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武蔵野航海記
荻生徂徠
宗教でも思想でも日本に入るとどんどん変形していって本家のものとはまるで違うものになってしまいます。
仏教もそうでしたが、儒教の一派である朱子学も幕府の儒教顧問である林家や山崎闇斎・浅見絅斎などの崎門によって変形していったことは今までに説明しました。
山鹿素行(そこう 1622~1685)も、儒教を闇斎とは別のまさに日本的な方向に変えていきました。
彼の名前をお聞きになった方も多いと思います。
そうです。赤穂浪士が吉良上野介の邸に討ち入った時、内蔵助が一隊を指揮するために鳴らしたのが「山鹿流の陣太鼓」だったのです。
素行は軍学者でしたが本職は儒者です。
彼は「日本こそが儒教が正しく行われている国だ」と最初に唱えた人物でした。そして「中朝事実」という本にその主張を書きました。
チャイナの欠点を指摘し、それに比べて日本はなんと立派なのだろうと自賛しています。
そして徳川幕府が日本を立派に治めているから朝廷と幕府の二重構造は全然問題がないとしています。
現状を肯定しているわけで、明恵上人の「あるべきようは」に従って鎌倉幕府と朝廷を共存させた北条泰時と全く同じ考えです。
幕府にとっては別に危険な人物ではありません。
ところがその彼が幕府の怒りに触れて、赤穂に流されてしまいました。
ここで大石内蔵助などを教えたのでした。
素行は林家に弟子入りして朱子学を学びました。非常な秀才で弟子が2000人もいて、大名達も争って招聘しようとしました。
このような有名人が「聖教要録」を書き朱子学を偽学問と非難したのです。
そこで朱子学で日本を統制しようとしていた幕府が怒ったのです。
素行は朱子学を学んだのですが、違和感を持ち続け仏教など色々な思想を遍歴しました。
朱子学というのは宇宙の中心から色々は法則が出てくるというもので、非常に抽象的です。
素行はこんなものは空理空論であり、知識とは経験によって蓄積されていくものだと考えたのです。
孔子やそれ以前のチャイナの聖人達も経験を積み上げて思想を作り上げたのであり、はるかに後世の朱子たちが儒教を変なものにしてしまったのだと主張したのです。
素行の気持ちは分りますが、まだ学説というまでに主張が筋道だってはいません。
この主張をもっと深めたのが伊藤仁斎でした。
伊藤仁斎(じんさい 1627~1705)も素行と同じような思想的遍歴をしています。
最終的に彼がたどり着いたのは「仁」でした。
「仁」は儒教の最高の徳目で、「愛」だと考えました。この愛の感情が親子の間では「孝」になり、君臣間では「義」になるというのです。
「愛」とは優しい感情です。
ところが朱子学は外見で判断できるルールで内面の感情である「愛」を判断しており偽善だとしたのです。
彼はこういう視点から、2000年以上前に書かれ、孔子の面影を伝えているという「論語」を見ました。
「論語」の中の孔子は実に豊かに感情を表に出しています。
友達が遠くから訪ねてきたら素直に喜び、弟子が亡くなったら非常に悲しんでいます。
論語の英訳を読んだアメリカ人は、「孔子は素朴なインディアンの酋長みたいだ」と評しました。
一方儒教の入門書である「大学」では人間の感情が表に出ることを否定しています。
「大学」は孔子が生まれる前に出来た「礼記」の一部で孔子の思想の基になるものだと朱子は教えました。
しかし仁斎は「大学」は感情を表に出していないから孔子の思想とは違う偽物だとしたのです。
宇宙は生命力に満ちており、人は自分の中にある素直な感情を発達させることによって「仁」=「愛」を実現できると考えました。
これはもう、「人は礼楽という客観的なルールに従わなければならない」という儒教とは別のものです。
仁斎は感情の扱いによって本来の儒教とはなにかを探りましたが、荻生徂徠は文献を調べることによって同じことをしました。
山鹿素行・伊藤仁斎・荻生徂徠は古来の儒教を明らかにしようとしましたから「古学」と呼ばれています。
荻生徂徠(おぎゅうそらい 1666~1728)は言葉の重要性に着目しました。
言葉が人の思考回路に決定的な影響を与えます。
旧約聖書に「バベルの塔」の話があります。人間達が神と同じ高さに達しようとして高い塔を作りだしました。
これに怒った神は一夜にして人間達の言葉を多くのものに変えてしまいました。
同じ言葉を話さなくなったことによって、人々はお互いが理解できなくなり、喧嘩をするようになりました。そして塔の建設は放棄されました。
これと同じようにチャイナ古代の儒教を理解しようとしたら、古代のチャイナの言葉をマスターしなければならないと徂徠は考えたのです。
古代チャイナの聖人の考え方を知るには、自分も彼らの言葉で書き考えなければならないのです。
徂徠は朱子学のような宇宙の存在から説き起こした空論では真理は分らないと考え、事実を積み上げていかなければならないと考えました。
だから古代チャイナの言葉の研究を積み上げて彼らの考え方を研究したのです。
また人間の持って生まれた性格を変えることは出来ないから、朱子学のような一つの形にはめ込まないで持って生まれた個性を育てるべきだとも考えました。
そういう考えから仏教や老子・荘子の思想なども認めています。
そして結局は道徳と社会制度を分離します。
政治とは良い政治制度を作ることだと考えたのです。
徂徠の思想はもはや儒教ではありません。
儒教の基礎は道徳であり、社会制度はそれが具体化したものです。そして道徳は天が定めたもので勝手な解釈は許されないのです。
徂徠はこの儒教の原則を全部否定したのです。
その後の日本の思想は徂徠の考え方を基礎に発展していきます。
1)個人の心はその素質に従って素直な感情のままに発達させれば良い
2)真理は空理空論をもてあそんでも得られるものではなく、事実を積みあげて実証して始めてわかるもの
ここから経験主義に基づく実学が盛んになってゆきます。
また言葉を実証的に研究するという態度が日本の古典研究にも取り入れられて「国学」が成立します。
3)道徳と政治制度の分離
このように飛鳥時代に一度導入された儒教は、江戸時代の初期に再度導入されましたが、100年後に全く別のものに成り果てました。
結局日本人は儒教がどういうものか分らないままに終わってしまったのです。
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