綴

綴

2006年10月23日
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カテゴリ: -本編- [第1部]
「うん。頑張ったな」
 緋深は軽く咳き込んでいる朔夜の背を撫でながら、もう片方の手で、先ほど受け取った空になった碗を掲げながら、にこりと笑った。その笑顔に朔夜は何とも表現しにくい表情を浮かべる。労いに笑みを返すべきか、この状況を作り出した緋深に不服を伝える表情をすべきか。どちらにすべきか迷い、結果がでなかった、という所だろう。
 緋深は苦笑しながら、優しく頭を撫でてやる。
「もう一回、寝るか?」
 朔夜はふるり、と小さく横に頭を振った。意外な反応に緋深は小さく目を瞠る。心身共にまだ疲れているであろうことは、朔夜を見ると簡単にわかった。実際、紫色の瞳はうつらうつらしていて、危なっかしい。
「?………まだ、眠いだろう?」
「おな、か…いっぱい…だ、から……」
「少し苦しくて、眠れない、か?」
 こくりと今度は上下に銀灰色の頭が動いた。そっか、と小さく呟き、緋深は小さな罪悪感を抱きつつ、朔夜をそっと褥に横たえた。

 こちらを見上げてくる朔夜に、緋深は小さく笑み、銀糸のような髪に指を絡ませた。
 髪を梳かれる。朔夜はそれを好んでいた。一度も「気持ちいい」とは口にはしないが、髪を弄られるとほんの少しだが目尻を緩ませ、固まっている表情が少し柔らかになるのだ。まるで頭を撫でられた犬、喉を撫でられた猫、のように、(朔夜を知っている者しか分からないほど些細だが)どこかうっとりと目を細める。
 もちろん、朔夜は髪を撫でるのが“誰でも”良いわけではない。触れることが許された者だけの、特権だった。
(気持ちいいな)
 緋深はさらり、さらりと指で掬っては、逃げていく柔らかな髪の感触を楽しむ。最初は腹痛を少しでも紛らわせるために、ととった行動であった。が、これでは誰のためだか、である。
(取りあえず……まぁ、朔夜も嬉しそうだし。一石二鳥、か?)
 朔夜は目をとろりとさせ、余程心地よいのか、そのまま眠ってしまいそうだ。その様子にほっ、と緋深は胸をなで下ろす。
 襖の向こうから入ってくる夕日の光に照らされた、韓紅花色を含んだ銀灰色の髪が揺れるたび、きらきらと光っているようにさえ見え、その美しさに緋深は目を細めていた。
(けど……)
 緋深は内心ため息をつき、朔夜にばれぬように気を遣いつつも、一瞬眉を顰めた。
 朔夜の髪が、緋深は好きだった。柔らかく手に馴染む感触。銀、という派手なはずだが、どこか目に優しい色。朔夜を彩るもの、という理由もあるが、それを抜いてもあのさらさらした長い髪が好きだった。

 見つめる先にある朔夜の髪は、左右不揃いな状況だった。 
 緋深が、斬った。結果的には朔夜を助けるためだったとはいえ、感情の荒波に身を任せ斬ったのだ。怒気で鋭く研ぎ澄まされた剣筋だったからか、なくなった髪と繋がっていた毛先は目に余るほど射たんではいない。だが、やはり旋毛から右側は背まで、左側は肩までの長さでは不自然この上ない。
 緋深は、本当に今更ながら罪悪感がじわじわと背筋がはい上がるのを感じた。今の今までは、慌ただしすぎて忘れていたのだ。いや、視線を逸らしていたのだ。
(けど……俺は、後悔してないん、だよな)
 あの綺麗な髪がなくなったのが、悲しくどこか寂しい。だが、『あいつ』が触れた部分の髪がなくなったことを考えると、まあ仕方がないか、と思ってしまっている自分がいる。

「緋深君?」
「………っ?!」
 振り向いた先には、背の高い男が立っていた。
 緋深は必死にあげかけた悲鳴を押し殺す。背後を取られたことに驚いたのではない。歪でいた顔を見られたことでもない。失礼極まりないことだが、振り返り男の顔を見たからだ。
 だが、誰も緋深を責められはしないであろう。何故ならそれほど男の顔は、驚くに値するものであった。
 青白い肌に痩せこけた頬、目の下に大きな‘くま’の顔だけでも一瞬目にいれただけでもぎょっ、とするほど病的だ。躰も骨が浮かび上がるほど痩せている。しかも男は猫背、というよりも前屈みの姿勢で、だらりと長い腕を垂らしている姿は、少々どころかかなり幽霊じみた印象を受けるのだ。
 まっすぐ背筋を伸ばせば、男は緋深が今まで見た中で一番の長身であろう。そうすれば、少しは印象もすっきりとしたものになり、雰囲気も変わるであろうに。
(ああ、驚いた……確か千波[チハ]、と言ったっけ)
 驚きに踊る心臓を押さえている緋深に、千波は首を傾げつつもす、と長い手を動かして何かを差し出した。
「はい」
 青白く細長い指が支えているのは、先ほど朔夜に与えた汁物が入っているのより少し大振りの碗だ。その中に入っている液体は波打ち、芳香のする湯気を放っている。朔夜に飲ませたものと、同じもののようだ。
「すぐにもうちょっと胃に溜まるようなのを持ってくるから、それまでに取りあえずこれを飲んで、胃を落ち着かせておいてね」
 端正だがすっきり、と言うよりはげっそりとした風にも見える容貌に優しげな笑みをたたえつつ、千波は手渡そうとしてくる。別にいらない、と緋深は手で拒否の意を表すと、やんわりと言葉を続けられた。
「君もきちんと食べないと、身体がもたないよ?」
 緋深は黙り込み、視線を逸らすしかない。返す言葉がないからだ。
 助けられてから、緋深は白湯と薬以外一切を口にしていなかった。この村にどうにか-道中、肉体的より精神的に、とても疲れたのだ-着き、医者から手当を施されたすぐ、この千波と言う男は病人食にしては美味しそうな食事を与えようとしてくれた。
 だが、緋深は意固地なまでに断り続けたのだ。
 この目の前の男、千波はそんな緋深を見てられなかったのだろう。戸惑うほど心配をし、世話を焼いてくれようとした。何度も差し伸べてくる細長い優しい手を何度-朔夜のことが不安で苛立っていたから-邪険にはね除けようとそれでも心配を続けてくれた。
 何度も何度も繰り返された押し問答に、根負けした緋深は言ったのだった。 
「朔夜が起きて、何か食べたら…………俺も食べる。それまでは、食べない。この条件が飲めないなら、俺は白湯も薬も断る」
 緋深に取って、数日何も食べないと言うことはきついが、できないことではなかった。白湯はいくらでも飲めるのならば、たった数日などで、死にはしない。緋深は朔夜を残して野垂れ死ぬ気はまったくないのだから、問題はないのだ。……緋深にとっては。
 だが、千波にとっては大問題だったのだろう。さあ、ようやく、といったのだろう。千波は更に言葉を重ね、緋深に食事を要求してくる。
「約束、してくれたよね?その子が起きたら、食事をしたら、君も食事をしてくれる、って」
「……あ、ああ」
 心配をしてくれていることは、緋深は痛いほどわかっている。別に返事を言い淀んでいるのは、千波を困らせたいわけではない。緋深も空腹の限界寸前で、食事をすることに否はないのだ。
 だが、緋深にも言い分はあるのだ。
(…………何で、今、ここで言うんだよっ!!)
 朔夜の意識があり、千波の声が聞こえる場所にいるというのに。
 沸々とする怒りを抑えながらも、意識を集中すると背後に視線が突き刺さっていることに緋深は気付いた。言うまでもない。朔夜だ。紫の瞳いっぱいに気遣わしげな色を浮かべ、不安そうに揺れているに違いない。想像するだけで、緋深はため息が喉奥から溢れてきそうである。
 だが、だからといって緋深は千波を責める気にはなれなかった。
 緋深は今思えば、これでもか、というほど親切にしてくれていたのに、あまりな態度をとってしまったことの負い目か、この目の前の青年にどうも強気にでられない。それはこの青年の人柄故かもしれないが、妙に調子が狂ってしまうのだ。
 これが獅吼ならば、盛大に罵れたというのに。
 うう、と唸っている緋深に、千波は更に言葉を重ねてくる。
「君も食べないと……薬も、何か胃に入れてから飲まないと本当は悪いのに。ずっと無茶をしてたんだ。いい加減、何か口にしないと、君。今度は栄養失調で倒れちゃうよ?」
(わざとかっ!わざとなのかっ!)
 内心、悲鳴をあげる。
 緋深の恨みがましい視線も何のその、と言わんばかりに千波は微笑みを崩さない。
「食べるよね?」
 とどめだった。
 目の前の穏やかな笑顔と、背後からの訴えるような視線に、緋深は敗北を悟り、深々とため息をついた。



やっぱり、こうなります 緋深は(笑)





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最終更新日  2006年10月23日 20時13分30秒
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