アダムス家の日常とごはん ~青嵐のブログ

アダムス家の日常とごはん ~青嵐のブログ

PR

×

プロフィール

青嵐424

青嵐424

カレンダー

バックナンバー

2026年08月
2026年07月
2026年06月
2026年05月
2026年04月

キーワードサーチ

▼キーワード検索

2008年01月25日
XML
カテゴリ: 小学校生活



参加した。



CAPというのは、

1978年にアメリカで開発されたCAP(Child Assault Prevention)

「子どもへの暴力防止プログラム」という意味だ。

このCAPプログラムでは、

子どもに「安心して、自信をもって、自由に生きる権利」が

あるということを伝え、

その権利を奪ってしまう暴力から自分を守るために

どんなことができるかを考え、

親、教職員、地域の人々に伝えていくプログラム、ということだ。

子どもには子ども用のワークショップ、

大人には大人向けのワークショップを受講してもらい、

ロールプレイ(役割劇)体験しながら実践的に学ぶ。

子供用プログラムは

小学校低学年・小学校高学年・中学生・高校生と

それぞれに合った言葉遣い・雰囲気で展開していく。


あたしは何も調べずに参加したのだが、

受講した内容というのは


・CAPの歴史と成り立ち

・暴力について

・子どもワークショップの一部実演と説明

・エンパワメントについて

・子どもへの援助

・関係機関への通告と支援機関

・質疑応答      という形で進められた。


一番初めに「暴力」と聞いて何を思い浮かべるか?

という質問に対し、3~4人のグループで話し合い、

その結果を発表する。

家庭内の暴力としては虐待・家庭内暴力など、

学校の暴力としては校内暴力・ひいき・いじめなど、

地域の暴力としては連れ去り・誘拐・村八分など、

自分に対する暴力としてリストカット・自殺など、

暴力と言ってもあらゆる形の暴力がある。


そして、子ども用のワークショップの実演を聞いたのだが、

開口一番、

「皆さんには【けんり】というものがあります」


「それは【あんしん】して【じしん】を持って

【じゆう】だということです。

この権利がなくなることは、とても悲しいことです。

私たちの大切な権利がとられそうになったときには、

なにができるかな?

それはいやだといい、にげて、だれかにそうだんするということ。

では、けんりということについて考えてみましょう」


そして、劇が始まる。


まず、いじめについて。

これは、友人にかばんを持たされるということを

ことわり、逃げ、相談する方法を教えていた。


そして次は、誘拐についての対処方法。

腕2本分離れていれば、逃げることができやすいので、

安全な距離を保とう、ということと、

万が一、さらわれそうになったときの簡単な護身法と

特別な叫び声の練習をした。

この護身術とは、

「相手のすねを蹴る・足の甲を思い切り踏みつける」ということを

実践を交えて教えたそうだ。


・・ここまで必要なのか?という思いが胸をよぎる。

特別な叫び声、というのは

甲高い声だと、ふざけていたり、笑い声に聞こえてしまうので

お腹から出す低い声で、

断続的にオッオッオッ、と叫ぶというものだ。

でもこれも、それが緊急の時の叫び声だと知らなければ

分からないのではないか、という気がしないでもなかったが・・

ここでも、意見交換が行われたのだが、

あたしは思わず

「逃げるということについては納得できるが

護身術を1年生に教えても、使いかたを誤り、

別の場面で使うことがあるのではないだろうか?」と発言した。

すると、「ええ、やりますよ。

やはりすぐやりたがる子はいるので。

で、きつく担任の先生に怒られています。

あと、あの叫び声のお陰で、実際に○○市でおこった

連れ去り未遂の件が

迅速に警察が動いてくれた結果になりました。」と

いう返答だった。


そして、次にもっと驚いたのが、

性暴力についての劇だ。

これは、男の子が、親戚のお兄さんからキスをされる

というシュチュエーションだったのだが、

性的なことをこんな教えかたからはじめていいのだろうか?

と、ちょっと心配になった。


そして、劇中のような事があったときに、

信頼できる大人への相談をすること、と説明したのだが、

「お母さんにはなしても、信じてくれなかったら、

お父さん、そして先生、というように

聞いてくれる人が出てくるまで

あきらめないで、言い続けてください」

ということで締めくくった。


そして、親に対しての劇。

これは、遊びに行ってくる、という子供に対して

5時までに帰ってきなさい、という母親。

だが5時過ぎても帰ってこないので心配していると

子どもが泣いて帰ってくる。

そのときの母親その1

「どうしたの?」

「知らないおじさんにお尻をさわられた」

「もう!約束を破って早く帰ってこないから

こんなことになるのよ!」

母親その2

「知らないおじさんにお尻をさわられた」

「まあ、そうだったの?

あなたは何も悪くないのよ、

さ、あっちの部屋で聞きますよ」



「皆さん、忙しい時間なので1になりがちになりますが、

こういう場合は2ですね」と言ったのだが、


何か、ちがわねえか?


そのやり方だと、約束を守らなかったことは

どこに行ってしまったのだろうか?

そこまですべてを容認してしまっている。

子どもが泣いていたら、どうしたのか聞き、

そのことに関しての解決法を考える。

だが、被害にあったことと約束を守らなかったことは

別の問題だと思うのだが・・。



受容する、それは重要なことだ。

だが、それはルールがあっての前提ではないのだろうか?

ルールを破っても、諸手をあげて

「あなたは間違えていない、悪い事はしていない」と言うのは

どうかと思うのだが・・

端的に説明したかったのか、説明不足だったのか、

それは分からない。

だが、あたしはそう受け止めた。






夕食は、仕事関係の打ち合わせが自宅であったのだが、

終わった時間が遅くなり、

できるものを順次食べさせる方式になってしまった。

なんだか疲れてしまって炭水化物メニュー。


●鶏とブロッコリーのクリーム煮

 鶏肉は一口大に切り、塩コショウと小麦粉をはたいておく。

 フライパンにバタ-を溶かし、スライスしたたまねぎを炒め、

 透明になったら鶏肉を入れて焼き目をつける。

 牛乳・コンソメキューブを入れて蒸し煮にし、

 ゆでたブロッコリーを入れて出来上がり。

 粉ふき芋を回りに添えて。

●サーモンの白ワイン蒸し

 数種類のきのこを敷き、

 その上に塩コショウをしたサーモンを置く。

 上からローズマリー(ドライ)と白ワインを振り入れ、

 ラップをして加熱するだけ。

0124

●スパゲッティ2種

 ナポリタンとたらこ。









エンパワメントという概念・・

これは社会的な弱者が

「能力や力を持つ」と言う風に解釈したのだが、

Wikipediaで調べてみると、

「もともと、この概念が出てきたのが

先住民運動や女性運動、

あるいは広義の市民運動などの場面で用いられ、

実践されるようになった概念である。

今日では、

市民参加のあり方が問われる地方自治などの分野において、

市民の地域に対する関心や主体的な関わりを構築していく上で

重要視されている概念のひとつともなっている。」とある。

そうか、だから権利だとか人権、と言う言葉が

たくさん出てきたのか、と納得した。



これをCAPに当てはめてみると


子どもは「無力で何もできない」のではなく、

本来もっている内なる力、素晴らしい能力を信じ、

自己決定、行動する力を育む関わりの持ち方、

行動の選択肢を使って自分を守ろうという力があれば、

暴力から自分を守ることができます。

子どもを大人が守るべき弱い存在だ、と考えるのではなく 、

不安で困難な状況にあっても

子ども自身の問題を解決する力を信じ、

その力に寄り添い、子どもの内なる力に働きかけ、

その力を引き出すのがエンパワメントです。

と言うことになる。

そもそも、このCAPと言うものは、

アメリカアイオワ州、コロンバスの

レイプ救援センターで誕生したそうだ。

性的暴力にも敏感なわけだ・・



あたしはその考えかた自体は、素晴らしいと思う。

だが、どうしても違和感がぬぐえなかったのは、

その説明の中に、あまりにも

「人権」と「権利」を散りばめていること。


あたしは無知は罪だと思っている。

知識は邪魔にならないどころか、人生を豊かにしてくれる。

そして、知識があるということは

自分の身を守ってくれると思っている。

たった一つの法律を知らなかったことで、

のちの人生の歯車が狂ってしまう事だってありえるのだ。


権利も同様だ。

それを知ること自体はとても重要なことだ。


だが、それは、ルールがあり、義務があり、

それを果たしていることが前提になるのではないか、

ということだ。

やるべきことをやっていて権利を主張することは

当たり前のことだと思うが、

あまりにも人権、権利、と言う人間をあたしは軽蔑する。

それは、権利を尊重しないと言うことではない。

マイノリティ(社会的少数者)と呼ばれる人たちは、

偏見や差別を受けされやすいと言われているが、

差別されているから、救済法を、と言うのが

結果的には逆差別になっている場合もある。

自分が持っている権利を行使しない選択だってあるのだ。

それを教えないで、権利を主張しろ、と言うのは

少し違うと思うのだが・・



権利の行使の主張が強くなれば、

アメリカのような訴訟社会につながりそうで怖くなった。


タバコを吸って肺がんになったからといって

タバコを売ったあなたが悪い、とタバコ会社を訴える・・

何か、おかしくないか?

でも、訴訟をできる権利、があるのだ。



CAPの人たちは、子どもが暴力から逃れる場合に限って

ピンポイントで説明し、

あたしは広義的な意味で捉えてしまったので

ギャップがあったのかもしれない。


身を守ることも大切だし、

そのことについて啓蒙活動をすることも素晴らしいことだと思う。

だが根本は、

登下校中の子どもの心配をせずに、いじめや偏見がない社会。

それが一番重要なのではないかと思った。


これはあくまであたしが受講して感じたことを

自分の主観で記述している。

なので、もし、これを読んでくださった方の中で

すでに受けられた方がいたら、

その方の意見も聞いてみたいと思うし、

これから受ける機会がある人たちがいるなら

是非受講して欲しいと思う。

なぜなら、CAPプログラムは

規定のトレーニングを受けた

CAPスペシャリストによって提供される。

あたしはあくまで、

ワークショップを受けた感想を

ここに述べているに過ぎないのだから。


そして、学ぶ。

自分の頭で考えて、おかしいと思うことがあったら

意見を述べる。

取り入れるべきことがあるならすぐに実践してみる。

みんなが同じ考えかたなんておかしい。

みんながそれぞれ、自分の良心に従って

正しい道を歩む、それが自分が「あんしん」して

「じしん」を持って「じゆう」に生きる権利だと思うのだ。








お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2008年01月26日 14時30分59秒 コメント(4) | コメントを書く
[小学校生活] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X

Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: