魅力的な人々 小林 正観 著2009年4月6日 弘園社 発行
こんな楽しい生き方もあった
「魅力的な人」は心でもなお、周りの人を幸せにします。この本ではそんな人々を集めてみました。こんな風に生きてみるのも楽しそうだ、と思っていただけたら幸いです。
「悩みがゼロ」になったら「喜びの上乗せ」をする釈迦は2,400年前に、「悩みがゼロになる方法」を説きました。悩みがゼロになった人のことを「悟った人」といいます。
悟った人にのみ、さらに次のステップを上乗せして教えてあげてもよい、と、その後1,200年経って私たちに「上乗せの楽しいこと」を教えてくれたのが、空海だったようです。
執着をなくした人にだけ、教えてあげましょう、というのが空海の伝えたもの(密教)でした。ですから、望みを叶えるために密教を学ぶ、というのは、方程式として違うということになります。
悩み、執着がゼロになったら、あとは「ありがとう」という言葉をたくさん言っていると、人生が面白く展開していくというのが、「ありがとう」の不思議な力です。
空海は、23歳の時に、「三教指帰」という本を書きました。3つの教え(儒教、道教、仏教)を比較し、仏教がいちばん優れている、という結論を書いています。このころ、空海は山岳修業の日々の中で、役人になること、出世することという生き方に、完全なる訣別を決意したようです。
来る日も来る日も虚空蔵菩薩への真言を唱え続け、百万回唱えたころ、洞窟の奥に座っている空海の口に、明けの明星(金星)から光が注がれて、体の中に入ってきました。それが「悟った」と感じた瞬間でした。世界のすべてが輝いて見えたそうです。このとき洞窟から見えた風景は「空」と「海」だけ。これ以後「空海」と名乗るようになったということです。
出会う人出会う人みんな、味方につけていったということです。空海がたいへん「誠実」な生き方をしていった、ということだろうと思います。声を荒げないとか、自分が立場が上だからといって威張らない、怒鳴らない。人格者ということです。
約1200年の年月を経た現在でも、四国遍路巡りや高野山参詣の人々の姿が絶えず見られるのは、空海がいかに慕われる存在だったかをあらわしています。空海の「存在の死」は、まだ訪れていないということなのでしょう。
根絶やしにしない宮本武蔵の魅力どんな相手に戦いを挑まれようとも、武蔵は決してとどめをさすことはしませんでした。
武蔵は、後年、兵法の極意を「五輪の書」としてまとめますが、剣道の奥義に達した武蔵が悟ったこととは、「本当に強いものは、戦わない」ということでした。
戦いつづけて、次々に相手を打ち負かしていく、たたきのめすことが「強い」ことだと思われていますが、しかし「本当の強さ」というのは、目に見えて戦ったり、争ったりしないこと。そうならないように、事前に回避し、笑顔で解決していくこと、との結論に至ったのです。
事前に危険を察知できたのであれば、それを避けて通ること。あえてその中に身を投じる必要はない・・・それが、本当の優れた武将・武芸者の選ぶ道である、というのが、晩年の武蔵が達していた心境でした。
吉田松陰の教育松蔭の人を見る目は、「比べる」のではなく「一人ひとりに素晴らしい天分がある」という優しいものでした。
いけないところを指摘するのではなく、良いところを教えてあげるという教育に、門人たちはどんどん花開いたのでしょう。推察すれば、はじめから優秀な人たちが集まっていたというわけではなかったのかもしれません。
このように、良いところを見つけてそれを伸ばす、というやり方で育ってきた人たちが、明治維新の原動力となっていったわけですが、ここで気づくのは、「明治維新」とは「維新」であって「革命」ではなかったということ。
「明治維新」という語は、当時の志士たちが自ら言った言葉であり、後世の歴史学者が作った語ではありません。この時代に起こったのはいわゆる「革命」ではなく、「古き良きものは維持し、さらに新しいものを上乗せする」という意味で「維新」なのでした。
良寛さんの「愛語のこころ」自分は貧しい一人の修業僧なので、人に何かを与えたくても、あげられるものが何もない。だからせめて心を温かくするような、心を安らげるような言葉を贈ろう。それならば、いくらでもあげることができるから。これが良寛さんの「愛語のこころ」というものです。
子育てについて
親や教師は、
「人生がうまくいっているときは、先生や親を思い出さなくていい。失敗や挫折をして、壁にぶつかってどうにもならなくなった時にだけ、思い出して、相談に来なさい。」と言ってあげたらどうでしょう。
「感謝」「笑顔」「賞賛」「人間にエネルギーを吹き込むものとは何か」という角度から考えると、「感謝」「笑顔」「賞賛」の3つが挙げられます。私はこれらの頭文字をとって「かえしの法則」と名づけました。
人間も誉められればエネルギーが充電されます。誉められた人は「賞賛のエネルギー」で充電され、元気になるということがわかると、人間関係がよりスムーズになるのではないでしょうか。「ほめっぱなしメガネ」で人を見つめ、いつも温かく優しい言葉を投げかける人の周りには、常に温かさが満ちて行くでしょう。
人間っていいもんだなあ自分だけの問題であったならば、自分の問題だとうそぶいて、ひねくれた方向にいくこともできる。しかし、他の人に迷惑をかけるとなると、それまでタバコが好きでやめなかった人が、やめてしまう。人間の心とは、こんなふうに素晴らしいものとしてはたらくものだったのです。
他人に迷惑をかけるぐらいだったら、危害を加えるくらいだったら、自分のワガママをやめようと思える。「自己嫌悪」とは、そのように人間の心に働きかけるもの。昨日まで平気でやっていたことが、ぜんぜん違うものになってくる。それは神が人間に与えた「究極の損得勘定」ではないでしょうか。「自己嫌悪」が生じてくるようになったら、あとは本来の魂の目的「喜ばれること」をやっていくようにプログラムされているようです。
植物にも意志や感情があるらしい。植物は、人間に声を掛けられるのが大好きです。ですから、プランターの植物は声を掛けられないと枯れてしまうことがあります。植物は、人間が近寄ってくると嬉しくて、声を掛けられると、もう天にも昇る心地。ドキドキするそうです。賞賛されると、その人の味方になって、なんとか協力してあげたいと思うらしい。
ですから、日常生活の中で、植物を味方につけている人は、自然の多いところへ出掛けていった時には、天候などいろいろな面で、非常に恵まれた状態になっているようです。しかも植物は量が多いですから、彼らがコミュニケーションをとっているとすると、行く先々で晴れにしてくれたり、雨が降ったほうがいい時には雨を降らせてくれるようです。
遠足または運動会の前日と「人間」の定義
執着を捨てて受け入れるということが、なかなかできないといいますが、運動会の前日、
「明日は、絶対晴れてくれないといやだ!」
ところが、もうひとりの子供は、
「晴れたらうれしい、晴れたらいいな。」
と思っているとする。
その子にとっては、晴れたら「プラス」、雨や曇りだったら「ゼロ」です。
二人の違いがわかりますか。これが「執着」というものの姿です。「執着」があると、プラスを感じることができないという、たいへんに損なタイプになってしまうということがわかると思います。
「ヒト」は一人でいるときは「ヒト」、「ヒト」の間にいるときは「人間」。「感謝」は神によって「ヒト」だけに与えられたものでした。「感謝」ができたとき、「ヒト」は「ヒトの間に存在するヒト」=人間、になるのです。
つながっているすべての人にありがとうございます!
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