夫婦なかよく楽しく夢実現!    かまくら便り

夫婦なかよく楽しく夢実現! かまくら便り

2004年09月29日
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私は責められることもなく、ただ「ありがとう」と彼のご両親に言われてなんとも申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

みんなの雰囲気は、「Tはもう精一杯頑張った」という感じだった。その上かつての唯一彼の恋人が葬儀に訪れてくれたことでやるせない気持ちがちょっとだけ薄まったという感じ・・・・お父さんに食事を勧められたが、私は早々に失礼させていただいた。

彼は私との関係が修復不可能となっていたことは実家のみんなには告げていなかったことだろう。でも、きっと家族みんな彼がもうカラダが持たなかったのだということも予想していたに違いない。

それが、彼の実家に来て、彼の家に初めて泊まらせていただいた時に私が感じた違和感であったと気づいた。

そのときの彼の家族の喜びようはある種異質だったし、年上の彼女ができたということでなんだか私は彼の全てを任されてしまったような、感じがしたものだった。

きっとご両親は彼を育てるのに疲れ切っていたのかもしれない。
幼少時代は原因不明の熱でよく倒れ、それからは八方手を尽くして治療を試みたと。終いには経済的にも負担がきつく、彼の治療費にも事欠く状態になったと、以前彼が話していたのを思い出した。

両親は、最初は反対していた上京も、最後には彼の思い通りにさせた。そうするしかなかったのだろう。

上京してからの彼はたくさんの素晴らしい友達ができ、私と出会った。そして精一杯私を愛そうとした。その一途さが重荷になることもあったが、その姿勢はうまくいかない恋愛に傷つき、満たされなかった私に人の愛しかたを教えてくれたように思う。




そんなことを私の立場では言えないのかもしれないが、疲れを感じながらも希望を持って徹夜の仕事を続け、誰もいないオフィスで孤独になくなった彼を思うと不憫で、誰かを責めたい怒りの気持ちでいっぱいになった。クモ膜下出血は、倒れてもすぐに発見されれば蘇生される可能性もあったことは、もう何年もたってからテレビ番組で知ったことだが。

彼の健康管理に関しての行動ははまるで自殺行為だったし、周りのみんなは彼を死に追い詰めたように思う。私も含めて。

帰りの駅までの道は、下り坂で、その坂をずんずんわき目も振らず進みながら、私はこんなことを心の中で叫んだ。

Tちゃん!今度生まれてくるときは絶対からだの丈夫な人で生まれて来なさいよ!!涙がとめどなくあふれてきた。グレーのハンカチは私の涙でぐしゃぐしゃになってしまった。

そうして、かつて彼と阿佐ヶ谷のファストフード店でハンバーガーを食べながら話した会話を今思い出す。カラダの不調を嘆いていた彼は私がどんな忠告をしても
やる気が起きなかった。そんな彼を見かねて怒ってみたものの、彼の態度は頑なになるばかり。
「いままでいいことなんか1つもなかった。良かったことはsamukoと出会えたことだけだ」
と。そういう彼に向かって私は、
「来世にはTちゃんはきっと健康で生まれるよ。きっと。」
そういうしかなかった。
なんの根拠があってこんなことを口にしたのか。私もどうしようもない絶望感に浸されてしまった一人なのか。今だったら多少の知恵もあって、生き抜く道を目指す知恵もあるだろうが、その時は私の幼さも手伝って彼をそのままにそっとしておく以外出来ませんでした。




「samuko、どうだ、一緒にメシでも食って行かんか?」
一瞬、楽しかったあの頃を思い出した。マージャン、パチンコ、競馬。当時の私を全く未知の世界に連れてってくれた人である。オヤジギャルというコトバが流行ったころで、女の私でもフツーは抵抗あるギャンブルの世界におもしろ半分入っていけたものである。その人の仲間の中で私とTは仲睦まじく過ごした、今思えばなつかしい。でも、私はうつむいたまま彼の誘いを断り駅のホームへ向かった。

それでもこのまま家へ帰ることは出来ず、公衆電話(死語?そんなことない)から実家の母に電話をした。話している間にも涙があふれてきて止まらない。母は、黙って、私の話を聞いてくれた。

それからどうやって自宅に戻ったかはわからない。
暗闇の部屋のなかでぼーっとしていると玄関のドアが開いた。黒い人影は夫だった。海外出張から戻る日だった。さすがに彼の方からは疲労がにじんでおり、私は、何か彼にコトバをかけなければならなかった。


「なんか、おかしいんじゃないの?」
夫の一喝に、ハッと我に帰り、私は、元彼の事に関して思考を停止した。私は今目の前にいる夫の妻なんだ。その事実が私をもとの生活に引き戻してくれた。それっきり、夫は私に何もそのことに関して語らない。


しばらくは、私は会社でも彼が亡くなる1ヶ月まえにくれたメールをメールボックスから開いては、空しい気持ちに浸った。

数ヶ月して、また昔のバイト時代の友人から電話が私の会社に入った。
「Tちゃんのご両親が、トウキョウ時代の彼の写真を欲しいといっている。samukoちゃん、持っていたら譲って欲しい」

というものだった。私は、結婚前に全てTちゃんに渡してもう持ってない。と答えた。
「そうか、わかった。ありがとう。」
そう言って相手の友人は電話を切った。

確かに、その当時彼に撮ってもらった私の写真を残して、あとは全て彼に渡していたので、遺品から見つからなければ、それは彼自身がその写真を葬り去ったのだろう。仲直りのきっかけに旅行したときの写真が今も私の手元にある。それは、日本海をバックに私の複雑な表情をした笑顔で私一人だけ写ったものである。そのときの彼は嬉しそうだったけど、なんとなく寒々とした雰囲気と海岸線の遊歩道に沿ってしつこいくらいに何本もの立て看板(いのちのホットラインの類い)があるのに不快な気分になった。なんでこんなとこにきちゃったんだろう。そんな私を他所に無邪気にはしゃいでる彼が許せなかったのかもしれない。

今にして思えば全く未熟な二人だったと思う。彼は、私を恨んだろうか、悲しみに包まれ、絶望感に苛まれていただろうか。私に怒りと憎しみの気持ちを向けていただろうか。

言い争いになったことは何度となくあったが、最後には必ず、
「samukoに会えてオレは幸せなんだ。」
と言っていた彼。真意はわからない。彼にとって私は生きるよりどころだったろうか、そんな場面もあったかもしれない。もしかしたら私なんかに出会わなかったほうが良かったかもしれない。

世の中にはいろんな形の愛があるだろうけれど、今振り返っても、私と彼との間はあのときあれで精一杯だったということだ。何度も言うことになるが、今の私には、彼に対してもっと違う対応ができたのではないかという思いが残る。しかし、彼の死を通してそれは得た思いかもしれない。

そして、今の私の彼を想う気持ちはとても静かなものである。毎年、秋が深まり肌寒くなる季節、彼の命日が近づくと、私はごく静かに、彼に心から感謝するのである。今、生きている喜びを彼にささげながら。
<おわり>






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最終更新日  2004年09月30日 07時33分46秒
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