綴

綴

2006年02月25日
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カテゴリ: side story [紅の雪]
 この男は、死に神と手を取り踊ることが趣味なのか。
 その姿が脳裏にありありと想像できてしまう。しかも黒い外套に包まれた死に神の素顔は美女で、その細い指先を手に取り、優雅に舞踏に誘っている姿まで簡単に頭は想像図を弾き出す。
 頭の奥底で鈍い、鐘のような音がぐわんぐわんと鳴り響くのを感じながらも、狼暉は違和感を感じていた。
 言いようもない齟齬は、自覚をすると気色の悪さを急加速で増加させてくる。
 その齟齬の根源に、狼暉は八つ当たり気味に冷ややかになる視線と、同じ温度の言葉を向けた。
「…………どうかしたか?」 
「何がだ?」
「自覚がないとは、言わさん」
「狼暉?」

 狼暉は視線にそう言葉を織り込み向けると、汪燕は肩を軽く竦めた。
 違和感の原因は、汪燕の言葉の端々に、隠しきれず零れだした感情のせいであった。
 この場では狼暉にしか分からないだろうが、嘲りや、怒りの負の感情の裏に異質な感情がある。愉快、と言う負の感情の対極に位置する感情だ。
 汪燕と言う人間は、不測の事態を楽しむ男ではあるが、それを少しは面白がっているのだろう。けれども同時に面倒くさい、と言う感情がありありと伝わってくる。
 ならば、そんな感情を上回っている愉快なこととは何だ。
 まるで、何かを期待しているのかのような。
「莫迦は、この方角に行っていた、だな?」
 汪燕は質問の意図とは違う、答えになっていない言葉を楽しげに投げかけてきた。
 まだ暴風雨が空を覆っていなかった昼頃、受け取った情報から出た解と一致するので狼暉は頷いた。 
「ああ……方角としては、萱家の方だろう?」
 萱家とは、多少なりと交友を持っていた。次期羅主は、萱家の次男とも顔見知り以上の関係だ。

 そう、想像するは易い。護衛達の示した一つの解は、易すぎて、現実味はあまりにもなく、絵空事にも思えるものだった。
 狼暉はそうであって欲しい、とは思ってもそれが真実だとは思えなかった。
「それならば、何故破落戸を雇う必要がある」
 汪燕の言葉に狼暉は思わず頷きそうになる。
 護衛達の解に疑問を最初に疑問を持つ部分だ。

 汪燕は、狼暉の考えを見透かしているように言葉を続ける。
「だいたい、護衛達の言うことが事実ならば、何故護衛を撒く必要性がある。萱家に用ならば、次男にようならば屋敷に入ってしまえば安全だ。守人だけで充分事足りる。他者に友好を深めることに介入されたくない、と言うならば別室で待機させておくことで何故駄目だ?」
「………そう言う問題ではないんじゃないか?別室で待機だろうが、邪魔と感じたのかもしれない」
 狼暉は自身でさえ信じていない言葉で反論する。これは汪燕に対してではなく、半ば自分の抱いている疑念が膨らんでいくことを押さえるためだ。
 そんな思いを知ってか知らずか、汪燕は鼻で笑い飛す。
「邪魔。邪魔、か……確かに邪魔だろうな」
 多大に含みを持った言葉に、不審がりつつも狼暉は視線だけで先を促した。
「あいつらは莫迦の護衛だが、あいつの兵ではない。優先されるべき命令は、莫迦より羅主だ。自由に動かすことはできない。その事実は莫迦にとっては不都合に違いない」
 狼暉は思わず眉を跳ね上げた。
「不都合?」
「跡取り息子につける護衛だ。羅家の中でも側近も側近だ。羅主に近いと言うことは、隠されている様々な事実を共有しているということだ……邪魔だろうな。自由に動かすことができないばかりか、下手をすれば自身の目的の遂行の隔たりになるからな」
 皮肉を多大に含んでいる割には楽しそうな口調に、狼暉は眉を顰めた。
 嫌な予感とでも言えるものが、足音を立てつつ、じわじわと近寄ってきている。直感としか言えない、不確定なものだが、狼暉はこの手の直感を疑って斬り捨てることが、幾度もそのあやふやなものに救われたことがあるのでできない。
 濡れた服とは違った、脱いだら解放されるような簡単なものとは違った不快感が身体の先からゆっくりと浸食してくる。
「……何が言いたい?はっきり言え」
 推測にすぎないが、と断りもいれつつ汪燕は破壊力のある言葉を切り出した。
「ここから萱家の別荘の方角。その延長線上には何がある?」
「………っ、胡家か?!」
 鈍器で、思い切り殴られるほどの衝撃が狼暉の頭の中で響き渡った。
 咄嗟に弾き出された答えを否定する材料を探したが、即座に思い浮かんだこの一体の周辺の地図が、そんな気持ちを嘲笑う。 
 あちこちに散っていた事実が、ようやく糸で繋がったのを狼暉は感じた。だが、紡ぎ出された事実と言う絵は幸福図にはほど遠い、最悪の未来図だった。 
「そう言うことかっ!」
 怒鳴ることで、瞬間的に沸騰した灼熱の怒りにも似た気持ちを少しでも吐き出した。そうでもしなければ、冷静になることなど到底不可能だったからだ。
 冷たく降り注ぐ雨と正反対の温度の声に部下が驚いているようであったが、今の狼暉には心を砕いてやる余裕は微塵もなかった。
 ふざけるな、あの大莫迦野郎が、と何度も心の中で、普段の狼暉からは考えられない罵倒を繰り返す。
 脳裏に二人の人影がふと浮かんだ。
 黒より少し色素が薄い長い髪がふわりと女性の優美な服を滑っている。その服の先から見える白く細い指先に繋がれているのは、同じように細く、だが少し小さな手だ。女性が春の様な色彩なら、小さな手の持ち主は冬の色を纏っていた。だが、どちらも優しく、柔らかな雰囲気は酷似し、一つの絵のようだ。狼暉にとって光の象徴そのものであった。
 その絵のような風景を壊すだけで飽きたらず、あの莫迦は光を翳らせようとしている、と言うのか。
 冗談ではない。
 考えるよりも先に、声が出ていた。
「馬を全力で駆れ!!脱落したものから置いていく!ついてこれる者だけついてこいっ」
「た、隊長っ?!」
 唐突のことに、蜘蛛の子を散らすように慌てふためく部下を省みることなく、狼暉は馬の腹を蹴った。
 気持ちだけが急いて、馬が最速の速度で走っているのを理解していても歯がゆさが上回る。
 自己最速を叩きだすであろう速度に、難なくついてくる汪燕の横顔を見て、狼暉は舌打ちした。
「おい、俺より先に走るな」
 あまりに理不尽な台詞だが、汪燕は怒るでなく、むしろ楽しげにほう、と呟いた。それが更に狼暉の感情を逆撫でする。
「不愉快だ。今のお前の顔を見るのは」
「ほう?こんな男前の顔に何の文句がある?」
 確かに汪燕の顔は、自身で自負できるほど、自信を確立させるほどに整っていた。
 墨染め色の髪、彫りの深い顔立ち、切れ長の目。無駄な脂肪の一切ついていない体躯といい、非の打ち所がない、と言える容貌なのだろう。
 だが、狼暉はふん、と鼻で一笑すると断言した。
「そんな笑顔を浮かべて何を言う」
 狼暉の不快の琴線に触れているのは、汪燕のその楽しげな笑顔だった。
 汪燕は、この不穏な事態を満喫した。それは次期羅主に対する感情や面倒くささをうち消してしまうほどのものなのであろう。
 だが、狼暉はそれだけではないことを理解をしたくもないが、感じ取ってしまっていた。
 汪燕は、知っていて、わざと隠していた。推測の域にすぎないものであったとしても、狼暉が次期羅主が胡家に向かっていると知っていたら、もっと早急に行動をしていただろう。それを阻止するためにも、敢えて汪燕は黙っていたのだ。
 そうする理由は、何故か。
 狼暉にとっての光とも言える存在の片割れが、次期羅主の手によって深く傷ついた姿を見るためだ。
 新雪を踏みにじりたい、と言う感情に似通った感情は、汪燕を満足させるほどの歓喜を呼び起こすに値するに違いない。
「歪んでいるな」
「褒め言葉と受け取っておこう」
 馬を駆ける速度を微塵も落とさずに、吐き捨てるように言えば、汪燕はにやりと笑った。
 腐れ縁としか言いようがない縁の男の顔を見て、狼暉はふと思った。
 何故、汪燕は直接自身の手により新雪を汚そうと思わなかったのだろうか。少し考え、愚問に狼暉は内心で自嘲した。
 汪燕では、いや狼暉であろうとあの新雪に足跡ひとつ付けることはできないのだ。新雪に軽く触れることすらできやしないだろう。純白の平野に、自分がいた痕を何一つ残すことはできない。
 拒まれているのではない。だが、招き入れてはくれるものの、新雪は足の重みを跳ね返し跡を残さず、汚れもせず、狼暉達の熱では溶けることもない。
 美しい姿は色あせることなく、変化しないことに感慨を受けるが、それはあまりにも寂しさと虚しさを伴うものだった。
 だが、同時に少しだけ安堵する。 
 汪燕がもしも自身の手により新雪に触れられたならば、それは恐ろしい事態になっていただろう。遠慮なく、効果的に傷を施し、新雪はそれは無惨な姿になっていたかもしれない。
 それは素直に喜ぶことができない事実だが、狼暉は少しでも自身を慰める意味でも、無理矢理にでも良いと思えることを探し、自分を納得させる。
「いくぞ」
 狼暉は前だけを見据え、手綱を強く握りしめた。





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最終更新日  2006年02月25日 17時11分27秒
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