綴

綴

2006年09月07日
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カテゴリ: -本編- [第1部]
 だだ深くへ。深淵の意識の海の底へと朔夜は沈んでいっていた。 
(何、で……だっけ………?)
 自分が海へ沈んでいくように、落ちているのは、何故だったのか。
 朔夜はふと奇妙な浮遊感に身を委ねながら、ついほんの数分前のできごとを思い出した。
 そう確か、漆黒の闇に招かれるように、ゆっくりとゆっくりと朔夜は夢の世界から引き離されたのだ。
 朔夜の足下だけが、底なしの沼に変わってしまったかのようにゆるやかに沈んだ。最初は驚き瞳を瞬かせていたが、先ほどまでいた場所がうっすらと靄がかかったかのように見えた瞬間、朔夜は全身の力を抜いた。
(これ、で…いい……)
 そう思い、ただ静かに緩やかな落下を受け入れる。
 朔夜のいた場所以外、何一つ光景は変化しなかった。その事実だけで朔夜は満足感のようなもので一杯になる。驚きも戸惑いも、ほんの少しだけあった抵抗する意思さえ、満足感の前では、輝く太陽と対面した新雪のように儚く消えていく。

 その事実が、朔夜に予想以上の幸福をもたらした。わずかに、あの光景を眺められなくなる寂しさと、やはり自分はいらないのだという悲しみが過ぎるが、そんなもの朔夜にとっては大したことではない。
 ゆるやかな落下はゆりかごのようで、とても心地よい。いつも朔夜にまとわりつく不安や恐怖が、例え夢の中とはいえ、ないのだ。久しぶりに安堵と安心感がわき出ている状態で、その心地よさはある意味凶器だと朔夜は感じた。なし崩しに眠らされてしまい、そのまま目覚めることができないのではないかとさえ思ってしまう。
「いっそ……目覚め、なけ、れば………この夢の、よー、に…なにも…壊さ、ずに…すむ、の、か……な?」
 途切れ途切れ紡がれる言葉は、決して普段は朔夜が口にしないものだった。
 何度となく考え、夢想したことはある。だが声に出してしまうと、朔夜の周囲の人間はよい顔をしない。だから、朔夜は思いを声にはできなかった。それが今頃わかったのか、という表情ならば朔夜は躊躇いはしなかった。だが-本来ならそういう顔をするのが当然すぎるのに-それなのに、周囲の人間達は皆、怒った表情で、なのに瞳だけは今にも泣き出しそうなほどの悲しみを湛えているのだ。朔夜には蔑まれる、などは幾らでも耐えられるが、悲しみで揺れる瞳にはどうしても、ほんの少しでさえも耐えられない。
(……だ…たら、いっそ……いっそ?)
 うつらうつらと、すでに脳は眠りを誘う腕に攫われかけているようだ。いっそ、何と自分は考えたのかさえ朔夜は分からなかった。
 そのまま闇に身を、頭を、心を委ねてしまおうか、と思ったときだった。
 夏の青々と多い茂った芝生の上に寝転がったような、やわらかな感触のものが背後を覆った。眠たいと言う願望から褥でも表れたのか-夢だから、それもありかな-と思ったが、どうやらそうではないようだ。しばらくぼんやりと考え、朔夜はようやくここが“心の底”だということに気が付いた。
 意外と自分の心、というものは深いのだな、と一瞬思いはした。だが、浅いのかもしれないのかも、とも同時に思った。一体どちらなのだろうか、とつらつらと、取り留めもなく思っていた時だ。
(……どっち、で…も……いい、よ、ね?………………ん、ん?)

(これ……って)
 鈍い灰色の色の球体が浮かんでいる。先ほどの光の珠と形は似ているので、きっと同じようなものだろう。だが、あまりに輝きがない、まるで闇と同化しているようで、どうも『違うもの』という印象になってしまう。
 まるで、蔵の奥深くに閉じこめられ、放置されたせいで錆び付いてしまった“もの”のようだ。
 朔夜はそれに吸い寄せられるように手を伸ばした。
 好奇心ではない。好奇心などで“何か”に手を伸ばすなど、朔夜はしない。できない。

 躊躇いがちに、だが真っ直ぐに朔夜は指先を進めていく。
「………っ!?……つっ」
 それは朔夜の指の皮膚一枚ほどが珠に触れたときだ。ばちりと言う音と共に、珠と朔夜の間に鋭い閃光が走る。驚きで朔夜は声もなく、固まった。痛みはまったくないせいか、条件反射はおきない。だがそれが悪かった。触れ続けていたせいで、閃光はどんどんと大きくなり、白色の雷に姿を変え、朔夜を取り巻くように存在を誇示し続ける。
 瞬くような光が目の奥に焼き付いたせいだろうか。脳裏に白い閃光が、花火のように弾けては消えていく。意識を塗り替えていくような閃光は、脳の奥底になる何かを揺さぶろうとしているように朔夜は感じた。揺さぶられると同時に、割れるような、ではなく切り裂くような痛みが頭を襲う。
 咄嗟に手を珠から放し、痛みを少しでも抑えるために頭を抱え込む。珠は朔夜の指が触れなくなると、力つきたかのように輝きを失せさせ、元の鈍色に戻っていた。だが、朔夜の頭の中の閃光は消えない。
 脳裏に様々な光景が瞬きより速く浮かんでは消えていく。あまりにも速すぎいつ、どの、何の光景かはわからない。だが、その光景を一瞬でも認識してしまうと、何とも言えない感情が溢れ出していく。
 恐い。
 朔夜はただ怯えた。
 頭に許容量以上の情報を無理矢理流し込まれ、溺れてしまいそうだった。何かを『思い出すこと』で、自身が変わってしまいそうだった。久しくなかった激しい感情の渦に、流されてしまいそうだった。
 その全てが、とても恐かった。
「………だぁ、れ…?」 
(あなた…は、誰、なの?)
 朔夜は顔も、姿も分からない、だが頭の中で強烈すぎるほど、存在を主張する者に問いかけた。
 ぼんやりと、まるで蜃気楼のような後ろ姿が何かを訴えるように脳裏にちかちかと浮かんでは消える。
「知って……る?あなた…を、わた、し……は?」
 だんだんとはっきりと焦点の合ってくる姿。それを朔夜は確かに知っていた。
 思い出したい。
 朔夜は強く願う。だが、願えば願うほど頭痛は酷くなり、意識すら朦朧としてきた。
「……っ!!!」
 けれど。けれども。それでも、と朔夜は願い続けた。後少しなのだ。どうしても、思い出したい。朔夜はただ、ただ強く望んだ。
 渇望、と言ってもいいほどの強い願いだった。
 だが、そんな願いを断ち切らせるかのように、すっと白いものが視界を覆う。
「っ?!」
[…………思い出すな。思い出さなくて、いい]
 あまりにも透き通った声に、朔夜は思考を止めさせられた。





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最終更新日  2006年09月07日 22時21分45秒
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