窓辺でお茶を

窓辺でお茶を

January 7, 2007
XML
テーマ: お勧めの本(8159)
カテゴリ: 本
 少女時代に恐いもの見たさでコリン・ウィルソンの「殺人百科」を読みました。たしか前書きにだったと思いますが、アシスタント(共著者だった?)は人がこういうものを読みたがるのは犯人が自分と違うからだというが、私(ウィルソン)はそうは思わず、誰にでも心の中にそういう犯人と共通するようなものがあるからだ、とありました。

 加賀乙彦さんは作家としても、犯罪心理学の研究者としても著名ですが、病院や東京拘置所などで自殺を図った人や人を殺した未決囚、死刑囚の口から何度も「あのときは悪魔がささやいたんです」「どうしてあんなことをしたのか自分でもわからない。なんだか自分ではないものの意思によって動かされたような気がする。本当に悪魔にささやかれたとしか思えません」ということばを聞いたのだそうです。いいわけだろうと言われるかもしれないが、自分から上告をしないことを決め死刑が確定し、いいわけする必要のない人もそう言っていたということです。それに自殺未遂で入院していた人はほとんどの人が助かってよかった、と言っていたそうです。

 殺人など犯した人の中には、人への思いやりや自省のまったくない異常な性格の人もいるけれども、たいていは上記のようにどうしてあんなことをしてしまったのだろうという人であり、誰でも悪魔のささやきによって破滅へと走り出す恐れがある。「悪魔のささやき」とは、すさんでいらついて気分や未来への不安が人間の心の奥底にひそんでいる悪と共鳴し、ある瞬間に堰を切って流れ出し、その人自身や周囲を破滅へと押しやる行動となって現れる現象を著者が比喩的に名づけたものです。

 そんな悪魔のささやきに動かされやすいとは、ふわふわした心の状態のとき、思索とか理性とか意思とか決意とかはっきりした心のありようと違う、あいまいでぼんやりした精神状態のとき。

 日本人は温暖なモンスーン気候でイネを作って暮らしてきたが、稲作はひとりではできず、田に水を引くなど共同作業が不可欠なので、「和」を重んじるようになり、徳川300年の間に被差別階級の存在や伊勢まいりなどの空気抜きで不満をそらされながら、すべてお上まかせの習慣ができてしまったため、悪魔のささやきに弱い。

 現代人の犯罪については、子どもたちが「死」の実態を知らず、ゲームなどの影響でリセットがきくと思っていること、人と人が対面して目をあわせるだけで前頭前野が刺激されるのだがメールやパソコンではそれほど活性化しないことと関係がある、という指摘のほか、目からうろこが落ちたように思ったのは、「社会が刑務所化している」という指摘です。

 閉鎖的なアパートやマンションは刑務所の構造に似ているし、内側では自由が許されても外では常に他人の存在を意識し、好きなものを食べ、好きな服を着ていると思っても、それは実は画一的な大量生産品であり、毎日きまったスケジュールで働き、家に帰ればテレビ局の提供するきまった番組を見る生活は刑務所と似ており、拘禁反応ほどではないにしても、ほんの些細なことでキレる爆発反応を起こしやすい、というのです。
加賀乙彦さんは書いていませんが、最近はあちこちに監視カメラがあり、警官がパトロールして、凶悪犯を見張るはずがいつのまにか自分たちが見張られているような状態ですね。

 悪魔につけこまれないためにはどうしたらよいのでしょうか。加賀乙彦さんは次のように提起しています。



 長期囚の興味の対象は食事のことや看守のことなど、所内のことばかりで外のことにはまるで興味を持たない。無意識のうちに自分の精神をつくりかえている。(心理学ではプリゾニゼーションという)
塀の外の私たちも、そうなっていないか?また個人内情報操作(自分に好ましい情報をさけてピックアップする)をしないように気をつけるべき。

・宗教の本質について理解を深める

 イスラムはもともとは寛容であり、ムハンマドはユダヤ教徒やキリスト教徒は同じ聖典の民なので尊敬と親愛の情を持って接するよう述べている。ガンジーは「よきヒンドゥー教徒であることはよきキリスト教徒である…もし人が、自分自身の宗教の確信に至るなら、他の宗教の確信にも到達することになります」と述べている。

・死のむごさ、醜さと向かい合う

・「個」を育てる

 一人の人間が独自の人格をつくりあげていく。自分で物事を考え、自分とはなにかと反省し、自分の好きな道を見つけ、個人として生きていく。
同時に、自分と周りの人だけ大事で目先のことにとらわれるのでなく、世の中のことに関心をもって日本を自分たちが動かしていこうとする気持ちがないと、自分たちの幸せも成り立たなくなる。

 周囲の人も自分自身も尊重しながら、未熟であってもすこしずつ何かを積み重ねていって自分の内側を豊かにしておく。自分が存在することが、ほんの少しでもこの世のなかがいい方向に向かうような人間になることを目指す(人格主義)。

 会津八一氏のことばに「偉大なる国民は偉大なる個人の集合であらねばならぬ」とあるそうです。
加賀乙彦さんは書いていませんが、これこそ憲法の精神だと思います。自民案はそういう個人を否定して主権を国家に移そうとするものです。教育基本法も同様です。



 麻原彰晃は、今まで何百人も見てきた経験から一目見て詐病でない拘禁反応だとわかったそうです。今まで年月がかかったから結論を早めたいという検察側の意向に沿い、矛盾しながらも詐病だとした御用学者を批判しています。
どんな凶悪犯だからといって、学者が中立的な立場で公正に判断しなくてよいことにはなりません。


加賀乙彦著「悪魔のささやき」集英社新書





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  January 7, 2007 02:18:12 PM
コメント(8) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X

Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: