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去年の話だけど、敬愛する仲里依紗が出るってことで映画『時をかける少女』(http://tokikake.jp/indexp.html)を観に行った。僕は進研ゼミのCMで「数学終わったらスイカ」っつってた時からの仲里依紗フェイバリットラーである。アニメと実写で『時かけ』を制覇した里依紗の「時かけ女優」の姿を見たいと思うのも無理はないだろう。そして僕は『時をかける少女』というテーマは何度でも使われるべきだと主張している。アニメでも映画でもドラマでも、新人監督の腕試し的な場に、あるいは登竜門として、『時かけ』というお題がジャカジャカ使いまわされればいいと思っている。少女がタイムリープして通過儀礼的な冒険をするお話であればそれは【ジャンル:時かけ】だ。傑作から名を上げる者もいていいし、そこには失敗もあっていい。そう。失敗があっても【ジャンル:時かけ】は傷つかない。ネタバレするので、以下注意。違和感というのか、これが21世紀の映画だったのだろうかという観客サイドのタイムリープ感に目眩がして面白かったです。これまでの『時かけ』はタイムリープの原因は未来人が持ってきていたけれど、本作はお母さんがタイムリープ薬を“発明”するというSF的にひじょうに意欲的な出だし。タイムリープのCGの奇妙なダサさはルネッサンス期の前衛のようでした。登場人物の動機付けがよくわからず興味が右往左往した記憶があります。とくに人探ししないといけないはずの里依紗が自主制作映画の手伝いに夢中になっているところなど、もどかしくてしかたがありませんでした。そう。新人監督のデビュー作で「自主制作映画をつくる若者」を描くのは社則で禁止にしていただきたいです。ばかじゃなかろうか。高校生が書いた高校演劇で演劇部の話を描いたものは知ってるけれど、これは全国ロードショーされるプロの作品ではないですか。マンガや小説で、新人のデビュー作がそんなふうな痛々しい自伝的なものなどありますか。映画だけですよ。映画というメディアはかようなまでに古臭いノスタルジアや安いナルシシズムを許してしまうものなのでしょうか。監督てめえ何様だオメエのダセェ青春なんか知ったことかクソくらえと思いながら仲里依紗の姿を観ることになろうとは、悲しいです。がんばっている俳優たちがかわいそうじゃないですか。しかし仲里依紗は走っていました。あのひたむきな表情で。あの良い姿勢で。本当にいいんだよな。仲里依紗主演『時をかける少女』は春休みのアイドル映画です。彼女の走る姿、それが映画です。彼女が泣く、それが映画です。ここまでくればもう仲里依紗は倉岡銀四郎なみのスターです。仲里依紗の姿に充分な動機と破綻の無いストーリーを与えたらそれだけでよかったのに、制作サイドの歪んだ自己愛と映画村の田吾作センスをてんこ盛りにしたせいで役者がみんなかわいそうな感じになった映画、そんな感想をもちました。新人監督デビュー作で自主制作映画マニアの若者がメインとか、絶対のタブーでしょう。映画屋の正気を疑う事実です。21世紀に作られた映画なんです。しかし【ジャンル:時かけ】は失敗を許すもの。里依紗の実写がこうなってしまったのは本当に残念ですが、僕は次の「時かけ」に期待します。
2011.01.11
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せんだって妻がカーラジオから掃除に関するlife hackを仕入れてきた。なんでもダスキンあたりのスタッフの知恵らしい。いろいろあったんだろうが、我が家の年末に実戦投入したのは以下の三つだけ。●作業スペースをつくる●キッチンタイマーで時間を区切る (作業45分、休憩15分など)●甘いものを用意するいやあ、効いた効いた。ウチは一日っつーか半日だけだったんで大掃除ってほどじゃなくて小掃除なんだけども、それでもすっげーはかどったし、終わったあとでもまだまだやれるって余裕があったもんね。プロの現場で洗われたノウハウはマジ有効。●作業スペースをつくる片付け関係は、いまあるものをすべて「見える化」して【いる/いらない】と仕分けるのがいい。そのためには、まずは広いスペースを用意してぜんぶ出しちゃう。なるべく多くの品物を一度に見られるようにすれば、あとから「あの箱にこれも入れればよかった」とか「行き場のないアイテムが出た」とかそういう悲劇を最小化できる。●キッチンタイマーで時間を区切る大掃除関係で気持ちを萎えさせる最たるものは、作業の終わりが見えないことと心身の疲労だ。タイマーで強制的に時間を切ることで、かならず休みが来ると思うことができる。この安心感は大きい。タイマーがなったら作業途中でもストップして休憩する。休憩時間は絶対に作業しない。時間が来たら作業に戻る。ここを守るだけで、進みが全然違う。さらに言えばだ。片付け関係であれば、タイマーの時間が来たらその場所の作業を完全にやめるのがいい。途中でももう終わりで次のエリアに移るという厳しさでやる。どうせ自分チなんだからハンパでもいい。次の休みにまたやればいい。それよりも部屋のあちこちから発せられる「ゴミ電波」を弱めるほうが効く。ハンパに片付いた場所なら、あとで片手間でいじったらなんとかなることもあるし、他のエリアもまんべんなくハンパに片付けることで部屋全体にささやかながらも秩序が生まれる。こっちの効果のほうが大きい。散らかりがある一定の度を超えると毎日の片付けが無意味になるラインってのがあって、大掃除ではこのダメ人間ラインの下まで散らかりを減らすのがいい。●甘いものを用意するこれが重要。マジ重要。基本は休憩中にお茶とともにいただくのだが、ダメなら作業の最中に摂ってもいい。そもそもだ。あらゆる現場仕事で、作業が長時間になりそうな場合、甘いものは必須だ。キャラメルを欠かさない映像監督もいる。脳はブドウ糖を求めるのである。頭もすっきりするし、身体も動く。チョコのカフェインには助けられたよ。とにかく、時間はしっかり守る。休むとき休んで動くときは動く。これだけで、例年と比べて全然違った。おすすめです。
2011.01.10
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ネットの方言で「リア充」「非リア」ってありますよね。「リアルライフが充実している」「充実していない」っての。つまり、ネットで他人とじゃれ合うことはできるけど、生身の部分で友人や恋人がいるのか、社交的であるかというとこを、自虐ネタ気味に言っているわけですね。クリスマスの時期に顕著になるんだけど「非リア」の人たちが「リア充爆発しろ」と罵るネタがある。恋人同士でクリスマスイブを過ごす「リア充」に、ネタっぽいけど半分は本気の呪いの言葉を吐いているわけです。あの「リア充爆発しろ」には確実に羨望と嫉妬がある。クリスマスには恋人と過ごさなくてはならない、というカッペ臭い価値観は、バブル期に「頭のいい大人」が「若者」から金を引っ張るためにつくったものだ。非リアの人たちの好きな「マスゴミと電痛」の捏造ですよ。その捏造されたバブリーな価値観を真に受けて、非リアはクリスマスに恋人がいないのはカッコ悪いとか寂しいとか嘆いている。しかしリア充(たとえばヤンキーなど)は別にそこまでクリスマスに対する情熱はなさそうに見える。少なくとも「爆発しろ」とか「死ね」とか言うまでの熱量はない。恋人がいなけりゃテレビ観てお菓子食べて笑っているだろう。普通の日だ。僕には、ふだん非リアが「電痛マスゴミが捏造」したと軽んじている価値観に、クリスマスだけドンギマリしている現象が面白くみえる。マジになるなよ。それほど羨望と嫉妬の感情ってのは強いのだろうか。ところでパーティというのは、人数が多いほうが面白い。たくさんの種類のおいしいものを食べられるでしょ?七面鳥の丸焼きが出る仲間内のパーティに出たことがあるけど、でっかいのよアレ。アメリカ人でもない限りひと家族では食べきれないの。でもクリスマス行列ができるフライドチキンよりもおいしいの。ブロイラーとは肉が違う。それを少額の会費でですね、ケーキと合わせて満腹になるまで食べられるなんてすげえいいじゃない。それに、ターキー焼きを手伝って女の子と話をするのも楽しいよ。最近は妻の実家の婿気取りな俺様だけど、クリスマスは家族でホームパーティをした。別に洒落のめしたヤツではなく、唐揚とケーキ、シャンメリー程度のものだ。礼儀としてプレゼントも持ってった。基本はネコを撫でながら酔っ払ってただけなんだけど、これがなかなか愉快であった。義母がプレゼントの用意をしていたのだ。一年の間に貯まったタオルやハンカチなどの粗品のたぐい、あるいは商品券、お中元お歳暮の残り。つまり余分な品をアミダくじで分配するのだ。これが意外に盛り上がった。「どうせならアレが欲しい」ってのがあるわけですよ。今回は義母からのプレゼントになったわけだけど、交換システムにしたらけっこういいぞ。自分チでは使わないけど誰かがうまく利用するであろう品物を、パーティの機会にガラガラポンしてしまうのですな。貧乏くさいだろうか。ずいぶん豊かな趣向だと思うけどな。捨てたり死蔵したりするよりも、年一回のペースで吐き出したほうがいいって。なにより家が片付く。いいことばかりの企画なんすよ。win-winの関係。おいしいものをたくさん食べて安上がり。ささやかなプレゼントでけっこう楽しい。友達は僕だって少ない。社交的とは言えないからな。でも、なんつうかこう、誰でも集まっていいパーティみたいなのってあるじゃない。ていうかやればいいじゃない。バブル時代に捏造された価値観にモロにはまって呪いの言葉を吐くよりもいい時間を過ごせるだろう。対人スキルがないからパーティになんか行けないとか言うなよ。スキルってなんだ。慣れだろ。ブラインドタッチやFPSのコントロールと変わらん。ゲームにちょっと触って「クソゲーだ」と放り出すのが馬鹿馬鹿しいように、面白くなるまでパーティにいれば、対人スキルもついてくるだろうと思われます。つうかこれからの日本に必要なもんだと思うんだよね。パーティ文化。
2011.01.07
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じつは昨年の夏ごろですか。『借りぐらしのアリエッティ』を観たのである。お父さん役の三浦友和、よかったじゃない。演技の良し悪しがわからない萌え声優ジャンキーは、もっとおとなしくしてて欲しいね。本編は、言動に動機がないとか破綻した脚本とか音響面の不快さとか小人に対する興味の薄さとか、いろいろ思い当たることはあるにはあるのだが、とにかくどうしてこんなにつまらないのだろうかと思っていた。そんな矢先にテレビで『となりのトトロ』を流すというので観てみた。じつは腰を据えてトトロを観るのは初めてだった。『となりのトトロ』は気持ちよかった。すんげえ気持ちよかった。まっくろくろすけの動き、あのふわっと消え去るとこの浮遊感。サツキが走るじゃない? 機嫌のいい走り、必死な走り。いろいろあるけど走っている姿が、つまり動画が気持ちよかった。さすが宮崎駿、あれは『未来少年コナン』の突っ走りだ。気持ちいいわけだ。びっくりした。こりゃすばらしいアニメだ。僕はサツキの走りがとにかく良かったんだけど、つまり『トトロ』は全編通して動きが気持ちいいのである。見ているだけで面白いのだ。子供が夢中になる理由がやっとわかった。ここまで気持いいとストーリーとかいらねえのな。わからなくても見てておもろい映画なのよ。アニメーションという言葉の意味を考えると、トトロの魅力がどんだけ本質的で強力なのかわかる。そして同じ時期にケーブルテレビでアニメ『名探偵ホームズ』を観た。宮崎駿が演出をする回があって、べらぼうに出来がいい。目を離せない。ミーハーと言われようがなんだろうが、若い頃の駿が絵をブリブリ動かすときの快感は最高だ。アニメは、絵が動く快感だけで引っ張っていける。『アリエッティ』で気持ちよかったのは、ド最初の、庭でアリエッティが発見されるとこの、アリエッティが草を降りて走るシーンだけだった。マジでここだけ。『アリエッティ』がひどくつまらないのは、アニメ映画として動きが死んでるからかもしれない。いや、カメラワークも意味不明だし脚本もオカシイんだけどね。そのあとで、テレビで『トイ・ストーリー2』を観た。あのCGのテイストを食わず嫌いしてたので、これまた初めて観るものだった。エンターテインメントとしての完成度、とくに空港での「大列車強盗シークエンス」の素晴らしさには感激した。人形というサイズを生かした状況、西部劇というものに関する伏線の張り方、なにより全編の覆う映画文化への愛情とリスペクト。なんとも傑作だ。『トイ・ストーリー』シリーズの背後には、ハリウッドが積み上げてきた大きな文化があるのだ。ひるがえってスタジオジブリはどうだ。日本のアニメはどうだ。ということも考えてしまったのです。ごくまれに出てくる天才に頼っているだけで、文化を育む土壌になっていないじゃないですか。志のある人がそれなりにがんばればいい仕事ができる環境、それが文化を育む土壌ってもんですよね。ハリウッドはあいかわらずあの通りだけど、それでも文化の仕組みとしてしっかりしている。聞くところによるとシナリオの体裁には共通規格があるんだって。すげえよな。目的が金儲けでもなんらかの「表現」でも、それを実現できるシステムと環境があるわけだな、きっと。だから、『トイ・ストーリー』みたいな安パイシリーズを「利用して」傑作を表現できるわけだ。『ゲド』や『アリエッティ』の話をしてします。新人監督をいきなり抜擢、ったって、ねえ。あまりに『2』が良かったので映画館に『トイ・ストーリー3』を観に行った。初めて知ったけど本編の上映前にショートフィルムがあるのね。『Night&Day』だっけ? 面白かったです。五分程度の完成品をつくって観客の前に出す。でも失敗も許される。あちらの新人監督にはそういう機会があるのかな。鈴木体制のジブリは新人監督にいきなり本編をまるごと撮らせてしまうわけだけど、これはキツイよ。たとえば『名探偵ホームズ』みたいな番組があったらいいなと思ったのだ。一回ぶんが正味20分の連続もので何人かが持ち回りで演出を担当していく場所。駿だってそういう場所で経験を積んだわけでさ。初監督の場がいきなり全国ロードショーされる大バジェットの二時間映画しかもジブリブランドなんて、かわいそうだし育ちもしないよ。でも、日本のアニメ界には、30分の子供向け番組で若い才能を磨いていける場がないのですな。これは、客が、悪い。
2011.01.06
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せんだってはお正月で酒が飲めたわけだが、おせち料理に関する寒々しいニュース、知ってますか。グルーポンで「バードカフェ」のおせち料理を注文すると二万円くらいのものが一万円くらいで買えておトク極まりない、はずが、届いてみたら見本とぜんぜん違う貧相なものだったので電光石火クレーム発生、ツイッターで炎上、社長辞任ののち逆ギレ、というアレな。僕はこの件でおせち料理がどうしてあんなにおいしそうじゃないのかという三十年来の疑問が腑に落ちたんだけど。おせちって基本が保存食で、あとはヨロコンブ的なダジャレでできてんのね。そもそもは家の女性が正月に炊事を休むための、保存食であり餅なんですよ。家電が出来る前からの伝統ね。甘すぎる豆とか味の濃い佃煮だらけの重箱がごちそう扱いだったのがよくわからんかったけど、縁起担ぎのダジャレ食材を昔の方法で保存食にしたものなんだから、とくに高級なもの以外はまあ、おいしいから食べるってものではなかったんですな。ということに気がついたのです。あの佃煮、不味いのにいっぱいあるんだもの。超うれしくない。でも、僕が不味いなと思ってたのはウチのオカンがスーパーから買ってきたものを重箱に詰めただけだからだろう。立派な料亭で職人が寝ずにつくるおせち料理はおいしいんだろうし、そもそも比べるものではない。ここらで我々は「階級」というものに気がついたほうがいい気がしてきた。数万円のおせち料理というのは、数万円を惜しまない人たちが買う物だ。そこを一万安く買えておトクっていうふうに思い群がったというところに、なんか変な感じを覚えるのだ。得したって言っても、たった一万円、だよ。妻がパートでおせち料理の予約を受けたことがある。高級デパートでのことだ。十万円のおせちに加えて五万円のものを複数個のご予約をしてった人がいたそうだ。もちろん支払いは外商部に回す。現金もカードも出てこないレベル。なんで何個も予約するかって、十万のは自宅用。五万円は買い与えるぶんなんだろうね。年始回りにたくさんの人たちが来る立場。自分は家で待つ側。安いほうの五万円おせちは使用人に与えるのか年始の客にお土産に持たせるのかわからないけど、ぽんとあげてしまうわけだよ。こういう人たちは、一万円おトクだからっておせち料理をネットで予約しないだろう。一万円の差なんて気にしないよ。これが階級よ。日本にも階級はあるけど、それはなかなか表に出てこなかった。戦後はとくにそうだね。一億総中流なんて言葉で見えにくくなってたけど、不況二十年、そろそろ顕在化してきていい気がするし、見えたほうがいい気がする。貧乏くさい卑しさにつけこんで分不相応な料理をプロデュースしたカフェも、たった一万円のおトクのために群がった餓鬼くさい人たちもなんかやだ。この件は、金が無いくせに贅沢をしよう/させようと卑しい連中が結託してできあがった、単に嫌な話だよね。ハイクラスもロウアーも、例年通り正月を美味しく楽しんだんだもの。だから、「階級」を意識したほうがいいんじゃないかな。だって「カフェのおせち料理」だよ。こういうのを買いたいと思うのってつまり、お友達に「いくらトクしたか自慢する」ところの勝負になってるわけでしょ。おいしいとか名のある料亭の品だとかじゃないわけで。なんでもいいからとにかく「いくら安く買えたか自慢」がブランドの代わりになってくるわけでしょ。そういうセコさの競争なわけでしょ。ビンボくさいよ。ビンボくさいおせちがお似合いでしょうがよ。僕は寿司を食べた。雑煮も食べた。お年始で人数が集まったのでみんなで肉まんを手作りした。蒸篭でパーリナイだぜ。ぜんぶ美味しかった。かまぼことカズノコは好きです。
2011.01.05
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