの人間が陥ってしまったかは考えるまでもない。
 朔夜の心情を初めて考え思ったとき、玲鈴は慄然した。今まで、どれほどこの見えない剣でずたずたに切り裂かれたかは、考えるだけで震えが止まらなかった。
 昔の玲鈴は知らない。朔夜がどれほど自分にとって可愛い存在に成りうるか。 
 昔の自身と語る機会があれば、玲鈴は得々と語っただろう。
「優しくて、けど己が優しさに包まれるのが苦手で。相手を思いすぎて、己を追いつめてしまって。追いつめられて、相手が幸せになるなら例えそれが自分がボロボロに傷つく手段であっても躊躇無く選んでしまう子。いつも素直で、無防備すぎて心配だけど。そのさらけ出された感情はどれも純粋すぎて、眩く見えるの。そして朔夜の心に足を踏み入れることができた人間にの見ることができる笑顔が、どんなに心地よいものか、貴方に分かる?ああ、分からないわよね。だって、知らないもの。朔夜という人間の本質に触れなけれた者だけの、特権よ、これは」
 その相手を思い、頼ることをしない、いやできない朔夜を、玲鈴は心配で仕方がなかった。
 今宵は、玲鈴でさえ無理矢理恐怖や不安を引きずり出されていた。心の奥に、大きな傷を刻まれた者はどれだけの闇を注がれるか、など予想に易い。

 玲鈴の足は、本棚へと向かっていた。
 朔夜は、玲鈴の話を好んで聞いた。文字を読むことができるが、玲鈴の口から語られる物語を聞くことの方を選ぶほどだ。そこに並ならぬ努力があったのは、玲鈴のみ、いや朔夜を知る者達は知っていた。
 始まりは、玲鈴が悔いるのに飽き、現状を改善しようと始めた試みであった。
 長姉のように、水を注ぐように己の持っている知識を与えるなど出来ない。次姉のように、困惑し躊躇うその手を強引に引き、外に連れ出し、遊ばせることも出来ない。
「できないものは、しかたないわ。じゃあ、姉様方がしてないことをするまでよ」

 だが、最初に叩き出された結果は散々だった。
 字を教えようとすれば、すでに識字は完璧だった。本を与えれば、同じ室内で読んでいたが、朔夜が気を張っていて双方とも集中できず、疲れるだけに終わった。手芸を教えれば、己の指を刺す-緊張し、目に見えぬほどであったが指が震えていたからであった-朔夜に、断念せざる得なかった。華道は、と思えばあまりの前進的な作品に玲鈴が頭痛がし、頭が悲鳴を上げるのでこれまた断念した。その他色々と挑戦し、ことごとく敗戦で終わった。朔夜との距離は縮まることを知らず、むしろその距離差を見せ付けただけで終わった。
 だが、ここで玲鈴は諦めなかった。最初から、距離の遠さを知っていたし、縮めにくいことも覚悟の上だったからだ。何故ならただでさえ空いていた距離を、遠ざけたのは玲鈴自身だったのだから……。
 努力に、努力を上乗せして、ようやく実を結び、朔夜は玲鈴を受け入れてくれた。
 朔夜が睡眠欲の腕に抱かれるまでの僅かな時間、本を読み聞かせる。それは子守歌の如く、眠りの淵まで朔夜を誘う役割を玲鈴は喜々と担っていた。ならば、風の音から生まれた恐怖を振り払うのは、己の役目だ、と玲鈴は自負した。
 可愛い、妹分のような存在の為、本を選んでいるときだった。
 ひときわ風が強く吹いた。そして、その後、風はその威力を一時落とす。
 だから気付けたが、扉を隔てた外が、五月蠅い。この異変は玲鈴の胸のうちをざらりと撫で上げた。
 第六感が、働いたのかもしれない。自然と顔が強張っていく。
「嫌な、予感がする」
 手にした本を本棚に戻し、部屋の扉を開け、廊下を歩きだした。騒ぎの方向に向かい、足早に。
 廊下の角を曲がったろころで、玲鈴の思考は一瞬凍り付いた。凍ったと思った自覚した瞬間、沸き上がったのはそれを溶かしつくす灼熱の、怒りだった。
 「何をしているのですかっ!」
 玲鈴の口からでた、灼熱の熱さに感化された声は冷たく彩られた、惨劇の舞台の一端であった廊下に響いた。それは温度差により、異質にさえ聞こえるものであった。





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最終更新日  2006年11月15日 21時46分38秒
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