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2014年05月15日
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カテゴリ: 顕正会
顕正新聞5月5日(1308)号より。

【特集号の「国立戒壇建立」の見出しに 先生の不変の大忠誠拝し大感動!】
高橋 ○○(男子部第92隊の励ましで未活動から戦列復帰)

何で隊員て言わないんだろうね。
92隊て人格ある人物でもないでしょうに励ますことは不可能でしょう。


 私は昭和五〇年、創価学会から晴れて顕正会に入会させて頂きました。
 私は幼いころから聴覚障害を患っていたため、常に劣等感を懐いておりました。

【昭和35年学会に】

 そのようなとき、知人の学会員より折伏を受け、昭和三五年、創価学会に入信したのでした。
 当時の学会は、未だ御遺命に違背していなかったため、朝夕の勤行を実践するなかに数々の功徳を実感いたしました。
 しかしその後、公明政治連盟が結成されたころから、学会は次第に大聖人様仰せの信心から逸脱し始め、選挙一辺倒となっていく学会への不信感は日増しに強まり、昭和三九年に学会を脱会したのでした。
 その後の約一〇年間、「御本尊様は絶対!必ず大聖人様の仰せのままの信行を貫く団体に巡り値える」と信じ、大聖人様の御書を励みに、勤行だけは欠かさず実践しておりました。

公明政治連盟が結成されたのが昭和36年。
この選挙一辺倒て、近年と違いそんなに一辺倒ではないでしょう。
そして「必ず大聖人様の仰せのままの信行を貫く団体に巡り値えると信じ」て日蓮正宗て上部組織がありながら不自然だな。


【妙信講に巡り値う】

 そして昭和五〇年三月、ついに、御遺命たる「広宣流布・国立戒壇建立」を見つめ、命賭けて御奉公を貫く、浅井先生ご統率の妙信講と巡り値うことが叶ったのでした。

この辺は、幹部添削のテンプレートですね。



なんで、宗門末寺に送付の新聞を見る機会があったわけ?・・・
そして、なんで13人と言う人数が突然出てきて、一緒に妙信講にてのが、訳判らないので、作文決定でいいかな?・・・


 当時、初代講頭先生、浅井先生より「妙信講は一結して御遺命守護の使命を果たさん!」との大号令が下り、高知の組織も一丸となった折伏戦が展開され、私も総班副長として、家族や友人、そして同じ聴覚障害を持つ人たちを、関西・中国・九州と飛び回わって次々と折伏し、数々の重大法戦にも連ならせて頂きました。
 その後、高知の組織は毎月百名近くの折伏弘通を成し、昭和五九年、浅井先生をお迎えした高知大会ではついに一千二百名の結集が叶い、言葉にならない有難さを噛み締めたこと、昨日のごとくであります。

この高知大会も人数水増しでしょうね。

【先生のご慈愛】

 先生におかれては、幾たびも高知へ足を運んで下さり、私たち地方会員に対し、常に温かくご気魂こもる指導を下さいました。
 中でも、ことに思い出深いご指導があります。
 それは昭和五二年、百名ほどの結集で開催された高知支部大会において、先生は当日、飛行機を使われず、新幹線と在来線を乗り継がれ、約一〇時間もかけて高知に来て下さったのです。
 その析、先生より「皆さんが上京する苦労をつぶさに味わおうと汽車を乗り継いで来たが、皆さんの精進は大へんなことです。
同時に、日興上人の時代すでに四国に三大秘法弘通の法戦が進められていることを思い、交通機関が発達した今日、未だ広宣流布していないのは、一に弟子の怠慢であると強く感じる。早く広宣流布せねばならない」との指導を頂き、どこまでも弟子を思われる先生のお心と、大聖人様に対し奉る大忠誠心にはただひれ伏し、熱涙の中に四国広布を誓ったものでした。
 私たちが総幹部会に参加したときなどは、先生は高知の妙信講員一人ひとりに声をかけて下さいました。
 また当時、先生より勿体なくも数々のお手紙を頂き、常に温かく信心をお励まし下さるご慈愛を涙の中に拝し、そのすべてを生涯の宝とさせて頂いております。

似たような話があったな。
確か人間革命だったような。。。


【大魔障により未活動に】

 しかし、本門寺改称粉砕という重大な戦いの時、学会の謀略に誑かされた信心不純の幹部の造反により高知の組織が分裂するという大魔障が出来し、申しわけなくもこのとき、私も数多くの同志と共に未活動状態となってしまったのでした。
 その後、先生に対する申しわけなさから、頭では分かっていながらも、長いあいだ信心活動を再開する肚が決まらずにおりました。

「本門寺改称粉砕」て正信会ネタを利用してるだけだし、ネタ元自体胡散臭い人物からの情報だったはず。
しかし、一部の宗教を利用して利益をと思う人々の暗躍で、ゴタゴタが多かった時代だと思いますよ。
それと、高知の乱は学会て関係していたのか?・・・
なんでも、学会の謀略て安易に言ってるけど、顕正会自体も謀略活動していますね。
だから、何でも謀略と疑心暗鬼になるんでしょう。




元の組織てどうなってるの?
こういう所って、組織管理をちゃんとしてないから名簿すら存在してないだらしない組織なんだよね。


【今こそ先生にこの命を・・・】

 そして本年二月、知人の議員宅に顕正会本部より顕正新聞特集号が送付されたことを聞き、先生の憂国のお心を肌身で感じては、「今こそ先生にこの命を使って頂かん!」との熱き決意が衝き上げ、三好組長を通して、信心活動の再開を願い出たのでした。
 新しい高知会館に初めて参詣させて頂いたときは、万感の思いが脳裏をよぎり、再び先生のもとで御奉公が叶う有難さで胸がいっぱいになりました。

【曽ての同志も続々と立つ】

この感激のまま、何としてもかつて共に戦った同志たちを呼び起こさんと、一軒一軒、未活動者の指導に赴くと、かつて四国で先陣切る戦いを成した元総班長の西川さんと横田さんが立ち上がりました。
 ことに西川さんは、高知会館の清々しさと、ビデオ放映で拝聴した先生のご指導に大感激し、そのまま一名の折伏の証拠に顕わし、先日などは、約三〇年間信心に大反発していた母親の入信まで叶え、現在、大感激のなか御奉公に連なっております。

活動を辞めていたのだから何で、30年間反発できるわけ?・・・
信心をしていたからと言うのでも、個人で壁に向かって勤行をしていたぐらいでしょ。
一般家庭で神棚、仏壇に手を合わせるようなものと変わらないのに、なんで大反対てのが、不明ですね。


 また、徳島支区部長だった門屋敏仁さんも、戦列を離れていた申しわけなさの中に「今こそ先生にお応えせん」と猛然と奮い立ち、涙の中に一名の折伏の証拠に顕わすと、今度は門屋さんの母親で、かつて徳島で自宅拠点を構えていた三宅さんと、その家族も立ち上がったのでした。

かくして今法戦、かって共に戦っていた九名の同志が未活動から励まし合いながら戦った結果、九名の折伏の証拠に顕わすことが叶い、すべては先生の強きご一念に守られればこそと、報恩感謝の念尽きぬものであります。

戦った結果で浅井会長の強き一念に守られててのは、おかしいでしょう。
なら、貴方たちが未活動になったのも、浅井会長の一念が足りなかった結果とも言えるんだよね。
それに浅井会長の一念て怨念か何か知らないが、報恩感謝するのなら御本尊とか守護した諸天にでしょうに。
もう、浅井会長讃歎て意味しか無いんだろうね。


【先生に師事できた有難さ】

 三月度総幹部会の席上、先生は「顕正会は小手先の小細工は用いない、策略などは使わない。ただ大聖人の御眼だけを恐れて、正直に、仰せのままに広宣流布・国立戒壇をめざして一筋に進む」と、発足時の指導を振り返られましたが、いま未活動から復帰した同志ともども実感していることは、大忠誠で立たれる先生に師事できる有難さであります。

小手先の小細工て! 小細工満載にしないとやっていけない顕正会なのにね。
浅井会長自慢の武勇伝本にしても、小細工満載だし、自慢の○○大会にしても参加人数水増しの小細工満載だし、小細工だらけでしょう。
で、大忠誠とか言うが、平成25年に一千万の誓をと言いながら、誓やぶった懺悔(さんげ)すらないのだから、忠誠なんてただの言葉だけでしかないでしょう。
本当に忠誠誓った誓であるのなら、破った誓に対して、命をとしてわび入れでしょう。



 私自身、しばらくぶりに手にした顕正新聞特集号の見出しに、「国立戒壇建立」の文字を拝見しては、御遺命守護の時も、御遺命成就に戦う現在も、先生のご精神は些かもブレることなく忠誠一筋であることに畏敬の念でいっぱいになり、かかる師匠に師事すればこそ、私たちは一生成仏と広宣流布を見つめ前進が叶うことを、深く命に刻んだものであります。
 されば、すでにギリギリの広布最終段階「二度となき仏法を得べき便りである」との先生の師子吼を胸に、命尽きるまで一筋の御奉公を貫いてまいります。
 本日の浅井先生の重大ご講演を心肝に染め、四国の地より大潮流を巻き起こし、浅井先生にお応えしてまいる決意であります。

新聞を届けて貰っていて、また、ダ本配布とかしていて、何でしばらくぶりに手にした顕正新聞特集号てなるの?
顕正新聞ではなく特集号て意味なのかな?

それと「二度となき仏法を得べき便りである」て、キリスト系の某団体を思い出してしまうよ。



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最終更新日  2014年05月16日 00時15分11秒
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