綴

綴

2007年01月17日
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カテゴリ: 【幻】 -第1幕-
 一際強い風が顔面を叩きつけられ、藤次朗は乱れる髪を整えるために右手を上げ、頭部にあてた。手櫛の容量で髪を梳いている手で、本当は髪をざんばらになるほどかき回してしまい。だがそれではもう一時間もすれば始まる会議に支障がでてしまうので、衝動を理性で押さえ込み、髪を掻き上げるようにして元のオールバックに戻した。
 --完璧な笑顔だった。
 微笑み去っていった少女を藤次朗は思い出す。
 藤次朗でなければ誤魔化されていたほどの、多少顔色が白かったが確かに‘幸福’そうな笑顔であった。だが完璧がゆえに藤次朗にはそれが虚偽の、‘はったり’のものだと気付かせてしまったのだ。それをあの娘は気が付いてはいない。
 今頃、誤魔化せたと思っているのだろうだろうか。
 --皮肉なものだ。
 睦月は気が付いていないに違いない。あの笑顔がまさか生前の父が嘘をつくときの姿と、癖と重なるなど夢にも思っていないはずだ。
「私としたことが、失敗をしたな」
 多少自嘲気味な笑みが浮かんでしまう。

 しかも今回のことで警戒させてしまったであろうことは間違いなかった。睦月はこの話題を避けるために、ひたすら奔走するに違いないのである。それが藤次朗や天城の家を思ってなので、なかなか咎めることさえできやしない。
「だからと言い……いつまで甘んじるつもりだ? 正義の玩具であることに。妻の人形であることに。」
 ぽつりと落とされた言葉は思いの外深く、重いものだった。
 藤次朗は自身の家族にあまり愛着はなかった。妻と自分は家同士の結婚のための駒にすぎなかったのだ。外見は美しく、さすが旧家と言わんばかり品もあるがそれだけであった。そこに愛はなく、冷めているのだろう。妻は藤次朗に尽くすが、それは藤次朗自身に尽くしているのではない。‘自分の夫’である男に尽くしているのだ。藤次朗であろうと、それ以外の人間であろうとそのレッテルさえあればいい。それに気が付いたとき、藤次朗は特に冷めはしなかった。もともと熱がなかったのだ。冷めようがない。毎朝続く、何も変わらない表面上だけの、儀式。それは妻の心に、彼女自身気が付かない寒さを与えていたのかもしれない。
 息子の正義は愛されていないわけではないが、愛がある故に生まれた子ではなかった。後継者となる子を成すという、義務にも似た仕事の結果である。血の繋がりはあるので藤次朗も一応気には掛け、妻はあまりかまってくれない夫の分まで息子を溺愛していた。だが不運にも息子は妻よりも藤次朗に似てしまったのであった。困ったことに人付き合いが上手くなく、愛想も良いとは言えない。妻の欲求を満たすには役者不足であった。それ故に妻はだんだんと息子離れをしてしまうこととなり、正義は少々寂しい思いをするはめになったのであった。
 そんな中、睦月がやってきた。そして睦月は不運にも正義と妻の理想に沿ってしまったのだ。そこそこ顔立ちが良く、愛想があり、まだ幼く自分たちの色に染めやすい。完璧だった。
 二人が睦月に転がり落ちるのは早かったのはいうまでもない。妻は睦月に愛情と理想を押し付け、正義は愛情を注ぐ喜びと愛情を返される喜びを得るために睦月に執着した。妻は理想の娘、つまり“人形”であることを睦月に強要し、正義は正義で理想の自分だけのモノ、つまり“所有物の玩具”であることを望んで、実行すべく様々な制限を睦月に課した。
 故に、咎は藤次朗にもあった。藤次朗があまりにも家庭に返り見なかったことも一因だと言える。それ故に犠牲になった娘を哀れに思う。
 幼い睦月は、天真爛漫という言葉が似合う少女だった。強面である藤次朗に体当たりのごとく抱きついてき、何が楽しいのか無邪気にケタケタと笑う。頭部と躰のバランスが悪いのか良く転けては大泣きし、次の瞬間には泣きやみ、また走り出していたのを良く覚えている。子供らしく、愛らしい子供だった。
 --罪滅ぼしとしては遅かったのかもしれない。だが、ようやく逃がしてやれると思ったのだ
 全てをお膳立てした後に、後日恨まれても良いから無理矢理にでも行かせれば良かった。後悔してもすでに時遅しなのだが、そこまでしなければ睦月が動かないとはさすがに思っていなかったのだ。まだまだ幼いと高をくくり、甘く見ていたと言われても仕方がない失態である。

 脳裏に一瞬、疑問が過ぎった。
 首を緩く左右に振り、あまりにも馬鹿げた疑問を退けようとする。想定外でなければ、何だと言うのだ。断ると知っていたのに、こうなると分かっていたのに事を勧めたというのか。そんなはずはない。分かっていてやったのだとすれば、藤次朗はただ睦月のまだ羽ばたける千切り折ったこととなる。希望をちらつかせつつ、自らの意思で断ったと錯覚させ、絶望に叩き落とすという外道な手段を使ったというのか、己は。
 渦巻く思いが喉の奥から溢れ出し、舌に乗る。苦い。藤次朗は幻の苦さを誤魔化し和らげるべく、目を瞑り耐えた。錯覚だ。そう言い聞かせる。
 --芳香がした
 甘さを含んだような匂いに藤次朗は目を開き、匂いのもとを視線で探し、白い花の山を見つけた。藤次朗自身が捧げた胡蝶蘭の花と、睦月が手向けたカサブランカの花だ。

 華道に長けた者と接触のある藤次朗はすぐに花言葉を思い出す。花の容貌といい、花言葉と言い、この重たい墓石の下に眠る二人にぴったりである。睦月のセンスに藤次朗は目を瞠るしかない。妻が睦月に対して唯一匙を投げたのが華道である。あまりにも斬新で前衛的な作品は藤次朗でさえも顔を覆ってしまったほどだ。その睦月がこれほど洒落た花を持ってくるのは意外なことだった。
 今はもうない福寿[フクトメ]家、睦月が実の親と幸せに暮らしていた家にはいつも小振りな花を咲かす植物が沢山植えられていた。パンジー、サクラ、キンモクセイ、ウメ、スズラン。いつも何かが花瓶に飾られ家を彩っていた。睦月のために飾られた花々だ。てっきり慣れ親しんだ花を持ってくると、藤次朗は思っていた。だが実際主観的にみても、客観的に考えてみても、確かにあれらは兄と義姉に似合う花ではない。彼らには大輪の花が、そうバラや牡丹、石楠花、百合などがよく似合っていた。カサブランカなど、義姉には特に似合うことだろう。
 --これがウンメイってやつなら俺は運命に感謝するけど……同時に恐ぇなとも思うな
 芳香が引き金になり、ふと兄の声が藤次朗の脳裏に蘇る。
 いつだっただろう。いつも自信に満ちあふれた笑みを浮かべ、闊達な兄が初めて見せた真剣な目だったので、よく覚えていたはずだ。
 そうあれは兄と義姉が事故にあい、亡くなる数ヶ月前のことだった。久々に、密やかに兄の家に足を運んだときポツリと兄が呟いたのだ。

※

『俺はこの子、睦月と生み、育て幸せにするために生まれてきたんだと思う』
 ふと耳に入ってきた言葉は微笑ましい割に、何故か固く真剣な声だった。不可思議に思い眉を顰めた藤次朗が兄を見やると、自嘲するようだった。
『いきなりどうしたんですか。兄さん』
『うん? な~んか、お前には言っとかなきゃならねぇなと思ってな』
『娘への惚気をですか?』
『………だけならいいんだけどな。けど、違うんだ。そんな軽いものじゃない……俺は断言できちまうんだよ。俺は睦月の父親となるため‘だけ’に生まれてきて、睦月に普遍的な幸せをやることが‘生きる目的’だってな』
 兄はイカレテるだろう、と自身を嗤う。何も言えずにいる藤次朗に手をひらひらと振りながら言葉を続けた。
『ああ気にすんな。俺自身そう思ってんだから……なぁ、藤次朗。お前、俺らと違って妻との間に愛がなく、妻が哀れだ、って言ったことあったよな? この前ベロベロに酔ったときに、さ』
『……忘れてください』
『ああ、違う違う、そう言う意味じゃない……あれな、俺らも一緒なんだぜ?』
『何をバカなことを……これだけ幸せを絵に描いたような生活をしているのに』
『うん? だって、しょうがないだろう。睦月に一般家庭の幸せを与えなきゃならねぇんだ。そういう風な環境を造るさ、俺達は。‘そのためだけ’に俺達は実家も、過去も何もかも捨てたんだからな』
 兄が家を飛び出したとき、余程義姉が好きだったのだろう、と思っていた藤次朗からすれば晴天の霹靂だった。呆気に取られている藤次朗を目を細めながら見やるが、兄は無情にも淡々と言葉を続けていく。
『そう言やお前にはあいつとの、妻との出会いを話したことなかったっけ? きっかけは何だっけなぁ……ああ、そうだ。サークル関係の飲み会かなんかのときに会った。妻を一目見たとき、思ったよ。“ああ、こいつだ”、ってな。こいつを娶って、子を成して“普通”な幸せを生まれてくる子に与えなくては、と』
『一目…惚れにしては、何というか……』
『そんなもんじゃねぇよ。恋心なんて今でもないし、抱きたいという欲求も特になかった。欲しいとも思わなかったな。けど、ただ漠然とこいつを娶らなきゃならないと何かが命じたんだ。その当時、惚れてた女がいたんだぜ? なのに心はそっちが欲しいって言ってんのに、躰が言うこと聞かないんでやんの。まぁ、向こう同じようだったけどな。出会ってすぐ求婚した男に対してあっさりと頷いて、あなたの子を孕むべきだと何だか思うのよ、だぜ? ありゃびびった』
 絶句するしかない。兄も義姉も何を考えていたんだと叫びたいが、何と言えばいいかわからないのだ。
『んで、結婚することになったんだが。俺は香道の名家、あっちは外資系会社の社長令嬢。ここでもおかしなことにな、揉めなかったんだよ。どっちを優先するか、なんてな。二人して顔を見合わせて“捨てるか”、だぜ? これじゃあ普遍的な幸せになりそうもないからっ、て。信じられねぇよなぁ。たったそれだけで、大学をでたばかりのペーペー達が手に手を取って逃げたんだ。けどな、そん時ゃ、今もだが迷いも未練がねぇんだ。どっこにも、微塵も』
『それは……やはり、そこまでお互いを想って行動、できるなら。愛し合っている、と言えるのでは?』
 少なくとも藤次朗にも、藤次朗の妻にもできないことだ。少々言葉にすると胡散臭いが、やはりそれだけの想いがあったから出来たのではないか。
 そんな藤次朗の思いを兄は笑い飛ばした。
『まっさか。だって俺達、キスもしたことないぜ? 何度か睦月を産むために身体は重ねたけど、それ以外触れた覚えはない』
『に……い、さん』
『言ったろ? 多分俺もあいつも、俺らでしか産めない子のためだけにお互いを利用したんだ。そして本能みたいなものでそれが絶対“睦月”だと分かってんたんだよな……で、見事今では誰の思惑通りか、睦月命のバカ親ができあがっちまったんだ。これがウンメイってやつなら俺は運命に感謝するけど……同時に恐ぇなとも思うな。睦月に出会えたことは心底幸せだと思えるからいいが、なんか俺自身の意思を歪められた結果にも思えるときもある。ま、今で 睦月なしの生活なんて考えられないから、歪みが治ったとしても俺は今のように、睦月に全てを捧げる生き方をするんだろうな』
『兄さんは……なんで、俺にこんな話を?』
『あ? ああ。なんかな、嫌な予感がこの頃するんだ。だからもし俺になんかあったとき、睦月を頼んだぞ、って意味を込めて、言っておこうと思った。こんなに俺達が溺愛しているんだ。不幸にしたら許さないぞ、ってな』
『何を不吉なことを……それに信用されてないわけですね、俺は』
『お前は信頼してるよ。けどな、なんか駄目なんだ。不安なんだ。天城の人間は睦月を傷つける気がしてならねんだ。なんか根拠があるわけじゃない。直感のようなもんがそう告げている』
 だからお前に頼んむんだ、と笑った兄は、もういつもの兄だった。





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最終更新日  2007年01月17日 16時41分26秒
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