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こんにちは。今日から3月です。3月になった途端に気温急上昇。暖かいを通り越して暑さすら感じられる日差しです。さっき車の温度計を見たら20度近くになってたな。びっくりだ。このまますんなりと春に……って、東北の春はそう簡単にやってはこない。桜が咲き始めても雪が降ることがありますからね。まだまだ油断なりません。しかし、今日は本当に暖かい。朝からこんなに暖かくなるのだったら、布団を干しておくんだった。さて、今日は休日です。午前中はちょっと出掛けてきました。地震で発生したゴミの処分のため、クリーンセンター(ゴミ処理場)まで。古いパソコンのモニターが落っこちてぶっ壊れたんですよ。古すぎてあまり使ってませんでしたけど、時々セカンドモニターとして使用しました。でも、あまり意味なかったですけどね。本来、パソコン周辺機器などは正規の手続きをしないと処分できません。しかし、今回の地震で発生したゴミに関してはクリーンセンターに直接運び込んでOKとなっておりました。ついでに銀行に行って自動車税の還付金を受け取ったりとか。さらについでにラーメン食ってきたりとか。そんな感じで用事を済ませてきましたよ。もう一つついでに遺跡巡りとかも。実は郡山市のクリーンセンター近辺は遺跡が集中しているところなのです。私もかつてこのあたりを掘っていましたよ。つい、懐かしくなってかつて調査した遺跡(のあった場所)を巡ってきました。様変わりしててよく分からなかった……まあ、当たり前か。何十年経ったんだって話ですわ。というか、様変わりさせるために調査したようなものですからね。仕方がないですね。でも、改めて遺跡があったその場所に立ってみると、新たにわかることもありますね。勉強になりましたよ。さて、ここで昨日の酒とつまみ。豚汁と茹でたイカで一杯。酒は天狗舞でした。具沢山の豚汁はつまみにいいですね。茹でたイカは昆布ポン酢でいただきましたよ。さてさて、今日はちょっと調べたいことがあるので、いろいろとお勉強中。というか、自分の本棚がまだ直ってないのでどこに何があるやらお困り中。本当なら図書館に行きたいのですが、今日は月曜日で休館。というか、郡山市の中央図書館は地震で大ダメージを負ってしばらく復旧できない見通し。困ったのう…お掃除するか…
2021年03月01日
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こんにちは。今日は休日です。朝から病院に行きまして、血を抜かれてきましたよ。中性脂肪とか肝機能の数値がどうなってるのかを調べるため。前回はけっこう良くなったと言われたんですが、果たして今回は。結果は来月です。ま、それはそれとして。最近、個人的に進めている作業があります。それは昔の発掘調査成果の整理。発掘調査に携わる人間の大きな仕事の一つに、発掘調査報告書の発行があります。掘って調べたらその成果をまとめ、学界に報告するということです。発掘調査報告書は、その遺跡で見つかった生活の痕跡をまとめた貴重なデータなのです。地域の歴史を語る上で欠かせませんし、日本という国の生活史の構築においても重要なデータと言えます。しかし、その発掘調査報告書ですが、調査したら必ず完全な形で出版されるというわけでもないのです。さまざまな要因が重なって、その貴重なデータが発表されないでいる…… そんな遺跡がかなりの数にのぼるというのが現実です。さまざまな要因と言いましたが、多くの場合は予算的な問題。調査にはお金を出すけど、本を出すのにお金を出すってなに? というパターンが多いのですね。まあ、突き詰めていくと面倒なんですが、発掘調査は原因者負担という原則があります。何かの工事をするのなら、その工事原因となった団体がお金を負担しなければならない。工事をする側からすれば、調査しなければ工事ができないから調査のお金は出す… でも、報告書? 何それ。 というわけです。ま、それだけでもないのですが、とりあえずそんなところ。とにかく、そんな形で報告書の予算が十分に取れなかった場合、正式な報告書ではなく「概報」という形でまとめます。読んで字のごとく「概ねの報告」。発掘調査報告書簡易版ですね。本来なら数百ページは必要という出土遺物があるのに、ものの数十ページでまとめてしまう。当然ながら大半の出土遺物は端折られます。ひどい時にはこの概報さえ出されない。担当者としては忸怩たる思いがあります。私の場合、幸いにも概報だけで終わらせたというものはありません。一応は本報告までやった遺跡ばかりです。いい報告書になったかどうかはまた別の話ですが。特にバブル期の調査ではこのパターンが多かった。あちこちで開発が行われ、大規模な発掘がたくさん行われました。しかし、報告書を出す予算は取れなかった、あるいは調査担当者の手が回らなかった……など、さまざまな理由で報告書を出せなかった。かなり回りくどい話になってきたな。とにかく、最近の私は、そんな過去の発掘調査で調査報告書が出ていないものをまとめ直しているのですよ。素晴らしい調査成果があったのに、ほとんど知られていない幻の遺跡になってしまっているものが多数あるのですね。そしてそれを調査した人たちはだんだんいなくなっている。退職していなくなるだけでなく、お亡くなりになってしまっている人もいます。これはいけない。なんとかして後世に調査成果を伝えていかなければならない。今しかない。そんな気持ちが沸いてきまして、現在進めているところなのです。しかしまあ、これがまた大変でして。自分が掘ったわけでもない遺跡をまとめるというのは、灯りもないのに暗い迷路を歩くようなもの。と言ったら言い過ぎか。いや、それくらい難しいか。○号住居からこの土器が出た、△号住居からこの石器が出た、なんてのが簡単に分かるのならまだ助かるのですが、現場でつけた番号をあとで振り替え直していたりすると、何がなんだか……えらいことに手をつけてしまったもんだ。おまけにこの忙しい時に。ははは。ま、それなりにやりがいはありますね。できればこれを本来の仕事としたいものなんですが。なかなかうまくいかないもんだ。さて、昨日の晩飯。実は昨日も休肝日。血液検査前は暴飲暴食するな、と言われてたもので。吉野家で牛丼。家で作るのも面倒だったので。さて、その血液検査も先程終わりました。血を抜かれた上に朝飯も食ってなかったから、寒くて寒くて。思いっきりラーメン食ってきました。一休みしたらまた片付けをするか。もうすぐだ。
2021年02月24日
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おはようございます。今日は月曜日、休日です。先ほどまで掃除洗濯などをしてました。あと、ゴミ出しとか。とりあえず家事が済んだので、読書タイムですかね。最近、ちょっと興味を持ってる時代と地域があります。それは、応仁の乱前後の関東地方。日本史的に重要な事件があった時期と場所なのですが、意外にマイナーな扱い。教科書でも特に取り上げられる機会がないですね。大河ドラマなどでも扱われることが無かった時代と地域かな。応仁の乱は取り上げられましたけどね。江戸時代に、この時代と地域をテーマにした長編小説が書かれていますね。滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』。八犬伝の舞台になった時代と言えばわかりやすいのかな。戦国時代は応仁の乱以降の時代と思われがちですが(間違ってないですけど)、関東地方を中心とする東国では、それ以前に戦乱の時代に突入していました。関東大乱なんて呼ばれている時代です。最近はこの争いに名前がつけられていまして、享徳の乱と呼ばれています。乱の経過などは非常に複雑でなかなか説明できるものではないのですが、調べてみるとなかなか面白い。応仁の乱とその前後の時代については、どうしても西日本を中心に語られることが多かったのですが、享徳の乱の経過を見ながら全国を見ていくと、この時代における日本という国の構造のようなものも見えてきます。なかなか興味深い時代です。ちなみに考古学における私の専門は縄文時代です。中世はあまりいける口ではなかったのですが、最近はけっこう好きな時代です。まだまだ知りたいことがいっぱいありますね。学ぶことは楽しいものです。さて、ここで昨日の酒とつまみ。昨日は3日ぶりの晩酌。すき焼きで一杯です。肉はアメリカ産のやつが安く売ってたので、そちらを。黒毛和牛とか高いし…酒は三春町の本醸造超辛口 傳でした。さて、読書の続きだ。今日もゆっくりとゴロゴロしますか。
2021年02月08日
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