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2016年03月17日
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カテゴリ: 顕正会
顕正新聞2月25日(1368)号より

【「大扉開かず」の現証この目で見た 先生の弟子になれてよかった!】
婦人部 吹田支区組長 広崎 ○○

 私は十歳のとき父を亡くし、その後、母は戸田会長の代に創価学会に入信いたしました。
 親戚一同の反対の中、勤行に励んでいた母の姿を見て育った私も、二三歳のとき、学会に入信いたしました。
 ほどなくして正本堂の募金が始まり、私も「瓦の一部にでもなるなら」と、おカネのない中、供養に参加いたしました。みな無理して供養をしている様子でしたが、当時はそれが信心なのだと思っておりました。

【選挙活動に不審】

 二七歳で結婚し、当時一歳にもならない娘を連れて富士大石寺に御登山しましたが、感激が湧くことはありませんでした。
 そのころから学会全体が選挙活動に傾倒し、何かおかしいと悶々とした日々を送り、次第に組織から遠のき、全く学会活動をしなくなりました。
 昭和六〇年ごろ、頼まれて公明党のポスターを家の前に貼っていたとき、顕正会男子部の方々が折伏に来てくれました。このとき学会以外にも日蓮大聖人の仏法を実践している団体があることを始めて知って驚き、勧められるまま顕正会に入会いたしました。

淺井会長が言う、正本堂の誑惑がハッキリしたのが昭和44年、正本堂完成が昭和47年。
そして登壇者が顕正会に行くまでに正本堂誑惑がハッキリしてからでも16年の歳月が流れていて、結婚して、子供も授かり、特に大きな病気怪我もしないでいています。
顕正会員が言う、御遺命に背いた団体にして身が持つはずもなくが、無関係と証明できます。

この登壇者が何もなかったてことが証明になるでしょう。
この方は例外で、福運が残っていたとか言うか互いるかも知れませんが、なら、御遺命に背いた団体にいて身が持たなかった方も例外といえます。
もともと、福運もなく罪障を持っていただけでしょう。でお終い。

あと、学会以外に日蓮大聖人様の仏法を実践て、あれだけ、妙信講がとかいっていて、この方は、妙信講の存在をしらない。
また、正信会もである。
他の元学会員の登壇では、妙信講なら有名だったとかいっていたりするよね。
けど、学会歴が長くても知らない人がいる。
だから誇張しているか、作文しているから、話しのズレが出てくるのであろう。


【宗門末寺に所属】

 しかし大事がわからなかった私は、知人の強い勧めで宗門末寺に所属してしまったのです。

 そしてある日の御登山の折、正本堂が壊わされた跡地がブルーシートで覆われているのを見たとき、「あの御供養は何だったんだろう」との思いが心によぎりました。

供養と登山と折伏を強いられて嘘だろうね。
未だに宗門は変わってない。
供養の大事は言うが、強いられはしない。
登山も折伏もだ。


【先生仰せの通りに】

 七年前、松本班長が諌暁書と顕正新聞を持って自宅に来てくれ、話を聞くうちに「いま浅井先生はどんなご指導をしておられるのだろう」と思い、誘われるまま、大阪会館のビデオ放映や集会に参加いたしました。
 先生のご指導に触れるたびに「本当に世の中が、先生のおっしやるとおりになって来ている、顕正会は正しい」と胸に収まり、細井日達書写の本尊を宗門末寺・平安寺に返納したとき、すっきりと心が晴れていくのを感じたこと、昨日のごとくであります。
 すると、学会のときも宗門のときも、ずっと「僕はやらない」と言っていた夫の素直な入信が叶い、とても嬉しかったです。

淺井さんのいってるように世の中が変わってるか?
違うでしょう。
この辺は上長の添削だろう。
第一に淺井会長が言っていたとおりなどなってない。
平成19年に日本は亡んだか?
平成25年に世界は核戦争で亡んだか?
他国侵逼は起こったか?
小田原地震は起こったか?
日本が破産したか?
ソビエトが侵略しに来たか?
北朝鮮が侵略しに来たか?
世界の経済崩壊は起こったか?
平成25年に1千万会員になったか?
どこが淺井会長の言ってるようになってる。だから添削だろう。


【「何があっても大丈夫」】

 昨年夏、私は酷暑が続いたことで体調を崩し、脱水症状で食事が摂れず、両手足も思うように動かなくなり、救急車で市民病院に運び込まれました。このまま動けなくなるのではと不安になりましたが、米谷総班の同志の方々が入れ替わり励ましに来てくれ
「何かあっても大丈夫」との先生のご指導を支えに、欠かさず勤行していくと、「信心が大事」との思いが湧き上がり、体力もどんどん回復していきました。

顕正会の信心をしていた罰なのか?
脱水症状は注意していれば防げること。
炎天下を歩き回ったり、余程変なことをしない限り大丈夫だ。
全然、顕正会の信心で、守られていないということではないか。


【先生の戦いに衝撃】

 昨年十一月に退院し、久しぶりに第十一婦入部集会に参加が叶い、大阪会館で御本尊様を拝見したとき、今まで感じたことのない有難さが胸いっぱいに広がり涙がこぼれました。
 また佐渡会館御入仏式ビデオ放映に参加し、先生が平成十七年に阿部日顕に対し「顕正会の解散」をかけて公開対決を中し入れておられたことを始めて知り、先生がお命かけて戦っておられたことに衝撃が走りました。

いまから7年前には顕正会員だったわけでしょ。
なのに対決申し入れを知らなかった?
大日連でも大白法でも記事になっている。
法華講員時代に知っている可能性もある。
また、顕正会に戻ってきたのなら、「最後に申すべきこと」とか読んでいるだろう。
なら、顕正会の解散を掛けた公開対決を知らなかったてあり得ない。
まして、顕正会員が法華講員に対して、公開対決を逃げたというのは、常套手段。
恣意的に宗門を悪く思わせたいいとがあるな。

で、脱水症状で最低2ヶ月近く入院するかである。
9月の残暑で入院でも10月の一月入院だ。
長すぎる入院なんだよ。
せいぜい一週間か二週間だろう。
やはり、顕正会いんだからなのだろう。


【「大扉開かず」の現証目の当たり】

 そして阿部日顕が御開扉の導師を務めんとしたとき、大扉が開かなかった当日、その場に自分自身もいたことが、鮮明に思い出されたのです。
 さらに私は「立正安国論正義宣揚七五〇年式典」にも大石寺で参加していたこと、ただ署くて暑くて、配られたかち割り氷を頭に載せ、何の感激もなかった当時の記憶が甦りました。
「大扉開かず」の現証は、無漸無愧の阿部日顕に対する大聖人様の「目通り許さし」との御裁断だったのだと、わからせて頂きました。


淺井讃歎をおもっきりする内容だから、婦人部の幹部の作文だな。
奉安堂の扉が開かなかったことが平成17年11月7日の出来事。
「立正安国論正義宣揚七五〇年式典」が平成21年7月。
でも7年前に顕正会員。
微妙だけど、「供養と登山と折伏を強いられて」とかいってる人が、一泊以上の登山をするかである。
だから、だいぶ誇張、作文な気がするな。

それに、御開扉の扉が開かなかったことと、なぜ、話しをごちゃごちゃに語る。
正宗の印象を悪くしたい意図しか見えない。
それに御開扉は毎年150回ぐらい行われていて、その中で1回程度、問題があったからって何か、問題があるのか?
その程度のことでしかないのだと。

それに坊さんなんか所詮、機会のトラブルがあっても対処できないだろう。
これが、技術畑にいたことがある人間なら、畑違いでも多少のことなら対処できる。
だから対処する側の未熟さもあるのだよ。
それをたかが扉が一度開かないからて問題があるのかと言いたい。


【基礎教学書に心が震える】

 昨年の広布御供養には、精いっぱいの真心を込めて夫とともに参加させて頂きました。
 そして本年の登用試験に向けて、先生が心血を注いで発刊して下さった基礎教学舎を真剣に拝読させて頂くと、どんどん読みたくなり、吸い込まれるような感覚をおぼえました。
 学会・宗門では絶対に教わることも感じることもできなかった御遺命の大事や、大聖人様が久遠元初の自受用身たる御本仏であられることも、素直に感じることができ、感動で心が震えてきました。
 今、広宣流布と一生成仏こそ人生の目的であることをはっきりとわからせて頂き、顕正会員の良き臨終の登壇をお聞きするたびに、「私も成仏させて頂きたい」との思いがあふれてきます。
 ずいぶん遠回わりしましたが、大聖人様仰せのままに信心させて頂けることが、ただただ有難いです。

 されば「一八〇万眼前の戦い」と大号令を頂いた国難三年の初陣、私も感激のまま、大聖人様より折伏の証拠を頂ける戦いを起こし、浅井先生にお応えしてまいる決意であります。

7年前から顕正会員だったんだよね?
なんで、今年登用試験がてなるの?
何度かの再受験か?
それにしても、そこまでして試験を受ける意味があるの?
ただ、元法華講員てだけで、利用されているんじゃないかな?
基礎教学書マンセーにしても、婦人部幹部なら書きそうな内容である。
淺井昭衛に熱を上げているからな。
しかし、どこの組織にもいるよね。
無条件にマンセーな人。


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「願わくはこの功徳を以って普く一切に及ぼし、 我らと衆生とともに仏道を成ぜんことを」


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最終更新日  2016年03月17日 23時44分54秒
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