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ほのぼの小林昭三の丑蔵型笑い口(湯田の小林定雄一家)

小林昭三は湯田の小林善作の三男。新聞社勤務の傍らこけしを作った。本品も裏書に昭和 55 年とあり、勤務の間のものである。小林善作ばりの丑蔵型である。
小林定雄一家ではないが一族である。いったい小林一家というか一族は、こけし本業としたのは定雄ぐらいで、小林輝子にしてもその子息元にしても、それぞれ余暇や余技という感じがする。それだけに、商業主義に毒されていないとも、その道を突き詰めたとも思えない。無欲なところがいいのだが、それを良しとするか、物足りないとするか。難しいことだが、いま私は湯田の小林一家の魅力にはまっている。
本品は裏に「昭三 三十八」とあるもの。書込みに
55.8.27
とある。飄々とした、ほのぼのとした笑い口がうれしい。

小林昭三(こばやししょうぞう: 1942 ~)
昭和
17
年
3
月
1
日、岩手県和賀郡湯田町湯田の木地業小林善作の三男に生まれる。学生時代より、父善作のこけし製作を見て、こけしの描彩を始め、また木地も学んだ。早稲田大学を卒業後、昭和
42
年より新聞社(岩手日報)に勤務した。最初の
2
年は一ノ関支所勤務、その後仙台、昭和
47
年より盛岡勤務となった。盛岡転勤に伴い、岩手県岩手郡滝沢村(現在
滝沢市)に住むようになった。
一ノ関、仙台時代は、帰郷する折に、蒐集家に頼まれてこけしの製作を行ったが、この時期の作品数は少ない。昭和
42
、
3
年の
25
歳~
27
歳のものが少し残っている。滝沢時代も仕事の合間に少しじずつ作り続けたようである。
平成
15
年に新聞社を退職し、小岩井農場のそばに作業小屋を借りて、本格的にこけしを作るようになった。カメイ美術館刊の〈伝統こけし最新工人録〉にも工人として掲載されたが、平成
22
年頃にこけしの製作を休止した。(
KokeshiWiki
)
〔作品〕昭和
40
年頃よりこけしを作ったといわれているが、現存するものでは昭和
42
年正月に作ったものが古いものであろう。「
25
才」と記入のある
4
本はまだ重ね菊の花弁も筆が伸びず、描彩もぎこちない。しかし、この時期のものは初期の素朴な味わいがあり、ほのぼのとした情感を感じさせる。
徐々に、父善作の作風を学んだ様子がうかがえる。「
27
才」の署名があるものは、善作の一つの型を継承したもの。善作自体は丑蔵の表情に倣ったものと思われるが、それが泣きべそをかいたようなユニークな顔立ちとなった。昭三はその面描を写している。
<br>
滝沢時代の作は新聞社勤務の合間に製作したもの。(
KokeshiWiki
抜粋)
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