PR
カレンダー
キーワードサーチ
コメント新着
謎の<仙吉>こけし(喜平台)三代目北岡仙吉か

(
2019
年)
8
月
7
日終了のヤフオクで鯖湖など
7
本が一括出品されていた。内訳は稲毛豊
2
本、渡辺幸典
1
本、他に鯖湖ではない鈴木昭二、西山憲一、本田亀寿の他に見たことのない「仙吉」名が
1
本であった。西山憲一は作蔵型でこれについては
8
月
11
日に書いた。これも魅力的であったが、小生の入札の本命は「仙吉」であった。普通このセットなら、そんなに高くなるはずはないと思うのだが
3
人の競争で
9750
円となってしまった。もちろん競争相手が何を目当てに競っていたのかは分らない。
さて、小生の本命の仙吉名(23.5㎝)は胴底に「喜平台 昭和五四年十月十五日 仙吉」とあるもので、渡辺喜平の木地ということで「喜平」の書き込みは喜平の署名と同じと判断出来るので喜平本人のものであろう。
面描もやや稚拙ながら魅力的で鯖湖としては独自のものである。いわゆる可愛いこけしながらきりっとした表情はきかん気な少女を思わせる。これはこれでいいものを手に入れたと、ほくそ笑んでいるのだが、しかし問題は仙吉で仙吉という工人は聞いたことがない。
こけしで「仙吉」といえば遠刈田の北岡木工所の工場主の北岡仙吉( 1884 年 ( 明治 16 年 )5 月 17 日生れ)である。北岡木工所は昭和 30 年廃業。その後は北岡文左衛門、北岡文雄、北岡郁也、北岡柊也と継承され、いまも「合資会社北岡仙吉商店」(遠刈田温泉本町 13 )や「北岡本店」があり、関連の五色商事(代表:北岡郁也)などを併せて、売店、観光タクシー、ガソリンスタンド、レストランなどを多角的に経営している。いわゆる「仕送り制度」によって工人より二重の利益を得た。その果実で現在があるのである。(なお「仕送り制度」については『こけし辞典』、菅野新一『こけしのふるさと』P334が詳しい)
胴底にある昭和 54 年、渡辺喜平( 1910-1988 )はこのとき 69 歳である。遠刈田と飯坂の鯖湖は無関係と思えるが、遠刈田の北岡と喜平との接点はあった。『こけし辞典』( KokeshiWiki も)に「喜平は昭和 4 年 20 歳のとき遠刈田へ行き、北岡の工場で 1 年間働いた。秀一、護、英次、正吉等がいた。」とある。その接点は昭和 4 年で、このこけしは昭和 54 年である。 50 年も経っている。北岡仙吉が描彩をしたとの記録はない。
問題は北岡仙吉が昭和 54 年に健在であったかどうか。みやぎ蔵王こけし館に問い合わせた結果次のことが判明した。(北岡家位牌と北岡郁也氏談による。)
先代、北岡仙太郎(明治 35 年没、享年 49 歳)
初代、北岡仙吉(昭和 18 年 10 月没、享年 61 歳)
二代目仙吉、北岡文左衛門(昭和 43 年 5 月没、享年 74 歳)初代の異母兄弟の子つまり甥。養子。
三代目仙吉、北岡文雄(平成 24 年没、享年 92 歳)初代仙吉の長女きみの夫で婿養子(文左衛門の婚外子)。元蔵王町町長(在任 1988-1992 )。
初代仙吉が仕送り制度によって財を成したのである。初代から三代まで代々「仙吉」を襲名している。
では、このこけしの「仙吉」はだれであろうか。昭和 54 年に健在だったのは三代目仙吉(北岡文雄)である。胴底の昭和 54 年( 1979 年)は 58 歳で、町長就任前である。つまりこのこけしは三代目仙吉(文雄)と考えて矛盾しない。三代目仙吉とすればもちろんプロの技ではなく手遊(すさ)びのものであろうが、味のある逸品であった。なお当主である北岡郁也氏 ( 談 ) によると、北岡家は代々こけしを作ることも描彩することもなかったという。しかし、このこけしが存在する以上、描彩ぐらいはしたとしか思えない。問題は遠刈田系の描彩ならともかく土湯系(鯖湖)のものを仙吉が描いたかどうか。その違和感は拭えない。わざわざ喜平台とあるところから、渡辺喜平と三代目仙吉との交流のなかで生れたこけしと考えることは出来る。
まだまだ謎は解けないが、いちおう 三代目北岡仙吉(文雄) のものとしておく。北岡家は代々こけしと関わっていたのであろう。
以上は「仙吉」=北岡と考えてのものである。他に仙吉と言う工人がいれば、小生の推定は根本から覆ってしまう。ご教示いただければありがたい。
四代目北岡郁也・五代目北岡柊也
3
歳
(「広報ざおう」
451
号
2002
年
5
月号)
3
歳柊也も現在では
20
歳である。
にほんブログ村
にほんブログ村
驚きの高橋忠蔵76才25㎝「おかめ」 2020年01月04日 コメント(1)
12月例会の収穫-やっぱり鯖湖!稲毛豊・佳… 2019年12月11日
高橋通・順子がやってきた! 2019年11月23日