唐澤浩全資料

唐澤浩全資料

2013.10.21
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平成25年10月21日放送


電動車椅子ぶらり通信・百八十四話

   クレッシェンド

 僕は、諏訪養護学校高等部を卒業したその年から凡そ、二十数年間、NHKを中心に、いくつかの放送局のモニターをしていました。このモニターとは、ごく簡単にいうと、番組の批評をレポートに書いて放送局に郵送する、という仕事の事です。字幕の文字に誤字脱字はないかとか、カメラワークやライティングは適切だったかどうか、また番組で取り上げるテーマや出演者の人選に問題はなかったか、ということなどを逐一チェックして、文章にまとめるのです。
 さて、或る時、放送局でモニターを扱っている担当の方から、次のような電話を頂きました。

「フレッシュな感性と、優れた文章力がある唐澤さんの素質を見込んで、お願いしたい事があります。実は、他のモニターの方が自分には出来ないといって避けられる番組のモニターを、唐澤さんにお願いしようと考えているのですが、よろしいでしょうか」

 よろしいも何も、僕は、どんな事であろうとまずは依頼されたことにしっかり取り組む事こそ仕事の基本、と捉えていたので、「はい、何でもさせて戴きます」と答えました。
 しかし、それが如何に困難な事か、実際にモニターする番組の指定を受けてみて、ほとほと思い知らされましたね。というのも、それらは、競馬とかラグビーなどのスポーツ実況中継、政治経済の討論番組、市民大学講座と、一定の専門性や予備知識がなければ善し悪しも言えない番組についてのレポート依頼が殆どだったからです。
 なかでも、頭を抱え込んだのは、クラッシック・バレエ関連の番組指定が集中的に多かった、という事でした。とくに、ローザンヌ国際バレエコンクールの模様が放映される時には、必ずと言っていい程モニターの依頼がきましたね。

 しかし、それが、自分にはどれほど有益な体験か、少しずつ納得するようになります。そのコンクールには、専門家による解説の音声も流されていました。それこそ歯に衣(きぬ)着せぬ批評で、どの踊り手のバレエもズケズケと斬って行く。第三者の耳にさえ、キンキンと突き刺さるようなその解説を聞きながら演技を見る、ということはつらいものでしたね。でもそれを何回か繰り返すうち、バレエとは何か、更には人間の身体表現とは何か、その魅力を見て取る事が出来るようになりました。むろん、その間に調べた西洋舞踊、西洋舞曲などに関わる資料のおかげもあります。
 ともかく、何年か繰り返し続けたこういうバレエ関連番組のモニター体験が、僕にとっては審美眼の研鑽になった訳です。謂わば、僕自身でもそれと気づかぬうちに、手と足を動かす代りとして、目と耳で、バレエのレッスンを重ねていた、という事かも知れません。いや、僕自身、そう断言したい実感がある。というのも、これから述べる体験が、僕自身に、バレエを心底、楽しませてくれたからでした。
 昭和五十八年十月の事です。例によって、バレエ公演の模様を中継録画した番組のモニター依頼がきました。演(だ)し物は、モーリス・ベジャールという振付師の作品集、といえる内容で、チャイコフスキー記念東京バレエ団と、フランスのソロ、バレエダンサー、パトリック・デュポンが演じていました。
 ベジャールは、二十世紀屈指の舞踊家、といっていいと思います。バレエには、「バレエマイム」といって、身振り手振りでお話を交わす独特の表現方法があります。このバレエマイムという決まりに従って物語を組み立てて行くのが、バレエでした。皆様方もよくご存じの「白鳥の湖」や、「くるみ割り人形」などはバレエマイムの公式に則(のっと)って作られたバレエの古典です。ベジャールは、バレエマイムの枠組みをぎりぎり守りながら、新しい試みに挑んだのです。それは、手足を曲げたり伸ばしたりする単純な動きそのものの楽しさ、美しさ、心地よさを踊り手も、観客も渾然一体、ともに再確認しようとした。つまり、彼が振り付けしたバレエは、見ているだけで、自分の手足もスムーズに動いているような喜びを実感させるのです。
 その典型は、いま、流れている曲のバレエ「ボレロ」ですね。もともとラヴェルがバレエ曲として作曲したこの音楽に、ベジャールが新しく振り付けした舞踊は全く斬新で、僕はモニターも忘れ、見入ってしまいました。
 一拍の呼吸、一日の生活、一年間における出来事の変化、そして人の一生と、みな単位や次元は異なってもそれぞれには、非常に個性的なゆらぎやどこまで膨らむか判らないようなうねりとが、脈打っております。そのようなゆらぎやうねりが一つのクライマックスに向けて雪崩れ込んだり、大きく盛り上がったりする動きの事を、西洋音楽の記譜法、つまり譜面を書く場合の約束では「クレッシェンド」と呼びますが、ラヴェルの「ボレロ」は全編を通して丸ごと「クレッシェンド」そのものを表現した一曲です。従って、人間の時間、営み、情念、そして、人生のあらゆる起伏が、「ボレロ」には畳み込まれている。
 鋭く研ぎ澄まされたベジャールのインスピレーションは、「ボレロ」のこうした真髄をガチッと捉え、力強く優美な振り付けを完成させたのでした。
 実際のステージには、円形の真っ赤な舞台が置かれ、その上でパトリック・デュポンがソロのバレエを舞う。そして円形舞台の周りを、東京バレエ団の男性ダンサー達が群舞するのです。その迫力たるや、まことに圧巻でしたね。この時、僕は、心底、バレエそのものの魅力を完全に味わったように思います。
 極めて幸運にも、この時の番組と全く同じプログラムのバレエが、伊那文化会館で見られました。平成二年の事です。但し、この時のソロ・ダンサーはデュポンではなく、ジョルジュ・ドンでした。ドンは、「愛と哀しみのボレロ」という映画に、ロシアのバレエダンサー役で出ています。彼こそ、「ボレロ」というバレエの魅力を世界中に伝えた舞踊家、と言っていいでしょうね。キビキビとキレがあるデュポンの舞い方とは一味違い、ドンのバレエはしなやかでしたよ。見事だったなぁ。残念ながら、ドンは、この二年後に亡くなってしまいました。
 ここで思い出すのは、東京バレエ団公演の前年にやはり伊那へ来たマルセル・マルソーのパントマイムです。バレエとパントマイムは、ジャンルが違っても、じつは同じ身体表現です。マルソーの独創的な一挙手一投足を見ていると、ベジャールが振り付けしたバレエ同様、からだを動かすという事が如何に楽しいか、心が浮き浮きしてきますよ。
 よちよち歩き始めた幼児が大抵、大人の仕草を真似て喜ぶように、マルソーのパントマイムにも、一緒に無言劇をやってみたくなるような衝動を掻き立てる力があった。つまり、どれほど時間が短いパントマイムにも、命の芽生えから、エネルギーの大爆発、そして、暗闇の安らかな眠り、という動きがうねりとして揺蕩(たゆた)い、力強くクレッシェンドして煌(きらめ)く。芸とは本来、こういうものかも知れませんね。

 しかし、これらには、一つの共通テーマがある。それは、絶え間なくうつろう大自然をかがみに、生きて死んで再び甦る物語をどう演じて盛り上げるか、という事です。海山における春夏秋冬と、人の心の喜怒哀楽とを綯い合せた(ないあわせた)物語。それが、日本の舞踊のテーマです。その機微を表す言葉。つまり、西洋音楽の「クレッシェンド」に対応する日本芸能の到達点は、「序・破・急」なのだろうと、思います。これについては話が長くなるので、またの機会に致しましょう。
 さて、これからお聴き戴く音楽は、オリエンタルダンスのお囃子です。このオリエンタルダンスはまた、ベリーダンスとも呼ばれ、いわゆるアラブ文化圏の国々では盛んに踊られております。起源はずいぶん昔で、イスラム教が勃興する以前から踊られていたようですよ。その賑わしさ、華やかさにせめて音楽から触れて戴きたく、音源を用意しました。暫し、お聴き下さい。
 去る十月十五日、下諏訪町の秋宮において、このオリエンタルダンス奉納が行われる予定でした。僕も拝見したかったのですが、あいにくの雨で、断念しました。せめて音楽から、その賑わいを想像したいと思います。
 夢と現実、からだと心、ながれとかたまり、聖なるものと俗なるもの、また自然と人間などといった相異なるものが、完全に溶け合う一瞬。それが舞踊なのでしょう。その微妙な一瞬を求めて、人間は、必死に、舞い踊るのです。





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Last updated  2013.10.21 10:28:45
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