綴

綴

2007年01月15日
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カテゴリ: 【幻】 -第1幕-
 桔梗色の着物の襟首から覗く項が美しい女性が、目を細め、頬に手をあててうっそりと、歌うように告げる。
「睦月ちゃんは、可愛いわね」
 頬を、髪を白く細い指でなぞりながら、良かったと笑う。
「ずっと娘が欲しかったのよ。貴方のような可愛い娘ができて、本当に私は嬉しいわ。私のことは、本当のお母さんだと思ってね」
 --ダカラ、オカアサント呼ンデネ?
 それが、出会いだった。
 --女性らしくあれ。
 --作法に通じ、礼を守り、優美な動作を心がけ、楚々と美しくあれ。
 義母、叔母はそれを睦月に無言でずっと、ずっと強いてきた。睦月はそれに微笑んで答えるしか術をもたない。反抗は許されなかった。それが叔母の生き方で、生き様だった。それを否定をすれば叔母は嘆きと悲しみ暮れ、切々と説く。それが女としての正しいあり方だと。女性としての生き方を捨ててはいけないと。

 だが、だからといって他の生き方を認めなかったり、否定してはいけないはずではないか。
 あの人は視野が狭いのだろう。視野に入らないものは、全ておかしな、間違ったものなのだ。その割には視野を広げようとはしてはいないが。
 なので、彼女の中で‘一番’幸せな生き方を睦月に捧げようとしてくれている。
 舞を習わせ、香道を学ばせ、行儀をしつけた。着物を着せ、髪を結い上げる。女性らしく見せるために『長い黒髪』を進め、……将来の夫まで世話をしてくれようとしてくれている。今からお見合いの写真を見ては、「この人ならばまあいいわ」や「この人は駄目ね、睦月ちゃんに似合わないわ」と言っているから間違いではないだろう。良き夫に、一生を捧げられる良い人を捜してくれている。
 --だが‘イイヒト’なのだ。
 同じ血が微塵も流れていない養子に対し、心から優しくしてくれる。こちらが申し訳ないほど、息が詰まるほどの優しさを注いでくれた。
 風邪を引けば寝ずに看病をしてくれる。
 誕生日には沢山のプレゼントと料理を用意し、学校の行事にはかかさず参加し、胸を張って睦月のことを「自分の娘」だと豪語する。
 あの“愛しみ”に嘘偽りはないだろう。いつも満面の笑みで「睦月が‘娘’で嬉しいわ」と言ってくれる。
 --それが‘クルシイ’なんてオモッタことはナイ
 義兄である正義だってそうだ。いつも喜色に染めた瞳を細め、こちらを見てきた。初めて妹が、いや兄弟ができて嬉しくてたまらない、という感情を隠そうともしないで、甘やかしに甘やかしてくれる。過保護だよね、と周りの友人が笑うほどの気をつかい慈しんでくれた。

 家族を喪った睦月のためか、スキンシップをこまめにとってくれようとし、正義は学校が休みの日など、全てを睦月に費やしてくれていた。
 睦月がマチガッタコトをする度に、怒鳴りはせず優しく諭してくれる。
 --‘ジユウ’がナイなんてオモワナイ
 もちろん不器用だが叔父も充分優しい人だ。睦月を否定せず、どれだけお金がかかることでも気にせずやりたいことをやれ、と言ってくれる。きちんと、睦月を見てくれる。それだけで充分だった。
 本当にあの家の人達は“ヤサシイ”と、睦月は心底思っている。

 --ダカラ、自分は天城の家に引き取られて‘シアワセ’なのだ。

(な、のに……叔父さんは、何を言ってるの? 海外? 私が?)
 立ち竦み呆然としている睦月の気持ちを知ってか知らずか、残酷に淡々と叔父は言葉を続けていく。
「当初は国内で、と考えていたのだがな。だが幾ら国内とはいえ、あの腐った親族どもの中へ投げ込むのは論外だった。なので信頼のおける部下に預けようと考えた。だがあいつらは有能な面々だがどうも所帯持ちは少なく、若い娘を引き取る条件に合うのが少なかった。適合するものは大抵が我が家の近隣に住んでいる……それならば妻や息子からは逃げられんだろう。出る意味がない」
 --ニゲル
 その言葉に睦月は内情を見透かされている気がして、ぎくりと躰を強張らせた。叔父のたった一言だというのに、今まで抑圧されてきた思いが暴発していくのを感じる。血の気が引いているのか、上がっているのかも、もうわからない。
(そうだ……私はいつも思ってた。本当は、泣きたくなるほど辛かったんだ)
 いつも彼らの愛しみを感じる度に、本当の“無償の愛”はこんなものではないと、いつも“誰か”と比べていた。父や母、朧気ながらしっかりと記憶に住み着いている‘ダレカ’と比べ、束縛と強要が多大に含まれる愛情は鉛のように鈍く重たく感じ、いつも押し潰されそうだった。
(舞の稽古や茶道とかより本当はスポーツが好きなの。合唱部もいいけど、でもそれより野球部やサッカー部のバレー部とかスポーツに携わりたかった。長い髪なんて重たくて、手入れが大変で切ってしまいたいよ。着物だって、綺麗だけどとても苦しくて…どうして正義さんは友達と外出すると、いつも一緒にくるの? 本屋ひとつ行くのに報告をしなくちゃいけないの? 一人の時間が欲しいと言っただけで、怒られなくちゃいけないの? 義兄だからって、私の考えをいつも否定していいの? 正義さんの望み以外の行動は、全部間違いなの? )
 一度箍が外れかけてしまえば、パンドラの箱が開きかけてしまえば、出てくるのは不満の嵐だ。ドロドロと醜い感情が溢れ出し、渦巻いている。きっとこの中に希望という光なんてないだろう。お世話になって、殊更大切にされているのというに、箱の中から出てくるのがこんなものばかりとは。
 --なんて、醜いんだろう。自分は
 己の醜悪さに吐き気を覚え、睦月は目眩がするのを感じた。喉の奥に拳大の鉛が押し込められたように、呼吸が苦しい。
 --お願い、叔父さん。黙って。もう甘い言葉を囁かないで。
 泣きたくなるのをぐっ、と堪えながら、真っ青になった顔で訴えるように叔父を見つめた。だが叔父は痛ましげに眉を顰めるだけだった。
「海外へ行く、と決意することは難しいだろう。友と別れ、異国で言葉に不便をし、文化の差に打ちのめされる。だが覚悟さえあれば、どうとでもなることだ。私はあの人達の娘であるお前を、お前だけは不幸にしたいとは思わない。だからこの話を勧める」
 ぐっ、と骨張った指で細い肩を掴み叔父は訴える。冷たくなった躰に、指は服越しなのに酷く熱く感じ、睦月は咄嗟に振り払いたい衝動に駆られた。睦月は早く動きたいと、走り出してしまいたいと震える足の筋肉を、必死に地面に縫い止める。
 --蓋をしなければ。
 この熱く優しい手を無碍に振り払ってしまうことになるならば、自分の不満などもう一度箱の中に入れて、鍵をかけ、鎖をかけて、心の奥底に沈めなければならない。
 もしこの優しい手の届かない海外に行けば、叔父と天城の家族と衝突してしまう。叔母と正義はきっと、叔父を責める。叔父を睦月を追い出した悪人に見立て、思う存分責め立てたあと、睦月に笑顔で帰ってこいと言うだろう。もう大丈夫だ、と。帰ってこいと強要するのだ。
 それだけは避けなくてはならない。天城家の絆に混乱と決裂をいれる権利など、睦月にはないはずだ。何より睦月を気遣う優しい叔父を、父の弟を苦しめるのは、絶対に嫌だった。
 睦月は歪みそうになる顔に力を込める。表情筋を意識し、口元を上げて目尻を下げた。
(……大丈夫。できる。ちゃんと、笑えるはず)
 目を細め、頬を綻ばせて、下がりそうな眉に力をいれて上げる。
「逃げるなんて、って酷いですよ? 叔父さん」
 声は震えなかったはずだ。叔父が軽く目を瞠っている。薄い唇が何か言おうとしているのに気が付き、睦月は慌てて言葉を重ねた。
「叔父さんは勘違いしています。私は叔父さんの家に引き取られ心から感謝しています。本当の娘のように大切にして頂いて、高校にも行かせてもらって。本当に、凄く幸せですよ? だから海外なんて、行きたくないです。今の学校も止めたくないし、友達と別れたくもないし。だからごめんなさい。そのお話、お断りします」
 言葉にしていくうち、顔が歪みそうになるのを感じ、隠すためにも大げさに頭を下げる。微熱だけを残し骨張った手が放れていく感覚が寂しいと思ったのは、気のせいのはずだ。
 数拍間をおき、ぱっ、と顔を上げたときには睦月の顔には笑顔が戻っていた。
「辛いなんて、思っていませんよ? ……でも、心配してくださって、ありがとうございます。ん、あっ! 今日は、舞の稽古があるのでそろそろ行かなくちゃ。すみません、失礼します」
 --早く、速く、ハヤクここから去らなければ。
 気持ちが表にでないよう必死に取り繕いながら、失礼にならないように、だがなるべく素早い動作で身を翻し、少々早いテンポで歩き出す。
 後ろから強い視線を感じる。叔父は訝しんでいるのだろうか。誤魔化しきれなかったのだろうか、と不安になる。
(叔父さん……気持ちは本当に、本当に嬉しかったです。ごめんなさい。どうか、騙されてください) 
 胸の中で幾度も、幾度も叔父に呪文のように礼を言い続けていて、はたと睦月は言い忘れたことに気が付いた。
 踵の重心を置くようにして半回転をし、叔父に顔をしっかりと向け、今度は心から微笑んだ。
「父と母に、花をありがとうございましたっ」
 --いつか。そう、いつか。
 このような顔で、天城家で笑える日が来て欲しい。来るように努力をしなければな、と睦月は改めて思い、暴れる‘箱’の息の根を止めるべく、更に心の奥底へと沈めた。





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最終更新日  2007年01月15日 16時43分40秒
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