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ハロウィーンです。なぜか娘は、クラスメートから色とりどりのお菓子をいただいて帰ってきました。女子だけの恒例行事(笑)で、バレンタインやホワイトデーと同じく、友人どうしでお菓子をやりとりするそうです。娘、「商業主義だよねー」といいながら、浮かぬ顔。思春期特有の反抗期に入っているせいか、最近は落ち込むことが多いようです。(とくに今回の定期試験は過去最悪だったし・・・、よりによってこの時期にどっぷり沈んだら困るんだなあ(^_^;)(>_
2008.10.31
あすはハロウィーンなので、1日だけこのスキンを使用させていただこうと思います(^v^)。かわいらしいデザインで、好きなのですが黒地に白字はちょっとみづらいですね・・・。ハロウィーンについて、くわしい説明は、こちら。
2008.10.30

幼稚園の聖母子像です。園の行事で5月には「マリアさまの日」があって、園児全員でマリアさまにお花をささげる趣向でした。「母の日」のヴァージョンですね。こちらは啓光学園の聖母像。ミッションスクールではなくなるので、マリア像もいずれ撤去される方針・・・と耳にしています。寂しいですね。最近啓光学園にいってないので(さすがに用事もないのにふらふらと入り浸れない(^^;)・・・)今どうなっているのかわかりませんが・・・、できれば残してほしいと願います。もしかしたら教会のほうに移送されるかも・・・、とりこわされるより、せめてそうであってほしいですね。
2008.10.29

秋です。全国高校大会は各地で予選たけなわです。北海道・東北地区ではすでに代表校選出されている地域もあります。来週の日曜日は準決勝、地区予選も佳境にはいってきた大阪エリア。強豪チームがここまで順当に勝ち進んでいます。今回、大阪第一地区のわが地元(笑)、常翔啓光学園。春から順調な仕上がりで快進撃をつづけています。昨年まで2年連続で予選決勝で敗れて代表の座をのがしているだけに、今回はなんとしても花園出場権をつかんでほしい・・・といのります。昨年、啓光学園が大阪工大グループと提携して常翔啓光に生まれ変わるというニュースに震かんさせられたこと(笑)は、まだ記憶に新しいですね。末端ファンとしては非常にショックだったのですが、当事者である学校関係者の方々にくらべれば物の数ではないことでしょう。父兄、生徒、教職員の皆さん全員が、とまどいつつも新生・常翔啓光を上昇気流にのせようとしておられるごようす、こちらの掲示板からもうかがえます。共学化のみならずミッションスクールでなくなるためにカトリック色も一掃されるのですね。個人的に、この大転換はとても衝撃的でした。うちのこどもたちの卒園した幼稚園が啓光学園と同じカトリックの系列で、地元というだけでなく縁者のような親しみを勝手にいだきつづけておりましたので(*^_^*)・・・。時代の激しい流れ、とくに学校の存続は一大事だなと痛感しました。・・・もう10年の昔になりますが、こどもの幼稚園時代、毎年幼稚園の運動会は啓光学園のグラウンドでさせていただいていました(今後はどうなるのかな・・・)。娘が年中クラスだったとき、98年度全国大会決勝で大阪工大高と激戦のすえ啓光学園が優勝に輝いたのはいまも鮮烈な記憶です(^-^)。(その大阪工大高(現・常翔学園高校)と兄弟校になるとは、予想だにしませんでした・・・)その後、あの未曾有の4年連続全国制覇。「ラグビー界に啓光学園あり」と日本中にその存在を知らしめてくれました。息子の幼稚園時代~小学校低学年がちょうどこの栄光の時代とだぶります。毎年、年末になると幼稚園に隣接する教会に「祝・啓光学園ラグビー部全国大会出場」の横断幕がかかるのが季節の風物詩でもあり、誇らしかったですね(^-^)。今後はあの横断幕もみれないと思うと寂しいです。教会が開催する幼稚園の冬休み前のクリスマス会では、園児の礼拝のあとラグビー部の全国大会出陣式がありました(^^)。そのほかにも、啓光学園の生徒さんがボランティアで幼稚園のイベントの手伝いや教会の掃除にきたり、園児の遊び相手をしたり(笑)、当時はかなりひんぱんに交流がありました。息子が小さかったころ、幼稚園から帰ってはずんだ声で「啓光学園で運動会の練習やったよ! !」「ぼくの啓光学園だよ! ヽ(^o^)丿」とはしゃいでいると、それを聞いたおじいちゃんが「・・・こりゃあホントに『ぼくの啓光学園』になりそうだぞ(^^ゞ(@_@;)」と微苦笑していたのもなつかしい思い出です。(息子本人はそんなことおぼえていないだろうな(^^ゞ・・・)最近、大阪では私学の改変がいちじるしいです。校名変更したりかつての男子校・女子校も続々共学化して変革をはかっていますね。現在の経営陣がどんなビジョンを描いているのか、外部の者にはよめませんが想像するにラグビーのライバル(笑)・大阪桐蔭のような方向をめざしているのかな?と思います。スポーツ推薦とともに進学実績に心血をそそいで進学校に移行していくのではないかな、と。ともあれ、地元民(笑)であることに変わりはないので今後も応援していきたいですね。下の写真は4連覇の1年めに、市役所で優勝の顕彰うける啓光学園ラグビー部です。新生・常翔啓光もまたこうして凱旋してくれますように、いっそうのご活躍を期待するのみ。
2008.10.28
なんだか急に底冷えがして寒くなりました。(もうすぐ11月ですから、あたりまえなんだけど(^^ゞ・・・)この金曜日はこどもの中学で『記念式典』があるそうで、全員ブレザー着用とのこと(完全に冬制服にきりかわります)。当日忘れてくる生徒がいないように、水曜日からブレザー必要らしいです。「記念式典って、なにするの?」と聞くと、あまりよくわかっていないようで(*^_^*)、娘「さあ、(市の)偉いひとたちが参観にきて、校長先生から いろんなお話があるんじゃない?」息子「校長先生が(生徒全員にむけて)いうんだよ! (ドラえもんの声色で) 『ばかだねえ君は、ほんとうにばかだねえ』 って(^v^)」 ↑ホントだったら、おもしろいね(^_^;)・・・。もっとも、息子がお世話になっているクラブは記念式典で、恐れ多くも(笑)参観のお客さまに空手の型を披露するそうでいささか緊張をほぐそうとしているかもしれません。11月は、マラソン大会、合唱コンクールという恒例二大行事(笑)がひかえています。大事ありませんように・・・。
2008.10.27
屋久島~鹿児島の道端で、ハイビスカスや彼岸花とならんでどこにでも咲き乱れていた可憐な紫の花。地元のかたに聞いてもあまりにありふれているせいか(笑)名前も知られていなかった、この花をご存じのかたはおられませんでしょうか(^^)。
2008.10.26

縄文杉トレッキングの翌日は、筋肉痛で腿がぱんぱん(*^_^*)。宿の浴場が温泉なので、ずいぶん緩和されましたが、夕方の鹿児島出立まで、しんどいことは極力さけよう・・・ということでレンタカーで海岸沿いに島を一周(正確には半周?)しました。海があり山があり森があり、温泉もあり、まさに自然の起伏に恵まれた、神々の愛でし島。ハイビスカスは1年を通してずっと咲くそうです。山頂部は冬は雪山になるので、冬の時期は白銀の雪を背景にハイビスカスが咲く不思議な風景が観賞できるといいます(^^)。途中のお土産屋さんで、家族や会社のかたにおみやげをみつくろいました。義両親には杉の夫婦茶碗、義母に杉のペンダント。実父には杉の長寿箸。こどもたちにはTシャツ。これはお父さんが自分用(笑)に購入した『金の成る木』の貯金箱(*^_^*)。お土産屋さんに隣接する工房。木工の体験もさせてもらえるそうです。お店の中には家具製品がたくさんありました。杉の応接セットやついたて、仏壇。火鉢入れ付き応接テーブルは時価千数百万の値札付き(^v^)。紀元杉のそばにあった切り株です。なんだか格調高いですね(^^)。山道のとちゅう、いたるところに毛玉がころがっているような感じでサルの群れがいました。ゆうゆうとしています。落ちた木の実をついばんで、お食事中。よくみると、おなかに毛玉をくっつけるようにして子ザルをかかえています。子ザルに授乳しながら、お母さんザルはランチタイム。10数年前のみずから(笑)を思い出してなつかしく(笑)、お仲間のような親近感をもちました(^-^)。
2008.10.25

縄文杉トレッキング、10時間の行程をもちろん無事完歩するお客さんがほとんどなのですが、天候で中断する以外にどうしても体力的にもたなくて脱落するケースも全くないとはいえないそうです。山の中で挫折すると大変です。車は入れないし、トロッコが活躍するのだけどウィルソン株あたりからは山道でトロッコも入れないのでレスキュー隊が担架をくりだして該当者を運び出すことになります。ただの疲労困憊でない、急病人や怪我人だとさらに大変。鹿児島県警(屋久島警察にはヘリがない・・・)がヘリコプターをとばすのだそうです。ヘリコプターといっても・・・、こんなに杉の大木がのびているところに着地できないでしょうといったら、だから該当者をベルトで吊り上げてキャッチするのだとか。(杉の梢のはるか上空までバンドで固定されて吊り上げられる・・・、考えただけでも怖い(^^;))「緊急ヘリをたのむと1回につき200万円かかります。 でも(鹿児島)県警もよっぽどでないとヘリをだしてくれません」そうでしょうね(^^ゞ・・・(@_@;)。よそではみられないすばらしい緑の原生林・・・。景色をじっくりみながら歩きたいのですが、みとれているとたちまちトロッコ道からそれて足をふみはずします(^^)。でも、まもなく疲労と緊張でおしよせてくる風景をゆったりと観賞する心のゆとりもなくなってきます。プロの写真家はやはり、すごいですね(^v^)。「(屋久島が)世界遺産になってから、よく出版社の企画でおおぜいきます。『誰がこんな企画たてたんだ』って、スタッフがぶうぶういってます。『山男にカメラマンを案内させるより、山男をカメラマンにしたほうが合理的だ』ってね」どんな分野でも、傑作・名作をうみだすにはひとしれず相当な苦労・労力がかかっているのですね。なるほど。いっぽう、旅番組のロケ等で、芸能人もよく来るそうです。ガイドさんは、阿部寛さんを案内したことがあるといいます。意外にも(失礼!)、「タレントさんなんかは、(登山がきつくても)あまり文句いいません。覚悟をきめてるからでしょうね」華やかにみえても、舞台裏はなかなか大変そう。ほんとうにご苦労さまです。それでもあの感動は忘れません(^^)。ありがとうございました。森のなかでみた心なごむ光景。サルの毛づくろいです。なんだか背景のグリーンのなかにとけこむような、ゆったりとした気持ちにさせてくれます。
2008.10.25

私は縄文杉登山の意味がわかっていませんでした(^^;)。写真でみる濃い緑の美しさに魅せられ、おだやかな日差しのなかでゆったり森林浴、スケッチもできるといいなあ・・・とお気楽な夢をつむいでいました(^^ゞ。これほど大変なことだとは・・・、たいへんなのは雨に降られる程度だと安易に考えていた、無知はおそろしい(@_@;)。往復約20キロ、ただし山道なのでかなりきつい(*^_^*)。所要時間約10時間(平均値らしい)。私どもが参加させてもらった典型的コースでは、朝5:00出発、夕方5:00終了。スタートおよび終了地点の荒川登山口までのバス往復約1時間半をふくみます。詳細は、ここ。(屋久島でガイドをなさっているかたの運営するサイトです。) 私たちのツアーは、総勢6人。関東から来られた20代のOLさんとおぼしきご姉妹、大学生の男の子ふたり、それに私たち夫婦。ガイドさんは屋久島在住13年のベテラン。屋久島で組合に加入しているガイドさんのほとんどが他府県から来て屋久島に魅了された方で大学の探検部、山岳部出身者が多いのだそうです。ときおり、シカやサルに遭います。私がみたシカは小柄で、はじめは全て小鹿かと思いました。サルもシカも南方にいけばいくほど小粒になるのだそうで・・・、椋鳩十先生の代表作「片耳の大鹿」が急速にリアリティーがうしなわれるような心地(笑)でしたが、だからこそ、群れをひきいる巨大な大シカがいたりすれば、吉助おじさんや次郎吉さんが鹿狩りに熱くなるのもわかる気がします(^^)。森のいたるところが、自然の造形の宝庫。大阪なら何千万円もの値がつきそうな木のオブジェがありふれた感じでそこかしこに存在しています。ガイドさんが命名したという「千手観音杉」。モダンアートもおよばないオブジェを長年かけてつくりあげる「自然」はすごい(^^)。しろうと写真でみえづらいのですが、中央が有名な「ウィルソン株」。大正時代に植物学者のウィルソン博士の著述で有名になりました。おそらくは安土桃山時代に伐採された切り株であろうと推測されるそうです。数百年の昔に、こんな山奥まで伐採していたとは驚き。内部は空洞で泉がわいていることで有名です。「縄文杉」が発見されるまでは、屋久島最大の巨木とされていた「大王杉」。・・・ここまでの上り登山道(道なき道がいっぱい・・・)がかなりきつく、へろへろしていました(^^;)。2本の杉の、枝が合体していることで知られる「夫婦杉」。同じグループのご姉妹、私たちはここでガイドさんにツーショットの写真を撮っていただきました。「男どうしで(夫婦杉をバックにツーショット撮影) どうですか?」と、ガイドさんに水をむけられた大学生の男の子たち、「絶対いやです(笑)」笑顔できっぱりと拒否していました(^-^)。そして、おめあての「縄文杉」。ついにきた・・・感激よりさきに、これであとは下り道だけですむんだわーとほっとしました(^^;)。縄文杉の推定樹齢は2000年~7200年とかなり幅がありますが、太古の鼓動、悠久の歴史すら重なってみえる不思議な風格。じっとみているとロールシャッハテストばり? に木肌が老いたるひとの風貌のようにみえてきます。みる角度、時間帯によってさまざまに表情も変わってきます。あきることなくみとれていました。来てよかった、ホントに(^v^)。不惑を過ぎ(笑)、かなり体力がおちていることをあらためて痛感。学生時代、富士登山したときはほとんど疲れを感じなかった、今回はあのときよりずっときつかった(>_
2008.10.21

10月半ば、めずらしく旅行にいってきました。「屋久島にいって縄文杉を見たい」というお父さんの宿願が、ついにかなえられた次第です。そもそもの発端は・・・、「仮面ライダー響鬼」(ロケ地が屋久島だった)にしびれてからですから、積年の夢、ともいえましょうか。本来は、息子が中学入学するこの春休みに家族でいこう、と希望していたのですが、私が重症の(笑)花粉症なのをおもんぱかって延期になりました・・・。5月の連休は、旅行客が殺到するので宿がとれず結果10月まで繰り延べになりました(結果としては、偶然の幸運がかさなったおかげで大正解の旅となりましたが(^-^))。お父さんが新卒で入社して今年で20年、ということで会社から記念休暇が支給されたので(ええ会社やわー♪)、10月の三連休にくっつけて「せっかくだから結婚15周年記念に九州一周旅行に連れてったろう(*^^)v」と相成りました・・・。泊まりがけの長期旅行(笑)は、新婚旅行で1週間ロンドンにいったとき以来ですが、「こどもも大きくなったし、親の介護もまだ始まってへんし、 (旅行に)いくなら今やぞ。このチャンスの次は、15年後くらいになるぞ」というご託宣(^v^)。残念ながら、連休にクラブの練習と試合(の応援(^^ゞ)予定が重なっていることもあり、こどもたちはお留守番。旅行中は、実父が居てくれるので、中学生ふたりでもあり、「自分のことはちゃんと自分でして、 おじいちゃんに負担かけたらあかんよ。 おじいちゃんのお世話するくらいのつもりで がんばってね」と、いちおう言い聞かせました(無責任なあたし(^^;))。地理おんちの私、じつはなんの予備知識もありませんでしたが(>__
2008.10.19
「ジャノのお母さんは肺病で死にかけていて、私の腕にジャノを押しつけて『早く連れていって』と叫んだわ、あなた知っているでしょう」「でも、人は私を人買いといった。売名行為だという人もいた」「それは違うわ。本当に子どもたちのことを思って、そして大切に育てたわ」彼女は泣きつづけた。私は言葉もなく見ていた。 (歌に愛に生きる~ジョセフィン・ベーカー 石井好子 )戦前、パリのレビューで活躍し、「琥珀の女王」と絶賛されたうつくしき黒人ダンサー、ジョセフィン・ベーカー。故国アメリカの激しい人種差別を嫌ってパリに新天地を求めた彼女は歌手としても成功をおさめた一級のエンターテイナーでした。有名なエリザベス・サンダースホームの創始者・澤田美喜とジョセフィンの交流は戦前にさかのぼり、戦後の初めての来日公演でジョセフィンは収益をそっくりホームに寄付して、共鳴する澤田女史の事業に貢献します。自身も人種差別に悩んだジョセフィンはホームからふたりの孤児をひきとりました。のみならず、世界中の施設から人種の異なるこどもたちをひきとり、施設兼テーマパークに改造したフランス・ミランドの古城に総勢12人のこどもたちを住まわせた彼女には人種差別撤廃の夢がありました。まさに、「人類みなきょうだい」が彼女の理想だったのですね。しかし、現実は過酷でした。客足が伸びずテーマパークは採算がとれなくなり、芸能界のスターだったジョセフィン自身の金銭感覚のなさもあってついに破産、ミランドのお城は抵当入り・・・、12人のこどもたちがちょうど思春期を迎えた時期の話です。その後さいわいにもモナコのグレース王妃(自身もアメリカ出身ですね)の支援で住む場所を確保できた彼女は、再びショービジネスにカムバック。最期はまもなく舞台開幕というときに昏倒して永眠。みごとにステージ上の女王として全うした生涯でした。・・・ジョセフィンの伝記はたくさん出ていますが、「虹のこどもたち」(目も髪も肌の色も異なる各国の出自をもつ養子を、彼女は七色の虹になぞらえてこう呼びました。彼女が女主人として君臨するミランドの古城から、世界中からあつまった彼女のこどもたちがともに手をとりふたたび世界にでてゆき差別も民族の壁も国境もない理想社会をつくりあげることが彼女のビジョンでした)自身に関する本は私の知る限り、はじめてなのでさっそく本書を購入して読了。・・・予期していたものの、やはり索漠とした思いが胸に残りました。日本からジョセフィンにもらわれていったふたり、とくに彼女が「長男」に決めたアキオ・ブイヨン氏をメインに書かれています。1950年代初頭、日本人女性と不明な父親(おそらく在日米軍兵士? と推測されるのみ)のあいだに望まれない子として生をうけ、横浜ですてられた「時代の子」は、奇しくもフランスのレビューの女王・ジョセフィン・ベーカーの養子となり、古城での王子さまのような生活から一転して破産、差し押さえにあう悲運も体験するわけですが、なにより「長男」として良くも悪くもジョセフィンにほんろうされた苦難の半生が生々しいです。ジョセフィンの理想は輝かしく崇高なものだったけれども彼女が(今流行りのことばでいうところの)相当な「毒親」だったこともまぎれもない事実のようで、彼女の専横な、あるいはエキセントリックなふるまいが複数の証言者によって淡々と語られてゆきます。成長したこどもたちが当然ながら自分の意志をもち、自分らしくあるがままに行動しようとするのを彼女は許さず、自分の頑なな思い込みどおりにコントロールしようとしたらしいですね。ジョセフィンはみずからを聖母マリアになぞらえ、こどもたちも自分の思い通りの「天使」でありつづけることを望んだようです。・・・たとえば、冒頭に引用された悲痛な述懐、これは実際にあった出来事ではなくジョセフィンの作り話もしくは記憶ちがいであることが本文中に語られています。(生粋の舞台人である彼女が、それ以外でも芝居がかった演出や賞賛を好んだことはなんだかわかるような気がします・・・。)各国の著名人に接見し、超VIPの待遇ながら「見世物のごとくあつかわれる」ことに、アキオ氏らは自然に反発したらしいですね。ジョセフィン自身、なんら教育をうけず天性の才能のみをよりどころに生きてきた人ですから、いきなり理想的なお母さんになること自体無理があったであろうと思われます。有能なブレーンもいなかったか、あるいは諫言する人は容赦なく彼女に切り捨てられたであろうことが示唆されています。フィンランド系の養子をもらいながら、彼が彼女の意にそわないとみるやあっさり追放して「虹のこどもたち」の系譜から抹消したり、彼女の楽団員でもあった夫ブイヨン氏とも養育に関する意見のくいちがいから別れてしまいます。(このブイヨン氏、同性愛者だったと本書のなかで暴露されていますがモラルも教養もあり、こどもたちの周囲にいる数少ない常識人だったようで、成人してからもアキオ氏は彼を慕って彼のすむアルゼンチンに数年逗留したと語られています・・・)著者・高山文彦氏の目を通してみえる現在のアキオ氏はやはり、永遠のアイデンティティ喪失者、根無し草のイメージがあります。・・・現在、世界各地に散らばっている「虹のこどもたち」は結束はいまもあるものの、結婚しているかまたは結婚歴のある人はうちふたりにすぎず、あとはアキオ氏をはじめ独身とのこと。孤児の運命や生育歴が濃い陰をおとしていると感じるのは思い込みが強すぎるでしょうか・・・。自分が本当はなにものかわからずに成長し、「母」ジョセフィンの怒涛のごとき激情にほんろうされ、ジョセフィン亡きあとも生涯つきまとう彼女の面影から離れられない・・・、ときに反発し疲弊しながら、にもかかわらず同時に「母」を慕っているアキオ氏の心情も浮き彫りにされています。まさに「氏より育ち」で、アキオ氏にとってどこの誰かもわからない日本人の実母は存在せず、母は唯一「ママ・ジョセフィン」なのですね。感動というより、胸がしめつけられる心境です。元夫のブイヨン氏、グレース王妃、澤田美喜女史・・・ジョセフィン自身も、彼女を実際に知る人の多くもいまは故人となっています。彼女と親しい日本人で、いまも健在なのは冒頭に著書を引用させていただいた石井好子さんくらいでしょうか。それでもジョセフィンが亡くなったのは1975年ですからそんなに遠い昔ではないのですね。・・・本書は力作ですが、なんだか続きが読みたいのに未完のまま終了してしまった連載小説のような、もうひとつ語りつくされていないようなもどかしさがあります。それは、アキオ氏と面談して本音にせまりながら、なにかいちばん肝心なことを聞き出せずにいる著者自身の焦燥とも重なる気がします。ジョセフィンがこの世を去っても、アキオ氏は永久にジョセフィンの影をひきずりながら生き続ける。そしていつか氏自身の生を全うしたら、天国で再会できるでしょうか。幼いアキオ氏がエリザベス・サンダース・ホームの孤児としてフランスのスター、ジョセフィン・ベーカーの養子になりフランスにもらわれていったことは当時かなり報道されたようです。本文中に往年の記事も引用されていますが、ジョセフィンに対する讃辞はまさに聖母にむけてのそれで、事実の冷静な報道でもなければ分析や批判精神のカケラもなく、今日の視点で読めば礼賛過剰で気分が悪くなるほどです(苦笑)・・・。それはまた「時代」を知る、貴重な資料でもありますね。敗戦国日本の悲しい現実を体現する象徴でもあった混血孤児。その子をひきとろうとする欧米の養親、それも有名人ともなれば浮足立ってますます反動としての欧米礼賛に拍車がかかる、戦後日本の悲しくもこっけいな一側面・・・。そして冒頭に引用した彼女に対する「人買い」「売名」批判も、同じく現在の立場でみると的をえているといえなくもないですね(そんな感想もつこと自体、恵まれた時代の恵まれた国に生まれた幸運の証左なのでしょう・・・)。・・・余談になりますが、ジョセフィンはミランドのテーマパーク内の教会に自分とそっくりなマリアの聖母子像をおいていたそうです。こちらはフィクションですが、名作コミックの「タイガーマスク」に主人公が建設中の孤児たちのためのアミューズメントパークにまっさきに巨大なタイガーマスク像をつくる場面がありますが古今東西、人の考えることはさして変わらないのでしょうか(@_@;)。
2008.10.18
週末3連休をはさんで屋久島~九州旅行をして、温泉に入って美味しいものをいただいて地元のお友達の人情にふれて、おかげさまで無事帰宅すると(あまりぬくぬくと安逸な時間をたんのうしすぎて罰があたったのか、帰りの飛行機は国内線にしてはめずらしく? 揺れがはげしくて少し怖かった(^^;))たちまち現実に引き戻されました(^v^)。・・・まずは、中3の娘が先月受けた五木模試の結果返却(@_@;)。 いちおう、クラス平均偏差値の目標は「60」だったのですがいま一歩なところで、3教科平均が56、5教科で54。もちろんバラつき(笑)があるので、優秀な人はずっとその先をいっていることでしょう(^v^)。・・・で、娘は今回なんとか(すこし)クラス平均を上回りましたがさいわい(笑)極端に悪くはないものの決して良い。とはいえない、ひじょうに微妙な位置(>_
2008.10.15
こんばんわ。なんのまえぶれもなく(笑)1週間も日記を留守にしてしまいました。じつは、連休をはさんで旅行にいってまして・・・、世界遺産の屋久島から、だんだんと北上(笑)して、地元在住のお友達の皆さんに助けられながら(^^)、九州横断(というとおおげさですが)してきました。これほど凝縮された濃い(笑)旅行ができるのは、この先あるとすればお父さんの定年後(笑)かもしれません。そういうわけで、いただいたコメントへのレスはまたあす以降にさせていただきます。もうしわけありません。いずれぼつぼつ、旅日記(笑)も書いてみたいと思います(^^)。
2008.10.14

ひさしぶりのお絵かき(笑)、といってももう1ヵ月前に拙サイトにアップしたものです。人形浄瑠璃『曽根崎心中』のヒロイン・天満屋お初さんの人形と執筆中の作者・近松門左衛門。『曽根崎心中』の舞台に感動する観客。現代の私たちが韓流ドラマや宝塚歌劇にしびれるのとあまり変わりないかも・・・(^^)。ネットでお世話になっている厳雅さまより「・・・よくみると、たぬきも観劇しているようです(^^)」と、適切な評をいただきました(^^)。近松描くところの文楽に登場する女性たち、興味深いキャラクターがたくさんいるので、またぼつぼつ絵にしてゆきたいですね(^^ゞ。・・・関連はありませんが、芝居に類する話のついでに・・・、緒形拳さんの突然の訃報には驚きました。亡くなる直前まで、本当にお元気でご活躍されていたイメージがあって・・・、じつは闘病中だった? みたいな報道もちらほらあり、プライベートな真実はもちろんわかりませんが、最後まで俳優人生を全うされた、見事な生涯だったと思います。反面、まだまだ活躍してほしかったとおしむ気持ちもあり・・・、90歳を越えた森繁久彌さんがいまの緒形さんの年代にはまだ舞台に映画にTVにばりばり出演されていたことを思えば早すぎるお別れが残念ですね。芸能にはうといのですが先日のポール・ニューマンもそうだけど自分がこどものころから、みるともなく(笑)TVでみていたスターのおくやみをきくのは寂しいです。御冥福をおいのりします。
2008.10.07

・・・でした。前日の晴天から一転、一日中雨の悪コンディション(笑)のなか、生徒さん皆がんばっていました(^-^)。体育館で娘のクラスが披露したエンターテイメント(笑)。音楽にのってダンスあり、パントマイムありの入魂の(^^)舞台で、中学最後の文化祭にかけるなみなみならぬ思いを感じさせてくれました。ピーター・フランクルさんばり(笑)の大道芸。軽快な音楽にのって背後から女子のダンシング・チームが登場。こちらはもう一派の女子のブレイクダンス・チーム。気分は『ウエストサイド・ストーリー』?感動の(笑)大団円。拍手がなりやみませんでした(^^)。「みんなが一丸になって、目標を達成する」充実感を忘れずにいてほしいです(^-^)。
2008.10.06
きょうは暑かったー、日中は28℃(^v^)。1日中、半そでシャツで過ごせましたね。そのあたたかい(笑)週末、お父さんにくっついて久しぶりに大阪の中心・ミナミまでいってきました。お友達が新しいオフィス兼すまいに引っ越す予定とのことで・・・、築年数はかなり経っているけれど立地が良く、繁華街に位置するわりに家賃も割安だそうで、あとは事業がうまくまわってくれますように。我が家の不用品(笑)を運び込んだついでに、清掃のおばちゃん(笑)もどきをやりました。お父さんのボランティア精神にもなんだか感心します。・・・お友達にすればこんな頼もしいひとはいないでしょうけど、サラリーマンはサラリーマンらしく(笑)、同じくらい勤務先でもがんばってほしいですね(*^_^*)。・・・その彼にこれだけ尽くしているのですから、生活用品をささやかに寄付(笑)してわが家のスペースがすこしあいたことでもあり、あしぶみミシンくらい買っても罰はあたりませんよね(^v^)( ..)φメモメモ。土曜日でもあり人出が多く、ミナミは活気にあふれていました。・・・帰りに日本橋の「ボークス」でちょっと道草してきました。お人形ファン、フィギュアファンには垂涎のお店で、残念ながら私はどちらもくわしくありませんが、好奇心でのぞいてきました。いやー、目もあやなこうごうしさ(●^o^●)。コレクターにとってはまさに宝物だろうなと実感できる、うつくしいお人形の数々。・・・またお値段も相当高価で、私なぞには一生無縁そうです(^v^)。スーパードルフィーの誕生・発売からすでに10周年だそうで、アンティークドールの系譜? につながるような端麗であやしい面立ちながら、表情もプロポーションもどこか稚いのは、よりいっそうファンのロリ心に火をつけるのでしょうか・・・。スーパードルフィーとは関係ありませんが、お人形つながりで・・・。小林源文先生の「キャットシットワン」の主役キャラのフィギュア、限定版らしいのですが、これの実物が観たいです(^-^)。
2008.10.04
で、へろへろになりました(^^)。くわしくは書けませんが、「家にある使わないもの(不用品だけど他所にもってゆけばつかえるもの)」を供出するんだとかで、メモにそって該当する荷物を準備するだけで、どっと疲労が・・・。・・・で、いま現在我が家の玄関まえにはさまざまな生活用品が、うず高くつまれています(^v^)。これでいきなりお客さんが来たら、「ついに夜逃げか? (@_@;)」と確信されてもまるでおかしくない状態(^^;)。あすはどうなることやら?(^_^;)(^^ゞ
2008.10.03
アメリカ議会下院で金融安定化法案が否決されて全世界で株価大幅下落(>__
2008.10.01
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