綴

綴

2006年09月26日
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カテゴリ: side story [紅の邂逅]
 右足を一歩ほど後ろに引き、重心を落とす。顎を引き、構える。
 それだけでも身体は悲鳴を上げ、軋みを訴えてくる。だが緋深はあえて無視した。身体の訴えを聞かないことで、どういう結果になろうとかまいやしなかった。ここで引き、もしも朔夜が危険な目に会うことを考えればどうということはない。どう考えても後者のほうが後悔の度合いが酷いに決まっている。 
 緋深は殺気を纏い、射殺すように睨み付けた。
 目の前の男は、緋深の行動を見て、軽く驚いたように目を見開いた。闘争心を未だ滾らせる緋深を見て、愉快そうに、肉食獣のような笑みを浮かべる。
「へぇ………、粋な口を利きやがる。その意気の良さと無鉄砲さは認めるが、引き際を誤る馬鹿は一番に死ぬぞ、生憎とな」
「黙れよ。あんたも、金掴まされて頼まれた口だろうがっ!」
 そう反射的に怒鳴り返したが、心のどこかでそうではないのかもしれない、と思うところも緋深にはあった。だが視界に男を入れるとうっすらと無精髭をはやし、紅と白の生地に派手などという問題ではないほど過剰なほど豪奢な金と銀の刺繍で飾られた服を見ていると裏町の人間にしか見えないのだ。
 緋深が敵意をふんだんに込めて睨む視線は、はらはらと目の前を舞う雪を通すことで緩和してしまったのか、男はにやりと余裕の笑みを浮かべている。
 いや、違う。この男が鈍いと思われるほど不貞不貞しいだけだ。

「賢明だな。“深慮”、それだけが自分の身を守ってくれる。もちろんそれ以外を守るためにはそれを更に利刃のように砥いでおかないと、生きてはいけない」
 先ほどより黙り込む、と言うよりも傍観していた女性が段々と剣呑な雰囲気になっていた空間を切り裂くように、清廉とした声を発した。賢明、という単語などを使っているあたり、言葉そのままととれば褒めているように思われる。だが、それにはあまりにも声が裏切っている。
 皮肉が含まれている。それは緋深の勘違いかもしれなかった。だが、含みがあることには違いない。暗に朔夜のことを指され言われているには間違いない。
 わかっている。先ほどまで己の腕で抱きしめていた存在が今どれほど危険な状態かなど、わかりきっている。だが、それでも緋深は抵抗しなければならない。
 もしも、もしもだ。目の前の二人が善良、に分類される人種で、朔夜の生命の危機を救ってくれたとする。けれども、そのあとが問題なのだ。
 いくら善良であっても、もし『あいつ』らが表れたならば、どうなるのか。莫大な金と引き替えに、引き渡すのではないか。もし、二人が緋深が驚くほど善良で引き渡すのを拒否したとしても、いくらこの二人が強すぎるほどの力の持ち主でも『あいつ』に対抗するのは難しすぎる。どちらの未来にしろ、朔夜の心に多大な傷を負わせることになってしまう。
 朔夜が壊れてしまう。
 それだけはあってはならない。だから、緋深は女性が示す安楽の場へ朔夜を連れて行くことを拒絶しなければならない。
「そこまであなた達には利用価値があるのか?」
 緋深はその言葉にはっとしたように面を上げ、女性を凝視した。まるで心を見透かされたのかと思った。
 だが、緋深の行動で女性は何かを確信したようだった。自身に舌打ちしたくなるのを必死に抑え、緋深は女性を睨み付けた。

 どうすべきか、と悩む緋深の思考を断ち切るように女性は声を更に発した。だが、それはあまりにも緋深の予想を裏切るものだった。 
「私たちは【禁足地】に住む者だ」
(何だって……?)
 緋深は思わず女性の顔をまじまじと見た。
 禁足地と言う言葉は、緋深はもちろん、皓国にいる大抵の人間が一度は耳にした単語である。文字道理、只人が足を踏み込むことを禁じられた場所だ。だが、その実体を知っているものはいない。何せ足を踏み入れたことがある人間がいないのだ。噂が噂を呼び、今では怪奇現象や怪談、ある種の伝説の様な語り草の一種である。

「そこにはあなたたちのように行き場のない者が、大勢いる。彼らは、外の何にも服従しない。己の名の下に戦う者ばかりだ。自分の足で立ち、己の信念にしか従わない。身分や名や地を問わない。過去も、髪や瞳の色も。失いかけたものは、守ることで再び取り戻せる。欲しいものがあるのなら、戦えばいい」
 女性は、言葉を重ねる。その言葉の数々に、緋深はまるで理想郷かよ、と皮肉った。
 身分や、名、地、髪や瞳の色を問わない。言葉では簡単だが、それはあまりにも現在の皓国では難しいことだ。小さい頃から植え付けられた固定概念という名の偏見。きっちり割り振られ、崩れることない身分。それが一切ない、ということは緋深や朔夜のような偏見の視線に晒されるものからすればある意味理想の場所だ。だが、ありえるとは緋深は思わない。思えない。 
「確かに初対面の人間を信用などできないだろう。追われているならなおさら用心深くならなければならない。だが、ではそれを何で測る。今、ここで」
「…………」
「道は二つ。このまま此処でのたれ死ぬか、私たちと共に来るか。徒に此処で待ってもあなたの望むものは手に入らない。ならば、まだ可能性のある方に賭けてみるのも一興だとは思うがな。まあ………、あなた次第だ」
 緋深は朔夜によって傷つけられ、未だ血を流している場所を抉られたような、塩を塗りたくられたような痛みを感じた。じくじくと傷が膿むように、痛い。それだけ女性の言葉は今の緋深には凶器であった。
(………わかってる)
 本当は分かっている。緋深が望む行動は野垂れ死ぬ可能性のほうが高く、万が一山の麓の村に辿り着いたところで、事態は一向に良くならないかも知れないと。
 目の前の女性の差し出す手に縋った方が可能性がある、と。
 緋深の戸惑いに揺れる瞳に気が付いたのか、女性は言葉を重ねる。
「同じ戦うなら、残るもののために戦え………私はその機会を与えてやれるぞ。そしてその賭けに勝てばあなたは居場所を作れる。この子が、生きているのだから」
 痛恨の一撃だった。
 朔夜は生きているのだ。その可能性を繋げられるのは緋深だけなのだから。本当に朔夜が大切ならば先の見えない場所へ飛び込み、そこで賭に勝て。未知を恐れるのか。そんなものを恐れて、朔夜を野垂れ死なせるな。
 そう告げる女性の言葉は、何よりも緋深の心の奥底を切り裂く。
 何も知らないくせに、と叫ぶのは簡単だ。その手を振り払うことも。この女性は、今手を振り払えば、もう押しつけがましく手を掴んではこないだろう。そうすれば、この見透かすような静かな瞳から逃れることができる。
 だが、なぜかそれは躊躇われる。緋深自身、もう半分以上選んでしまっているからだろうか。
 この手を取ることを。
「………なんでだ?」
「何がだ」
「こんなことして得があんのか?口調からして本当に俺たちのこと何も知らないんだろ?…………なんでそんなこと………」
 半ば差し伸べられる手に抗うために思わず口にしたことばだった。だがそうだとしても、あまりに直球すぎる質問だ。思わず尋ねていたことに、緋深自身が顔に出さないが驚いたほどである。真意を探るためならば、もっと誘導するような上手い尋ねかたならいくらでもある。だが、気付けば何も飾らない言葉を口にしていた。
 正直緋深は疲れていた。体力的にも限界が近いのもあるが、何より精神的にずたずただった。朔夜の無意識の行動による先制攻撃による大打撃から始まり、ずっとその傷口を抉られ続けてきたようなものだ。
 この女性の言葉は正しすぎて、鼓膜が裂かれたように痛い。黒い瞳は静かすぎ、まるで揺れない水面で緋深の愚かさを映し出しており、目の奥が潰されるようだ。纏う雰囲気が静謐すぎて、疑ってばかりの自身の弱さをつきつけられるようで息苦しくてしかたがない。
 朔夜が居らず、緋深ただ一人でこの女性に対峙していたならば、とっくに逃げ出していた。振り払っていた。
 女性は少し不思議そうな顔をし、穏やかに緋深の偽りないむきだしの問いに応えた。
「別に困らないからな、私は」
「なぜ?」
 どうみても訳ありの子供、しかも一人は生粋の守人、もう片方は守人の血を半分継いでいると来た。それを好きこのんで招き入れる酔狂な人間が、そうそういるものか。
 だが女性はその根本の問題をわかっていないような声で、言葉を続ける。
「私はあなたにどうこうされてたりはしていないからな」
(……いや、うん。それもあるよな……たしかにどうこう、あんたらをできないよ、俺に。けど、そうじゃなくて……俺が聞きたいのは、そういうことを聞きたいなじゃなくて)
 あまりにも緋深の質問の意図と違いすぎる答えに、一瞬呆れそうになり、そして気付いた。この女性には本当に、身分や過去、髪の色や瞳にまったく気にかけていないのだ。最初から問題視していないわけだ。だから緋深が尋ねた意図を誤解している。
 問題視がない。だから、簡単に手を差し伸べることができる。それこそ迷い子や、捨て犬、捨て猫を拾うように容易く。 
 この皓国という国で、緋深達のような外見を問題視しないことは、簡単なことのようで、実際はかなり困難である。生まれつきながら他者から少しずつ築かれる偏見の壁を容易く乗り越えてしまうこの女性は、剛胆なのか、おおらかなのか。それとも器が広すぎて、深すぎるだけなのか。
 もう、何でも良いか、と緋深は思い始めている自身に気がついた。
「さっき攻撃をしかけただろう」
「別に死んでいないからな。獅吼も私も。問題ない」
 打てば響く、というよりも投げつけた言葉をあっさりと打ち返すかのように軽々と言われる。
「………本気か」
「ああ」
 もう緋深に返す言葉が見つからない。あんたは莫迦か、と怒鳴ることさえできない。目の前の女性に飲まれている自身に緋深はどうすればよいかわからない。
 女性はとどめを刺すかのように、静かな瞳に強い光を宿しながら言葉を投げつけた。
「局を見れず、感情ばかりに走るならばこのまま其処に死ぬまでいればいい……“生きたい”なら、来い。最大限の助力を約束しよう」
 卑怯だと思う。ここで朔夜を引き合いに出すなど、緋深からすれば卑怯だとしか言いようがない。別に自身が野垂れ死ぬことを指摘されても、ここまでは揺るがなかっただろう。だが、女性が与えた選択肢の『生きるか、死ぬか』は、緋深のみでなく、朔夜のことも指している。
 どうして、断ることができるか。
「………こいつに、危害は加えないんだな」
「約束しよう」
 断言された言葉は、心強いものだった。
 緋深は強く瞳を閉じ、肩の力を抜き、女性に向かい力無く頷いた。





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最終更新日  2006年09月26日 19時50分43秒
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