戦国ジジイ・りりのブログ

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2012年01月31日
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カテゴリ: 旅日記(中国)
芳一さんの話は、耳は残念だったけど、
まあ命は助かってよかったよかった、ってとこまでしか知らなかったけど、
お話によっては後日談があるのを今回知った。

和尚さんは自分のうっかりを詫び(当然だよね)、
寺総出で平家の供養に努めた。
そして芳一さんは、元々の技術に加え、
一連の事件が話題になってお仕事が増え、裕福に暮らしたというのがそれ。

信じられない!
耳なし芳一の話って、ハッピーエンドだったんだ!!(笑)


芳一堂には千羽鶴や「全国平家会」の提灯が所狭しと掛かっている。


構成される組織で、ここ赤間神宮に事務総局が置かれているんだと。

BGMに琵琶の音がべい~んべい~んと流れていてね、
「こわい~」
ってきゃいきゃい言ってるお姉ちゃんたちがいた。


さてと、それではいよいよ「七盛塚」へ。

この一角は、平家の方々を祀る場所。
自然石に名前を刻んだ板碑が立ち並ぶ。

  前列              後列

  左少將 平有盛        伊賀平内左衛門 家長
  右中將 平清經        上総五郎兵衛 忠光
  右中將 平資盛        飛騨三郎左衛門 景經

  参議修理太夫 平經盛     越中次郎兵衛 盛継
  大將中納言 平知盛      丹後守侍従 平忠房
  参議中納言 平教盛      従二位尼 平時子

ああ、教経様がど真ん中だ~!(笑)

平教経様は、清盛さんの弟の子供。つまり、甥っ子ですな。
名前だけ言っても「?」って人が多いかもしれないけど、



壇ノ浦の合戦においてのエピソードは数あれど、
中でもチョー有名なのが、「義経の八艘飛び」。
実際にそんなことがあったのかは別として、あれは義経が
教経様から逃げ回っていたからだと、そんなお話です。

屋島でも、舟から義経を弓で狙うけど、弁慶はじめ義経の家臣達が
立ちふさがり、義経を討ち取れなかった・・・ちぇっ。

というエピソードを持つ、平家の中でも随一の剛のおかた。

ただ、「吾妻鏡」なんかでは教経様は一ノ谷で討ち死にして、
京で獄門にさらされたという記述があるので、壇ノ浦には参加してない
可能性もある。

とりあえず平家物語の中では、最期は力自慢の源氏方の兵2人を脇にかかえて
入水したと。
享年26歳。

平教経、凄壮な最期3
   (高松・平家物語歴史館)   


七盛塚は、板碑に彫られた文字から1600年頃に作られた塚と
考えられているそうな。


ところで、前列の名前をご覧ください。
教経様だけ「盛」の字が入ってないでしょ?

「七盛塚」というものの、「盛」の塚は6基しかない・・・
七つめは彦島にある「清盛塚」だと一般には言われておるようだけれど、
教経様は「国盛」という名の時期もあったので、
ちゃんと七盛になると私は思うんだけどねえ?

なんにせよ、教経様がここに来たかもわからないし、
その他の方々も、皆様遺体は上がっていません。
ですので、供養塔ですね。


七盛塚の成立については、こんな伝承があります。

 【天明年間(1781-1789)のこと、海峡に嵐が続き、九州へ渡る船や
  漁船の遭難が続出したので、海上交通を断たれた商人や壇ノ浦の漁師たちは、
  生計がたたず大変困っていた。

  そんなある夜、漁師たちは荒れ狂う暗い海に、泣き叫ぶ男女の声を聞いたので
  闇をすかしてみると、そこには成仏できずに海上をさまよっている
  たくさんの平家武者と官女の亡霊の姿があった。

  漁師たちはこの災難は平家一族の怨念によるたたりであろうと考え、
  其れまで供養する人もなく荒れるにまかせていた平家の墓を一カ所に集め、
  京都の方に向けて手厚く供養したところ翌日からは
  嵐はうそのようにおさまったという。 】
  (サンデー下関 1997年11月7日号より)

う~ん、怨念ね・・・
平家の怨霊話ってのは色々あるけど、女性陣はともかく、
武士に限っては、皆様潔い最期を遂げられているので、
やっぱり死を意識してただろうし、祟るかなあ・・・とか思っちゃうんだけど。

「貴族化した平家はなよなよしてる」
みたいなイメージがあるかもしれないけど、平家の皆様だってちゃんと武士ですよ!!

だからこそ、一連の源平の戦いの中で、長く語られる
数多くのエピソードがあるのだ。

とはいっても、実際に平家が祟ったかという事は問題ではなく、
「平家の祟りだ」と当時の人々が考えたという事実が重要なんだけどね。

なにしろ、古い時代ですからね~。

例えば、源平の戦の後にできた「徒然草」にはこんな話がある。

  ある検非違使の長官が政務を執っている間に、部下の牛車の牛が
  中に入り込んで長官の場所に寝そべってしまった。
  皆はそれを見て、
「これは怪奇どすえ!陰陽師に牛を見せて占ってもらわねばなりませぬぞえ!」
  って大騒ぎ。
  それを聞きつけた長官のお父上が、
「動物なんだから、どこ行ったって不思議はないじゃん!
  こんな事で、安月給の部下の通勤の足(牛)を取り上げちゃったら可哀想だし~」
  とあっけらかんと言って、さっさと畳を取り替えさせた。
  ・・・結局その後、何も怪異は起きなかった。(第206段)

チョー現代語訳ですけど(笑)
こんな時代だから、栄華を誇っていた一門が海に滅んだとなれば、
やっぱり人々の恐れも尋常ではなかったでしょうね。

ちょっと何か変わった事があれば、「平家の祟りか・・・」と思うのは
至極当然のこと。
そして私も、後でその思いを実体験することになる


平家の怨霊話には、こんなのもある。

  地元の漁師たちが壇ノ浦で漁をしていると、曇りの日や夕暮れ時には
  平家の亡霊が海中から手を伸ばし、船べりにしがみついてきた。
  亡霊達は「ひしゃくをくれ~、ひしゃくをかせ~」と哀れな声で
  ひしゃくを要求するので、恐ろしさのあまり漁師が柄杓を渡してしまうと、
  亡霊はそのひしゃくで海の水を船の中にせっせとそそぎ込み、
  船を沈めて漁師を殺してしまった・・・

  そのため、漁師達は漁に出るときには必ず底の抜けたひしゃくを持って出かけ、
  亡霊にひしゃくを求められた時にはその底のないひしゃくを渡し、生き延びた。

う~ん、もの哀しいお話じゃ・・・

底の抜けたひしゃくは、諏訪にある諏訪大社下社(たしか春宮)にも沢山あったけどね。

PA250007

下の方に、銀色に光る一列があるでしょ。

底の抜けたひしゃくは水を通してしまうことから、
スコーンと楽に産めるようにとの願いを込めて奉納されたものなのだ。
つまり、安産祈願ですな(笑)

同じグッズでも、また随分と差があるものだな~と思った。


亡霊さんの中で、
「オイ、底が抜けてんぞ!コラ!!」
ってツッコミを入れる人はいなかったのか・・・とか、
またまたもどかしく思ったりして(笑)

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最終更新日  2012年01月31日 21時18分23秒
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