綴

綴

2006年09月22日
XML
カテゴリ: side story [紅の雪]
-事件の数時間前 麗蘭の執務室-

 麗蘭は、ようやく後十数枚となった書類を横目に湯飲みに入ったお茶をすすった。
 今日は先日あった風害の一件があったせいか、百枚を軽く越えていた書類を黙々と片づけていたのだ。さすがの麗蘭も疲労を感じ、肩に重みを感じていた。
 ふう、とひとつため息を落とし、麗蘭は筆を取った。もう夕餉を食べてもう一刻ほど経つ。書類の他にもまだ多少仕事が残っているのだ。そろそろ書類を片づけ終わらねば、明日に響いてしまう。
(この頃は……妙に書類が多いわね)
 ふと筆を滑らしながら思う。
 今日のは確かに破格の多さだったが、それがあまり苦に思わないのは近頃書類量が少しずつだが、罅確実に増えていっていたからだ。今日の書類が数ヶ月前に出されていたならば、かなり悪戦苦闘していただろう。
 前々からかすかに疑問に思っていたことが、膨れあがるように存在感を主張しはじめる。

 何が起ころうとしているのだろう。
 異常気象はまだよいとしよう。麗蘭の執務室の窓から見える季節はずれの冬の豪雨は、人間が何か関与できる問題ではない。
 だが、他のものはどうだろう。浮浪者達は麗蘭はまだ情報を掴んではいないが、流通の圧力の原因、というよりも元凶はわかっている。この二つに関連性はないのだろうか。麗蘭は疑り深いと自身思いながらも更に思案を深める。
 浮浪者、はまだよい。だが問題は狼藉者と不審者である。胡家の収める土地の住人は、-収める胡家がないがしろにされていた過去があり、その余波がまだ残っているからか-この地にしっかりと土着している。隣人や近隣住民は皆、顔見知りと言っても良いほどだ。だからかまったく問題がない、というわけではないがそれなりに治安は良い。少なくとも問題を起こした人間の名前と顔など調べれば次の瞬間にはあがるほどだ。
 だが、此処最近暴れ回っている狼藉者達を知っている者はこの地にはいなかった。不審者もだ。何故、この胡家地にそんな輩が現れたのだろうか。
 確かに治安が良く、流通の要を握り始めた胡家の恩恵を預かっている胡家の地は豊かだ。単純に考えれば狙い目だろう。だが、胡家の土地は今は薄らぎつつあるが、未だどこか排他的な空気が確かに存在する。見知らぬ者がいれば、監視の目が否応なしに付きまとう。その中で事件を起こすのはある種無謀だ。一度でも些細な事件を起こせば、次の瞬間冷たい視線と更なる重度な監視の視線で見えぬ檻が作り上げられるのだ。
 一体何が目的でこの地に表れたのか。
 そこがいまいち麗蘭には読めない。自身の思考を軽く飛び越えるほどの阿呆なのだろうか、その者達は、とさえ考えてしまう。
 そう切り捨ててしまえば楽ではある。だが、そうできない理由が麗蘭にはあった。
 狼藉者達が現れ始めたと同時に、しっぽを掴むことにかなり腐心しなければならなかった羅家の間者ぱたりと消えたのだ。まるで刻を合わせたかのように。それが妙に麗蘭には引っかかる。
「……これで、終わり」

 今は考えてもしかたがない。情報の数が少なすぎる。直属の者達にその件についての情報収集を任せてあった。今は余計な推測をし、妙な、それでいて強固になってしまう予測などしないほうがよい。
 だが、気を抜くと妙に考え込んでしまう。麗蘭は、さてどうするか、と思い、ふと執務室の扉を出た。
 闇を照らす燭台の炎の灯を頼りに数個扉を通りこし、目的の部屋に辿り着く。そのまま声もかけることなく扉を勝手に開けた。この部屋の持ち主は、鍵をかけるということを基本的にしない。はじめは不用心かと思ったが、彼女にとっては鍵を『信用ならぬ』、というよりも『あってもなくても同じもの』という認識で、それを覆すのは無理だったので諦めた。声をかけぬのも、返事をしないからだ。無視をしているわけではない。彼女にとって部屋とは『睡眠をとるための場所』でしかないのだ。つまり、部屋に籠もっている間は確実に寝ているのだ。声をかけるだけ無駄だ。
 麗蘭は扉を大きく開けた。廊下からわずかに入ってくる灯だけを頼りにし、部屋のあかりは灯さなかった。 睡眠をとっている部屋の主への配慮だ。
 麗蘭は褥には目を向けもせずそのまま部屋の四隅や天井、褥の影、天井など子供が隠れられそうな空間がある場所に目を凝らした。いない、と理解するとそのまま机、収納箱などをこんこん、と手の甲で軽く叩いていく。

 静かに呟き、麗蘭は衣類をしまう棚の扉を開け、隅で小さく、身体を丸めている少女に微笑みかける。ようやく見つけた部屋の主-朔夜-は穏やかに眠っているとは、言えなかった。表情が抜け落ちた、人形じみたように眠っている。だが、麗蘭はそれでも笑みが零れ出た。ようやくみつけた、という苛立ちも当然ない。
 むしろ、ここで朔夜が眠っているということが嬉しかった。  
 実はこれでも、かなりましになったのだ。最初のほうはいくらいくら探しても見つかることはなく、翌日埃まみれになった-思わず何処で寝てたんだと言わんばかりの-姿で見つかることもしばしばだった。そのことを考えると少しは心開いてくれている、と思い上がっては良いのだろう。
 少々行儀が悪いが棚に軽く腰掛け、麗蘭は朔夜を見つめた。見ているとわかりにくいが、少しずつ、本当に少しずつだが歩み触れることを許容する-わかりやすくいうと懐く-朔夜が、麗蘭には可愛くてたまらない。
「…櫻妃が言っていた意味が、ようやくわかったわ」
『この子が穏やかに眠っている姿を見ていると、私はとても安堵できますの』
 脳裏に柔らかな声音が蘇る。緩やかな波状の長い髪をふわりと動かしながら、歌声のような優しい声の親友は滅多に見せない、心からの微笑みを顔に乗せていた。
 ふと、麗蘭はそのとき親友がしていた動作を真似るように朔夜を触った。すっと髪を梳き、そのまま指を頬にそっと滑らせる。ぴくりと一瞬震えたが、またくうくうと眠り出す姿に思わずどこか温かい気持ちが生まれる。
 多少寝顔が穏やかになったように思うのは、自意識過剰だろうか。
『本当に、この子が大切、というより愛おしいのね』
『私達は……』
 朔夜とは数度しか面識がないない頃、珍しい姿を惜しみなく見せてくれる親友に対し、麗蘭は思わず呆れた、と言うよりも感心したように呟いたことがあった。 親友は苦笑に似た笑みを一瞬浮かべ(それは心許す親友、麗蘭だったからだ。他の者なら完璧な微笑で首を傾げ、はぐらかしていたはずだ)どこか沈痛な表情で朔夜を見つめていた。
『私達は……この子が本当に大切ですわ。でも、それは今でだからこそ、そう言えるのです』
『……櫻妃?』
『はじめは、贖罪、に似た気持ちで、この子を助けました』
『贖、罪?』
『ええ……この子が苦しんでいる顔を見ていると、胸が痛みました。でも、それは哀れさや同情からなどではなく、長い間持ち続けた私たちの持っている傷が疼いたから。この子に笑って欲しいと願いました。でも、それもこの子が涙を忘れ、穏やかに微笑むことができるなら、私たちが抱えている罪が許されると思ったから。この子を助けたいと思いました。これも…本当は私たちが許されるため。全てを終わらせるためです』
『ちょ……櫻、妃?それは、どういう…』
『ですが…今は違います。この子がこの子だから、私たちは愛おしい。慈しみたいと思うのですわ。偽ることを知らず、欺くことを知らず、自身を守ることを知らず……傷ついていく。けれどそれでも人を疑うことを知らず、他者を責めることができない。そんな不器用で、良く言えば純粋…悪く言えば単純な人間、他に知りません』
『…………褒めてる、のよね?』
『ええ。もちろんですわ』
 ほんわりとした、完璧な微笑だった。
 この後、朔夜という人間の人となりをあらまし語った後、散々いかに可愛いかをまるで惚気るように聞かされたのだった。 
(あの時は、話半分で聞いて…呆れて…何処か不可思議がっていたのに……ね)
 今では同じ穴の狢だ。
 麗蘭は苦笑しながら髪を梳き続けた。
 朔夜の寝息をかき消すような豪雨が窓を叩きつけ、少々耳障りだが、それ以外の音はない。薄闇を淡く照らす廊下からの灯がゆらゆらと揺れている。まるでここだけが時間の流れが緩やかになっているようだ。
 このまま穏やかな時間にたゆたっていたい。いつまでも、という訳にもいかないのでせめて今日の疲れが癒せるまでは。そう思っていた矢先だ。
 豪雨の音を切り裂く、いや打ち壊すような金属を打ち鳴らす音と、悲鳴と、胡家の重たき門を開ける音がいびつな三重奏を奏でたのであった。それはあまりにも静寂とは相容れない音だ。
「一体何がっ……」
 眉を顰め、麗蘭は舌打ちしそうになる。不吉な音など、胡家には必要ない。
 天災や事故ではない。人災だろう。
 そう判断できたのは麗蘭の直感もあるし、豪雨の狭間からかすかに聞こえてくる音に耳を傾け得られた情報を総合した判断である。それに何よりの証拠が麗蘭の横にあった。
 横に顔を青ざめ、震えている朔夜がいる。音が聞こえた瞬間、弾かれたように起きたのだ。
 麗蘭はそっと手を伸ばし、朔夜を引き寄せ抱きしめた。脅えたように大きく震えるが、かまわず腕の力を強める。
 この脅えようが何よりの証拠なのだ。
 守人の聴覚は常人を上回る。幼い頃から武器を扱う守人ならば、外から聞こえるかすかな金属の打ち鳴らす音を何が奏でているか明確なのだろう。
 だが、どこかおかしい。脅えかたが異常すぎる。
「朔夜?どうかして?」 
 過剰反応をし過ぎている。朔夜は自身のせいで起こった事象で人が傷つくことに、何よりも悲しみを覚え、そうなってしまうことを脅える。だがここまで脅えるということは
 だが、それは「今」ではない。今起こっている人災が朔夜のせいである根拠はないというのに。
 麗蘭は落ち着けるように朔夜を強く、強く抱きしめていたが、いつまでもそうしているわけにはいかない。麗蘭は当主なのだ。胡家の衛兵達に信を置き、その実力を認めているからこそ今はこうしている。だが、もう時間がない。
 朔夜のことは心配だ。特に今の朔夜の様子はおかしい。放っていくことは心配すぎる。だが。
「怜蓮を、呼ぶわ……朔夜、大丈夫、すぐ騒ぎを収めてくるわ。この部屋で、じっとしてなさい」
 麗蘭は朔夜を安心させるように微笑んだ。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2006年09月22日 21時48分02秒
コメント(0) | コメントを書く
[side story [紅の雪]] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

コメント新着

砂葉 @ Re:青空ちゃん。さん こんばんは。 こちらこそご訪問、ありが…
青空ちゃん。 @ Re:【幻】 序章 「原初の夢」(01/11) こんばんゎ♪ 砂葉SAN,訪問ありがとぅ…
砂葉 @ Re:こもも2055さん こんばんは。 いつも感想ありがとうござ…
こもも2055 @ こんばんは。 拝読するたびに、自分がいかに素人で戯言…
砂葉 @ Re:こもも2055さん いつも感想、ありがとうございます。 感…

プロフィール

砂葉

砂葉

キーワードサーチ

▼キーワード検索


© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: