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平井敏雄『こけしの真実』を読む 1 東北の貧困
故平井敏雄氏の『「こけし」の真実
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ISBN-4-87398-086-7
を読んだ。「子消し」への反論は、前著『こけしを食う虫』より詳細でその学究的な反論は説得力があって感銘した。この点にはまったく異論はない。
ただ東北地方は貧しくなかったというために、三内丸山遺跡や平泉の宗教文化を持ち出すのは、贔屓のひきだおしではないだろうか。時代がまったく異なる。
一番いけないのは「一三~一五世紀には日本海側の十三湊(とさみなと)は中世東日本最大の港湾都市で海外貿易の拠点として栄えた。」P 123 という部分でこれは、史実ではなく偽書(とんでも本)『 東日流外三郡誌 』によるものであろう。 13 世紀~ 15 世紀の十三湊のことは史料がないため不明である。わずかに成立時期不明の『廻船式目』に「三津七湊」の七湊の一つとして「奥州津軽十三湊」をあげているのみである。十三湊が栄えたのは江戸時代になって北前船の拠点になってからである。また十三湊とこけしとは時代が下っても直接の関係はない。
東北が貧しくなかったというのなら、こけしの発生時期である幕末に絞ったほうが説得力がある。ただし、江戸末期、東北地方は湯治(こけしの発生の要因)が出来るまで生活が豊かになったのであるが、それでも東北は相対的に貧しかったことは事実である。江戸期の農業(米作)生産性を飛躍的に高めたのは、脱穀方法がそれまでの砧や扱箸に代わって千歯扱きが考案(和泉の宇兵衛という)されたこと、備中鍬が普及したためと言われている。これらの農機具はその名のように西から東へそして北へと伝播していったものである。東北はその気候条件もあって米作には厳しい条件があった。
拙句に〈 花は葉に津軽の貧にたどりつく 〉(松田ひろむ)があり、津軽出身の方から津軽は貧しくないと抗議されたことがあったが、津軽に限らず東北ではごく少数の豪農や一部の商人はともかく大多数の百姓(小作農)が貧しかったことは事実である。現代のことであるが津軽三味線の高橋竹山(初代)の語る「ぼさま」の門付もその貧しさの象徴の一例であろう。
画像は津軽系の盛秀太郎 19.5
㎝。ヤフオク 2014.9.19
年 1,802,000
円で落札されたもの。グロ(呪力)といわれる盛秀のこけしが受け入れられる要素が、正末昭初の津軽にはあったのである。戦後の盛秀が変ったのは津軽の人々の意識が、変化したこともその一因であって、盛秀の個人的な動機だけではない。これは社会史の問題で、ここで詳細に論ずることは出来ないが、基本的には農地解放によって地主階級がなくなり、大多数の農民が小作農から自作農へ転換したことがもっとも大きいといえよう。

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