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佐藤重二(さとう しげじ)といっても知っている方は少ないだろう。遠刈田系佐藤己之吉の弟子である。KokeshiWikiの「残る作品数は非常に少ない」に魅かれてがんばって入札。幸いにも落札することが出来た。それはKokeshiWikiに(ひやね)米浪庄弌旧蔵として掲載されているその現品であった。36㎝。
まだ手慣れていないとはいえ、眼には戦前らしく呪力がしっかりとある逸品である。緑も残っていて大切に保存されていたことがわかる。胴底の米浪庄弌の 蔵票 も有り難い。ただ署名が隠れてしまうことになった。1940年(昭和15年)の作。KokeshiWikiの所蔵者も小生に変更していただいた。
なお米浪庄弌(こめなみ しょういち)は戦前戦後を通じて活躍された関西の収集家。『こけし辞典』に「米浪コレクション」の項がある。著書に『こけし人形図集』を戦前に刊行している。米浪コレクションは氏の没後散逸したと思われる。その一つが小生の手に入ったわけである。


【佐藤重二】 (さとうしげじ)1914~1941。師匠:武田仁兵衛/佐藤巳之吉
〔人物〕大正3年、山形県米沢市の工場経営佐藤春次の次男として生まれた。父の春次は米沢市北堀端町で佐藤撚糸機械製作所を経営していた。重二は昭和5年ころから米沢市膳部町の武田仁兵衛(山形の小林倉吉の弟子)について木地を修業。木管等撚糸関係の木地を挽いた。こけしは昭和13年ころから父春次の工場で働いていた遠刈田の佐勝巳之吉に教えを受け、その描彩を習った。昭和16年9月に入院し、同年10月に病死した。行年28歳。
〔作品〕昭和15年刊の〈鴻・第5号〉で新作者として紹介された。しかし、製作開始後まだ間がなく未熟であるとして、その作品の誌上発表はひかえられていた。昭和16年11月の〈鴻・第13号〉に「作者産地のニュース」として佐藤重二と仙台の海谷周松の二人の死亡の報告とその作品が写真掲載された。
鹿間時夫は「描彩はこれからというところであったが、巳之吉の弟子にふさわしく、辛口の味を持った剛直で特異なこけし〈こけし辞典〉」と評した。残る作品数は非常に少ない。
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