サクサクサクラックの徒然草

サクサクサクラックの徒然草

2026.02.02
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テーマ: 日記(2902)
カテゴリ: 日記

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​​​恋してないのにバレンタインだけ来る








二月の夜って、空気がやけに乾いていて、駅のホームに立っているだけで喉の奥がカサカサする。仕事終わりのコートの内側に、今日の疲れがそのまま溜まっているみたいで、肩が少しだけ重い。

改札へ向かう人の流れに混じりながら、私はいつもより早足で、いつもより無言で、自分の部屋の明かりのことだけ考えていた。



…のに、目に入ってしまった。駅ナカの特設コーナー。赤とピンクと、光りすぎている金色。

ハートの形。包装紙のツヤ。そこに書いてある「大切な人へ」みたいな言葉が、こちらの事情を聞かずに胸元へ押し込んでくる感じがして、私は一瞬だけ目をそらした。



恋をしていない。好きな人もいない。推しに捧げる文化にも、まだちゃんと乗れない。なのに毎年、バレンタインは“来る”。

私が恋をしているかどうかなんて、まったく関係なく、季節のように、行事のように、カレンダーの予定のように、勝手にやって来て、勝手に「どうする?」って顔をする。



今日の小さな出来事は、その特設コーナーの前で、私は立ち止まってしまったことだ。別に買うつもりなんてなかったのに、足が止まって、視線が止まって、たぶん呼吸まで止まった。

きれいなチョコレートが並んでいて、値札はちょっとだけ強気で、私は自分の財布の薄さを思い出して、苦笑いをした。



「買わない」って決めたはずなのに、立ち止まる私



私は、こういうイベントの熱に当てられるのが苦手だ。盛り上がっている空気に入ると、自分の温度が低すぎることがバレそうで、なんだか居心地が悪い。

誰かと楽しむ予定がある人たちの間に、予定のない自分が立っているだけで、透明な紙を一枚挟まれたみたいに、音が少し遠くなる。


でも今日は、立ち止まった。ちゃんと見た。箱の角度とか、リボンの結び目とか、商品名のフォントとか。自分でも「何してるんだろう」って思うくらい、真面目に眺めた。


そのとき、誰にも言わなかった本音が浮かんだ。



──恋がしたいわけじゃないんだよな。


これ、たぶん私の中では新しい種類の本音だった。

恋がしたい/したくない、好きな人がいる/いない、という二択の間でずっと揺れていた気がするのに、今日はそのどちらにも寄らない感覚があった。恋の欠如が寂しいというより、「恋を前提にした季節が、私の生活に割り込んでくるのがうるさい」みたいな、ちょっとだけ乱暴な気持ち。


もちろん、恋してる人を否定したいわけじゃない。

むしろ羨ましいときもある。ただ、羨ましさとは別の場所で、私は勝手に“期待される自分”を作られているのがしんどいのかもしれない。

バレンタインというイベントが、私の胸の名札を勝手に作って、「恋してる人」「好きな人に渡す人」「誰かに想いを伝える人」って区分けしてくる感じ。そのラベルに当てはまらない私は、毎年ちょっとだけ、居場所がない。


「誰かのため」にしないと価値がない、みたいな空気



特設コーナーの前で、私は箱を一つ手に取ってみた。深い茶色の箱に、小さな金の箔。触っただけで“ちゃんとしてる”感じがする。手のひらに収まる重さが、妙に現実的で、私はそのままカゴに入れるでもなく、また棚に戻した。



戻した瞬間に、恥ずかしさが来た。誰も見ていないのに。「私は買わないんで」って顔をしながら、しっかり触って、しっかり戻す自分が、なんだか変に小心者で、笑えてくる。



そこでまた、心の中に小さな声が湧いた。



──私、誰にも渡さないのに、これ欲しいって思った。



これも、言葉にすると単純なのに、言いにくい本音。誰かに渡す予定がある人のもの、みたいな顔をして並んでいるチョコレートを、「自分のために買う」って、どこか後ろめたい。

自分へのご褒美って言えば聞こえはいいけど、私の場合はご褒美というより、“行事に取り残されないための小さな保険”みたいな気持ちが混ざってしまう。



イベントの空気は、たぶん優しいふりをしている。誰かを大切にすること、気持ちを伝えること、甘いものを分け合うこと。それ自体は良いもののはず。

でも、その優しさの裏側で、「誰かのためにしないと価値がない」みたいな空気が、薄く漂う。だから、ひとりで買うと、少しだけ罪悪感が生まれる。誰も罰していないのに、自分だけが勝手に小さくなる。



「わかる…」って思う人、たぶんいると思う。イベント自体が嫌いなわけじゃないのに、楽しむ資格みたいなものを勝手に採点されている気がして、笑顔のタイミングを見失うやつ。



私はその場で、ふと自分の指先を見た。

乾燥していて、爪の先が少し白い。仕事のメモをめくった跡がうっすら残っている。恋の季節にふさわしい手じゃないな、って、誰にも言わない意地悪な評価が頭の中をよぎって、さらに自嘲が深まった。


「来る」のはバレンタインだけじゃなくて、周りの期待もだった



特設コーナーから離れて、私はスーパーの食品売り場に向かった。今日の夕飯は、冷凍の餃子でいい。白菜は高いし、帰ってから切る気力はない。

そうやって現実に戻ると、さっきのきらきらしたコーナーが、急に別世界みたいに思える。


でも、別世界に見えるのに、現実にはじわじわ影響してくる。



たとえば職場の雑談。「バレンタイン、今年どうする?」って、誰かが軽く言う。返し方を間違えると、変に空気が固まる。だから私は、毎年ちょっとだけ“正しい返答”を準備している。

「今年はゆるくね〜」「自分用にちょっと買おうかな」みたいな、当たり障りのない笑いの形。


今日も、昼休みに同僚がスマホでチョコの特集を見せてきて、「これ可愛くない?」って言った。私は可愛いと思ったし、可愛いって言った。

でも、そのあとに続いた「誰にあげるの?」の質問が、予想よりも胸に刺さった。悪意がないのが分かるから、余計に痛い。質問というより、確認作業みたいな感じだった。「あなたもこのイベントに参加するよね?」っていう。



その瞬間、私は小さく笑って、「あげる相手いないから〜」って言った。言い慣れてる言葉。自分で言って、自分で軽くする言葉。場の空気を守るために、先に自分をいじっておくやつ。



でも本当は、そこにもう一段、言えない本音があった。



──“いない”って言うと、説明が終わるの、便利すぎるな。



恋をしていないことは、理由になりやすい。だから、そこに全部を押し込めてしまえる。でも、押し込めた分だけ、何かが置き去りになる。
恋してないことが寂しいんじゃなくて、恋してないことを理由にしないと、私の立ち位置が説明できない社会が、ちょっとだけ息苦しい。


スーパーで、私は結局、安い板チョコを一枚だけ買った。特設コーナーの高級チョコじゃなくて、いつもの売り場にあるやつ。

ポイントがつく日でもないのに、なんとなく手が伸びた。バレンタインという言葉に対して、私が取れる一番現実的で、一番負担の少ない“参加のしかた”。



家に帰って、部屋の電気をつける。

いつもの匂い、いつもの静けさ。コートを脱いで、髪をほどいて、テーブルの上にチョコを置いた。たった一枚の板チョコが、妙に目立つ。誰に渡すわけでもないのに、私は少しだけ胸がざわついた。


ここで気づいた、今日だけの小さな違和感がある。


私は、バレンタインが嫌なのではなくて、「恋している体で生きるのが標準」みたいな前提に、毎年少しずつ消耗しているんだと思う。

恋してないなら、せめて自分を磨いて、せめて可愛くして、せめて何か努力している証拠を出さないと、って、勝手に自分を追い立ててしまう。その“せめて”が、積み重なると、知らないうちに息が浅くなる。


だから今日の板チョコは、贅沢でもご褒美でもなくて、「私は今のままの温度で、ここにいていい」って確認するための、小さな道具だったのかもしれない。

誰かに見せるためじゃなくて、誰かの期待に合わせるためでもなくて、自分の生活の机の上に置いても違和感がないものを、ちゃんと選んだ、というだけのこと。



食後にひとかけらだけ口に入れて、少し苦い甘さが広がる。

私はその甘さを、誰とも分け合わない。分け合わないことが、今日は妙に救いだった。分け合うことが正しい、みたいな顔をしてくる世界の外側で、私は一人で噛んで、一人で飲み込んで、一人で「まあ、こんな日もある」と思った。


帰り道、スマホを見たら、百貨店の広告メールが来ていた。

「限定」「完売必至」「今だけ」。恋の予定がない私にまで、熱量が平等に配られている。SNSを開けば、誰かの“買ったよ報告”が流れてくる。可愛い袋、きれいな爪、ハートのスタンプ。

「自分用です♡」の一言が添えられていて、私はそれに安心するのに、同時に少しだけ置いていかれる。みんな、ちゃんとイベントの言語を知っている。
自分用に買うときの“正しい言い方”も、楽しんでいる感じを出す表情も、きっと上手い。


私は上手くない。上手くないから、つい「私は別に」って顔をしてしまう。その「別に」が、本当は防御だってことも、最近やっと分かってきた。

傷つきたくないから先に冷めたふりをするし、参加したい気持ちが一ミリでもあるのがバレると、急に恥ずかしくなる。


部屋に戻ってから、誰かにLINEを送ろうとしてやめた。今日は特に用事もないし、バレンタインの話題を振るほどの元気もないし、何より「私、今日チョコ買った」って報告する相手が思い浮かばない。

寂しいというより、連絡を取る口実が“恋のイベント”しかないみたいで、ちょっと癪だった。スマホを伏せると、画面が黒くなって、自分の顔が薄く映った。

そこにいる私は、別に不幸そうじゃない。でも、楽しそうでもない。その中間の表情が、なんだか今日の自分らしかった。


バレンタインは来週でも再来週でもなく、もうすぐ来る。きっとまた街が赤くなる。職場でもまた聞かれる。「どうする?」って。私はたぶん、また笑ってごまかす。

だけど、心の奥で、今日の板チョコのことを思い出せたらいい。恋をしていないことを、説明の終点にしないで済むように。


あなたはどうだろう。

恋していない季節のイベントが、勝手に部屋のドアをノックしてくるとき、あなたはそのドア、どんな顔で開けていますか。








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最終更新日  2026.02.02 14:24:27
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