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先日、天に召された人の…昔、昔の思い出…ある日、その人が明るく言った…昔、子どもの頃万引きしちゃったことがあることを…まだ十代だった私…なんでそんなに簡単に言えちゃうの?でも救われた…私にも心に突き刺さった罪の記憶が抜けないままだったから…低学年のとき…貸し本を返さないままだった…駄菓子屋で一本余計に駄菓子を抜き取った…嘘ついて…やりなおせなくて…あやまれないで…貸し本屋さんは見逃してくれたのだろう…ゆるされて先に進めたことに気付いた…ずっと、そのまま…抜けないとげだった…人の弱さの情報公開は、その人が知らないところで人を救っている…慰めている…先へ進ませる…弱さは道をつける…自分だけでなく、人が重荷を軽くする道までも…弱さは強い…
2009.01.31
…どこまで行くの?巣に帰るの?
2009.01.31
今進路についての選択肢が出てきて岐路にあることを父に電話した…あとから耳に入ったときの面倒を回避したかったので…私が何かを選ぶとき、当然、父や弟の今後の生活とも関わってくる…電話の向こうであれやこれや、父にしては威圧的でない風だった…私が続くか心配してくれているのは嘘じゃあないのかも…でも電気を消した布団の中でやっぱり私のインナーチャイルドがあの人との関わりでは自信を無くすことに気付いた…成人過ぎた娘がいるこの年でまだ…パートナーが電話の直後、私を低く評価する父の言葉を伝え聞いてなんてこと言うんだと怒って反応してくれたのに…私は瞬間、父のこと弁護した…馬鹿だ!やっぱりおかしい…私の心が一瞬にしてしぼんだ!腹を立てたら自信少し回復!問題は山積みだがダメモトでチャレンジしてみようかな…もうきっと来ないチャンスだ…昔やり残したことにもう一度チャレンジできるなんて…文字通り、「有難い…」自分のなかでのストレスとの闘いになることははっきりしている…でもたどりつくところまで行ってみようかな…残り時間の限り見えてきている…
2009.01.31
今、迷っていることがある。あちらを立てればこちらが…ということになる…仕事と生活と家族と…どちらを決断してもすっきりしないかもしれない…昔の恩師が迷ったら困難な方を選べと言っていた…なぜそうなのか、安易に走ることへの戒めか…でも、困難な方?それも…決め手がつかめない!結局、片方を選ぶときには片方の手は放すことになる…どちらを選んでももう一方を犠牲にせざるを得ない…私は今、安易な道を選ぼうとしているのだろうか?考えても空回りだ…もう寝る!
2009.01.30
我が家の愛犬 P は友人の家から来た…来たときから、異常に臆病で大きな声にブルブル…尻尾を巻いてうずくまる…元の飼い主によるとどうも兄弟姉妹?のなかでいじめられていたようだ…押しのけられていたのだろうか?今でも何かあるとふるえる…人の前でその人の太い声にふるえるからその人は原因がわからず私が日常虐待していると思われたかもしれないと思ったときもある…最近はあるときから急に食器の擦れ合う音に異常に反応するようになった…家族の見解は一致している…留守番しているときに何かいたずらして、怖い目にあったことがあるのだろうと…このPちゃん、取柄がある…家族の中でけんかが勃発すると一番立場がない人間のところに寄り添う…その時、味方がいない悪者の味方に…夫婦が言い合いを始めると…たいてい口は私の方がたつので…私の胸によじのぼってきてもうそれ以上言うなとさえぎる…そこで止まらないけんかになると…家の中の一番遠くの高い所に逃げてふるえている…今の家は狭くて…ここではお風呂場に逃げたそして落ちた大嫌いなお風呂に落ちた…廊下が水浸しになってPに起こったことを認識…けんかは終わる…笑い出して終わる…ごめんね!P…身体を張ってくれるPにはかなわないよ!ノーベル平和賞をあげたいよ!臆病なのに、ものすごく勇気がある…身体を張って平和を守る…弱い者の味方!
2009.01.30
私の結婚生活の初めの試練は、結局、自分のなかの問題だった!異常に嫉妬深い自分に辟易した…もちろん相手にもそう感じさせた…嫉妬は愛が深いからではない…所有欲の裏返しや見捨てられ不安…深く潜行していた心の傷が頭をもたげてきたのだ…孤独に耐えられない者は、二人いて味わう孤独にはもっと耐えられない…私の望むパートナー像に変われと迫る…でも自分はそのままで、この私を受け入れないあなたは愛が足りないと…まったく都合のよい話だった!空回りだ…私のパートナーは逃げ出す勇気がなかった?たぶん変われない…とそのまま…今まで。私が変わった…それが正しかった…ほんとうに楽になってきた…
2009.01.30
身近な人の身体的・精神的暴力に悩む人に・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・全国女性シェルターネット(The National Women’s Shelter Net)http://nwsnet.or.jp/・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・もう脱出しかないときがあると思う…何人か被害者と出会ったことがある…シェルターを運営している側の知人もいる…今危機にある人たちに適切に援助する人たちとの適切な出会いがあるように…祈っています。経済的なことも含めて道を共に考えてくれる人たちが必ずいると思います…相談先に困ったらメールください。札幌の知人から全国情報を調べてもらえると思います。
2009.01.29
私のブログを覗き込んだパートナーからコメントをもらった…前に札幌の小さな講座でアイヌの女性から聴いた話を…教えてくれた…彼はきちんと「文字」でメモ?し、ファイルしていた!(これが私にはできない!)講座の後の話し合いの席での問答のメモにはこうあった…・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・問 アイヌ民族はなぜ「文字を」持たないか? 伝えるために便利ではないか?答 直接伝えればいい問 遠ければ?答 大きな声で…問 それ以上遠ければ?答 伝える必要がないものだ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・この思想にはたしか出典があるはずだが…それは不明とのこと。さらにパートナーは、「文字」は…特に文書となって、(遠くからくる)「文字」は「支配の道具」だった…歴史家からのこういう指摘があるとも…・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「文字」は決して悪者ばかりではない…むしろ大切な役割を果たしてきている…でもその文字が時に人を支配し抑圧する道具だったという側面…そしてその「支配」を必要としないコミュニティのなかで生きてきた人たち…いろいろ教えられ、感動する…だが、その感覚のほんとうのところを私はまだ想像しきれてはいないと思う…「支配」構造を脱いだ世界の感覚を肌で感じて生きてきていないから…おそらく…だって文字があふれている…そんな生活をおくっている…。こんなに「文字」を使って…「文字」を必要としない世界のことを考察している自己矛盾あ~あ…
2009.01.29
もうずいぶん前のこと…札幌で…こどもが小学校2~3年だったかな?学校の「しらべ学習」というので、放課後、何人かの子たちをアイヌの人たちの「生活館」というところに行くのを運転手&保護者としてサポートした。「オガワさん」が説明してくださった。その冒頭に、「アイヌはもともと文字を持たなかった…」と言われた…と記憶している。あきらかに文字を持たないことに胸を張っておられる表情の「オガワさん」の迫力にわたしはショックを受けた…私の知らない生き方があると…この人の自信が私の「当たり前」を砕いた…「その心」が何かは情けないが未だつかめないままだ…でも「当たり前」は「当たり前」ではないかもしれないその留保が私の中で生れた…アイヌの資料館に行くと魅せられる…その生活力の高さが民具をみると伝わってくる…自然界に対する慎みは恐れを知る民の偉大な知恵だと知らされる…けれどもこれまでの歴史を省みると偏見がアイヌ文化のすばらしさを劣ったものに印象づけてしまってきた…それは大きな損失だ…日本の社会にとって。私は雪が融けたら、道内のまだ訪れていないアイヌコタンを訪れたいと思っている…アイヌ・暮らしの民具
2009.01.29
母が逝ったあと、私は自分の「グリーフ(悲しみ)カウンセリング」に意識的に向き合った…まわりの状況に迫られて…だが。教えられたのは「悲嘆のプロセス」の初めは自分を責める時期があり(詳細は忘れたが…実感したのでおぼえているのは)怒りが湧き起こってくる時期がくる…というものだった。私にも来た…なにもかもに腹立たしい時期…それまでなら我慢して通りすごしただろうことに一々まともに突っかかった…人にカランだ!最大の被害者はわがパートナー!堪忍袋が破れていたみたい!に怒って人も傷つけ自分も傷つき…最悪だった!(でも悪いことばかりではなかった…ぶつかったからおこるコミュニケーションもある)それで…気付いた…その怒りに、ふさわしい出口を見つけてあげなくてはということに…そうして周りを見ると怒りを処理できなくて病気になっている人がたくさんいるように思えてきた…怒りは悪徳だとされる涙もそうだが…私は怒りと涙の再評価が必要だと思った…人の交流の中でも…今、怒り(and 涙)を噴出すことが必要な人に、それができる時間と安心して怒れる(and 泣ける)場それを盾になって見守り隠してくれる人間関係これが意識されれば…おたがい安心して挫折できると!だから周りの人にもそれを宣伝した!自分のために…怒っている人に向かう人のまなざしが変わればその人の怒りは出口を見つける…私は自分でそれを実感している…そして怒りには効用があると…言える。今では。「けんかコミュニケーション」は結構いい突破口だ…とくに日本の「美徳」で縛られている私たちには必要だと思っている…人間関係も、けんかして越えるまではまだ本物じゃないと…安心して絶望できる人生
2009.01.29
ブログに入門してまだ新米の私…でも自分のブログだけではない拡がりのなかで、苦しい状況にいる仲間を支えあう人たちに出合わせていただいています。小さな喜びをいっっぱい発見!瞬間かもしれない…形は変わって行くでしょう…でも価高いなあ!瞬間、瞬間、必要に応じて、生れては消え、そしてまた生れて…人を支える形を変え日々全く新しい「天空の城」…混沌からの一時保護所…
2009.01.28
離れたところにいる人がどうしているか心配でもそういつも頻繁に細かいことまで連絡しつづけるって大変ですよね…「今のところ生きています」その知らせってとても大事なうれしい知らせです。私は娘たちに時々…生きていますか?ってメールします…子どもたちには子どもたちの世界があるわけだから…一番大切な知らせは「生きています」なのだと思います。だれもみな「今のところ」です。私も「今」は生きています…生かされています。あなたは?
2009.01.27
このあいだ…世界のはじめ、空と海とは別れていなかったと言う物語を聞いた…古代近東の宇宙観が現れている話だ…はじめは「混沌」=水がすべてで「闇」が覆っていて…神様だけがおられた…そこに神様は光、昼と夜をつくられつぎに混沌の水を上の水と下の水に分けてその上の水の中に大空をつくり天と名づけられた…天はその上の水が落ちて人をのみこまないように支えている天蓋のようなものらしい、地下の混沌には海と乾いた陸地が用意され山々は天を支える柱…陸地は下の混沌の水から人を守る…そこに食べるものになる植物や動物を作り……、すべてを整えられた…人は混沌から守るための舞台が用意されたなかに一番最後に遅れてきた…祝福され守られているが遅れてきた小さなものだという慎みをもたなければ…ならないのではないかと言う話だ…たしかに世界でわがもの顔にふるまい、温暖化で天蓋も壊し陸地が海にのみこまれてしまいそうな今日だ…なんで人は「空」を見上げるのかなあと思っているうちにその話を思い出した…混沌は落ちてこないようにされている混沌にのみこまれないようにされている…いいなあと
2009.01.27
人はひとり…いくつになってもひとり…二人でいてもひとり…だからあのひとりの寂しさをこのひとりはすでに味わっている…でも心を開きあうことにはなんと…遠いんだろう…また突っ張ってしまう自分…またひとり、私が突き放したあの人も…またひとりにしてしまったピエロになれたら…ひとりのままでもひとりを突破できるのかな…もう少しあの人に近づけるのかな…泣き笑いの人生に入れるのかな…ひとりのままでも、ひとりを突破…さがしてみよう…
2009.01.27
昨年と今年、相次いでこの世を去った友人夫婦の葬儀の写真を彼らを共に知る方が送ってきて下さった。送り手の年老いた彼女は深く傷ついている様子。いつもの冷静な文章ではなく脈絡が乱れている…花に囲まれた両者の写真は私の知る若い頃に近い面影だ。残された若いお子さんたちがそれを選んだという…また落ち着きかけた気持ちが、少し波立つ…そして送り手の彼女と同じ悲しみの中に入って行く私…でもこうやって思い出して、泣いてそしてこの現実を受け入れていく…これは生き残ったものがたどらなければならないプロセスなんだろう。身近なものにとってはすべてのものが故人を思い出させ…悲しみに閉じられてしまい、周囲のスピードから取り残されてしまう。だからこの社会のなかに、最も悲しい人たちが充分に悲しみつくす速度で存在していてかまわない居場所が確保されたらと痛感する…ゆっくりそこに留まっていてかまわないよと…。どうどうと悲しんでいてかまわない、急がなくていいと。
2009.01.26
悲鳴が聞こえる…あの人から…この人から…向こうのほうから…またその向こうから自分の悲鳴もお腹の底から聞こえてくる…自分の耳の中で悲鳴のハーモニー…どうせなら歌に変えよう!同時に悲鳴をあげよう!どうせなら。他にやりようがないなら…
2009.01.26
札幌で暮らした20年のうち、最後の数年、市場でパート労働をした。非正規雇用だ…朝の空気とともにその記憶がよみがえる…朝の3時起き、目がさめないままコーヒーを流し込みその日の天候にあわせて身支度をする…天気によって大違い!あの頃から空模様を何よりも気にする人に変身!交通量の少ない時間に車を走らせる…カーラジオを聞きながら…夏は夜明けが早い札幌だから、日の出の瞬間に真正面からぶつかることがあった…でも冬はまた極端に日が短い…つるつる路面に車をうまく乗せながら行かないとならない…早起きの人たちは新聞配達さん除雪のための労働者さん…そして市場で働く人たち…その日の魚・その日の青果、売り物を調達するために遠くから車を走らせてくる人たち、早起きの人たちのための食堂…売店警備員さん…眠らなかった人たちもいる24時間営業のコンビ二(夜真っ暗だと灯台がわり!)の店員さん…人のストレスを受けとめる夜の町の従業員さん…そして眠れなかった人…早く目が覚めてしまった人のための深夜ラジオのアナウンサー etc夜の街で酔いつぶれた人はちょうど帰る時間…あの数年、私は身体を動かして救われた!台車を転がし、トラックやワゴン車など小売の人たちの車に、購入された品物を積み込む…市場の中は独特の交通ルールがあるもたもたしてたら…弾き飛ばされそうだ…魚をねらって栄養満点の太ったウミネコが!ビル風を読まないと品物が台無しになる…売り物を身体をはって守る…若い上司のいやみに耐える…毎回顔を合わせる人たちとの間では小さなコミュニケーションが生れる…小さな連帯感同時に微妙なライバルでもある…みんな不景気の中でぎりぎりのヤリクリ!数年の間に身体をこわして廃業する人、つぶれた店、そこで失業した労働者がまた別の店で働きはじめる…そんな出来事を数々目撃した。いつ首を切られるか…店がつぶれるか…次の仕事などみつからないかもしれない…その不安から胃が痛くなる…今日を生きるしかない…明日のことは見えないから…いろいろあったが、それまでの生活と違う生活をする中私の心と身体のリハビリが自然に行われていった…夜明け前…眠らずに働いた人と…これから働く人の交差点、眠らずに眠れない人を支える夜の町と暗いうちに朝を呼び込み昼の町に備える朝の町入れ替わりの時間…夜明け前あの日々があったから…私は生かされている今日を生きるしかない…明日のことは見えないから…「明日のことは明日自身が思い煩う」(by Bible)この暮らしは今も同じだが…いろいろな人との小さな交流が生きる糧…それだけでいい、多くはいらない
2009.01.26
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どうも…自分の自覚症状と、医者からもらった診断名がフィットしない感覚で苦しんでいる人が多いという印象を受ける……何だか実際の姿が想像できない仰仰しい診断名が多くはないか?…これが差別や偏見を助長してきたのではないか…診断を受けた人はこのショックでまた傷を受ける気がする…また「べてる」の話になってしまうが…「べてる」での、「当事者研究」のタイトルに私は教えられる…本の目次から借用するが・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【目次】(「BOOK」データベースより)第1部 自分自身で、共に―弱さを絆に、苦労を取り戻す(「当事者研究」までのプロローグ/べてるの家の「当事者研究」)/第2部 「弱さの情報公開」をはじめよう―「当事者研究」の実際(「べてるウイルス感染症候群の研究」/「“劇場型”統合失調症の研究」/「“人格障害”の研究その一」/「“人格障害 ”の研究その二 見捨てられ不安の研究」/「人間アレルギー症候群の研究」/「“サトラレ”の研究」/「起業の研究」/「救急車の乗り方の研究」/「どうにも止まらない涙の研究」)/第3部 苦労や悩みが人をつなげる―座談会「私たちにとっての当事者研究」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「人間アレルギー症候群の研究」「どうにも止まらない涙の研究」これは自分の困っている事態、症状、感覚そのものがすぐに伝わる「“サトラレ”の研究」、これはテレビを観ていないとわからないかも自分の心の声が人に聞こえてしまう「サトラレ」…彼をとりまく人々の人間模様を描いたドラマがあった…こうして自分の弱さに笑えるネーミングができる時には不安や怖れはかなり軽減できているのだと思う…浦河べてるのHPをのぞいてみると…笑いがいっぱい!びっくりするほど…だ。弱さのままでいる自分をいとおしく感じ始めていることばに笑い泣きだ!ほんとにワクワクするなあ!
2009.01.25
この春、二人の娘がそれぞれの地で同時に部屋さがしをしている…沖縄にいる長女は…ひとりの部屋をさがしていたのに…新しい職場のスタッフとルームシェアをすることになりそうだ…経済的な都合でそうなった!反対に経済的都合を考えて友人とルームシェアを計画していた神奈川にいる次女はそれぞれの条件が上手く合致せず計画変更で今ひとりの部屋をさがしている…時間が限られて焦っている…ほんとにままならないね。ルームシェアという考えは…頭の古い私には自分からは出てこない発想だったが、娘たちの世代ではあまり抵抗なく選択肢のひとつになってきているようで驚かされた…私は人と対する場面が多いところにずっといたのに実は対人恐怖症!人前での緊張が強い…ある講演会の裏方をしているとき…講師の精神科医にそれを指摘された…母の死からまもない頃で特にひどかったのかもしれない…もがいていたから…対人恐怖の症状のひとつ…若い頃から治らない赤面恐怖症はある時からは、足つぼ刺激で凌いできた…自立神経失調症のつぼであるらしい親指と人指し指の骨の分岐するあたりに…磁石をはりつけている…私には効いていると思う…はり忘れていると血のめぐりが悪くなり再発するから…治そうと焦っていたときは悪循環! 内面の問題と思っていたことがどうして?つぼ刺激で???人間の身体と心ってこんなに連動しているんだって発見した!また、「ままならぬ自分」は何かの課題にとりかかると必要以上に過剰適応する!(あはは)ブログもそうですね!わかっていても速度オーバー、ノンストップで走ってしまう…そして倒れる!このパターンを調整しようとしてもそう簡単に調整できないできた…だから今、私は調整しようと力むのは止めた。ただ倒れてしまうときの倒れ場所の楽屋裏を確保することを大事とする。札幌での生活はその楽屋裏確保がしにくくなっていたかもしれない…やっと自分を守る方法に気付いてきた!たしかに…「べてる式」で指摘されるように病気を治そうとしないで…生きづらい自分を少しでも生きやすくするような運転をするのだ生きづらさを軽減する環境さがしをする…とも言える!この年になったからそれを実行しやすくなってきたのかもしれない…人目が気になった若いうちにはなかなかできなくて、迷路に入り込んでしまって…つらかった…今はもう降りることが苦ではなくなった…むしろ心地いい…あまりきちんと考えて始めたわけでないこのブログだが…書いているうちに方向性がひとつにまとまってきたかもしれない…自分の行動を認知する「当事者研究」をいつのまにかはじめてしまっているではないか…少し前まで恥ずかしくて口にだせなかったことも自然体で書いてしまっている…「ブログ療法」って言葉が頭にうかんで、検索してみたら…あるある!やっぱりみんな先を行ってる!聴いてくれる人がいるけれど…適度な距離でつらかったら楽屋裏にこもって呼吸を整えることができる…これがいいんだね、きっと。仲間さがしの場にもなっているし…この道を紹介してくれた娘に感謝!有難う!そして新しい出会いも感謝!
2009.01.24
道内各地で雪まつり、氷まつりの話題が聞こえてくるこの季節でも昨日は「雨!」みわたせば土も所々に!スキー場は大変!雪まつりの雪像も、危険でさえあるだろう!雪は降っても降らなくても大変!
2009.01.24
小さな法人の税金関係の書類作りを手伝う…初歩的な質問をくりかえす私を…見下すような税務署の窓口…取り付く島もない対応は俳優の阿部寛と似ている人…声やしぐさまでも!何かの役で見た感じと重なる!帰りの車の中でボヤいたらパートナーもたしかに似ていたと吹き出すふだん使わない脳細胞を使わなければならず…頭が張ったような感じ…向かない業務内容だが脳トレにはなるかも…仕組みがのみ込めると頭が少しだけよくなった気がするむだなことはないと思おう!せめて…
2009.01.24
韓国から帰ったJさんからのおみやげが届いた…なんて優しい色だろう…少しパステルカラー気味のやさしい虹(セットン)色…
2009.01.23
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少し前に北キツネの母娘が役割分担しながら子育てする様子をテレビが映し出しているのを観た。北キツネは我が家のまわりでも姿を現す事がある。北海道ではエキノコックスという特にキツネ(犬、猫の場合も)を媒介とする怖い寄生虫の感染被害があるので可愛いようだが触れない…外で犬を飼うのも危険が増える畑の作物も気をつける必要はある。発病までに10年だったか…長い潜伏期間を経る症状が出て気付くのは手遅れだ。機会があったので健康診断で血液検査を受けてみた…大丈夫だった…テレビの母娘キツネは、外敵から、わが子やわが孫を交代で見張る…危なくなると巣を移る…子育てのパートナーとして父親が育児に参加する家庭もあるらしいが、父親よりもメス同志で協力するケース…しかも母娘である母親同志が協力するケースをカメラは追っていた…ていねいに育てる…エサの取りかたを教える…だがある日を境に…母キツネは子どもの要求を見事に無視し始める…子どもがせがんでも徹底して…お見事!人間の親はなんと中途半端だ…生きる力を引き継いでるとは言えない。エサの取りかた…うーむ 教えられていない!自分もひとりでちゃんとエサを取れるかと問われれば中途半端だ…子どもの要求…ちゃんと耳を傾けきったと言えない…だから心を鬼にした徹底した子離れもできない…北キツネ、すごい!観光客に媚びうるのもエサを得るため…決まったところで見るあのキツネたちは母親か…父親か…ちょっとみる目が変わる!そういえば家にアイヌの民話の絵本があった…「キツネのチャランケ」…チャランケとはアイヌの人たちが大事にしている話し合いによる解決・談判することだ…武力ではなく…生活の中でキツネの賢さを知ってたからこんな民話が残っているのだろう…アイヌとキツネ
2009.01.22
14年前の2月、母が自ら命を絶ったとの電話を受けたとき瞬間的に二つのことを思った…母は弟を生かすために死んだ!と…これで私は同じ死に方はできないな!と…もいやもうひとつ…私は神に打たれた!私が母を殺した…とも弟は私より三つ下、今では「ひきこもり」という言葉があるがそんな言葉も、「不登校」ともまだ使われていないころから…流行の先端を走っていた…新聞報道などに出る統計の一番年長世代より年上だ…母はこの弟が部屋を出るために自分から消えたと私は思っている…それが疲れた母にできる最後の仕事だと思ったのだと…弟は第一発見者で母の身体をうけとめた…弟しかいない時間を母は選んだと思う…弟は「自分が不甲斐ないからだ」と警察が入った現場で久しぶりに言葉を発したそうだ…私は今、母の残した仕事を自分の課題としている精神的に家族を支配、監禁する父との戦いをしている…弟と私自身の脱出のために…弟には私の思いを手紙にして置いてくる…言葉での返信はないが読んでくれていると感じている。弟の悲鳴が聞こえてくるような気がしても、父は弟はまともでないと出会おうとしない…彼のサインが見えない!見ようとしない!なんと弱い人なのか…ほんとうに悲しい!ほんとうに憎くなる…兄は私よりもっと父を憎んでいる…でも戦いと言っても客観的に見れば、父ももう要介護の老人だ…子どもたちからの不信は彼の頑なさをさらに強固にする…私は直接的な戦争はやめた…弟を窮地に追い込むことにもなるから……今でも父の前で萎縮する幼い時のままの私がいる…だから、びくびくしながら父の介護に出かけ、どうでもいい細かいことに口うるさい父の意に逆らわずに父と食事をし家の片づけをする…時々、奇跡的に父の頑なな心が開く瞬間がある…自分を譲ってくることが起こる…弟と私の脱出のために、そんな小さな勝利を積み上げていく…これが私の戦いになった…母がそうして疲れてしまったその戦い方をいつのまにか引き継いでいた…時々、体調を知るために電話を入れる…気持ちの中には嘘が半分…確信的な偽善者だ!後ろめたいが…やめない。そして内的な戦いで傷ついている…馬鹿かもしれない…母も…私も…そんな思いが頭をもたげる…母との精神的戦いだって未だに続いている…言わば亡霊との戦いだ!でも戦って親に勝ち、親を乗り越えるのが生んだ親への礼儀だと、私は思っている…とてもとても遅くなってしまっているけれど。だから私はわが娘たちには早めの「精神的親殺しのすすめ」をする…そして生きなさいと…。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・降りていく生き方【目次】(「BOOK」データベースより)1章 それは社会復帰ではない―非・援助の思想(混沌と葛藤のなかのはじまり/キヨシどんと向谷地さん ほか)/2章 この生きづらさを語る―暴力から言葉へ(引きこもり、破壊、後悔の連鎖/変化の兆し ほか)/3章 愛の暴風雨をくぐりぬけろ―依存と愛情と自立と(壮絶バトルの恋愛生活/自己否定感との闘い ほか)/4章 しあわせは私の真下にある―「治る」よりも豊かな回復(ゴージャスな入院への処方せん/友だちが増える病気 ほか) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2009.01.22
朝…いつにも増して寝坊した…そうしたらパートナーが、眠れるときに寝たらいいといつにない優しい反応…彼は農家の生れ…幼い頃、朝起きると親たちはもう作業に出ていて…さびしかった…だから雨の日が好きだったと言う…だが今は、もう朝の四時頃には目がさめてしまうのだ…もっと寝たいのに眠れないと…今もさびしさは変わらないのだろうな…愛犬はついてまわっているのに…。
2009.01.22
母の命日の前後のこの季節、毎年情緒不安定になってきた…年々、心の波立ちは小さくなり、今年は大丈夫と思ったが…友人の死や…叔父の死…その他いろいろ影響受けないなんて傲慢!気付けば、ちょっと速度オーバー!雪道だと大事故になるよ!人を巻き込んでのね…まだまだ運転あぶない…ね。
2009.01.21
北海道の浦河という町に「浦河べてる」はある。だいぶ前に一度お訪ねしたことがある。そして最近その取り組みの詳細に再度眼を向ける機会を与えられた…ソーシャルワーカーの向谷地生良さんの講演と当事者の「当事者研究」に触れる機会を…べてるは教会の古い会堂を心病む人 生きづらさに悩む人の居場所として使用することから始まったという…はじめは「ひとり」から…私が心引かれたのはここでの「当事者研究」や「認知行動療法」という「べてる式」取り組みだ。べてるの家の「当事者研究」認知行動療法、べてる式。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 以下、「認知行動療法、べてる式」本の紹介の文章を借りる。著者: 伊藤絵美 /向谷地生良出版社: 医学書院認知行動療法とは当事者みずからが困り事のメカニズムを理解し、「抜け道」を探すための“自助の道具”です。専門家は“自助の援助”をします。認知行動療法では心の中を見つめません。世界との接点だけに着目します。「接点」とは次の二つです。入口=物事をどうとらえるか→認知、出口=物事にどう対処するか →行動。べてるの家では、そうした「認知」と「行動」にアプローチする方法として当事者研究とSSTをおこなっています。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・心の中を見つめません!というところにびっくりさせられる…向谷地さんの話の中には生きることを車の運転にたとえ、生きづらい人とは運転がうまくないということだ…だから、自分の運転をうまくすることが目指すところだと言う言葉が出てきた…(あくまで精神医療は当事者の取り組みをサポートする役割に徹する。医者もワーカーもわき役に徹する、ここでは…だから向谷地さんの講演も当事者の報告がメインだった…)最初はえっ?と思ったところがある…でも確かにそうなんだと…ふっと楽になる……いつもトラブルばかりの自分、どこでぶつかってしまうか「当事者」がさがす…次第に気付きがおこる…いつも同じようにぶつかってしまうところがあることに…町ごと当事者研究をする人の居場所に変わってきたそんな空間・関係にしていこうとする取り組みが重ねられてきたようだ…私も自分の居場所をそんなところにしたい…生きづらくて仕方がない自分のために私は自分の生きるヒントを与えられた気がしている…安心して絶望できる人生以下の当事者研究のネーミングを見てください!涙と笑いがあふれます…・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【目次】(「BOOK」データベースより)第1部 自分自身で、共に―弱さを絆に、苦労を取り戻す(「当事者研究」までのプロローグ/べてるの家の「当事者研究」)/第2部 「弱さの情報公開」をはじめよう―「当事者研究」の実際(「べてるウイルス感染症候群の研究」/「“劇場型”統合失調症の研究」/「“人格障害”の研究その一」/「“人格障害 ”の研究その二 見捨てられ不安の研究」/「人間アレルギー症候群の研究」/「“サトラレ”の研究」/「起業の研究」/「救急車の乗り方の研究」/「どうにも止まらない涙の研究」)/第3部 苦労や悩みが人をつなげる―座談会「私たちにとっての当事者研究」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「べてるの家」から吹く風・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【目次】(「BOOK」データベースより)弱く、遠く、小さき群れより/悩む教会/「アル中になってもいいよ」/「あきらめる」ということ/出動!爆発救援隊/贈ることば/終わらない旅/自分自身で、共に!/仲間の力/心を開く〔ほか〕・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2009.01.21
「もうやだなにもかもぜんぶすべて終わらせたい」私もほんとはおんなじ…すべて投げ出したいでもあの人が逝ってしまったときから私は…たとえ生きることを望んでも死ななくてはならぬ…その日が来るまで…あハハ…死ねなくなっちゃった!面倒なこといっぱい残して…ずるいよ!自分だけ楽になっちゃって…ときどきそう叫びたい衝動にかられる!でもごめんね。あなたといるとき、あなたの重荷を軽くしてはあげられなかった…だから私は今、重荷を降ろせない…今になってあなたと共に生きようとしている…時間切れだけどもう遅いけど…それでも…あなたの後をたどっている…確かにあなたの笑顔は私をささえてくれていた…ごめんね…私はあなたほど人をささえられない…
2009.01.20
昨日、ある記録をさがす必要があって昔の写真の山に向き合った。アルバムに整理できているのはほんのわずかで80%は段ボール箱に何箱かに分けて未整理のままで詰まっている…ごく最近のものはパソコンの中だ…もうお手上げ状態だ!あったはずが見つからないのもある… なんのためにこんなに撮ったのかと思うが…たぶんまた懲りずに撮るだろう… 先日、実家でも古い写真を久しぶりに見た…こちらのほうは一応アルバムに入ってはいる…なつかしい瞬間がたくさん焼きつけられている…いろいろな想いが渦巻く…でもだれが今後これを引き継ぐのだろう… 少し前、破綻の街、夕張の過去の写真を見る機会があった…今は鬱蒼と緑が茂る場所に、おびただしい炭住が立ち…今では考えられないほどの人…人…人 街全体が躍動している私はこの写真は必要だと思った…この対比を見ておかなくてはと…眠っている写真たちにも何か役割があるかもしれない…ずっと後世、縁もゆかりもないような人にかもしれないが掘り起こされて命を持つ写真もあるかもしれない…写真と共に埋もれていた小さなひとりの足跡がよみがえるかもしれない… そう言えば前に在日韓国籍の友人に言われたことがある…日本人は丁寧に記録を残す、それが後世にものを言ってくると…そうだろうか…意識したことがなかった…もしそうだとしても、それがのちに何のためになるかを知っていれば、記録の残し方は違ってきただろうに…あのアルバムの箱どうできるだろうか…
2009.01.20
おおもとの出典をきちんと確かめていないが、今ではよく言われる言葉になったと思う。「子の心、親知らず」「親はあっても子は育つ」自分が親になったときによく思った言葉だ…ある日のこと…幼稚園の頃だったろうか…次女が私の両ひざに跨ぐように向き合って乗ってきた…そしておもむろに両手で私の頬を挟んで自分の顔のほうにグイッと向けさせたのだ…言葉が出なかった!彼女が完全に主導権をとった瞬間だった!静かな静かな実力行使に私は完敗だった!心娘にあらずだった母親に娘はもっとも有効な抗議方法を泣きもしないで取った!天晴れだ!本当は泣いてたんだね!「子の心、親知らず」!
2009.01.18
沖縄の緋寒桜が咲いたと聞いた九州では雪が降ったとも聞いた…列島は広い?長い?沖縄の桜はまたこれがいい色緋色って言うのかな?北海道の花屋さんでも見ることがあるけど、現地の風景の中で見るのが一番!一月に外で花が咲いていること自体、感動だけれど…ソメイヨシノとは全く違う味わい!北海道の桜が開花するのは4月末から5月というところ!それまでまだまだおあずけ…関東のソメイヨシノを桜と思って育った私は、北海道に住み始めた当初、北海道の桜の咲き方はデリカシーに欠ける(たいへん失礼、ごめんなさい!)と思えた…でも…今ではそれぞれの地にそれぞれの春…それ以外ないとわかった!北海道の春はダイナミック!雪解けから、ほんの少しだけ待つといっせいに花開く花園になる!関東では時間をずらして咲く花々が一気に咲くのを見ることができる。命の躍動だ!今では庭に植えられて主役を演じなくてはならない桜より山の木々の中のエゾヤマザクラが大好きになった!ただの木の一本として自己卑下せず、自意識過剰でもなく自然体の桜だ!他の木々を損ねず、他の木々にひきたてられて短い花期をせいいっぱい咲いている。そんな風景の中に自分も居るのがうれしい!好みの変化は年のせいかな?
2009.01.18
向こうからの連絡待ちだった悲しいことがあったばかりの友からの電話連絡を受けてなんだかとっても安堵した…長電話した問題は山積でため息ばかりなのに、何も建設的な話題でもないのに、それでも…おたがいの存在を確認して安堵する…おたがいが共通して心配しているひとたちの情報をたしかめてまた安堵する…位置確認をしただけだけど…これでまた少しは前に進める気がするのは不思議…ただそれだけなのに。ゆっくり眠れるように…! おやすみなさい!
2009.01.17
17日だ。あの日私は道内で半月遅れの正月休みで家族と温泉で過ごしていた。朝、旅館で神戸の地震のニュースを聞き、帰りの車の中でラジオで続報を聞きながら帰宅した。時が経つにつれ大惨事となっていることがわかってきた。はるか昔であるが中学から高校にかけて兵庫県民だった。神戸市民だった。同級生だった人たちはどうしているのか…次第に明らかになってくる被害をテレビが映し出した買い物を楽しんだ三宮の通りに大きなビルが横倒しになっている画面、火と煙に包まれているあの街母と子供たちと楽しんだ須磨の水族館、水槽が壊れて中の魚も水もみんなみんな流れ出てしまっていた何よりも…何よりも…棺が足りない…もはや動かせない悲しみの上にやりきれない悲しみが追い討ちをかける…絶句する思いで画面に見入る。現場で起きていることを想像しきれない…。関東の実家で私の母もそのニュースを見聞きしていただろう…皆で住んだあの街のことを…それからまもない2月、突然、母の死の知らせが飛び込んできた。母には棺があった…母のためだけに多くの人が集まってくださった…このうえなくつらいできごとだったのに…神戸を思った…そのあと…サリン事件…あの年は戦後50年、平和がくるはずの年だと思っていた…新しい地平が開けると…直接の被害者でない私…でも忘れられないあの年、あの日。
2009.01.17
今日、沖縄で学生生活をおくっている長女が四国に出発した!卒業を3月に控え、卒論も抱えているが、新しい世界に出る準備のための旅だという…インターンをはじめた地域おこし、島おこしをテーマにするNPOの研修だという… 昨年はいわゆる「就活」でリクルートスーツを着込んで東京でIT企業や金融関係の就職説明会めぐりをしていた娘がある日突然すべてを降りた…その後、教育実習に行き、教員免許も取れたはずだが教師になる気にはなれなかったらしい…あははハハ…やはり私たちの娘だ…遺伝子のなせるわざか環境か?安定した就職先をと望む私の父(彼女の祖父)には到底理解不能…親が悪いとなる…その父もこのごろ何もコメントしなくなった…あははハハ娘いわく…内定取り消しされても挫折としないで、生きていく道を見出す力をつける世界にいるらしい!たしかに発見だった!確実に年をとってきた親は、いつからか今更もう自分たちからは新しくは開けてこない世界があると限界を決め込み始めていた…娘たちが家を出て新しい地で暮らし始めた何年か前…急に気付かされた!彼女らが開く新世界の息吹に思わぬ恩恵を受けることがまだ残っていたと!想定外だった!子供との関係に限らなくても、これは発見だ!たとえ「限界村落」であっても…あきらめる必要はない!行き詰った時代、これからを解く糸口かもしれない!次世代が生き生きと生きられる空間。たとえ娘たちがここに帰ってこなくても…娘たちがどこかで受け入れられ、もてなされているように…こちらも新しい出会いを楽しめばいい!そんなに無理しなくても今の空間を… 関係を… 再評価して少しだけ工夫したら違ってくるかもしれない内定取り消しも、経済破綻も…決して限界ではない。絶望ではない。きっと抜け道があると信じてさがし続けよう!老いては子から学べ!だと思った。
2009.01.16
除雪をしながら、雪解けの庭を頭に描く。北海道に生活しはじめて札幌で20年を過ごしたが、この地では二度目の冬。昨年は部屋の中で野菜の育苗してみたものが何種類かあった。温度管理が難しく、ヒョロヒョロ苗ばかり。でも植物の生命力は素晴らしかった!夏の間、野菜をあまり買わずに済んだ!さあ、二年目の土がどうなるか… 北の雪は豊かな恵み…もう土造りが始められている!感謝
2009.01.15
今シーズンは中古だけれど昨冬までより大きい除雪機を動かしている。前のよりハイテクでパートナーと二人で作業分担すると確かにはやいはやい!きれいにはやく行動空間確保!でも 操作間違うと重い機械の下敷きになる危険性もありそうなほど重い! そんなわけで体はほとんど使わず、操作の手順に頭と神経を使う機械担当だと汗もかかずダイエットにはならない。風向きによって飛ばした雪を浴びる…首筋、足先、寒くて…体を動かした爽快感もない!汗だくになる肉体労働と比べものにならないほど物足りない終わり方だった。便利ではやく終わって助かるけど…雪の中で体がぽっぽと内から燃えるあの感じは捨てがたいな、やっぱり!今度は雪集めの係りにまわろうかな
2009.01.15
降り積もっている。今日の仕事は除雪。 道産子は言う。一年に降る雪の量はだいたい決まってるさ!だからまだまだだ… 一生に流す涙の量も決まっているかもしれない…と思う小さい頃泣きすぎた私はもう涙の泉が枯れてきたのかもしれない… 泣きたいのに泣かなかった誰かさんは…今頃涙が止まらない!涙あふれて落ち着くまで…流しっぱなしにするがいい! 流し終わったら春が来ているのに気付くだろう…
2009.01.15
江東区で起こった事件の公判のニュースは聴くのがつらい…でも裁判員制度の開始を意識した集中審議で連日ニュースを聴くことになるのだろう。 法の素人がこんなに短期間で生々しい証拠や証言をいっぺんに突きつけられるのと長々とした今までの公判日程で、判例を重んじた頭で感情を冷ましながらの裁判では判断に開きが出るのは容易に想像できる。 真偽のほどはわからないが、この容疑者も発達障害を抱えていたらしいとかいろいろなネット情報も流れている。 被害者家族の埋めようのない悲しみや激しい怒りを、娘を持つ親として胸つまる思いで想う。この衝撃は生涯癒えることはないほどのものだし、今この裁判でまた再び傷が深まりさえしているだろう… 一方で発達障害の子を持つ身近な人の声を思い出す。このような事件が起こるたびに人知れず苦しい思いでわが子の将来を案じている。今でも生きづらくて苦しんでいるのにますます生きづらくなっていくのではと心痛めている。 もっと冷静なコメントを聴かせてほしい。それを聴いて考えたい。被害者になってしまった人の親のように…、加害者になってしまった人の親のように…。 「裁判員制度」は充分に準備されているとの印象は持てない。何かとても性急すぎるシステムに巻き込まれていくようで怖い。ひとつのニュースに世間全体が一挙に集中し、あっという間に同じ色合いに染められた感情の渦に巻き込まれていく。マスコミもテレビの前の人心も…そして性急な日程の公判。テレビのニュースはどのチャンネルも同じ時間帯に同じニュースと横並びのコメント。そして次の事件が起こるとあっという間に流した側も聴いた側も前のことは忘れて行く。 違和感を感じている人の小さな声は受け付けられもしないうちに消されて行く。
2009.01.14
今年も阪神・淡路大震災の1月17日が近づいてきた。今朝、どこかのテレビがその話題にふれた。 毎年、この時期が苦手な私。あの年、「1995年」、いろいろありすぎたから。その年を象徴するできごとのニュースがつらかった。被災者ではないが、かつて住んだなつかしい街なみが崩れていったあのできごとのあとに、身近におこったことを走馬灯のように思い出させられるから。そこからまた悲しみが続いたから‥でも昨年くらいから心の波立ちが違ってきた。何が変わったのかはわからない‥時間が解決する‥忘れさせてくれたということなのか?それもあるが、それだけではないと思う。決して忘れたわけではないから。あの日はまだまだ近い。雪のピークはまだまだこれからだが、確実に私の眼に入ってくる光をあたたかく感じている悲しい知らせ、腹立たしいニュースもつきないのに‥何が変わったんだろう‥静かな気持ちだ。あの年から泣き虫だった私が悲惨なニュースに涙が出なくなった。凍りつくだけだ。どうでもいいようなテレビ番組ではポロポロ泣いてしまうのに‥その頃の記憶は途切れ途切れだったりして、物忘れもひどかった。でも今は心の凍りつき方が確かに変わってきた‥記憶力も年相応のぼけ方ではないだろうか‥心が緩んだ。体の緊張もきっと解けてきている‥。でも決して忘れてはいない‥あの街と共に‥あの人のことも深く深く刻まれている‥記憶よりも深いところに。
2009.01.13
20歳になった娘とほんの少しの間語り合う時間をもてた。私のブログを娘が読み、娘が書き溜めた彼女の心の部屋を少しのぞける‥ブログを読むことを許してくれた。お花持って帰れないから‥写真に留めたよ!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・だいぶ越えたね!‥昔、親が急に小さく見えたその日のショックを私は、忘れない!でもそこに着くまでの日々は死にたいほどつらかったし、その日を過ぎたそこからは心細い日々の始まりだったよ。あなたが初夢に両親の死んだ夢を見たのは親を越えるセレモニーかも?私もある日、憎んでいた父親が死んだ夢を見て泣いて目が覚めた日があったよ。誤解を恐れずに書くけど、「精神的な」親殺し‥完了だね。私はこれは子供が親を踏み越える大事な義務だと思っているよ!肉体年齢の成人式と同時期に必要なセレモニーを越えたね。私より早いよ!もうひと山、ふた山、どこにでもあるような小さい山はあるかも‥?でもあなたの親はそう大きな山は残せていないはずだから‥。もう船出だね!今日の日、振袖は用意してあげられなかったけど、悩みのきわみで涙を流したあなたの横顔はドキッとするほどきれいだったよ! 昔いじめられてるんじゃないかと心配してた時期があったけど‥ やっぱり独りで越えてたんだね‥。親が知ってると思っていた娘よりずっと深いところで心豊かに悩んできたその顔だね。上辺だけしか見れてこなかった親を、今更だけどゆるしてね。帰りの飛行機揺れないといいね!
2009.01.12
今月20歳を迎えた娘が今日午後帰ってくる予定だが‥天気は大荒れの予想札幌で高校生時代の仲間と再会するのがメインスケジュールだが新千歳空港の天候がどうなるか私も体験したが、羽田で「着陸できない時には引き返すかもしれない条件付き」それでもよかったらと選ばされる。(幸いその時は着陸できたが‥)他の空港に着陸するかもしれないという条件のこともある‥未体験だが正直、選びようがない。待つことと、成り行きにまかせるしか‥私の場合、所持金に余裕がないことがほとんどだし‥宿泊費や交通費は自分で用意しなくてはならない‥旅って‥ 本当は命がけ無事を祈る
2009.01.10
我が家の愛犬に娘が帰ってくることを語りかけたしっぽが反応する娘の名前と「おかえり」「ただいま」の三語だけで通じた疲れて固まった体が少しほぐれた‥
2009.01.09
今、弔電(レタックスで)を二通出してきた。過疎の町だが、スキー場は華やかなスキーウェアーを着た人たちでにぎわっていた。冬休みだったっけ。まだ新年始まったばかりだったんだ。一通は友人の葬儀、もう一通は亡き母の弟、つまり叔父の葬儀二通とも宛先は、私の生まれ故郷。日付も重なった二つの葬儀。都合で参列できない二つの葬儀に小さな私の想いを送った‥いつか必ず来る私の日‥にも想いを馳せる‥でも明日には私も今年の務めを始動しなくてはならない。帰省ラッシュの時期をずらして20歳になった娘も帰ってくるし‥
2009.01.09
突然、悲惨なかたちで姉を亡くしたばかりの妹が大都会の街角から電話をくれた。私は駆けつけられないのだが、葬儀の日程を知らせてくれた。電話の向こうに都会の動めく音が‥そしてその街角で泣き崩れる彼女の声‥そんなふうに泣き崩れるひとを都会はどう包むのか‥たくさんの人が行き交う街角で、泣き崩れるほど泣きたいひとはきっときっとたくさんいるのだと想う。涙こらえているひとを行き交うひとは気づくのだろうか‥気づかないのではなく、やさしく眼をそらしてくれているのだろうか‥長く連絡をとらなかった友なのに、いることが当然だと思っていたのだと気付いた。この大きな喪失感が教えてくれた。
2009.01.08
1月5日の日付が変わる5分前に電話が鳴った。古い友人の死を知らせる電話だった。しかも火災による焼死という衝撃的な知らせだった。私が、一つ年上のこの彼女の近況を久しぶりに耳にしたのは昨年の夏のことだった。そのとき、もう何年も連絡をとっていなかった彼女の歩みを一挙に知ることになった。私より器用にスマートに生きているように想像していた彼女。だが会わなかった間、その彼女の生涯は悲しいことの繰り返しだったと知った。遠い青春の日々に、時を共有したことがあった。彼女の夫のことも知っていた。他の何人かの仲間とともに、いつの日か同窓会のように会える日がきたらとはるか遠くに想うなつかしい人たち‥けれども聞けば‥彼女はその夫との仲がギクシャクしたまま半年前、その夫を癌で失くしてしまった‥結婚生活の中で何度も自殺未遂を繰り返してきたという彼女は突然の別れに直面した‥そしてこの年末年始‥。私はと言えば、自分の周りの悲劇に対応するにせいいっぱいで‥もう何年も連絡を絶ったままだった‥貴女はしあわせだと思い込んでいて‥
2009.01.07
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