草加の爺の親世代へ対するボヤキ

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草加の爺(じじ)

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2026年07月24日
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相公は嬉しく思し召されて、手ずからその子を舁き抱き奉り、鴛鴦の衾下に恩愛の養育を事となし

て生育(はぐくみ)奉り、御名をば菅少将とぞ申しける。

 未だ習わずして道を悟り、御才學は世に又類は有るまいと見え給いしかば、十一歳にならせられ

給いし時に、父の菅相公は御髪をかい撫でて、詩を作って御覧なさい、と問い参らせ給いければ、

少しも案じたる気色もなく、

      月の耀(ひかり)は晴れたる雪の如し 梅花は照れる星に似たり

      憐れむべし金鏡(きんきょう、月の異称の轉(めぐ)って 庭上玉芳(ぎょくほう)馨(か

んばし)きことを

と、寒夜の即事を言(ことば)明(あきら)かに五言の絶句にぞ作らせ給いける。



白、杜甫等が出た唐詩の最盛期)の波瀾を捲いて(起伏変化のある詩を捲きこめて)、七歩の才に先

立ち(作詩の才が最も優れ、しかも早いこと。魏の曹植・そうちが兄丕・ひの命で七歩歩む間に詩

を詠んだ故事による)、文は漢魏芳醇に漱(くちをすす)ぎ、萬巻書を暗(そら)んじ給いしかば、貞

観十二年三月二十三日、對策(官吏登用試験の問題を出してこれに答えさせたこと。又その答案)及

第して、自ら詞場(しじょう、文学者の社会。文筆場理)に桂を折り(試験に及第する)給う。

 その年の春に都良香の家に人が集い弓を射ている所に菅少将がおわしたのだ。

 都良香は、この公は何時となく學窓に蛍をあつめて稽古に隙の無い人であるから、弓の本末も

知り給わじ。的を射させて笑ってやろうと思って、的矢に弓を調えて菅少将の前に指し置いて、春

の初めで候故に、一度お遊びなされよ、と請われたのだ。

 菅少将は少しも辞退せずに、番の逢手(ばんのあいて、勝負を競う相手)に立ち会って雪の如くな

る膚を押し肌脱ぎ、打ち上げて引き下ろすより、暫くはしおりて固めたる體(すがた)、切って放っ



た後で弓を伏せる事)、五善が何れも逞しく(射術における五つの善徳。和・容儀・主皮革を張った

的を主とする・和頌・興武の称)勢いがあって、矢所(やつぼ、矢をいる時に狙う所)を少しものか

ず、五度の十(つづ、数矢が皆当たる事。弓の賭けは一度に二矢ずつで五度の勝負に十本)をし給い

ければ、都良香は感に堪えかねて、自ら降りて御手を引き、酒宴は数刻に及び、様々な引き出物を

参らせられける。



の李嶠は一夜に百首の詩を作ったと見えている。汝はどうしてその才に如かざるや。一時に十首の

詩を作って天覧に備えるべきだと、と仰せ下されければ、則、十題を給わりて、半時ばかりに十首

の詩をぞ作らせ給いける。

      春を送るに舟車を動かす事を用いず ただ残鶯(ざんおう)落花と別る

      若し韶光(しょうこう、のどかなはるのひかり)が我が意を知らしめれば

      今宵の旅宿は 詩の家に在らん

 と言う、暮春の詩もその十首の絶句の内であろう。

 才賢の誉、仁義の道、一つとして欠けたる所はなく、君は三皇五帝の徳に帰して、世は周公・孔

子の治に均(ひと)きこと、ただこの人に在ると君は限りなく賞じ思し召しければ、寛平九年六月に

中納言から大納言に上がり、やがて大将になり給う。

 同じ年の十月に、延喜の帝が御位に就き賜いし後は、万機の政、ことごとく幕府の上相から出た

ので、摂禄(摂政の異称)の臣も清家(せいか、官は太政大臣を先途として大臣・大将を兼ねる家

格。摂家の次)の家もこの人に肩を並べるべき人はいない。

 昌泰二年の二月に、大臣の大将にならせ給う。この時に本院の大臣(おとど)と申すのは大織冠九

代の孫、昭宣公第一の男、皇后御兄(みしょうと)、村上天皇の御伯父である。

 摂家と言い、高家と言い、いずれにしても我に等しきひとはあらじと思い給いけるに、官位・禄

賞共に菅丞相に越えられ給いければ、御憤りは更に止む時がない。

 光卿・定國卿・菅根朝臣に内々に相計って、陰陽の頭を召し、王城の八方に人形を埋め、冥衆

(めいしゅう、人の目に見えない諸天・諸神)を祭り、官丞相を呪詛したのだけれども、天道に私

はないので、御身に災難は来たらず。さらばと、讒を構えて罪科に沈めんと思して、本院大臣が

時々菅丞相には天下の政務に私が有り、民の愁いを知らざる。非を以て理となしている由を申され

ければ、帝、さては世を乱し、民を害するの逆臣であるとして非を諫め、邪を禁じて忠臣にあらず

と思召されけるこそ浅ましける。

 誰が知るだろうか、偽言が巧みにして、竹冠の黄(つえ、笙の中の舌で、息が当たって音を発す

る。偽言の巧みなのに譬える)に似ていると。君を勧めて鼻をおおわしめるとも、君覆う事なか

れ。君が夫婦をして参商たらしむる。請う、君は蜂を掇(とら)しむとも掇ることなかれ。君が母子

をして犲狼(さいろう)となさしむ。さしも睦ましかるべき夫婦・父子の中だに遠ざけるのは讒者の

偽りである。況や、君臣の間に於いてをや。

 遂に、昌泰四年正月二十日に菅丞相は太宰の権帥に遷されて、筑紫に流されるべきに定まれば、

左遷の御悲しみに堪えず、一首の歌に千般の恨みを述べて亭子院(ていじいん、宇多法皇の後院)に

奉り給う。

   流れ行く 我はみくづと なりぬとも 君しがらみと 成りてとどめよ

 法王はこの歌を御覧じて、御泪御衣(ぎょい)を潤しければ、左遷の罪を申し宥めさせ給わんと

て、御参内ありけれども、帝は遂に出御なかりければ、法王は御憤りを含んで空しく還御なされた

のだ。

 その後に流刑が定まって、菅丞相は忽ちに大宰府に流されさせ給う。御子二十三人の中に、四人

は男子であったので皆引き分けて四方の国々に流し奉る。

 第一の姫君一人をば都に留め参らせて、残る君達十八人は泣く泣くも都を立ち離れ、心尽くしに

筑紫に赴かせ給う御有様こそは悲しい事でありました。

 年久しく住み慣れ給いし、紅梅殿(道真の邸宅の名称)を立ち出でさせ給えば、明け方の月が幽か

なのに折を忘れた梅の香が御袖に余ったのも、今はこれが故郷の形見と思(おぼし)召すに御涙さえ

も止まらないので、

   東風(こち)吹かば 匂(にほひ)おこせよ 梅の花 主(あるじ)なしとて 春な忘れそ

 と、打ち詠じ給いて、今宵は宇治の渡しまでと追い立ての官人共に道を急がされて、御車にぞ召

されたのだ。

 心がない草木までが馴れた別れを惜しんだのか、東風吹く便りを得て、この梅が飛び去って配所

の庭にぞ生いたりける。

 されば夢の告げがあって、折る人辛しと惜しまれた宰府の飛梅がこれであるよ。





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最終更新日  2026年07月24日 09時23分48秒
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