さしの部屋

さしの部屋

ヴァル・ヴェノスタ

今回の旅は、あまり知られていませんが、ロマネスク壁画が多く残るという、ヴァル・ヴェノスタ。
夏はマウンテンバイクの旅行者や、山登りをする人でにぎわうような所です。
そして、イタリアだけどドイツ語を話す地域でもあるのです。
(こちらがイタリア語を話すと、だいたい分かってくれます。)
ミラノを朝旅立って、スイスも間近の小さな町マッレスに着いた頃には
夕方になっていました。まだシーズンには少し早い上に、
日曜日で、人影もまばら。ホテルは私しか客が居ない様子で、
とてもきれいで広いツインに通されました。きっとホテルで一番良い部屋。
今日はもう遅いから何にも出来ないし、とりあえず外に出てあてもなくさまよってみました。
夕飯が食べれる所があるか、それが心配と言う事もありましたが、
町で唯一、ホテルではないレストランが開いていましたので安心しました。
教会はお目当てのサン・ベネデット以外は墓地を備えた地区教会があるくらいで、
あと、中世の鐘楼と、お城の要塞のものような円塔が
あるくらい(円塔の下は農具置き場にされている)で、
本当に何にもない。サン・ベネデットも、前に看板が立ち、ガイドブックとは違う、
少ない開館時間が書かれています。この時点で予定がすっかり狂い始めました。

翌日の朝は、8時25分のバスに乗って、10時45分から始まる
モンテ・マリア修道院のクリプタガイドに出かけます。
ふもとの町のブルグーショのバス停からは40分くらいでしょうか、
案外あっさりと着いてしまい、一時間以上待たなくてはならないことに。
しかも、ドイツ語40人のグループが着くから、問題があるといわれ、
不安なまま、教会上部を見学したり(5分で終わる)裏の水車を眺めたりして、ひたすらぼんやりしていると、
予定より45分早く呼び出され、個人で来たドイツ語夫婦と一緒に中に入れる事に。

monte maria

クリプタ内部は、青い背景に天使がたくさん描かれ、“きれい”でした。
横幅の長さ分、壁で二分されていた為、天上にはそのあとのラインが残ります。
(一瞬、フレスコのジョルナータのあとと、見間違いましたが)
祭壇側は天然石の顔料が混ぜられていて表面がキラキラ光りますが、
通路側の天上のエルサレムの場面は弟子によって描かれた為、それがありません。
4人の福音書家のシンボルや、セラピム、描かれたうち一人キリストから目をそらす天使、など、
細かい説明が続きます。フレスコが全面的に表に出され工事した際に、
クリプタに置かれていた修道士の墓は、現在、近所のサント・ステファノに移動されているそうです。
私は行きませんでしたが、もしかしたら素敵な教会なのかも。
見学を終わり、麓に戻ってもまだ、次のバスには1時間ほどあり、
おにはまだ早い上に、ろくにお店も開いていません。マッレスに帰っても今日は何にもありません。
バス停で時間をつぶしながら色々計画を練り、13世紀の塔が湖から飛び出すクロンへと向かいます。
時間が余れば見に行こうと思っていたのですが、<実物は思ったより美しい。
水が、エメラルドグリーンなんです。50年程前(?)までは町があったのですが
人口湖として資源確保の為、水高は上げられ、無残にも昔のクロンの町は大方失われてしまいます。
現在は丘の上の墓地と数件のペンション、そして公園があるのみ。
塔を眺めながら、スペック(名物のハム)の挟まったサンドイッチをかじりました。

curon

その後レジアの町(牛がいるだけ)まで散歩して、グロレンツァまで行ってきました。
町が可愛らしい所ならば、月曜日でも楽しめるはず。事実可愛らしかったです。
ポルティチ通り、城壁、塔、、、でも、どんなにゆっくり見ても、1時間以上はつぶれない。
広場でドリンクしながらゆっくりと帰りのバスの時間を待ちました。

glorenza
ポルティチ通り

遅れて来たバスの運転手は行きと同じ人。こんなところに何しに来たんだい?と、
下手なイタリア語で話し掛けてきました。振り返ってみると、乗客は私一人。
お兄さんも暇なんだなぁって思いました。翌日、念願のサン・ベネデットへ。
5分遅れで現れたシニョーラはホテルのおじさんとお話していたらしく、
イタリア語で話し掛けてくれます。外観は、乾燥しかけた木綿豆腐のよう。
すっかり水平垂直が失われ、数年前に直された屋根と天井のみが
直線を出しています。南にある小さな扉から内部に入ると、
人物など、1つずつの単位が幾文小さいような感じのフレスコが目に入ります。
東側には3つの窓とそれをかこむ、鍵穴型の3つのニッキオがあり、
中央には2人の天使に挟まれた、女性的なキリストが描かれています。
他の2つのニッキオにはサント・ステファノとサン・グレゴリオが。
ニッキオの内部の壁画と、その他の部分の壁画は、私が思うには明らかに作者が違い、
ニッキオ内部の柔和な印象が他の部分の意思ある表現と別物のようです。

san benedetto

窓枠に、ストゥッコによる装飾が多少残り、柱頭には、たらこ唇の人間の頭があります。
失われてしまっている所にも、下書きにあたる線描がはっきりと残っていますし、
はずれたストゥッコや大理石の破片は堂内のガラスケースに収められていて、
中にはオオカミの姿も見えます。ニッキオの他のフレスコ画ですが、
窓の横には教会のモデルを差し出す司教、と剣を持つ人物。また、北の壁面には、グレゴリオが
弟子と共に描かれたり、腹の出たパオロとシラス(?)の殉教のシーンなどが見られます。
壁画が残らない下部にはサン・ベネデットの生涯が描かれていたのではないかと言う推測があるそうです。
西と南の壁は湿気の為、早い時期に変えられてしまい壁画は残りません。
サン・ベネデットも他の多くの教会のように、長い歴史の中、
他の用途に使われてしまったりしていたようですが、さすがに山の教会。
材木の倉庫に使われたりしていたそうです。その後、スルデルノのコイラの城に。
イタリア語ツアーは遠足の子供たちと一緒で、なんだかとても楽しかったです。
ロマネスク期の礼拝堂は特に見るものは残っていませんでしたが、全体的に、行って面白い場所でした。
12世紀の鎧などが残る武具の部屋が売りです。
子供たちはお土産コーナーで昔の武器のおもちゃを買ってはしゃぎまわっていました。

午後、ラーチェスに向かいます。この町の近所の山岳地帯で、
10年程前、5000年前の人間の体が発見され、エッツィと名付けられ、
大騒ぎになったそう。その数年後、ある教会でレリーフがほどこされた石が
発見され、エッツィと同時代のものと判明したそうです。その後も、その石は、
教会の中に置かれ、地元の信仰対象、ご神体として大事にされているそう。
お目当てのご神体がある教会は毎月曜日にガイドツアーがあるのは知っていたのですが、
他の日も開いているかもしれないので、行ってみました、、、けど、鍵が閉まっており。。。。
仕方なく、近郊のタッレスにあるサン・メッダルドまで畑の一本道をひたすら歩いていってきました。
こちらはまさにその時間が開館時間。入場料も2ユーロ取るし、それなりの見どころなのでは。。。
先史時代の聖なる泉の上に築かれたという教会で、石に覆われたアプシデと13世紀の
十字架像の残りが見られる、、、はずでしたが、こちらもクローズ。
またあの長い道取りを歩いて帰るのかとうんざりしながらとぼとぼ歩いていると、
農民のおじさんが麓まで車に乗せてくれました。おじさんは
ドイツ語しか話せないけれど、ご機嫌そうにしていました。

最終日は朝からトゥーブレ。10時くらいに着くから次のバスがある
14時32分まで、とにかく時間をつぶさなくてはいけない覚悟で。
ここからバスで5分も乗るとスイスに入り、有名な修道院がある
ミュスタイユへといく事が出来ます。こんなに時間が余るなら、
行ってしまいたい。でも私、こんなに近いと把握していなくて、
パスポート無しできてしまったのです。行きたい、近い、だけど行けない。。。
でも、嘆いても仕方ないので、トゥーブレのお目当て、サン・ジョバンニに。

tubre

狙って開館しているはずの日に来たので、ドアは開いているよう。こっそりと中に入ると、
中には誰も居ないから、写真撮り放題でした。ここには、外部の巨大な壁画、
サン・クリストフォロ目当てで来たので、こんなに立派な壁画が内部にもあるとは驚きました。
のぞいてみると、2階にもなんだか壁画が見える。でも、
どこから登るのか分からない。外に出て、巨人壁画をながめていると、
教会の隣に住むおじさんが話し掛けてきました。ついでだから、2階の事を聞いてみると、
あそこの建物のおばさんに頼むと鍵を貸してくれるはずと、ナイスな情報をくれました。
こんなところで普通の民家のドアをノックする事になるとは思いもしませんでしたが、
案外あっさりと鍵を渡されました。こちらにはゴシック初期らしい壁画が。一人きりで、
教会の鍵を開けて2階に登るのって不思議な気分です。

小さい町でお昼ご飯を食べたりして、無理矢理時間をつぶしたわけですが、ちょっとした失敗を。。。
人がほとんど居ない上に営業しているのかあやしいレストランに入りました。
お店のおじさんは、イタリア語は片言。聞く分には分かるようで、
オーダーをとったあとは、奥で友達なんだかお客なんだか分からない
男の人と、基本的にはドイツ語、たまにイタリア語が混ざるという会話をしていました。
そして、私の席の近所にある出口から一回出て行ったのですが、
その瞬間、私と目が合い、イタリア語で、「今日は君におごるよ。」って言ったのです。
やっぱり、こんな小さな町に突然やってきたお客に、田舎の人は優しいんだなぁ。
って、私、感動して、おじさんがもう一回、中に入ってきた時に、
「本当におごってくれるって言ったんですか?」って聞いてみちゃった。
そうしたら、おじさん、やっぱりイタリア語がよく分からないようで、
もう一度私が何を言ったか聞き返す、、のでもう一度、繰り返す。。。。
すると、「ああ、今日は僕の所にちょっと物を持ってきてくれたからね。」
ん?あれ、もしかして、奥の客に言ってたの?私の顔見てイタリア語で、言わないでよぉ。。。
紛らわしい。恥ずかしくって、隠れたいような気持ちになったけど、おじさんもあんまり
イタリア語が分かっていない様子だったのでしらばっくれておきました。。。。。

帰りにはナトゥルノのサン・プロコロへ。
ここには、ぶらんこに乗っている聖人の壁画があるのです。
面白い事に、他の部分の壁画にも見られることなのですが、聖人は
ぶらんこの紐をうまく握れていないのです。グーをしているのだけれど、紐は手の中を通っていない。

ぶらんこ聖人
これがぶらんこ聖人。可愛いでしょ。

san procolo

サン・プロコロの壁はゴシック期に高さが上げられ、その為、下層はぶらんこ聖人などの壁画で、
上部にメアンダー文様があり、その上にはゴシック期の壁画があります。
こちらも、サン・ベネデットと同じように以前は南に小さな入口があったのですが
ゴシック期に、西に大きな扉が作られ、西にある可愛い牛の群れの
壁画は真中が失われてしまっています。牛さんは重なっているので、
後ろ足が省略されており、チヴァーテの足が足りない壁画を思い出しました。
牛の群れの先頭には、目を見張りあっかんべぇした、黄色い犬がいます。
こちらの壁画は、サン・ベネデットの北の壁面のものよりもより、
意思的で、記号的で、顔や、服のひだなどの表現にも一定のスタイルがあります。
中には左身ごろを前にあわせた着物のような服の聖人もいます。
日本でも女性の服以外にも、中国からの仏像を中心とした
文化が伝わる前は左前の合せの例が見られるという記述を読んだ事があります。
では西洋ではどうだったのか、右あわせとか左あわせとか言う話は、
インドなどの気候的に暑い所で、腰巻から進んで、片方の方だけ覆っていて、
その後、いろんな国に行くにつれて服の形式が変わってきた事から
生まれてきている話なのではないかと思いますが、この、着物みたいなあわせも、
東方文化の影響と考えられるのでしょうか。聖堂内で、より古いものであるといわれる、
東の壁面や、祭壇との境目の上のアーチのフレスコは、
他の部分と完全に色調が違い、全体的にプルシャンブルーのような色で、
いないないばぁをしているかのように、両手を広げている人物が描かれています。

ぶらんこ聖人の横には小さな窓がありますが、その縁に随分と
はっきりとしたグニュグニュ文様の下書きのような赤い線が見られました。
何でも聞いてくれという管理人のおじさんに、これも、サン・ベネデットのように、
ストゥッコ装飾の下書きなのかと質問しましたが、普段聞かれないことは分からないようです。
外部の壁面には内部のゴシック壁画よりは少しだけ古そうな、でも、ゴシックらしい、
壁画が残りますが、その横の、鐘楼の下の壁にも、大きなサン・クリストフォロが居ました。
色は落ちてしまって気にして見なければ分からないかもしれませんが、もしかしたら、
トゥブレのものより大きいかもしれません。(もっと近代のものならば他にもいくつか見かけましたが)
先程の頼りない管理人のおじさんは14世紀のものといっていましたが、鐘楼は13世紀のものですから、
その時代のものの可能性もあるかもしれません。あんまり私が予想外の質問をしたから、
管理人さんは、君は美術史の勉強をしているのかい?と聞いてきました。
美術の勉強をしたのです、と答えたものの、日本の学校でもイタリアでも、
ロマネスクの事なんて教えてもらった事ないんだけど。

嫌にリゾートっぽい晴天のメラーノの街をバスは通り抜け、国鉄駅に到着したのが、電車出発の1分前。
それでも切符を買い、駆け込み乗車して、旅行は幕を閉じたのであります。
でも、ヴェローナの乗り換えの時は、人にもまれて、こけてしまいました。
家に着くまでが遠足ですよ。って、気がしてきた私です。。。


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