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2026年07月28日
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去る仁和の頃、讃州(さんしゅう)の任に下り給いしには、甘寧(かんねい、孫権の武将であり。豪

奢な性格で錦で舟を繋いだと言う)は錦の纜(ともづな)を解き、蘭撓(らんしょう)桂檝(かつらの

かぢ)舷(ふなばた)を南海(なんかい、南海道、紀伊・淡路・阿波・伊予・土左の六国の称)の

月に敲(たた)いたが、昌泰の今は配流の道へ赴かせ給うには、恩賜の御衣(天皇から賜った御衣)の

袖を片敷いて浪の上、篷(とま、菅・すげや茅・かやを菰・こもの様に編んで船の上部や小逗留家

屋を覆うに用いる)の底、思いを西府(鎮西府、即り大宰府)の雲に傷(いた)ましめ、都に逗留参ら

せし北御方・姫君の御事も今は昨日を限りの別れと悲しくて、知らぬ国々に流し遣わさるる十八人

の君達もそれ程とは思わない旅に赴いて、身を苦しめ、心を苦しませるであろうと、一方ならずに

思いやらるる。御泪は更に乾く隙も無いので、旅泊の思いを述べさせ給いける詩にも、



   口は言う事能わず、眼中は血。俯仰する天神と地祇とを

 北の御方から副えられた御使いが道から(途中から)帰った者に付けて御文が有った。

      君が住む 宿の梢を 行く行くも 隠るるまでに かへり見すやは

 心は筑紫に行きの松、待つとはなしに明け暮れて、配所の西府に着かせ給えば、埴生の小屋(小

さく賤しい家)のいぶせさに(うっとおしい、厭わしい)送り奉りて都の官人も帰った。

 都府楼の瓦の色、観音寺(天智天皇の草創だが中世に衰微した。大宰府遺跡の東二町の所と言

う)の鐘の声、聞くに随がい見るにつけての御悲しみ、この秋は独りわが身の秋となってしまっ

た。起き伏す露の床(とこ)永久(とわ)に故郷を偲ぶ御涙、言の葉毎に繁ければ、更でも重い濡れ衣

の袖が乾く間も無いのだった。

 さても、無実の讒によって配所に遷される恨みは骨髄に入りて、忍び難く思しめしければ、七岡

間御身を清めて一巻の告げ文(神に告げ奉る文)を遊ばして高山に登り、棹の先に付けて差し上げ、



うか、黒雲が一群天から下り下がって、この告げ文を把(と)って遥かの天にぞ昇ったのだ。

 その後、延喜三年二月二十五日に、遂に左遷の恨みに沈んで、薨逝なされたのだ。

 今の安楽寺を御墓所と定めて送り置き奉った。惜しいかな、北闕(ほくけつ、皇居)の春の花、流

れて帰らざる水に随うことを如何せん、西府の夜の月、晴れずして虚命の雲に入ること。

 されば貴賤涙を滴らせ、世が淳素の化に誇ることを慕い、遠近が声を道を澆漓(ぎょうり、人情



 同じ年の夏の末に、延暦寺十三の座主・法性房尊意贈僧正、四明山の上に、十乗の床の前に観月

を照らし心水を清め、御坐しましけるに、持仏堂の妻戸をほとほとと叩く音がしたので、押し開い

て見給うに、過ぎぬる春にまさしく薨逝したまいしと聞こえた菅丞相にてぞ御座ます。

 僧正は怪しく思して、先ずこなたにお入り候えと誘因奉り、さても御事は過ぎにし二月二十五日

に筑紫にて御隠れ候しと確かに承り候しかば、悲嘆の涙を袖にかけて後生菩提の御追善をのみ申し

居り候に、少しも変わらずに元の御形にて入御候えば、夢現の間を弁え難くこそ覚え候。と、申さ

れければ菅丞相は御顔にはらはらと零れかかった御涙を押し拭わせ給いて、我は朝廷の臣となりて

天下を安からしめん為に、しばらく人間に下生する所に、君(後醍醐天皇)は時平公の讒を御許容有

りて、遂に無実の罪に沈められぬることは瞋圭に心(しんい)の焔は劫火よりも盛んである。

 これによりて五蘊の形は壊(こぼれ)ると言えども、一霊の神は明らかにして天にあり。今、大小

神祇(天神と地神)・梵天・帝釈・四王(須弥山の半腹にある四王天の主。持国天王・東方、増長天

王・南方、広目天王・西方、多聞天王・北方の称。或いは、四輪王、即ち金輪王・銀輪王・銅輪王

・鉄輪王か)の許しを得て、その怨みを報ぜん為に九重の帝闕(皇居)に近づき、我に辛かりし佞臣

・讒者を一々に蹴殺さんと存ずるのである。

 その時に定めて山門に仰せて、摠持(そうじ、陀羅尼の訳語。呪文の長句を翻訳無しでそのまま

読誦するもの。これを誦すれば諸々の障害を除くと言う)法験(ほうけん、修法の効験)を致さるべ

し。

 譬え、勅諚があるとしても、相構えて参内はあるべからず。と、仰せられければ、僧正の曰く、

貴方と愚僧とは師資(しし、師弟の間柄)の儀浅からずと言えども、君と臣とは上下の礼は更に深

い。勅の請の旨、一往は辞し申すとは言えども、度々に及ぶならばいかでか参内仕らで候べき。と

申されけるに、菅丞相は御気色を俄かに損じて、御肴としてあった柘榴を取って噛み砕き、持仏堂

の妻戸にさっと吹きかけさせ給えば、柘榴の核(さね)が猛火となって妻戸に焼き付いたのだが、僧

正は少しも慌てずに火に共火(もえるひ)に向って灑水(しゃすい、水をそそぐ呪術)を結んだので、

範猛火は忽ちに消えて妻戸は半焦げになっただけである。子の妻戸は今に伝わって山門にあるとぞ

承る。

 その後、官丞相は座席を立って天に昇らせ給うと見えければ、やがて雷が内裏の上に鳴り落ち、

鳴り騰がり、高天も知に落ち、大地も裂けるが如し。

 一人(いちじん、天子の尊称)・百官が身を縮めて、魂を消し給う。

七日七夜の間、雨が荒く、風が烈しくて、世界は闇の様であった。

 洪水が家々を漂わせたので、京白川の貴賤男女が喚き、叫ぶ声が叫喚・大叫喚の苦しみの如し。

 遂には電雷が内裏の清涼殿に落ちて、大納言清貫(きよつら)卿の表(上)の衣(きぬ)の燃えつい

て、伏し轉(まろ)べども消えず。

 右大辨希世(まれよ)朝臣は心が剛なる人であるから、譬え如何なる天雷であろうとも、王威に怖

じないはずもない。とて、弓に矢を取り副えて向い給えば、五體が竦んで俯せに倒れて臥した。

 近衛忠包(このえのただかぬ)は鬢髪に火がついて焼け死んだ。

 紀蔭連は煙に咽んで、絶え入りにけり。

 本院大臣は、あはや、我が身にかかれる神罰よと思われければ、玉體に立ち副い参らせて、太刀

を抜き懸けて、朝に仕え参らせた時も、我に礼を乱し給わず。たとえ神となり給うとも、君臣上下

の義を失ってよいだろうか。金輪位高くして擁護(おうご)の神未だ捨て給わず。しばらく静まりて

穏やかにその徳を施し賜え。と理を当てて宣いければ、理にや鎮まり賜いけん、時平大臣も蹴殺さ

れ給わず、玉體も恙なくて、雷神は天に上り賜いぬ。





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最終更新日  2026年07月28日 11時07分43秒
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